日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

食べ時

2015年04月30日 | 自然 季節


 子どものころ、夏の冷たい井戸水は喉の渇き一気に和らげてくれる神の水だった。上水道の普及で井戸はそばに押しやられ、街中で見かけるそれは遺構のような貴重な史料になった。「釣瓶とは」と聞かれ芸能界の鶴瓶さんと答えたという話がある。井戸と釣瓶は切り離せないが、知らなければ答えが芸能界に移るのは現代では仕方ない。

 冷たいものは暑い時、誰が決めたか知らないがこの決まりは崩れている。暖かくなれば錦帯橋畔のソフトクリームの2店には長蛇の列。向かいの1店も並んで待っている。列には若い人が多いけど高齢者も結構見かける。種類が多くて選ぶのに時間がかかる、というのは一番古いお店の常連さん。そう100種類の中から気分によって選ぶ楽しみは、後ろに並んでいる人のことは忘れさせるらしい。

 井戸水で冷やしたビールは子どもの神の水と同じくらい大人を元気づけていた。冷蔵庫の普及などで、この地域の言い方にすれば「年がら年中飲める物」になった。これも季節感が消えた。乾杯はまずビールが一般的、最近は和食とそれに似合う飲み物ということで日本酒による乾杯も増えているそうだ。世界に広がる県産の酒はそんなブームの先導役を果たしている。

 飲み物にも食物にも季節を感じることなく1年を通して食卓にのる品が多くなった。さすがタケノコやマツタケは季節感あふれ品になっている。やがて人工栽培品が店頭に並ぶ時が来るだろう。海の食材のフグにサンマ、カニや初カツオなどは旬の字がよくにあう。マグロに似て、これらもいつか養殖の時代になるのだろうか。餓えを知らない世代人はやがて食の季節を変えるだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おでまし

2015年04月29日 | 自然 季節


 北海道でも30度超えなど各地の暑さ記録が報じられる。カープの2軍戦を観戦した大のカープフアンが長袖着用とそうでない人の腕の日焼けを対比して撮っていた。日焼けしたその茶色はまるで夏の終わりかと思えるほど見事なものだった。カープ大好きな人だけにこれからどんなに変わるのか興味が湧く。

 新緑の季節になり、殺虫剤や虫よけのCMも多くなった。昨年、効果に少々疑問を提示されたCMも始まった。年々進化する殺虫剤に耐える虫どもはその情報をもしかしてCM放送でキャッチして体質改善策を講じているのかもしれない。まるでいたちごっこをしているようだ。

 とこから来たのか、飛んでは来れないから自らの意志で進んできたのだろう黒茶色で数センチほどの毛虫、行き先があるのか懸命に前進する。これからはこうした虫の出番、今年初めての出会いなので撮るだけで見送った。

 庭にやってくる虫、プランター野菜についてもらっては困るので「花にも野菜にも優しい殺虫剤」のうたい文句に釣られて購入している。虫がころりと参ってくれればいいが、そんな強力な効果のある薬が老齢の体内に蓄積したらと心配するほど収穫はない。プランター菜園の準備をしなければと予定はしている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゴルフ禁止

2015年04月28日 | 地域


 この広場は、子どもたちのソフトボール試合なら同時に3試合、軟式野球も同時2試合できる。ゲートボールは見かけなくなったがグランドゴルフの練習や試合はよく見かける。正月にはタコ上げで子どもたちは安心して走る、周囲を黙々とひたすら走る人を見かける広場でもある。親子でのキャチボールを見かけると微笑ましくなる。ラジコン操作もできるなど個人も団体も楽しめる広場。

 そんな広場の入り口に「ゴルフ禁止」の立て看板がお目見えした。駐禁のマーク内にスイングのイラストが描かれている。字が読めなくても判別できる。打ちっぱなしをしている人を何度か見かけたことはあるが、たまたまなのか他に利用している人はいなかった。子どもたちが遊んでいたら確かに危険だろう。立看が出たということは危険なことがあったのだろうか。

 ゴルフは「プレーも服装もマナーが第一の競技」、90歳近くなってもゴルフ現役の先輩からよく聞かされていた。ゴルフをしない私にはプレー上のマナーは分からないが、映像で見かける最近の服装は先輩の感覚とは違っている。これは時代の変化だろうか。

 広場使用上の注意書きは「ゴルフ禁止」以外にはない。マナー優先のゴルフ人が広場の安全な使用を邪魔することはないだろうが、打ちっぱなしをするとそこが個人占有の状況になるので困る。立て看板の意味はそんなところだろう、気にすることはないと思いながら1枚撮る。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

けなげに

2015年04月27日 | 生活・ニュース


 車道と遊歩道の分離帯には何種類かの小木が植栽されている。その小木の間にはまた何種類かの花が植えられ、散策やウオーキングを楽しむ人らの疲れを癒している。そんな分離帯で空き缶やペットボトルなどが植え込みの根本や枝葉の間に押し込まれている状況によく出会う。健康に体を動かすのであれば、気持ちも健康であって欲しい、思いながらも回収したことはないので同罪かもしれない。

 分離帯に白い丸い物が遠くから見える。また何かの捨て物かと近くに寄ってみると少し厚目の樹脂上の白い面に何か書かれている。読んでみると「けなげに一生懸命咲いている花を抜いたり切ったりしない事です」とある。それは植え込みを抜き取ったような窪みのそばに置かれている。

 「花泥棒は罪にならない?」という。花の美しさに惹かれて持ち帰るので咎めることではない、風流心の表れ、と盗ったものは弁護するという。たかが花、というが丹精込めたそれを折られたり抜かれたりして持っていかれて、美しさを評価されたと喜ぶ人は少ないだろう。他人の花を折れが器物損壊罪、それを持ちかえれば窃盗罪、盗むために敷地内に入れば住居侵入罪が重なります。今の法律で花泥棒は有罪です。

 けなげに、の書き出しの文章を置かれた方は心の広い人だ。持ち返った行為を直接に責めてないで生き物の命の大切さを教えている。盗るな、私ならそう書くだろうと思い、本当に自然を愛でる優しいこころ持ちの人のあることに気づき嬉しく思った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

牧草刈り機

2015年04月26日 | 地域


 月1度の農園作業、諸事情で延び延びになっていたが、初夏の爽やかな日ざしのもとで久しぶりの作業だった。「草ぼうぼう」と予想した通り畑もその周辺も春を喜ぶ雑草が伸び伸びとしている。牛でもヤギでも連れて来たらさぞ喜ぶだろうと思うが、この草は人力で処理するしかない。抜く、それが無理なら刈り取ることに決まる。

 畑の中はそれでもよいが、その広さの何倍もある周囲の雑草は草刈機が活躍するとことになる。その準備中に耕運機のような何かがやって来た。広い雑草地の中で大きなエンジン音がし始め雑草を刈り始める。左右に振って刈る草刈機に比べ何倍もの速さで刈り取る。機械の下部で大きな円盤が相当な速さで回転している。円盤の径の幅で草が刈られていく。眺めていて面白い。

 作業を終えたその機械には「牧草刈り用」とうプレートが付いている。円盤の外周に2枚のカッターが取り付けてあり、円盤の回転力でカッターが草を刈る。かられた草はかなり小さく切断されている。仕組みはシンプルだが作業力は大したものだ。手持ちの草刈機では何時間かかるかわからない広さを、あっという間に刈り終えた。

 高齢化対策や効率化などのため農業の機械化がよく言われる。雑草対策として牛やヤギを田畑に放ち食させる試みが行われている。高額な機械購入よりは安価で対応は容易に思うのは素人だろうか。久しぶりに見た農業機械の威力、仕事の依頼が多数あるそうで、牧草刈り用機械の普及は進んでいないようだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

欽明路道路

2015年04月25日 | 回想


 山口県道15号は岩国玖珂線で岩国市内の主要道路のひとつ。市内錦見新愛宕橋から玖珂町の野口交差点の間で、地元では開通当初から欽明路道路と呼ばれ親しまれている。当初は有料道路、といっても料金所は1個所で地元の人は抜け道を知っていた。それでも交通量が予想を超え償還予定を繰り上げ無料解放され非常に珍しい事例と注目された。

 その一つに「欽明路バイバス」という別称が証明している。15号が開通するまでは市内錦見から玖珂町へは国道2号線しかルートはない。この区間は長い登坂道路でカーブが多く、長距離大型トラックのエンジン音は気の毒なほど苦しそうだった。欽明路道路は山越えをするが2号線に比べればいかほどの苦痛もなく、距離はおよそ半分となれば、2号線のバイバスなり料金収入も計画値を超えた、という素人の判断。

 工事中、年少の息子を連れて工事用のダンプカーを眺めていた。ある時、1台のダンプが寄ってくる、何事かと思っていると窓が開き「乗ってみんかい」と運転席からの声は同級生、誘われるまま息子は喜んで乗った。しかし、工事中の道路は遠慮なしの凹凸が続く。左右に揺れながらも高い運転席からの眺めに息子は喜んでいた。

 開通初日、初めての自動車を購入したころだった。開通記念で配布された無料通行券で走った。夜道ではあったが、山を切り開いた暗い道路だと、慎重にハンドルを握った。あれから40数年、生活に欠かせない道路になった。通勤、物流、レジャーなど多彩な車が走る。通行車両は1日3万台余りの記録がある。主要道路は生活の動脈にもなっている。事故の起きないことを祈る。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雑草に変わった畑

2015年04月24日 | 地域


 健康のためと歩きはじめたのは定年になってからなので10数年になる。厳しいノルマが課せられることなく楽しんでいるが、途中からブログネタを探すことも大きな意味を持ち始める。それはそれで楽しんでいる。毎日、同じコースではないが道沿いの光景は変わる。撤退や移転した工場跡地、肥沃だった農地が宅地に、藩政時代の土壁はコンクリートブロックに、道路は路地の奥までアスファルト舗装になど、住みよさを感じさせる街並みに衣替えしている。

 自然の中を歩くと舗装道ばかりでなく菜園の並ぶ道沿いも歩く。良く育った野菜を見ながらの散歩は気持ちいいもので、たまには仕事中の人と挨拶を交わす。その大方の人が高齢に見えるが皆さん元気、老後の野菜作りを楽しんでおられる。こんな人にも出合った。嫁いだ娘が遠くに転居したので野菜を持っていけなくなったから野菜作りを止める、と話したその人の畑は後を継ぐ人がいないのだろう、荒れ果てた姿になっている。

 昨年の春までは通るたび感心するくらい畑も側の農道も雑草が刈られ、いつも美味そうな野菜が育っていた農園が雑草畑になった。道の雑草は獣道に変わった。人の手が加わらないと自然への回帰の早さと雑草の強さを荒れた農園から知る。

 おもに週末、片道30キロを往復しながら米や野菜を作る人がいる。農業は本業ではないが作物に対する愛着もさることながら、実家の田畑をしっかり守る気概が行動に表れている。また、収穫した作物の安心安全がそうさせるのかもしれない。自給率の低下が問題になるなか、消費するだけの輩が口を出すべきではないが、直接自然に働きかける一次産業の重要さを雑草畑にレンズを向けながら思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

正しい無線操縦を

2015年04月23日 | 生活・ニュース


 こともあろうに首相官邸の屋上に小型無人機「ドローン」が降下されていた。官邸からそれほど遠くない場所から無線操作されたという。ドローンの用途は民生用に威力を発揮すると大きな期待が持たれている。一方で、犯罪に用いられる危惧は早くから指摘されていた。ドローンへのカメラ積載には驚かないが、放射性物質も検出され降って沸いたでは済まされないことだ。早期の解決を図ってほしい。

 知人が模型の水上機を飛行させるので山中の湖に同行したことがある。綿密な計画と愛着を注いだ手作りのそれが滑水し上昇、飛行して着水し操縦者の足下に戻ってくる。一連の繰り返しには単なる趣味や遊びでなくより高度な飛行を模索する姿を感じた。

 河川敷広場で模型ヘリコプターを操縦している人と話したことがある。その人は退職して始めたヘリだが、風の読みが出来ず苦労していると笑っていた。遊歩道を歩いていると爆音のような大きな音がする。川沿いの雑草を刈る草刈機かと思っていたら、緑の船体が旋回している。これも無線操縦で動く。長さは80センチほど、聞くと時速90キロの能力があるという。水しぶきを上げて走るそれはエンジン音も含め模型の域を超えた迫力がある。

 身近に、無線操縦されて飛んだり走ったりするおもちゃを通りこした商品が多数ある。商品自体に責任も罪もないのに、これが正しい使い道をそれた時に悲しい事象が起きる。先の自転車で帰宅中の男性の足を貫通したボウガンもしかりだ。悪意を込めた無線操縦はほんのひと握りだろう。無線機を操作しながら船を目で追い、その傾き具合などを仲間と話し合っている姿をみながら思った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3年半

2015年04月22日 | 生活・ニュース


 ガン切除のため手術室に入る。麻酔をかける「チック」とした針の痛みを感じたことは記憶している。べッドのまわりの顔が次第にはっきりし、手術を心配して駆け付けてくれた人と判る。病室の壁に掛けてある時計が午後3時過ぎを指しているからおよそ6時間あまり麻酔の世界にいたことになる、そう気づいて、生還し意識のあることを喜んだ。

 それから3年半、術後検診を受診する。3年経過までは3カ月ごとの受診だったがそれを過ぎるとインターバルが6カ月になった。血液検査にCT,内視鏡検査など経過に応じて受診内容がかわるが、これまでも今日も転移をはじめとする異常などはなく過ぎた。これからもこのまま推移してほしい。

 ガンは発見が早ければ助かる確率は年々高くなっている。最初にガンと診断してくれたのは家庭医だった。家庭医は「これほど早期発見は初めて」と話してくれた。自覚する症状はなにもなかった。発見は数年続けている便潜血検査でマイナスの値が出たことがきっかけだった。マイナスを受けて潜血の再検査や内科的検査を得た後に大腸ガンと判明した。

 地域の核になる医療期間で、医師の薦めるままの手順で手術を受ける。担当医の素人にも理解できる説明を信頼してのことだった。同病の同期もいるが、無投薬を話すと驚いている。同期の彼が病院に駆け付けたのは出血に気づいた日という。3年半の検診を終え、改めて早期発見の重要さを思った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今ころの雨言葉

2015年04月21日 | 自然 季節

 昨日から立夏までは「穀雨」。二十四節気のひとつで「春雨が降って百穀を潤す」ことから名づけられたという。雨で潤った田畑は種まきにいい時期を迎えることになる。農家の人の話では穀雨になると霜が降りにくくなる代わりに雨の日が多くなるそうだ。穀雨を裏付けるかのような雨、市内の北部山間部では100ミリ近い雨量に達した。市街地では時折強い雨足は見られたが、気遣うことはなかった。

 「雨で折角の花見が出来なかった」という愚痴を聞く。花散らしの雨が続き人出もまばらだったので愚痴は仕方ない。お叱りを覚悟でいえば「愚痴を文芸にしたのが川柳」と説く御仁がいる。愚痴を吐きそれを聞き共感してもらえると気持ちが休まるだろう。聞く人がいなければ川柳に変えると精神の安定を図れるかもしれない。

 雨、雨と愚痴っても仕方ないが、穀雨のころの雨言葉が幾つもあることを知り昔の人の雨への深い思いに感心した。農作物や草木を潤し成育させるほどよい雨は「膏雨(こうう)、甘雨(かんう)、慈雨(じう)」という。土を肥やす長雨は「沃霖(よくりん)」、タケノコの生えるころの長雨は「筍梅雨(たけのこづゆ)」、春雨と梅雨の中間の長雨は「迎梅雨(げいばいう)」という。

 膏雨は「農作物をうるおし育てる雨」、甘雨は「草木をうるし育てる雨」、慈雨は「ほどよく物をうるおし育てる雨、ひでりつづきの後の雨」。沃霖は「田畑をうるおす雨、よいおしめり」など、微妙な感覚の違いがおり込まれた雨言葉に古人の深い観察眼と自然への畏敬の念を感じる。自然を自然のままに受け入れる、そんな素朴さが今は欠けているのだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする