秋らしい爽やかな日、行先の定まらぬ散策の途中で久しぶりに出会った人が「元気そうじゃのう、なんぼうかいのう」と話し始めた。「なんぼう」はこの辺りの言い方で「なんぼ」と歳を問うときに使う。私ら高齢者なら分かることば。「来年は80に」と答えると「わしゃあ87」と日焼けした顔が笑う。
87才になる人の家は「あそこは大百姓」と言われる農家、ほかに商売もするなど手広く活躍されていた。出会えば時の挨拶葉していたが話すということは無かった。ある年、地域のある行事で苦情がでた。私がその説得の担当になり意を尽くして話した。黙って聞いてくれ「良し分かった」と一言あった。苦情は消えそれから出会えば会話するようになった。
立ち話する傍に柿の木があり柿の話から始まった。豊作だったというその後で、木守柿を盗られたという。「あの高さの実を盗るのは猿だろう。山中に餌が無いのかもしれない」と心配そうに話す。何年も昔に同じことを聞いた。その時は「くそ猿が」という感じだった。柿を盗難から守るために監視カメラを設置するほどの人だった。それが猿の環境を心配する、歳のせいかと勘繰ってみる。。
柿と言えば今年は渋柿をたくさんいただいた。すくもで熟柿、皮を剥いて吊るし柿に加工している。熟柿も何個か完成、とろりとした食感を楽しんだ。吊るし柿は1陣が完成、出来具合チェックで半減したが味はいい。渋と言えば「地味で落ち着いた中に深い趣がある」という解釈もある。渋抜きした柿ではそんな渋い人間にはなれないか、柿を口にしながらあれこれ思うのも、これも年のせいかな。