日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

生更ぎ

2017年02月28日 | 地域

 寒い、冷たい、そんな感じの2月・如月の晦日。春先取りかと思わせる日なかの暖かさ、公園を観光する人らの中には上着を手にする姿も多く、ソフトクリーム店は賑わっていた。如月は生更ぎの言葉通り、草木が蘇り蘇生するにふさわしい日和だった。

 公園の噴水も温かさに促されたのか心なしか勢いを増しているようだ。風に流される小さなしぶきも心地良い。そんな気持よい散策の帰り道「よーい」と声をかけられた。庭から姿を見せたのは、2代続いた店舗を最近閉じた同期、心なしか元気がない様子に見える。

 店舗跡は更地になっており、ひいきなものでどうしるのか気になっていた。聞くと「決まっとらん」と思索のいくつかを話すがそれが進まない苛立ちが続く。近くに納骨堂建築の話し、外国人の居住者が増え町の様子が変わった、若い人が居ない、人通りの復活策が見当たらない、など難渋のあれこれを聞く。

 観光客誘致の策は進むが、一歩通りへ入ると振興策はなしという。「俺も歳だし旗振りは」で言葉が途切れた。春らしくなり草木は蘇生に向かって歩を進め始めたが、スーパーも消えた地域の振興にも目を向けてほしい、白壁から張り出した紅梅に願いを預けた。
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ろくろ から

2017年02月27日 | 生活・ニュース

 ろくろ、漢字で表すと「轆轤」ととても覚えきれない画数、初めての出会いだと読めない。読めないが陶芸同好会入会のその日から「ろくろ」を使っている。もちろん手動、手回して回転させるシンプルな形で止まれば作品作りの手を止め回転させる。粘土が形になるまでそれを繰り返す。電動ならその必要はないが使いこなせればの話し。

 「ろくろ、回転運動する器械(広辞苑)」、説明の通り単純小型の道具で格別な仕掛けはない。ろくろ選びは手回して、静かに長く回転するものを選ぶ。作品作りに入って形を整える。たまにはいい感じの形になるかなと思う頃に回転数が落ち止まる、ここで何度目かの手回しをするが、いい感じの時の状態には戻れない。

 備え付けの電動ろくろは本格的なもので素人には難しく、その上大きくて重量がある。そこで、手動ろくろに一工夫して電動ろくろ化したアイディアマンが同好仲間に1人存在する。手製の小型装置を小さなベルトで手動ろくろと繋ぐだけ。SWを入れると回転は左右どちらでも、回転速度は自分の腕前に合わせて調整出来る。電源さえあればどこの会場でも使える。

 発明・アイディアを成功させる方法はいくつかる。その一つに「他人の発明に感動する心を養え。次に私ならこうすると考えよ」という。見るたび聞くたび感動はするが次が起きてこない。「悪い案も出ない人に良い案は生れない。まず量を出すことを心がけよ」と教える。頭の体操と意欲が必要、これは加齢化対策にはうってつけのようだ、明日からと言わず今から頑張ろう。
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人の振り見て

2017年02月26日 | 生活・ニュース

 昨夏には何色もの朝顔が咲き、道行く多くの人を楽しませてくれた、私もその一人だった。しゃがんで見上げるようにして、子どもの背景に朝顔を入れてスマホで撮っているお母さんを見た。今そんな花の姿はなく茎に葉、そして種も枯れ果てた姿でブロック塀の上に張られたネットに絡まっている。これは夏の名残りとは言い難い。 

 朝顔、種を蒔くあるいは苗を植えておけば何とか育ちその時期が到来すれば花が咲く。今は枯れ姿になった朝顔もネットが備わっていたおかげで輝くひと時を得られた。見事な花を咲かせたのだから私の終わりもきちんとしてほしい、朝顔のそんな声が聞こえる気がする。

 朝顔の代弁をよそ様に伝える前に、我が家にある片付け物を処理してはどうかと内からの声がきこえる。分解したり砕いたりを終えてゴミの分類。燃えるものと燃えないゴミ、金属破砕に埋め立てと自治体の指定分類にしたがって分ける。ごみの種類によって回収回数が異なる。燃えるごみは週2回、プラは週1回、ビンや缶、資源品に埋め立てゴミは月1回など、カレンダー決まっている。

 整理整頓や片付けは安全の基本的な初歩作業で、発生のたびに行うのが原則とは分っている。しかし、庭の隅に積んでおいた仕事を一気にやるのも「ひと仕事した、やったで」という満足感を呼ぶ。人の振り見て我が振り直せという。足元をしっかりしなければひと仕事終えて思う。
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看板の味

2017年02月25日 | 地域

 「広告」は1872(明治5)年ころ英語の訳語として新たにつくられた造語で、広く世間に告げ知らせること。特に顧客を誘致するため、商品や興行物などについて、多くの人に知られるようにすること。また、その文書・放送など(広辞苑)。広告の持つ意味は造語誕生以来すこしも変わらず連続している。

 この広告を遂行するために広告代理業、広告塔、広告媒体、広告屋などこれに携わる人らが働く。消費者に広告の内容を伝える媒介物は、今では新聞・雑誌・折り込み広告・テレビ・ラジオ、直近ではパソコンやスマホなどでは動く広告が登場する。年を増したせいか、TVの目まぐるしい動きに合わせた英字の点滅などにはついていけず、広告の内容が消化不良で終わる。今は広告でなくCMという。

 町を歩くと今ではCMに登場しない看板を見かける。浪花千栄子のオロナイン軟膏、仁丹、キッコーマン醤油など、音も動きもないがその看板だけで伝わるものを感じる。製品寿命が今に比べれば長期だから消費者にじっくり沁み込んでいたのではなかろうか。

 築100年になる商店の軒下に構える六角形のキッコーマン醤油の看板は両面ホーロー製と聞いた。六角形の商標登録は1912年というから100年超となり歴史は古い。子どもころキッコーマンは醤油の代名詞だった。スーパーに並ぶ数知れない醤油の種類に六角形は何と思うだろう。
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粘土いじり

2017年02月24日 | 陶芸

 「弄る(いじる)」は広辞苑で1番目は手でもてあそぶ、手なぐさみをする、2番目はいじめる、なぶる、最後の3番目は確かな方針や目的もなしにあれこれと手を加える。弄られる側からすれば思いのままにされていることとなり甚だ迷惑なことになる。陶芸同好会に誘われて10年になる。この間を思い返し反省すると「粘土にはすまないことをして来た」の短いひと言になる。

 「世界でひとつだけの作品つくり」という知人の勧誘で入会した陶芸同好会、いまだに同じものは2つ作れないから勧誘文句に偽りはなかった。粘土は軟らかく手で自由に扱え、鉄や木材のように切る、打ち込むなど器用さは不要と思い気易く入会した。何度か参加するうちに、作ることにおいて素材の硬軟などは無関係であることがよく分った。

 自由作品の日、何を作るか問われて「完成してみないと」と答える。例えば茶碗のつもり小鉢に、ぐい飲みのつもりが小さめの湯呑に変身するといった具合、ふざけてはいないが結果として「粘土にもて遊ばれている」。決めた作品を忠実に完成させる仲間は勿論いる。ほどほどに出来上がると「作った」と感じる。

 同好会の良さは作品の完成度ばかりではない。竹細工に優れた人、手芸は玄人に負けない人、手先の器用さが発明に結び付く人、写真のためなら朝3時起きもする人など、作品を作りながらの話しは参考になる。仲間の作品評に比べ指導員のそれは柔らか。それは祖父母のような会員に長く陶芸を楽しませる暖かい心遣いだろう。
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甘さ控えめ

2017年02月23日 | 生活・ニュース

 留守の間に袋に入った黄金色の八朔10数個が置いてあり「ジャムでも作ってください」のメモが添えてある。もう何年も定期便のようにいただいている。頂くとジャムにしている。我が家のジャム作りは何れも届けていただくブルーベリーと八朔、それにシーズン時期のリンゴの3種類で朝食の食卓にのる。

 作り方はネットに載っているレシピ、何枚か印刷した中の1枚が我が家のジャム味になっている。以前は家内一人の作業だったが、いろいろあって八朔とリンゴは手伝うことになった。八朔は皮を薄く削り、それを小さく刻む。実は袋ごとに開き種を除き果肉を取り出す。この作業は結構な手間がかかるけれど、これを丁寧におこなうとうま味が増すとレシピにある。

 砂糖を加え煮詰めるがこれは根気がいる。強火も弱火も好ましくないので鍋の状況を見ながらの火加減、レシピに突沸に注意とあり慎重に鍋の中を混ぜる。段々と粘っこくなり家内からOKが出て甘さ控えめのジャム完成となる。食パンにバターなど一切使わずに味わっているが、自家製のジャムはパンに塗っていただく。

 ジャムとは「果物に砂糖を加えて煮詰めた保存食品」とある。八朔ジャムを作ってみてその簡単な説明にもう少し味付けした説明は出来ないのかと手間暇から思うが、簡単だから普及する保存食なのかもしれないと古の人の知恵を思う。しばらくは我が家の味にお付き合いをする。
 
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孫の話し

2017年02月22日 | 生活・ニュース
 
 今、全国の高齢者共通の孫、それは女子スキージャンプで圧倒的な強さを見せる「高梨沙羅」。17歳で世界トップアスリートとなり3年、先日は53勝目を達成、優勝記録のトップを走っている。1年後の冬季五輪で日本の金メダル獲得予測では高梨だけと載っている。最近は化粧でも話題になっているが、あのジャンプの恐怖心を見せない笑顔が高齢者共通の孫になっている。

 祖父母が「孫を子よりもかわい」と思うことを「まごばか」という。孫のこまかな「一挙手一投足、一挙一動」を喜ぶブログでは「じじかばばの後にバカ」を付け控えめな報告がある。はた目には愚かに見えるらしいが当人は気付かない。「そんなのは分らん」と孫のいない人に怒られたことがあるが、その人の話しの中には親ばかぶりがたっぷり盛り込まれている。

 先日の夕方、「じいちゃん、いま届いたよ」と京都に住む孫から嬉しそうな声の電話。それは小学校のころから目指していた大学の合格通知書、声から孫の笑顔が浮かぶ。「良かった、よく頑張った」、この時を待っていたのにこのくらいしか口に出なかった

 小学校5年の夏休み帰省した時に中学受験用の問題集を持ち帰った。その問題レベルの高さに驚いたが、毎日欠かさず問題に取り組む姿に、受験競争の厳しさを改めて知った。あれから8年やり遂げた孫を誇る。これからどんなジャンプを見せてくれるのか期待と心配が交錯する。翌日、合格証のコピーと京菓子が届いた。先ず仏前に供え報告をした。
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春の海

2017年02月21日 | 自然 季節

 天気予報の瀬戸内海の波の高さは50㌢、見た目には穏やかな海面、遠くは春かすみかうっすらと白くかすんでいる。そんな海面をながめていると突然「春の海 終日(ひねもす)のたり のたりかな」という句が浮かんだ。この句の作者は与謝蕪村、丹後の海を詠んだ一句という。丹後の海が霞んでいる、うとうとと気持ちよく眠ってしましそうな風景が思い浮かぶ。

 眼下の穏やかな海面を見ていると蕪村でなくてもうとうとしたくなる。その眠気を拭うように小さな小さなタンカーらしき2隻が競うように現れたがその船足はよう気に似て遅く、白い航跡とかき分けられた海面がかすかに揺れるだけ。船影が消えると何事もなかったように穏やかな海面に戻る。

 「のたり」は「ゆるやかにうねるさま」という。「のんびり」は「気を使うところがなく心身がのどかに落ち着いている」、「のどか」は「のんびり落ち着いて静かなさま」、「のんき」は「気分や性格がのんびりしている」など「の」で始まる言葉はどこか人の気持ちをゆるめる、そんな感じがする。人の話を聞いて「そういの」と終わりに付ける「の」も相手への気持ちを穏やかにする。

 穏やかな瀬戸内海、透明度が増し綺麗になったと喜んでいたら深刻な問題が進行しているという。藻場の減退、ヘドロの沖合移動、河川水減少など多くの難題により漁場としての力が低下しているという報道がある。「のんびりのどか」に眺めるだけでなく物言わぬ海の異変のシグナルを捉えないと海力は戻らない。さてどうするか。
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売れどき

2017年02月20日 | 自然 季節
 
 支払いで精算を待っているコンビニのレジ横で、かすかな湯気の立ち上るおでんの容器に具を補充している。四角に仕切られたそれぞれの場所に見栄え良く詰められていく。買ったことはないが「美味そうだ」と思い「売れますか」と聞くと「ぼちぼちです」というしがない答え、しっかり宣伝しているのにと思いながら「いつが売れ時」と聞く。コンビニのおでんの売れ時は「9月」と教えられた。

 おでんの歴史。室町時代に流行した「豆腐田楽」。その後、進化を続けたおでんは、江戸時代にはファストフードとして江戸庶民に愛され、やがて煮込みおでんへと変化。さらに屋台や居酒屋で食べる料理から家庭で食べる料理へ。そうして、おでんは現代の定番料理となったという。今のおでんからは豆腐田楽のイメージは浮かばないが、寒い季節の鍋料理として家庭でも定着している。

 その小料理屋、前身は「おでん屋」だった。小料理屋に商売替えしても1年を通して店の入り口でおでんが客を迎える。馴染みの客はその匂に迎えらえてほっとする。出張で月に複数回来る同僚は四季を通して「先ずおでん」から注文する。就職してなじんだこの店のおでんが日本一、と高齢の女将を喜ばせていた。長くご無沙汰しているが確かにいい味だった。

 おでんは寒くなって、と思っていたらコンビニでは9月が売れ時期。冬になると家庭で鍋料理が始まる、おでんもその流れで売れ行きが下がる、丁寧に教えてくれた店員はさらに「この時期のお得意さんは独り住まいや単身赴任者」という。寒い時期におでんは売れる、門外漢のこの常識は世間に通用しない思い込みだった。
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2カ月ぶりの農園

2017年02月19日 | 生活・ニュース

 月1回の仲間内の農園作業、1月は天気が悪く中止になった。ということで今年初めての農園作業、午前9時の農園の気温は車載温度計で2度、冬の盆地にしてはまずまずの値。しかし、畑はカチカチで打ち下ろしても鍬を受け入れない。草も千切れて道具なしではぬけない。立春は過ぎたが畑の冬らしい装いは融けていない。

 畑に伸びていた山や木々の影が消えると、野菜の葉に陽が射し始め、ついている霜が輝き初める。よく見ると、霜の一つ一つはごくごく小さな水晶片のように見える。それらが繋がりあって全体でみると白く輝く、ちょっと神秘な発見をした。

 畑が温もりはじめ雑草も何とか千切れずに抜け始める。雑草は寒くても伸びているというか育っている。春前の雑草は、芽吹きに向かう準備として根が張っていて抜きにくいと教わった。地面に伸びでた緑の葉とその根はを比べると、春への備えをしていることを確かに感じる。

 白菜もネギも人参も大根も、いずれも凍てつく盆地の天候にさらされながらも良く育っている。凍結する畑土に逆らえず少しねじれたりへこんだり曲がったりした形も思いようでは自然体で人工的な美でない面白さがる。春の植えつけ準備をして作業を終える。日ごろ動かさない筋肉の運動、動けば汗ばむいい日差しの一日となった。
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