日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

除夜会で締め

2021年12月31日 | 生活・ニュース

 今年1年間、稚拙なブログですが訪問いただき有難うございました。
 傘寿を過ぎて1年余、年齢負けしないように毎日何かを心しながら日を送ってきた。幸い、内容は抜きにして欠かさずブログを書き続け、今日で365回になる。これはコロナ禍の中で元気に過ごせたという証で喜びとしたい。

 コロナ禍で自粛生活を強いられたが、年金生活の身では、世間で言われるほどの不便や苦痛は感じなかった。ワクチン2回目は6月初めに接種、夫婦ともに副反応もなく経過した。買い物時のマスク着用は完璧に実施した。年が明けると3回目ワクチン接種通知が届く予定と広報にある。今日の県内の感染者は15名。内、当当市のそれは8人、全員がオミクロン、市中感染も1名、心配だ。

 今年の我が家のトピックはコロナ禍の就活をっ突破し孫娘が学業を終え今春社会人となったこと。コロナ禍での入居準備は、万一を考え親の手助けを断り自分ひとりでこなした。いい経験となり何かにつけての自信にもなったという。料理が好きで、自炊生活を楽しんでいる。ラインで料理の写真を送って来る。

 弟妹もそれぞれが親元となり子や孫の訪問を待つ身で年末にそれぞれ仏壇に参ってくれた。そんなことで我が家は静かな年末年始となる。一応の仕度や準備は終わった。子どもの頃から続く肉蕎麦と手作りお節の味見で今年が終わった。この後、23時からの除夜会に参加する。法話の後で鐘撞、終わると坊守さん手作りの熱い善哉で今年の締めくくりとなる。どうぞよいお年をお迎えください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マスクは防具

2021年12月30日 | 生活・ニュース

 今年もマスク着用の年越しになる。オミクロン株が面で広がりはじめ、新規感染者が増え始め、報道では関係者の緊張が高まっているようだが、年末の人流は「不安 でも 会いたい」ということで活発になっている。幼子を除いてはマスク着用をされていて、感染が急拡大している外国の映像とは大きくことなっており、特に出かける予定はないが安心する。

 市内でも感染者が増え新規感染7名が続く。市中感染も出ており気は許せない。大きな気掛かりは米軍基地の感染者で、昨日は全国ニュースでも報じられた様に80人、今日は27人の新規感染者が出たという。基地は米本土直結で日本の管轄権はなく、発表される感染者数を知るだけで、対応の詳細は知らされないので不安を感じる。

 こんな状況下で米軍関係者の家族と思える買い物をする人とスーパーで出会う。店内の狭い通路だけにコロナを気遣う気持ちが何となく起きる。市民にも基地でもオミクロン株の感染が報じられていることによる。市役所に臨時PCR検査会場が設置された。

 マスクと言えば風邪を引いたときか流感が猛威を振るっている時くらいしか着用していなかったが、コロナ禍になって、外出時は勿論着用しているが、来客時も来客者にあわせ着用している。マスクは顔を覆うもので、野球のキャッチャやフェンシングでは顔面をおおう防具となっている。マスクはコロナからの攻撃を防ぐ防具、しっかり着用しよう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

当たり前のこと

2021年12月29日 | 生活・ニュース

 盆や正月に故郷へ帰省する。親の顔を見に、あるいは見せに、親にとっては孫になる子どもを見せに、帰省にはそれぞれ理由がある。結婚したい人を親に紹介するためという生涯を掛け帰省もあろう。それぞれがそれぞれの思いで帰省する、これまでは「当たり前のこと」で民族大移動などと表現された。

 この当たり前がコロナ禍ではそうではなくなった。特に大都市から地方への帰省には強いブレーキが掛った。親は帰るなという、子どもや孫は自重した。車で帰るという息子に「東京ナンバーは止めるところがない」と言い聞かせた人もある。感染力が強いというオミクロンに警戒をしながら帰省数が増加している。昨年よりは当たり前の日常に戻ったが、やはり心配はつきまとう。

 車の運転は安全に、仕事は真面目に、そんな声を掛けられるとそれは「当たり前」で当然なことだと口答えしたことがあるかもしれない。思い返してみると、これまでの生活で「当たり前の事々」に感謝の気持ちを示したことがあったろうかと反省する。仕事をしたから給料を受け取る、この当たり前のために当たり前のこととして助けてくれた家族や同僚があった。

 こうした当たり前のことが欠けると争いになる。平和は当たり前だと思っていても、国の思い違い、軍備を持つことが国を守る平和への道などとの政が強まると困ったことになる。最近の国際情勢の報道を読むと国家間の緊張が増している。世界の指導者は「戦争や飢餓のないことが当たり前」の地球となるよう力を合わせることに勤しんでもらいたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パネル展

2021年12月28日 | 陶芸

 年明け1月14日まで市役所1階で「市民活動団体パネル展」が開かれている。街づくりや子育て、文芸や手芸など幅ひろい分野にわたって活動する団体が、活動内容をパネルで紹介する展示。何れも、いわくに市民活動支援センターに登録している37団体。

 見学していると「あんたはどの団体かね」と声が掛った。振りむくと久しぶりに出会った知人。彼は市役所窓口で用件を済ませ、何か展示されているので見ているという。ちょうど所属同好会のパネル前にいたので「ここで楽しんでいる」と指さす。知人は眺めていたが「なんとシンプルじゃのう」という。

 今回の所属同好会の展示パネルは会長指示で私が作った。会長からはパネルサイズの件以外はお任せということだった。この展示会や類似の催しは何度か見ており、私的にはこうした展示では「シンプルなデザイン」のパネルが好ましいと従前から思っていた。そこで、楽しそうな創作の様子の写真と大きな文字で100字ほどの紹介文だけにした。

 知人はこうしたことを知る由もないが「シンプル」と思ってくれたことは嬉しい。しかしだ、シンプルには単純、簡単、簡素などの意味がある。そのどれもが中身のない味気ない意味にもなる。知人はどの意味でシンプルを使ったのか聞き洩らした。広辞苑には「シンプルなデザイン」という事例が記されているので、今回のシンプルなパネルも良しとしておこう。メンバーからの評は年が明けてからになる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雪の降り方

2021年12月27日 | 自然 季節

 列島は北から南まで日本海からの筋雲に覆われている。山陰の日本海側から北は予報通りの大雪に見舞われた。広島市から周南地域を経由して我が家にくる人が時間を過ぎても到着しない。高速道が雪で、かと思うがその情報はない。高速を降りて一般道の凍結と混雑で遅れたという。タイヤ交換していない車が結構あったようだ。

 報道映像で見る各地の豪雪の様子、それは生まれてからこの方、瀬戸内沿いに住む者には恐ろしいと感じる短時間での降雪のようだ。北海道在住ブロガーの記事に、委託した家の前の除雪が早朝3時に済み、ひと眠りして8時に外へ出たら30㌢積もっていたとある。さらに車庫の屋根には60㌢、これの除雪に2時間とある。本格的な雪とのいくさ、これからが本番だ。

 昨夜、Y!天気が「23時ころから雪」と報ずる。雪景色を期待して床に就いた。今朝5時、新聞を取りに玄関を出る。雪の気配はなく頭上には、期待を裏切って申し訳ないと半月が見下ろしている。明るくなって見ると、お印ほどの雪がプランターや庭木の葉に姿を残していた。

 子どもの頃には、雪景色らしい積雪も珍しくなかった。積雪の最高は中学2年の冬、膝くらいの積雪を記憶している。そのころは田も畑もしっかり有って車はたまに通るくらいで、車社会など想像することはなかった。最近の大きな自然災害は言われている通り温暖化による異常気象だろうか。雪も必要だがやはり限度というものがあるだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生姜のお裾分け

2021年12月26日 | 生活・ニュース

 定年退職からしばらく経って菜園を楽しみだした人が「今年もよう出来た」とひと塊の生姜を持ってきてくれた。畑から直行らしく、黒い土の覆われたままだった。肥沃そうな土を取り除いて見ると綺麗な姿をした生姜がいくつも連なっている。収穫は鍬ではなくスッコップで傷つけないように掘り起こすという。

 植え方を聞いて見た。深さ15㌢ほどの溝を作る。そこに肥料を撒きその上に5㌢ほど土を乗せ植え付けを始める。生姜の小片1個を間隔をあけて植え、土を覆えば植え付けは終わり。素人には楽な農作業と笑う。2カ月ほどすると芽がのぞく、後は収穫まで見守る。当初は、芽がのぞくまで植えたところを何度もほじくって確認をしていたという。

 生姜は料理によく使われる、冷蔵庫にも入っている、と言っても自身では何もしたことはないが、煮魚には必ず入っている。酢漬けでも保管している。これといった栄養的な特徴はないそうだが、香り成分が200種類以上もあり、これが魚や肉の臭みと結合して臭みけしの働きをする。

 寒いこの季節に体を温める飲み物はいろいろある。その中で生姜湯はトップクラスではなかろう。これは子どものころから飲んでいる。風邪かなと言えばはい飲んで、寒いと言えばはい飲んで、母や祖母は七輪や火鉢で湧いているお湯を、すりおろした生姜の少量に注いでいた。今は粉末にしたそれが店頭に並ぶ。冬の常備品のひとつになっている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イブの雑感

2021年12月25日 | 生活・ニュース

 昨夜、「爺ちゃん、イブですが何を食べましたか」と自炊生活中の孫娘からライン。孫は出勤で残業、遅くなりケーキは買えなかったが買い置きのお菓子でイブを過ごすという。祖父にイブだけどクリスマスケーキを食べたか問うと「わしはクリスチャンじゃあない、仏教徒だ」と返ったという書き込みを苦笑しながら読んだ。我が家は陶芸のツリーでイブとした。

 大都会の昨夜の夜景はコロナ禍の日本とは思えない、まるでおとぎの国のような電装が輝く光景を報道映像で見る。LEDで電力消費は抑えられているというナレーション。消費電力はそうかもしれないが、発電に伴う諸問題をどこまで考えて、知ってのことだろうかと疑う。

 石化から自然エネルギーへの転換で、風力や太陽光パネル発電が進んでいる。生活の水源となる山の木々を伐採、その後を重機で掘り返し、工事は進んでいく。その結果、土石流が田んぼに流れ込む、雨の後は水が濁り鉛やヒ素が検出され、稲作を放棄した、こんな話を実際に耳にしているし写真も見ている。大都市への電力を遠く離れた地域の水源をつぶして賄う、大都市の人は知っているのだろうか。

 産業の発展と分配がアベノミクスに変わって国策となっている。経済界の勢いを示すバロメーターのひとつに電気の消費量がある。その給源の安定は必要だが、そのために自然破壊と地域住民の安全を犠牲にしてはならない。盛り土災害と同じく、自然エネルギー開発は山間の小さな集落の声を聞く、そこから出発して欲しい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真正面は

2021年12月24日 | 生活・ニュース

 車は通れない狭い幅の踏切を渡り終えたら警報機が鳴り始めた。珍しいことではない、遮断機のすぐ近くに立って列車が進行してくる方を見ながら「何色かな」と思いながら散歩相棒の小さなデジカメを準備した。ローカル単線でこの期間はJRと三セクのディーゼル車が走る。その三セクの車両はカラフル、時にはいい写真になる。

 やって来たのはJRの下り、液晶画面を見ているとどんどん車体が大きくなる、液晶一杯になるところで思わずシャッターを押した。遮断機に近い位置に立っていたこともあったか、車両か緩いカーブを抜け真正面に向ってきた。撮った後で風圧と一緒に迫力と怖さの両方を感じた。踏切事故の大きさや悲惨さを報道映像で見るが、踏切事故は絶対に起こしてはならない、そう実感した。

 なぜ液晶越しではあるが怖さを感じたのだろう。何度も踏切で撮っているがそれは何両かを捉える離れた所、これほど線路に近づき真正面から写したことはなかったからだろう。撮り鉄の気持ち、特にSLを写真愛好家の気持ちが何となく分かったような気がした。

 通過した車両を見送りながら、何かの時には真正面から向かっていけば、もしかしたら途が開けるかもしれない、定年後ののんびりした生活に活を入れられた思いがした。真正面から取り組むという言葉は知っているが、退職以降は斜に向き合うことが多い。しかし、それで円く歩いていることも事実で、世渡りはいつの時代も難しい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鍔迫り合い

2021年12月23日 | 社会 政治

 幹の大きさからすると若い盛りの桜の木が2本並んでいる。その各々から伸びた枝が握手するようにつながっている。周囲の桜の木は全て葉を落とし裸木なのに並んだ2本は握手し合う枝のそれぞれが数枚の赤くなった葉を残している。最後の1葉になることをそれぞれの枝が競っているようで、鍔迫り合いをしているように見え苦笑した。

 互いに激しくせり合うことを「鍔迫り合いを演ずる」といい、その場にいなくてもどんな様子か大方の予想がつく。正統的には「互いに打ち込んだ刀を鍔で受け止めたまま押し合うこと」らしいが、接戦を表現する時には分かりやすい。マスコミは選挙報道で、優劣のつかない候補同士の競う様子などにも使っている。

 選挙と言えば、今日、住んでいる山口県の副知事と山口市幹部2人が公選法違反(公務員の地位利用)の疑いで書類送検された。先の衆院選の3区で当選した林外相の後援会に入るよう加入活動したとされ、いずれも容疑は認めている。林は参院からのくら替えで衆院現職との自民党公認争いに勝った。その過程は熾烈で激しい鍔迫り合いが報道されていた。

 枯葉の鍔迫り合いは詩情がありユーモラスでもあるが、競い合う選挙戦で公務員がこれに関与するとは呆れるほかない。報道ではこれまでも似たことはあったという証言が載っている。送検の幹部らは下位管理者にも後援会入会の勧誘を働きかけているだろう。公務員は誰の選挙運動にも手を貸してはいけないし、鍔は己の身を守るための物であることを知っておこう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

貰ったカボチャで

2021年12月22日 | 自然 季節

 今日は二十四節気のひとつ冬至。昼が最も短い日になる。今朝の日の出は6時48分、日の入りは16時33分とY天気予報が教える。明日からはほんのわずか昼間が長くなる。ちなみにY天気予報では明日の昼間は1分長くなる計算。祖母は障子の桟だけ長くなると話していたが、1㌢足らずのどこが基準だろう、深く聞いておけばよかった。
  
 「冬至にかぼちゃ」を食べる、どうして、何故かなど知らぬままに子どものころから、結婚した今も冬至にはカボチャが食卓に姿を現す。菜園を作るころは自家製のカボチャだった。半世紀以上前、その菜園が公共用地として買収されてからは、夏に貰った貴重なカボチャを保存し、その年の冬至にいただいている。

 「緑黄色野菜の少ない冬にカロチンやビタミンの多く含まれるかぼちゃを食べ、風邪等への抵抗力をつけようとした先人の知恵」が生んだ風習と言われる。カロチンは抗酸化作用があり体の老化を防ぐなどという、科学的な知識のない時代から続く風習。風習を後追い分析し、先人の経験に驚いたのではなかろうか、そんな推察をする。

 冬至の日は「一陽来復」とも言われ日が長くなることから太陽が生まれ変わる日とも言われ、運が上昇する日とも言う。そんなことから「ん」のつくものを食べると運がさらに上昇するらしい。なんきん(カボチャ)、ニンジン、れんこん、ぎんなん、どれもんが2個ついており運気は上昇、昔の人は上手いことを教えてくれる。偶然だろうが夕食に、なんきん、ニンジン、れんこんが食卓にのった。さて運気はどうなる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする