日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

泣いた赤鬼

2013年01月31日 | 回想
              
 歳暮残りの解体セールが終わると店内はバレンタインデーに向かって舞台代わりする。商品の甘い香りはしないが、その装いが店内を華やかのに感じさせる。すでに包装コーナーには列が出来ている。買い求める楽しさが並ぶ人の顔に表れている。みんないい顔だ。

 それに比べ、ひと足早くやってくる節分のコーナーは地味な舞台装置でよる人が少ない。鬼を追い払う節分の季節、日本伝来の行事も変化している。赤鬼の面をもらった。黒紙を背景にして目を生かすと、なかなかいい面になる。この赤鬼が泣いた。

 それは小学4年の学芸会での「泣いた赤鬼」。青鬼は、村人と仲良くしたい親友の赤鬼のため、悪役となって村で暴れる。赤鬼は村人の前で青鬼をを押さえつけ、またがり、殴り、退散させ、村人と友達になれた。しばらくして親友の青鬼を思い出し訪ねた赤鬼「村人といつまでも仲良く」と書き残し遠くへ旅立った青鬼を知り、我がままで親友を失ったことを知り、赤鬼は泣く。

 この劇で私は青鬼役をもらった。劇の中で妙に記憶しているセリフがある。赤鬼が青鬼にまたがり、殴りながら小声で「大丈夫か、痛くないか」と何度もささやく。赤鬼のすまないと思う本心がそこにあったのだろう。でも、しばらくはその気持ちを忘れ楽しい村人との日々を過ごす。

 学校でのいじめ問題が大きな社会問題となっている。このお話は道徳教育の教材になっているという。学校での指導内容を知るよしもないが、友を思う、友を助け友に助けられる、そんなヒントがあるのだろうか。 

 下校する小学生が何人も「こんにちは」と大きな声で挨拶をくれる。大きな声で返事を返す。そこにわがままな姿を感じる事はなかった。
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子供は正直

2013年01月30日 | 生活・ニュース
            
 
 発想や直感的な感覚、ぽいと発した一言、名役者といえどもかなわぬ表情など、子どもとは思わぬ出会いに驚いたり感激したり、時には嫉妬からか老いを感じたりする。それでいながら、それらのどれにも喜びを感じる。増えているという子どもへの虐待を一瞬忘れさせてくれる。

 近くに小学校がある。数人ずつの児童が笑いながら、ふざけあいながら冷たい風の中を元気に登校する。たまには方言も入り混じり嬉しい。「お早う、気をつけて」と声を掛けると「お早うございます」と一斉に返してくれる。先に挨拶をもらうこともよくある。大切な大切な日本の卵たち、素直で元気な声、寒い朝でも気持ちが温かくなる。

 遅くなった新年会のメニューは鍋。盛られた具材はカニ、フグ、ハマグリなど豪華、それを見ながら、昨年の暮れの押し迫ったころ聞いた話を思い出した。帰宅した父親、夕食準備の食卓を見て「お、今夜は鍋か、何鍋だ」すかず母親が「寄せ鍋」と返事する。それを聞いた本を読んでいた小学生の息子がお父さんに「それは寄せ集め鍋、または残り物鍋」と教えた。

 子どもの説明はこう続いた。お母さんはお正月の準備といいながら冷蔵庫の整理や掃除をした。その時、食材の残りがいろいろ出てきたので「今夜はこれで鍋にしよう」とつぶやいた。父親は大声で笑い、母親は明日の夕食にと買っておいた魚の切り身をプラスしながら、子どもの正直さとウイットに一本とられた、と苦笑い。鍋の味は聞かなかった。
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女の悲しみを代弁

2013年01月29日 | 生活・ニュース
 久しぶりに紅白歌合戦に出場した歌手の由紀さおりさんが、文藝春秋2月号にこう書いている。少し長いが引用させてもらう。
 
 「80年代半ばから、姉・安田祥子と二人で童謡のコンサートに力を入れるようになっていた私ですが、デビュー40周年を前に『もう一度歌謡曲を歌いたい』と思いを募らせています。なぜなら、21世紀にも歌謡曲は絶対あってほしいと思うからです。

 今は音楽をリズムや映像でキャッチする時代です。手をつないだり、抱きしめたり、という直接的なうたもいいけれど、銀座の通りを歩く女の哀しみを代弁するような大人の歌もあっていい。歌詞の裏側に何かを想像し、自分で世界観を作っていくような音楽、私はそれが歌謡曲だと思っている。その魅力を多くの人に伝えることが、歌謡曲の歌手としてデビューした私の役割だと思うのです。

 とは言っても、若い人たちが歌謡曲という言葉を使わなくなった今、それを実現するのは生半可な覚悟では無理だということは承知しています」。

 歌謡曲歌手の役割実現のため準備をされているという。期待して待っている。最近は歌うというより、光と映像の中で踊りまくる、専門家の人には申し訳ないが私にはそう見える。「女の悲しみを代弁」するような味わいある歌詞に出合えない。こんなことを書くのはある会話に勇気付けられたからだ。

 紅白歌合戦を楽しみに見ていた母。それが最近見なくななった。その訳は「歌でないから」と言う。その後に拍手をしたくなるような今風の音楽への感想が口に出る。はばかれるので引用は避けたるが、要は「歌手は歌を聞かせることに徹して」というような内容だった。数千、数万の観衆を魅了させるという舞台も、そう感じない人のあることもまた事実だ。

 こうした背景は「夜明けのスキャット」や「ブルー・ライト・ヨコハマ」など由紀さおりデビュー(1969年)のころの歌謡曲が、アメリカのみならず各国でチャート上位にランクされ、逆輸入された背景がある。これは「SUKIYAKI」以来という。そこには日本人の感情表現の奥深さが認められてた。さて、どんな歌謡曲がいつから聞かれるのだろう。
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プロの目

2013年01月28日 | 生活・ニュース
                 

 朝5時過ぎ、新聞を取りに出た。庭木や花畑などがうっすらと雪模様。満月のあかり照らされて白さが輝いている。雪模様の朝はいつも静かに明ける感じがする。カメラを手に錦帯橋へ急ぐ方もあるだろう、すでに撮り終えた人もあるだろう、と昔の自分を思い出す。

 ある雑誌のカメラマンが雪の日の朝の出会いを書いている。雪降りの情報を得て撮影に向かった。目的地に先着が一人。「おはようございます」といって挨拶しても知らん顔。愛想が悪い。ここまでなら似たような経験のある人も多かろう。ここからがカメラを職とする人の感想。
 
 写真は正直で、こうした愛想の悪さが写真に表れる。写真とはそうしたもので、体調がいい時には元気な写真になり、調子が悪いと、写真も暗いものになる。人の作品を見ると、撮影者のそのときの体調の良しあしが想像できます。

 そこまで織り込んだ観賞眼はそれを生業としている人なら出来ることで、雪が降ったでパチリ、花が咲いたでパチリの素人には遠い話。これからは、かの人の作品を見るときはそんな見方をしてみよう。何かつかめたら幸いだ。人に不快感をもたれるような言動は避けることが大切、と日ごろの振る舞いに思いをいたす。
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休日です

2013年01月27日 | 回想
           

 会社人間のまま定年を迎えた。格別の趣味などもなく無職となって新しい世に足を踏み出した。待っていたかのように自治会役員をおおせつかった。お世話になる地域のこと、出来る時に出来る事を、協力を得ながら勤めた。引継ぎを終えたときには正直「ほっ」とした。

 雇用保険受給が満了になる。そろそろ本格的に何をするか考えなければ、と思案し始めたころ「働かないか」と声をかけたれた。仕事の説明を聞くと、現役のころに担当した職務の延長線上にある内容だった。これならお手伝いできる、話はすぐにまとまった。そんなこともあり、定年後しばらくの間は楽しく仕事をした。

 この間に、いろいろな出会いがった。それは、どれもが未知のものだったが、それらへの仲間入りで「濡れ落ち葉」にならずに今日まで来れた出会いだった。こうしたなかで毎日が日曜日を過ごしている。定年後の過ごし方は、しばらくは日々の出会いの中から自分に見合った核を探していくのも一つの方法だと思う。

 趣味を持てとよくいう。定年だから趣味を作る、よほどいい巡り会わせがないとそう簡単には成せないだろう。自分の今を考えると趣味のなかったことが、定年から今日まで楽しめることへ出合えたと感じている。趣味を持っている方はそれ勝るものはない。 

 入り口にチェーンの張られた駐車場、ひと目で「本日休み」がわかる。近くの図書館は多くの来館者、その中に親子づれも多い。現役のころ、こんな休日を眺めたことはない。息子は「我が家は母子家庭」そんな表現をしていたことを思い出し、遅いけどすまなかったと思う。

 
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どんど 深まる町の絆

2013年01月26日 | エッセイサロン
           

2013年01月26日 中国新聞「広場」掲載

 今年最初の町内の催しはどんど焼きだった。点火は、会場を訪れた年男と年女が務めるのが恒例である。

 点火の直前、付き添いの人に手を引かれたお年寄りの女性が隣に立った。十数人の点火者にたいまつが配られ始めると、世話役の消防団員が、その女性の手を取って会場の中へ導き、たいまつを一緒に受け取る。

 「点火」の合図に、その女性は消防団員に手を携えられて、積み上げられた縁起物へ火を付けた。瞬間、勢いよく炎が立ち上る。消防団員は、抱えるようにして素早く女性を炎から遠ざけた。

 女性は、勢いを増す炎を安堵した顔で見つめている。炎に照らされるその顔は、点火を果たせた喜びと、消防団員への感謝の気持ちも含まれているのであろう。

 そんなことで、今年のどんどの炎に、これまでにない勢いを感じた。これで今年の町内の安心と安全と絆が強まる、そう思いながら会場を後にした。

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わるさ

2013年01月25日 | 生活・ニュース
            

 「わるさあしちゃあいけんで」、子供が群がって遊んでいると通りがかりのおばさんが優しく言い聞かせるように声を掛けてくれていた。これがおじさんだと「わるさあするなよ」と少し強い口調。でも怒るというより、やっぱり言い聞かせるという感じだった。時には「何しよるか」と覗き込み「こうするのいや」と教わった。

 これは車といえばリヤカーや大八車、大きなものは荷馬車、自転車は今でいう高級自家用車のたぐいの頃の話。柿やイチジクに枇杷でも、おばさんに声を掛ければ「怪我せんようにとりんさい」と許しがもらえた。そんな頃を定かに記憶しているわけではないが、地域の人に怒鳴られたり、、先生にしかられたり、親が呼び出されたりという記憶はない。

 これは、おばさんやおじさん達の声えかけが「わるさ、いたずら」の一線からはみ出させない効果を持っていたのだ、と、度の過ぎたいたずらの跡を見ると思い出す。こうした声かけが普通に行われていて、人への迷惑、社会のルールなどを自然体で教えられ、身についたのだろう。それが子どもを安全に守ることでもあった。

 子どもに声を掛けると疑われ、注意をすると「くそおやじ」、その一方で子どもに「声かけを」という。その内容は知る由もないがゲームの世界では無法や残虐が人気とか。せめて人に迷惑をかけない、ルールを守る人が強いのだ、くらいのことをゲームの中で教えるように組み込んで欲しい。
 
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行ったり来たり

2013年01月24日 | 自然 季節
           

 超早い桜の開花予測が出た。すっかり落葉した桜の小枝が風に揺られて冬空を掃くように撫ぜる。その先端にはしっかりしたつぼみが春へ向け身構えている。桜は寒さが厳しいほどいい花が咲くという。開花予測線で錦帯橋付近は3月の下旬、本州最西端の下関は3月27日と定かな日が明かされた。予測時期なら例年どおり、に咲くことになる。

 啓蟄で松に巻かれたこもが外されるころになると桜の季節が近くなる。すると開花予報に現実性を感じる。しかし、西高東低で強い寒気団が南下、市街地でも積雪、強い北風に注意などの気象情報が聞かれるこの時期、さほどの関心はない。と思ったら、春に訪れる人を待つ商売の人らには準備に取り掛かる大切な情報という。

 昨年は上手くいったので今年も氷柱花を、と準備して庭石の上に置いておいた。1度も凍ることなく大寒を過ぎ、そろそろ撤収かとガラスの器を揺すってみる。器の中では赤や黄の実、バラの花びらなどが、変わらない姿でじっとしている。氷結しなかったのを申し訳なさそうしているようなので、まだチャンスはあるかも、と元のところへ置く。

 隣の家の屋根は霜で真っ白な朝が続く。午後になるまで霜は屋根にへばりついている。この自然が作った白と霜の頑固な根性と冬空の青、冬ならではのいいバランスに見える。「寒いと思えば寒い、寒くないと思えば寒くない」、日のあたらない屋根の北側のそんな独り言が聞こえる。寒さと暖かさはしばらくは行ったり来たりの繰り返しとか。体調管理に怠りなく。
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「いわくに通」新聞

2013年01月23日 | しっちょる岩国
           
 
 天下の名橋・錦帯橋をはじめとした観光資源や歴史・史跡・文化・自然に恵まれた岩国を、市民はもちろんのこと市外の人にも良く知ってもらい、岩国に愛着を持ってもらうと共に、市民には郷土岩国に誇りを持ってもらうこととし、検定試験を通して町の活性化にも貢献したい」と、遅ればせながらご当地検定を実施したいと強く願う市民有志が集まり、平成22年1月に「岩国検定実行委員会」を立ち上げた。

 検定試験は第1回を平成22年11月に実施。その後、多くの希望が寄せられた検定テキストを作成し第2回を同24年12月に実施した。あわせて約170名が受験者、その6割強の方へ認定証(得点60点以上)をお送りした。

 岩国検定テキスト本のタイトル「いわくにになろう」をそのまま題字に拝借した新聞を作った。作ったといっても「私が勝手に」作ったもので、検定委員会の認をえたものではないことを、まず断っておきます。ただ、紙面に載せた表や記事中の数値は、会で公式に発表されたもので推量等は加えてはおりません。

 新聞はA4両面刷り、1面に検定試験の総括的な内容、2面に正解率一覧表を載せ、その正解率からみた「どんな岩国が知られているか」を独断で探る紙面にした。正解率から「平成の合併で市内となった地域」の周知度がやや低い。活性化のアイテムが見出せるのでは、そんなことを思いながら、例会で配布した。私製の新聞に一応の評価がもらえ、ほっとした。思ってもいなかった紙面の活用についても意見がもらえ、仲間の暖かさを感じた。
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今だったら

2013年01月22日 | エッセイサロン
2013年01月22日 毎日新聞「はがき随筆」掲載

 子どもの頃から頭が大きいと言われ、自覚もしていた。それに髪は硬くてフサフサ。丸刈りから長髪になる時、「こりゃあ料金割り増し」と日ごろ無口な散髪屋の主人が笑った。
 あれから何十年。しゃがんだ姿を上から撮られた写真、なんと頭頂に皮膚丸見えの薄毛の域が広がる。髪が減り寒暑の季節感をもろに感じてはいたが、「ここまで抜け落ちているとは」。隠しようのない状態に驚きとがっかりが入り交じる。 
 あの主人、はさみを使いながら、今なら「割り引いてあげる」と笑顔かも。3色の回転灯の灯が消えて、もう7年になる。
コメント (10)
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