日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

はんこ

2020年04月30日 | 回想

 新型コロナウイルスの感染防止策の一つとして在宅勤務が推奨された。大都市で50%だが地方ではその半分などと実施状況が報道される。在宅勤務は昔ホワイトカラーと呼んだ層が主で不可能な職種は多岐にわたる。その在宅勤務を阻害する一つに印鑑社会が挙げられた。TVインタビューでも何件か見た。印鑑社会を変える、世論はその流れになりそうだし、マスコミは世論に同調しているようで、印鑑文化の消える運命を感じる。
 
 書類に印鑑がないとその書類は正式な役目を果たさない。特に役所関係に関わるものは厳しい。ある書類を工長調印(丸印)で提出したら不備という、理由は工場印(角印)がないということだった。印鑑がないととにかく仕事が前に進まない。しかし、印鑑制度にはいいとことがある。押印した人は責任を伴うということだ。決裁後に改ざん、さらに隠ぺいなどさせるようでは真摯な官僚とはいえない。

 決裁書への押印を受けるためある課長のところへ出向いた。内容は調整すみで異はないが押印しながら「はんこの重さを考えたことがあるか」と聞かれた。私は担当者印なので重さということを考えたことはなかった。「小さな印鑑だが、これを押すことで責任は会社が続く限り背負うことになる。おろそかには押せない」、その課長は役員、そして社長へと昇った。

 在職中は社内用として、社員番号と氏名を漢字で刻印した1㌢角で長さ6㌢の印が全員に支給されていた。社章入りのそれは通称「角印」。社内手続きと給与振り込みまでの受領印などすべてが角印で済んだ。電子印鑑や電子決済の時代になりつつある。それこそ判で押した書類になるだろう。ちょっと斜めに、少しかすれて、そんな癖のある押し方に味があった。デジタル決裁では味わえない。
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錦帯橋祭りですが・・・

2020年04月29日 | 地域

 例年4月29日は「名勝・錦帯橋祭り」です。祭りでは、江戸時代の参勤交代を模した、奴道中や大名行列が錦帯橋を練り歩きます。また、周辺では、岩国太鼓の演奏や、岩国藩鉄砲隊による演武、由緒ある小糠踊りや南条踊り、小中高生の演奏などなど様々なイベントが行われ終日にぎわう。

 今年は新型コロナウイルス感染を懸念しては早くから中止が決まっていた。祭りの日、錦帯橋畔はもとより隣接する吉香公園は一日中にぎわう。私も、毎年カメラを携えて「今年こそはこの1枚を」と思いながら出かけるが、人込みをかき分けて前に出る度胸がなく、毎年反省しているが進歩しない。

 ステイホームの呼びかけで「外出自粛、家にいよう」への忖度か、昼過ぎの錦帯橋下川原の駐車場には10台ほどがちょっと寂しそうに止まっている。近くの土産や飲食店は戸閉、通りかかったとき錦帯橋上に人影は見えなかった。コロナを心配して、この春は桜のころにも、川原の駐車場にバスが止まっているのを見かけなかった。各観光地の困惑がよく分かる。

 観光産業の脆弱な一面が世界規模で発生している。ここ錦帯橋も、世界遺産登録への活動が行われている。アプローチはされているが目標には至らず。登録されれば観光地として世界に知れ、訪れる人の増加を期待している。しかし、観光は他人のふところ具合に左右される。それにも揺るぎない策をもって観光行政は進めてほしい。
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ステイホームの陰で

2020年04月28日 | 社会 政治

 新型コロナウイルス感染拡大防止には巣ごもりが一番の策ということで「ステイホーム(家にいよう)」が合言葉になっている。私の辞書に「ホームステイ」は載っているが「ステイホーム」は載っていない。「巣ごもりばかりでは身体がなまって」と法面の菜園で農作業中の人、ここなら3蜜はないでしょうと立ち話になる。

 イノシシの出没が少し減りほっとしている。そういえば、カーブしながら続くのり面の畑もその周囲も掘り返された跡が見えない。今年はタケノコの出が少なく、イノシシに畑を荒らされるのを心配したが、心配だけで終わって良かった、以前、イノシシの食べ残したタケノコを人が食べる、そんな冗談で笑わせた人だが嬉しそうだった。

 話をする中で「巣ごもりで知人が困っとる」と話が飛んだ。長年、GWに帰省する子供や孫らの協力で田植えをしていた高齢農家だが、今年は帰省しないというので、代搔きは済ませたが田植えをどうするか悩んでいる。年金生活で感染対策として巣ごもりになりがちな日々を過ごしている身には、聞かされて、そういう問題が起きるのかと教えられた。農家にとっては深刻な問題になる。

 同じような内容の投稿を読んだ。新型コロナウイルスでは病だけでなく多方面によくない影響が起きている。病を抑えることは第一であるが、発生する多種多様な些細な問題に対して人命第一ではあるが、そのほかについても関係者は対処してほしい。
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マスク考

2020年04月27日 | 生活・ニュース

 所用である事務所に立ち寄った。このご時世のこと勿論マスク着用で入室した。用件が終わったところで「コーヒーをどうぞ」とつまみと一緒に出された。一服したい、といって煙草ではなくひと息したいタイミング。マスクを外していただく、そこでマスク談議になった。

 昔のこと、歳がばれるがマスクで顔を隠すのは罪を犯す人、その典型は銀行強盗と話が展開する。銀行強盗に出くわしたことがないので実際は知らないが、確かにそんなイメージで描かれていた。今でもその傾向はあり、防犯ビデオに残っている犯人の多くはマスクをしている。甘いマスクの顔立ちの人ならうれしかった、と往年の自称美人さんが笑わせる。すっぴんで外出できる話には大笑いした。

 今はコロナにつかまらない様にほとんどの人がマスクをかけている。医療用でないマスクでも150回の洗濯に耐えるものから1回で捨てるものなど様々にある。今のマスク不足解消は何時になるかわからないこともあり、手作りマスクが喜ばれている。近場の店頭には出回らないが、通販では品数豊富な様子がうかがえる。なじみの店頭に出回って欲しい。

 マスク、風邪だ、インフルエンザなどと医に関わるとき使用する物という認識でいた。あるとき、見舞いでICU室に入るとき持参したマスクでなく、備え付けのマスクをつけるよう指示された。ある病院では専用マスクを購入させられたこともあるが、予防のために必要なことと納得する。新型コロナの感染とその恐怖を知ると、その機能を含めて重要なことを再認識させられた。自分の身を守るとともに人に迷惑をかけることのないようマスク着用は当分続きそうだ。
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3日に1回

2020年04月26日 | 社会 政治

 ここ何カ月か、本州最西端の県に住みながら「東京都」に転居したかのような思いをしている。TVローカル局が独自制作の番組を終日流すことは不可能。そこで1日の大方の時間が在京系列キー局の放送を流す。今は放送内容が新型コロナウイルスに重きが置かれており、住居県の感染状況より東京都のコロナに関する情報に詳しくなっている。

 東京都の感染者数は休日を除くと10日余3桁が続いている。また、都知事の対策を国が後追いしているように感じている。大型連休を控え東京都は「命を守るステイホーム週間」として4月25日から12日間外出や休業を抑制するよう求めた。関連したかのように全国で同じ行動が連鎖したようで、週末は各地少ない人出と報道された。

 3蜜を避ける一つとして「スーパーへは3日に1回」という具体的な案が出た。交通の便が良く店舗も数ある都市なら可能だろうが、地方ではむつかしい。我が家も3回の買い物を2回にして外出を控えてしばらくになる。よく利用するスーパーでは、グラフ化した混雑時間帯をスマホへ送信し混雑緩和への協力を東京提案より前にPRしている。

 文明・科学・文化などの進化でスイッチを入れる、ボタンを押す、キーを打つ、するとなんでも即座に明らかになり手に入る社会を謳歌している。ところが、コロナ感染防止対策で「手洗い、うがい、マスク」が対策の基本、コロナから身を守る最善として国を挙げて奨励している。昔から身を守る手立てとして伝えられ教えられてきた内容だ。文明一辺倒でなく「人類とは何か」を原点に返って考え直す課題をコロナが運んできたように思う。 
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翁のススキ

2020年04月25日 | 自然 季節
 
 ススキは「芒」と書くが「草冠にほろぶ」と教えられる。なんとも気の毒な構成になっている。イネ科の多年草で荒地にでも繁茂し大群落を作る。背丈は2㍍ほどもあり、あきの七草の一つとして飾られる姿はほかのそれよりよく知られている。また、有用植物として茎葉は古くから屋根を葺くのに用いられた。子供のころには近所で見かけたが今では姿が消えた。

 中州に群生するススキ、穂先が光り輝いていた勢いはいつしか時を重ね、翁の風貌を感じるススキとなり、優しい黄金色の波となって揺れている。人の一生にも似ているように感じる。まもなく今年の勤めを終える。この群生は数百㍍も続いているが、群生の手前が雑草や雑木にふさがれ容易に近づけないこともあり、切り取る人を見たことがない。それだけに自然のままでその生涯を終える。

 まもなく宿根からの新芽が生ずる。成長すると青い葉となって夏の暑さに立ち向かう。青い葉のススキを「青芒」として夏の季語という。ただススキといえば秋の季語。昔の人は供華にとして捧げたススキに月の神が降りてくると信じたという。ススキは古くから人のそばにあったことが伺える。

 黄金色となって風に吹かれるススキ、色変わりはしているがいつもの冬場のそれに比べれると力が残っているのか、しおれた姿でなく全体がびしっとしてるように見える。枯れススキ「俺は川原の枯薄 同じお前も彼薄」の歌のように哀愁をおびたススキもいい風情を醸し出すのだが、もう少し待ってみよう。
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今日の1枚

2020年04月24日 | 生活・ニュース

 この頃の散歩は新型コロナウイルスの感染を避けるため、気の向くままのコースを避け川沿いに設けられた1㌔ほどの遊歩道に決めている。感染の症状は自覚していいないので感染しない策として遊歩道にした。川下に向かって歩けば緩やかな左カーブで右側に錦川が瀬戸内海へ向かって流れている。

 左側は上流から家庭菜園、市内でここだけになった自動車学校(IDS)、河川敷利用者の駐車場、続いて河川敷広場2面、造園業の樹木置き場、再び菜園と連なる。広場はコロナ感染対策で使用禁止の赤い表示が風に揺れている。今、歩道沿いにはつつじが咲きちょっと華やいだ雰囲気となっている。遠くの山も近くの山も樹木の新芽が創作しているパッチワーク鑑賞にもいい。
 
 遊歩道に並行して中州がある。ここ数年ほとんど手入れがなく、雑木も多くなり、増水時に流れて来たブルーシートが梢にかかって何年かになる。そんな環境に安心して棲家にしている生き物がいる。その一つが野鳥。その鳴き声を聞き分け出来ないのが残念だが、今日は3種類の声がすぐそばから聞こえる。足を止めて姿を探すが見えない、が鳴きやむことはない。

 突然、鳴き声が静かになった。不思議に思い見まわすと上空に大きな鳥が旋回している。警戒のため鳴きやめたのだろうか。持ち歩く小型デジカメで上空の鳥を追っかけやっとシャッターが押せた直後、大きな鳥が急降下した。少し間をおいて低空で向こうの山に飛び去った。すると鳴き声が大きくなったように感じた。何かが大きな鳥に捕らえられたのだろう。コロナにはない野生の厳しい一面を目にした。急降下前の大きな鳥を今日の1枚とする。
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ブルーホール

2020年04月23日 | 生活・ニュース

 「日暈(ひがさ)出現」、Rさんのブログをはじめ訪問している何人かのブログやフェイスブックに載っていた。Rさんの記事は発見したときの状況や、この現象の解説付きで居ながらにして見たような気になった。私は画面で初めて知った超高空での現象だが、Rさんは11年前にも見てそのことを記録しているとある。日暈とは「太陽の周囲に見える光の輪」とある。

 Rさんのブログには「毎日、欠かすことなく外に出ているが、いつも下を向いて歩いているのだろう、太陽を見上げることは滅多にない」とある。私も外に出ない日はない、しかし、太陽を見ようと意識して見上げることはない。そんなことを思いながら先日のニュースを思い出した。

 新型コロナウイルスの感染拡大がいつまで続くか危惧される中「歌で希望を」と演出家の宮本亜門さんが呼びかけ坂本 九さんの「上を向いて歩こう」を皆で歌おうという動画がインターネットで公開されたというニュースを見ていた。これを報じたNHKの男性ニュースキャスターが感極まって言葉を詰まらせた。数百人が参加したという歌声、コロナ禍に沈む気持ちをほっとさせる。

 散歩に出る。上を見るが雲が厚く覆った上空、時折小雨がばらつくあいにくの日より、日暈は晴れた日というから出会えないと諦めて歩く。川沿いの遊歩道に差し掛かたっときなんだかあたりが明るくなった。上を見ると、なんと厚い雲が切り抜かれたように開きそこから真っ青な空が顔を出している。日暈の代わりだ、単純な後期高齢だと苦笑しながら上流へ向かった。
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シーン

2020年04月22日 | 社会 政治

 市の出張所へ出向く。ここは公民館や図書館と併設されており、駐車場はいつも満杯状態で、通路にも並んでおり、移動を促す館内放送は珍しくない。しかし新型コロナ禍で施設は閉鎖、がらりとした駐車場、いつもは狭いと思うのにやけに広く感じた。公民館の利用予定版の記載はなし、静かなものだ。

 向かいの小学校の校舎を見ているとその静けさに無声映画を見ているような思い違いをする。1年生は入学から数日の登校で2回目の休校にはいり、児童の存在を示す音一つしない。歌う声や楽器演奏、教科書を読む声、わいわいがやがやの休憩時間、時には先生のいいきかす声、給食調理室の匂い、掃除時間らしく机を動かす音などが消えた。

 コロナ禍で病院の待合室も静か。入り口で検温とアルコールで手を消毒後に受付。待合室のベンチ椅子には✕印の表示が置かれ間隔をあける。前後は重ならない様に✕表示が置かれ、夫婦でも間隔を置いて順番を待つ。ここでも全く会話がない。TVのワイドショーがコロナ情報を流す。大方の人がそれをみている。声は看護師の呼び出しだけ。

 そんなシーンとした室内を壊すのはTVの番組予告や、高笑いどんちゃん騒ぎなどのCM。直前のコロナ禍の切実な問題を解説する内容とあまりにもかけ離れている。局には局の事情もあろうが、いくらかの工夫が欲しい。東日本大震災直後のCMには局の英断を感じいったが、今回も何とかならないだろうか。
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風荒れる

2020年04月21日 | 自然 季節

 前夜のうちに強風注意報は解除されたが、その名残のような突風が不意に吹くある日の午前中の散歩。散歩にはいつも、薄くなっている頭髪を隠すわけではないが野球帽を冠って出かける。その帽子を飛ばされない様に調整バンドを少しきつくさせるくらいの突風の日だった。いたる所でちぎられた小枝が道路や広場に散乱している。

 尋常小学校時代の唱歌にある「木の葉」には、どこからか飛んできた葉がくるくる回ってくもの巣にかかったり、池の上に落ちてゆらゆらすれば鯉が餌かと寄ってくる、昨夜の風はそんなではなかった。木の葉は風に吹かれてというよりか吹き飛ばされてどこかの隅っこで一塊になり、昨夜の風の話をしているかもしれない、そんな風だった。

 こちらは木の葉ならぬ風に運ばれてきたビニール傘。遊歩道から川面までの法面に、少々型崩れした半開きで留まっている。周囲の状況から想像すると、この傘は相当な距離を飛んできた来た、いやいや飛ばされてきたことになる。どこから飛んでくるかわからない新型コロナウイルスに連なり、つけているマスクに手がいった。

 耕作されなくなった菜園にある物置、というより廃屋状になってその役目はなくなっているが、そこの板戸が見えない。風の仕業だろう。八朔の実が根元に転がっている。強風はどちらに向かって遠ざかったのか知らないが、人間の行いの何かに警鐘を鳴らしているのかもしれない。ビニール傘を片付けようとしたが、法面へ下りる足場が悪くそのままにして立ち去った。
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