日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

361+5

2012年12月31日 | 回想


 昨年は入院などあり健康度は満足な結果ではなかった。そこで年はじめ健康のためとして、「ブログを毎日書く」ことを密かに決めていた。繰ってみると2月に連続5日休む結果となった。昨秋の入院余波で体調を崩したことが原因。家庭医から「体力回復まで入院が必要」という寸前まで落ち込んだときだった。ということで年頭の密かな決意は年明け早々に挫折した。

 思い出せば1月の下旬に少し体調に疑問を持った。退院後で十分に気遣いはしていたのだが、単なる風邪くらいに思ったのが間違いだった。それが前兆だったとは後からのこと。手術などの後には思わぬ余病もある、そう教学んだのは、またその後だった。ほかの11カ月、野球でいえば完投できた。

 完投といえば大きなことを成し遂げた。それは仲間との協同作業で作り上げた岩国検定のテキスト本「いわくになろう」の発行をおいてない。テキスト本は第1回岩国検定試験の前後に受験者の皆さんから強い希望があった。代表のリードのもと、1年半をかけて形となったときは大きな感動を覚えた。手にされた方から多くの賞賛の声が届けられ喜んだ。

 定年退職から12年、今年は年男だった。この区切りに、多くの仲間の一人として新しいことを学ばせてもらいながら、それを一つの形に作り上げる、退職時には考えてもみなかったことが出来た。いい1年だった、と思い返せることに感謝する。

 1年間、多くの方に訪問いただきました。来る年も宜しくお願いします。
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歳末の風景

2012年12月30日 | 回想
           

 各地の歳末風景がTV画面に映し出される。映像だけ見ると「不景気、デフレ」そんな様子は伺えない。そこは庶民の知恵、帰省してくる子や孫のため精一杯のもてなしをしようとする故郷の温かい人情、レジに並ぶ老夫婦の品数を見て感じる。

 こうした買出し、今はスーパーで済ませる。そうするよりほかに品揃え出来るところがなくなった。歳末といえば紹介されるアメ横。ここ小さな城下町にも魚町や豆腐町などと呼ばれ、盆と歳末にはアメ横ほどに込み合い、競い合うように買い物籠へ品物を詰めた。その頃はマイバックだった。

 昭和も40年代半ばくらいからスーパーの進出、やがて郊外へより大型で便利な店舗が営業を始めると、商店街の活気は一気に消えた。その商店街で商いを続けているのは数店もない。シャッターを降ろして何十年にもなるが、子どものころから見ていた昔のままの看板が、寂しそうに通りやシャッターを見下ろしている。こうした店舗の商圏は徒歩か自転車で行き来する狭い範囲、品数と価格と便利さを備えた大型店に太刀打ちできないのは分かる。

 朝からの雨。歩いて出かけたので少し回り道をして大昔のその商店街を通った。アスファルトが鈍く光っているだけで、通りには自分ひとり、モノクロの世界に迷い込んだ感覚。小さくても意気を芽生えさせる策はないものか、またいつもの思いを抱いていた。大きな通りへ出たとき札幌ナンバーのワンボックスカーが通り過ぎ、歳末の町へ引き戻された。
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錦帯橋と餅つき

2012年12月29日 | ウオーキング 散歩
           

 年の瀬、明日からの天気は下り坂、その予報を信じて今年最後の歩きに出かけた。いつもの通りは、いつものように閑散としていており、門松や注連飾りなど年明けを迎える様子はまだ見えず、けだるい午後の静けさ。

 それでも錦帯橋畔は帰省途中なのか年末旅行の人なのかにぎわっている。錦帯橋を渡った横山側ではソフトクリーム屋さんに行列ができていた。風もなく穏かな陽射し、歩きつかれた体にはあの甘さがいいのだろう。呼び込みの声がよく響いている。

 歩けば何とか、錦帯橋のたもとで餅つきに出合った。近くの商店の人らに勧められ、通りがかりの観光客が次々と杵を握る。大方の人が杵の持ち方や振り上げ方、続いて足の位置を確かめて杵を振り下ろす、その工程を教わりながら楽しむ。力不足で杵がはねたり倒れたりすると笑いが起こる。旅の人には錦帯橋を背景にしたいい記念写真のお土産ができた。

 搗き立ての餅はその場でちぎってふるまわれる。思わぬことなので観光の人らは大喜び。私の歳を見計らってか「お父さん、喉に詰めないように食べてね」と気づかいの声と一緒に平餅1個分くらいを渡された。柔らかく温かい餅に砂糖醤油をつけて頂いた。搗き立ては久しぶり、確かに美味い。錦帯橋PR、本当にご苦労様です。

 こうして今年最後の歩きはいい思い出の中で終わった。体のためにと歩いているが、付随していろいろな見たり聞いたりもある。思わぬ人と出会うこともある。ブログの題材にも出合える。来年も楽しみながら歩こう。
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冬の一風景

2012年12月28日 | 自然 季節
          

 今年も芭蕉が枯れる季節になった。緑濃いあの姿からは想像も出来ない枯れ姿、やがて朽ちはてて冬眠をするように土にかえる。春が近寄ってくると伝統を受け継ぐかのように、冬眠していた枯れた根元からやわらかな葉をのぞかせる。一晩で目を見張るほど成長をし短い一生の活動を始める。

 芭蕉は見上げるほど高い。大きな葉っぱは立派だが幾条にも裂けている葉も多かった。変わった形の花が咲き、バナナに似た小さな実がなった。切り口からは水が滴る、そのせいか小さな一枝でも結構重かった。子どものころの家のそばにあった芭蕉からいくかつか思い出す。

 一番のそれは重ね寿司。重ね寿司、今は「岩国寿司」として観光の売り物の一つになっている。昔は多くの家で祭や祝い事のときに「家庭の味」としてくる人へ振舞った。その重ね寿司の段と段の仕切りに敷いたのが芭蕉の葉。近所からも葉をもらいにみえていた。残念ながら、そのほかに役立ってくれた記憶はない。それでも強く印象に残っているのは強靭そうに見えながら、葉のひらひらと揺れる優しい姿からかも知れない。

 葉は風に破れやすいため庭に植えることを嫌ったという。それで別名を「庭忌草(にわきぐさ)」と言われるとか。風に破れやすいのは、大きな葉全面に強い風を受けたら倒れるかもしれない、そこで破れを作り風を受け流しているのではなかろうか、と生物の不思議を思う。

 高齢者の仲間入りをしている今、いつなんどき大きな風波に見舞われるかも知れない。芭蕉の葉のように自然に身に付けた処世術は身についていない。でも日ごろから家族仲良く、近所とは互助の姿勢、これだけはしっかり守っていこうと思う。
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思わぬ効果

2012年12月27日 | エッセイサロン
            

 ブログを初めて6年過ぎた今年の秋、1年間の書き込みを1冊、合計6冊にまとめ製本した。製本は「工房 木工」のOさん制作の製本機を借り手作りした。6冊並べると外観は自画自賛したくなる出来栄え、と一人納得している。

 時間があるとき、どんなことを書いていたのか特別に選ぶことなく取り出して目を通している。あんなこと、こんなことと思い出す内容、「こんなこともあったのか」とすっかり忘れていることもある。物忘れの進む歳近くになったのかも知れない。

 内容はともかく、気をつけて書いたつもりだが脱字に誤字、変換間違いが目につく。書いて、黙読して、アップしているのだが見落としや気づかずが結構ある。製本するとき数字の横向きは修正したが文章の読み直しはしはせず、そのままを製本した。出版だったら許されることはなかろうが我流製本、これも記念と言い訳しておこう。

 製本は「短く分かりやすい文章でブログを続ける」という初心の思いへかえらせてくれた。これからも時には開いて読んでみよう。製本したことで思いもしなかった効果に気づいた年の瀬、今年感謝する項目の一つとなった。
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ネットの効果は

2012年12月26日 | 地域
           

 歩いていて出くわした会話。「とうとうネットを張ったかや」と畑を見下ろしながら声を掛けた人。「何が来るのかよう分からんが今年しゃあやれんかいね」と斜面の段畑で作業中の人が見上げて答える。風は冷たいがやわらかな陽射しにほっとさせる昼下がり。

 段畑の下には民家も見え、バイパス道路もそばを通っていて昼間は野生動物が姿を表すような場所ではない。が、夜間はひっそりとした段畑、新鮮な作物をいただきに何かの生き物が現れても不思議ではない。先の会話から最近、被害が大きくなったことが伺える。その畑、緑色濃い何種類かの野菜が冬日を受けている。

 何十年も前、山の斜面の畑でわずかな野菜を作っていた。当時、野生の動物からの被害は思い出せない。あるといえば土からのぞいている大根をカラスがつつく、その程度だった。動物でなく黒い頭の生き者にひと畑ジャガイモを盗まれたことはある。数本くらいの大根を持ちされることはよくあった。

 ここらでもイノシシや猿、狸などによる被害はよく聞かされる。対策はとられているのだろうが、動物たちはそれを越える能力を持っているのかもしれない。それは野生として生きるための知恵がそこに働くのだろう。熊対策としてどんぐりの木などを植林する活動も多いという。

 こうした動物対農家の戦いはいつころから多くなったのだろう。市街地周辺でもこの傾向が見られる。ましてや過疎高齢化や限界などと称される地域での苦労は大変だろう。新政権はこれまでの農業政策を否定されている。新農林大臣は郷土出身、力強い策が小規模農家まで早く届くことを願う。
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子どもにも説明を

2012年12月25日 | 地域
 「来春、卒業する小学校が廃校になる。下級生は別の学校へ移ります。廃校する理由は父兄と地域の人には説明されるが、転校していく児童には説明がない。僕らにも説明して欲しい」。こんな主旨の小学生の投書が載っていた。

 投書には小学校の思い出、母校がなくなることへの寂しさなどが短い文によくまとめられていて、最後の卒業生になることへの投稿児童の気持ちが伝わった。

 投稿児童の小学校が廃校となる理由は書かれてないが、全国的な傾向と大きな違いはないのだろう。子ども心にも廃校の理由を知りたい、知っておきたい、この希望を関係の方はぜひ聞き入れて欲しい。

 その時、役所言葉を使わず、子どもらが容易に理解できるよう、丁寧に分かりやすい言葉で話し、納得させてと願う。聞いた子どもらは悲しく寂しがるだろう。しかし、その機会で得たことが、将来、大きな力となって故郷へ返される、帰って来る、そう信じている。 


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宝石のような冊子

2012年12月24日 | しっちょる岩国
           

 盛会裏に終わった第2回岩国検定試験から3週間が過ぎた。この試験は有志が立ち上げた「岩国検定実行委員会」が主催し岩国市と岩国市教育委員会の後援で行った。

 実行委員会の発足の呼びかけはこうだった。ご当地検定が全国で行われ県内でも数市で行われている。しかし当市にはその動きがない。関係機関へ声を掛けても積極意的な応答が得られない。

 そこで、「岩国の歴史・文化・自然などの魅力を市内外の人に知ってもらい、岩国に愛着を感じてもらうと共に、市民には郷土岩国に誇りを持ってもらうことを目的にする。また、検定試験を実施することにより、町の活性化に貢献する」という主旨で2010年1月に発足した。

 これまでの3年間の手持ちの資料を整理した。第1回検定へ向けての打ち合わせから第2回検定試験実施まで、それぞれに思い出のある資料が重なっている。その何れもが、今年8月に発行した検定テキスト「いわくにになろう」へ通じるていることを、改めて認識した。地方紙のコラムに「これ一冊で岩国市の概要を網羅している」という記述を思い出した。

 そして長年、地元で新聞発行を続けていても「おお、これは知らなかった」と新鮮な発見もあった。「岩国の歴史的な誇りがたっぷりつめられた宝石のような冊子」と評価してもらえた。確かな目によるこの評価には感激した。

 古地図を手にしての街歩きが注目されているそうだ。宝石のような冊子はこれのお手伝いが出来る、そう思っている。しかし完売した。さて、これからどうする、思案の境に入る。
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5千円ください?

2012年12月23日 | 生活・ニュース
           

 スキーにスケート、マラソンに駅伝と冬のスポーツ真っ盛り。そのどれにも身を投じて親しんだことはない。もっぱらTV観戦で楽しんでいる。今日は男女の全国高等学校駅伝競走大会が京の都を走り抜けた。男子は63回、女子は男子の半分にも満たない24回目。

 年明けは全国実業団、箱根駅伝と続く。正月の過ごし方も大きく変化し全国同一化、凧揚げ、こま回し、羽根つきといった遊びは物語になってきそうだ。

 駅伝もマラソンもTV中継される。NHKも民放も視聴率のために放送の間合いに、中継のお知らせと視聴を促すCMを繰り返す。これを見た外国の人が「応援するのに何で5000円支払うのか」と疑問を抱いたという。聞かれた日本の人は、さて何のことかと、放送を注意して聞いた。

 「ごせいえんをよろしくいねがいします」とアナウンサーの声。「ご声援を宜しくおねがいします」と通訳を聞かされたその外国の人は、手をたたいて大笑いしたという。日本に慣れない外国の人「ごせいえん」が5000円に聞こえたのだった。そう思って聞くとそう聞こえないこともない。

 こんな誤解はすぐに解けて笑いで済まされるが、意味の取り違えから思わぬいさかいへ進むこともある。日本人の間でも解釈の違いから思わぬ事件にいたった例もある。政を預かる人はこういうとき、よく「本意ではなかった」と取り消したり言い訳をしている。こんなことを思いながら高校生の走りを見ているのは、真摯でないと怒られそうだ。
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美術館をひとつ

2012年12月22日 | 地域
             

 全国の美術館めぐり、北は北海道から南は沖縄県まで、その数がまもなく700館に達する人がある。1991年にはじまり、退職後も途切れることなく訪問されている。500館達成のときは地方版で大きく扱われ話題となり、民放インタビューも受けられた。

 その人のホームページはシャープできれいな写真と共に館についてはもとより、展示作品のそれぞれが語られている「美術館ガイド」に「展覧会レポート」、美術愛好家ならでは書ける「美術ミステリー」の項目がある。これの推理推察は美術に疎くても面白い。これらを読みながら美術館巡りをした気分になっている。

 直近の掲載は広島県立美術館で開催されている「平木コレクション浮世絵の美」展について紹介されたのを読んだ。そこには名作の紹介に続いて「浮世絵鑑賞とともに、描かれた人々や風俗にも目を向けていただければと思います」という感想が書かれていた。

 今日の中国新聞にその浮世絵展の紹介が載っている。浮世絵の初期から爛熟までの歴史的な流れが記事から解る。その記事は「時代の息吹 色鮮やかに」というタイトル。美術館めぐりの氏が言われる「描かれた時代を知る」に通じる見出しと感じた。

 美術館めぐりの楽しさは「美術品を観賞する」それだけはない。「所在地の風景やその土地の人との出会い、美術館で出会った同好の士との会話など美術品を取り囲む周辺にもある」と話されたことがある。美術館を出て次のバスの便まで長時間待つ、そんな不便なとこにも美術館があるとも教えられた。

 隣の市の美術館で開催中の安野光雅展を観にいった、という人も多い。県内でそれなりの自治体制でありながら、常設美術館のないのは当市くらいではなかろうか。心の涵養にもなるこうした文化施設を望むのは一人だけだろうか。
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