日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

「光る」同好の士

2015年02月28日 | 陶芸


 地元紙「中国新聞」の企画記事「光る」の取材から4日目、ローカル面ではあるが掲載された。毎回、集合写真付の紹介で同好会や地域活動グループなどの活動が報じられる。取材のいきさつを知る由もないが、これだけのスペースで紹介されるのは嬉しいことに違いない。

 毎月2回、海抜500メートルにある県の施設「県由宇青少年自然の家」で可なり昔の青年たちが若い施設職員の指導を受けながら粘土と格闘している。創立からのメンバーの記憶によると発足から9年になるという。オギャーからいえば小学3年生くらい、小学入学を起点にすれば間もなく高校生になる。

 継続は力なり。記事にはないが「鶏群の一鶴」ということわざがある。これは「鶏の群れのなかの一羽の鶴」という意味で、「いつかこの仲間うちから傑出した陶芸家が誕生するかもしれない」という希望がある。しかし、還暦に古希、喜寿や傘寿という声が繰り返し聞こえると時間にそれほどの余裕はない。

 明日から3月弥生、草木がいよいよ生い茂る月になる。年度最後の月で、月を通して卒業や入学、歓送迎会、引っ越しや新生活への準備など騒がしくなる。光る仲間は、山頂の創作室で瀬戸内のかなたを眺めながら粘土に挑戦し「世界で一つ」の創作に没頭しよう。 
 
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スーパーの閉店

2015年02月27日 | 地域


 名勝・錦帯橋近くの歴史ある商店街は、郊外型大型店の進出に押され閉店や移転が続き沈滞している。

 そんな商店街の近くで、半世紀近く、地元発祥の企業として、地域の日常生活を支えてきたスーパー「中央フード銀座店」が明日28日で閉店になる。最近は配送も実行され高齢者からは喜ばれるなど、店舗は地域に取って大きな存在だった。

 閉店するには企業としての事情があり、これを責めることは出来ない。しかし、地域に取って大きな寂しさと今後の不便さを思うといたたまれない。

 銀座店が開くまで、食料品は町のおじさんおばさんの商う小さな個人商店で買っていた。ところがスーパーの陳列棚を見た時は青天の霹靂だった。商品名は記憶していないが棚にはTVや本でしか知らない初めて見る品が並んでいた。

 購買力を高め生活を豊かにするというアベノミクス、その効果が届く前に地域の生活の核たるスーパーの閉店は、地域の活性化にどんな影響が出るのだろう。 

 歩いて買い物に行ける店があるということは、高齢者の楽しみの一つでもある。郊外型店舗へ行くことが困難な人の生活が心配になる。
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紅梅の下

2015年02月26日 | しっちょる岩国


 関ヶ原の戦いは東軍が勝利し徳川家康が権力を握った。対した西軍の総大将は毛利輝元、輝元の有力武将である吉川広家は参謀として参じた。西軍の敗戦、その後の領地没収などの曰くは長編小説になるので別の機会にしよう。家康は輝元に周防・長門の2国を与えるとし、広家は岩国に居城することを申し渡された。以後、岩国は吉川家が治める城下町として発展していく。その吉川家墓所が吉香公園の紅葉谷入り口にある。

 墓所は常に静寂な雰囲気を保っている。ここには、藩主吉川家の12代まで(6代経永)を除く当主及び一族の51基が並んでいる。ここは、3代広嘉、4代広紀の眠る「寺谷のお塔」、そこを少し登ると初代広家、12代経幹画」眠る「山のお塔」に」別れている。ここには「みみずくの手水鉢」や「誰が袖の手水鉢」など芸術品としても高い評価の彫刻がひっそりと佇んでいる。墓、石灯籠、手水鉢などは史跡に指定されている。

 その墓所近く、ロープウエイ山麓駅から歩いて2分のところに杉木立に囲まれた臨時駐車場ある。その入り口に1本の大きな紅梅が生えている。咲き誇ったときの姿は何年も見続けているがちょっと誇れる1本と思っている。咲き始めるとカメラ愛好家の咲き始めた、2分開いた、3分咲き、など腕を振るわれた写真とともに発信される。出不精者にも香りはしないが様子だけは知ることができる。見ごろですし、お出かけください。

 花もいいが、この紅梅を引き立てているのが根元にある崩れ落ちている土壁の姿。女性カメラマンが「この壁があるので毎年来ます」と言わせるほどの存在感がある。古くて、崩れていて、それが好かれる、世の中にそれほどは無いだろう。土壁、補修するが良いのか否か、撮る人の姿を見ながら悩む。
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もうすぐ春ですね

2015年02月25日 | 自然 季節


 昔々、宮本武蔵という剣豪がおったげな。その剣豪に長門の国は巌流島で決闘した佐々木小次郎というこれまた凄腕の剣豪がおったそうな。小次郎は周防の国は錦帯橋近くで生まれ,、おっかあから家伝の長光の名刀(一名物干竿)をもろうたげな。それをつこうて、錦帯橋あたりの柳とつばめを相手に独りで工夫し、努力を重ね、ついに「つばめ返し」の術を編みだしたそうな。

 これは、吉川英治氏の小説「宮本武蔵」を孫に聞かせるおばばの話。佐々木巌流小次郎は宮本武蔵との勝負に敗れたが、小次郎の「つばめ返し」の剣法は天下無双であった、錦帯橋そばの「巌流ゆかりの柳」の説明に書いてある。吉川氏は宮本武蔵を錦帯橋畔の「割烹 深川」で執筆されたという。作品に登場する「お通」、諸説あるようですがモデルは深川にあった、とも聞かされている。そこが小説の面白さでしょうか。

 この柳の近くに剣を構えた小次郎像がある。旅の記念に岩国城を背景にして記念写真を撮るにはおすすめのスポット。つばめ返しと柳と錦帯橋の三つの関係で小説「宮本武蔵」に書かれていない隠しがある。これはまたの機会に聞いていただくことにします。

 横山側の錦帯橋たもとに立つ由来ある柳は冷たい川風に揺れながら春の到来を待っている。その根元にどこからか運ばれてきただろう菜の花が小さな花を咲かせ始めている。柳の周りには染井吉野がひと月先の開花に向けてつぼみを育てている。菜の花と桜のコラボも錦帯橋畔の風物、もうすぐ春ですね。
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1万8603円48銭

2015年02月24日 | 生活・ニュース

 管理職または相当の職位になると非組合員となり春闘には縁がなくなる。最近は政府が賃上げの音頭をとる、昔なら思いつかない労使関係になっている。賃金が上がらなければアベノミクスとよばれる経済政策は成り立たなくなるから国も組合の応援というよりか経営者の尻を叩くことになる。

 金融緩和、インフレ策推進、円の大幅安、株価の高騰など個々の内容は分かってもこれらをすべて関連づける理論には追いつけない。円の急激な下がりは、輸入価格の高騰で食品の値上げ理由となり実感している。一方、輸出関連の増額は期待ほどでないという。「株をやる」というがやっている人は大儲けしている。やらない者にはこれまた縁がない。

 ある雑誌の記事を、日常会話風に我流解釈するとこうなる。株価や円安ばかりを話題にしているが「老後のことで子どもに迷惑をかけまいと貯めているお金を計算したか」という。わずかな金額が頭に浮かぶ。言い分はこうだ。日銀・政府一体の金融緩和から対ドルが80円から120円に値下がりしている。貯えている預金類をドルで受け取るとしたらその額は約34%減になるという。計算して見ると、大損をしていることになる。なら、株が下がって円高に変わってほしい、と、マクロ経済が分からぬので叫びたい。

 そんな小言が霞が関や永田町に届くわけがない。ならどうする、財布の紐を閉めるか締めるしかない。これは個人消費を促す国の経済政策に協力しない者になるが仕方ない。今日の株価は2000年4月20日以来の高値で終了した。反動は絶対に起きないのだろうか。
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少し安心

2015年02月23日 | 地域


 錦帯橋の話を始めると長くなる。それを簡潔にまとめた説明が岩国検定参考本「いわくに通になろう」の史跡編に載っている。その一部を借りる。岩国藩初代藩主の広家は、城山の麓に居館や上級武士の屋敷を配置、中下武士の屋敷や町屋は錦川対岸の錦見に置き城下町を形成した。錦見は錦川の川幅200メートルに隔てられているため橋は必要不可欠だった。3代広嘉は洪水で流れない橋を架けることを決意し内外の調査を進め、1673(延宝元)年に架橋した。流失などで建て替えは行われたがその姿は今に伝わる。

 錦帯橋は1922(大正11)年に国の名勝に指定され、それを示す石碑がそばに建っている。名勝に恥じない人の心を引きつける風光明美な光景は四季を通じて訪れる人を喜ばせる。春になると染井吉野3千本が開花し錦帯橋周辺の賑わいは1年で最も華やかなで、地元に住んで何十年も眺めるが誇れる風景と思う。

 そんな錦帯橋を車やバスで訪れる人は下流の川原に設けられた天然の駐車場を利用する。そこから階段を上り錦帯橋まで少し歩く。その道幅は、車の通る幅を確保すると人が1列に並んで歩く余裕しかない。そこは錦帯橋を背景に写真を撮るのに絶好の位置になる。交通量は多い。事故が起きないことを願いながら見ていた。選挙で錦帯橋への観光客誘致を訴え当選した市議に何度か訴えたが、危険は理解しながらも対策はなかった。

 その狭い難所の拡幅工事が進んでいる。もう少し広ければと思うが歩車道が分離されるなら今よりは数段安心して歩け、写真もゆっくり撮れ、錦帯橋への観光道になろう。桜の開花予測は1カ月と少し、完成が待たれる。
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今どき 2

2015年02月22日 | 回想


 錠前は「扉などに取り付けてしまりとする金具。鍵を用いて開閉する(広辞苑)」。別の説明には「錠」と「鍵」の二つが組みの状態で一式になった状態を錠前(ロックセット)、とある。子どもの時から定年5年前まで、我が家の防犯に寄与したのは錠前だった。それは旧制岩国中学武道場の木製窓のそれに似ている。

 ここでの錠前は、引き違いの戸で枠が重なる位置に取り付け、両方に通じる穴に内側から外側の戸を固定する棒状の芯を通す方式、最近は引戸錠と呼ぶそうだ。今はサッシ枠に少なくとも2個の錠が付いている。穴に通して回して閉める戸は無いだろうし、防犯上からも安心できない。

 そんな錠前が、窓も部屋や廊下の扉、玄関の戸の中ほどに1個画取りつけてあった。出かけるとき「閉めたか」という確認はこの錠前のことを指していた。子どもでも簡単に開け閉め出来るものにどれほどの防犯効果があったのか、今では疑問に思うが、深く考えた覚えは無い。治安が良くそれほど心配しなくても過ごせた証かもしれない。

 武道場で見かけた木製窓枠の錠を回すところに「TOK」の刻印がしっかり読み取れる。窓枠との一体感は長年の苦節に耐えた仲間のようで、重厚さを醸し出している。現代の花形IC錠など何するものと頑張っている。「錠をおろす」という慣用句がある。これはしっかり錠が開かないようにすることで大切なこと。加齢でより頑固になり「心に錠をおろす」ことのないよう気をつけなければと言い聞かす。
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今どき

2015年02月21日 | 回想


 「旧制岩国中学武道場」について、岩国検定テキスト「いわくに通になろう」で次のように解説されている。「明治時代の岩国女学校の校舎で、後に旧制岩国中学校の武道場となった建物。戦後、旧制岩国中学校と女学校が岩国高校となった後も武道場として使用された。1986(昭和43)年に岩国高校が移転した後は、明治時代の校舎を今に伝える記念館になった」とある。移転先は川西で、宇野千代邸の庭の向かいに見える丘の上に建つ。

 卒業生でないので、これまでは外観から眺めていた。今年の初め、雪に輝く光景にひかれて写真をFBに投稿した。歴史を感じさせる建物は、吉香公園という場所に違和感なく白壁の内側に佇まいしている。先日、所用で内部へ、多少の緊張感を覚えながら足を踏み入れた。長い歴史を忍ばせる「書」が複数掲げてある。床は何カ所も補修されているが全体としては古さを残した姿だった。今は地元の自治会館となっており、子どもらが大会で獲得した賞牌が数多く展示され、地域の活力を示している。

 昔そのまま、と感じた一つに窓がある。卒業した小・中・高どの学校も、窓は木枠で四角い透明とすりガラスの組み合わせで入っていた。卒業した校舎は建て替えられアルミ製に変わっている。外観からは気づかなかった昔の名残に懐かしさを覚え、温もりを感じた。また、隙間風と風でガタガタと鳴る音を思い出す。

 昨今はこうした建築物の安全性が厳しく問われている。木造の記念館もいつの日かそれが問われる日が来る。その時は再び見ることが適わなくなる歴史ある建物の姿を1部分でも残してほしい。それには木製枠で2種類のガラスを組みあわせた窓が最適ではなかろうか、そんなことを思いながら記念館を後にした。
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モノクローム

2015年02月20日 | 回想


 
 朝日に照らされできた影が長ーく伸びている裏通り。人通りもなくまだ目覚めていないような静かなアスファルト路、その舗装には湿気が残り鈍い輝きが白い帯のように伸びている様子は単色の世界、モノクロームの世界を観ているようだ。

 モノクロ。写真の整理をしていると子どもが生まれた昭和40年代の初めまでは白黒写真。結婚式も新婚旅行も白黒で撮っている。ブログ散歩をしていても白と黒であらわされる写真集もあり、それをみていると昭和の懐かしい時代を思い出す。保存しているフィルム時代の白黒のネガをPCに取りこむ、何度も思いついているが実行できていない。

 撮ることしかできなかったので、撮ったフィルムはDPE屋と呼ぶ写真屋へ持参、2、3日して現像と白黒のベタ焼きを受け取り、焼き回しする写真の選択とトリミングを考える。そして再び写真屋へ走る。これもカラーになると回数も枚数も白黒時代に比べ激減した。デジカメの普及とともに懇意にしていたDPE屋は閉まった。

 白黒の写真でも赤い服は赤く見えるように撮れる、と説いてくれた先輩の写真、観賞眼がないのか赤くは見えなかった。それほどに白黒写真は難しいということらしい。簡単にカラー撮影が楽しめる今の若い人には不思議な世界に思えるだろう。カラー写真もPCで白黒にもセピアにも簡単に変換できる時代、思いのままに変換して作品作り励むのはこれ一芸かもしれない。
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一粒に30万個

2015年02月19日 | 自然 季節


 杉花粉の飛散は始まっているそうだ。まだ、その症状を経験していないので苦しみは分からない。これまで罹っていないからといって安心するな、と親切な忠告を受ける。子どものころに杉の木の下で、杉の実を口に含み杉鉄砲で遊んだころに免疫がついたのかもしれない。それなら、杉鉄砲遊びは花粉症対策になるかもしれない。忠告をくれた人は「飛散は悲惨」と笑う。

 目のかゆみ・くしゃみ・鼻みず・鼻づまりが花粉症の4大症状と聞く。街で挨拶をもらっても、帽子を着用し、すっぽりと顔が覆われていてどなたか分からず返事に困ることがある。科学に医学、この進歩は目を見張るものがあるのに花粉症の特効薬やワクチン類の研究はどこまで進んでいるのか、この季節になると思う。

 情報番組の話で確認は出来ないが「杉の実一個に花粉は30万個ある。これだけの大量だから飛散距離も伸びる」と話す。あの広い関東平野に花粉が行き届くことからもその多さは想像つく。花粉は黄色の粉を杉の木が吐き出すように見える。吐き出された花粉はゆったりと風に乗り四方へ流れ行く。これは、昔の我が家のそばにあった大きな大きな杉の木の様子。

 今年の花粉は昨年よりは少ないという予報、と喜んではいけないらしい。少ないがその飛散量は観測記録の3から4番目の多さで油断は禁物とか。花粉に触れたくないので外出しない、と決断するわけにはいかないどろう。といって雨の日を待つわけにもいかない。花粉症の人、対策には万全の策を講じてください。
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