日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

手帳のひとり言

2015年12月31日 | 生活・ニュース
 


 主は定年退職後、当社の手帳を使い続け、私は15冊目、引き継ぎの時が来た。

 1年前、定年から欠かさず続いている記録があると受け継いだ。この1年もそれは一日も欠かさず続いた。

 起床は5時。その時の室温と湿度。前日の就寝時間に歩行数、晩酌有無などの印をつける。若い時の三交替勤務の経験から、規則正しい生活習慣は健康の基という、ちょっと頑固な信念から来ている。

 口数も少なく、面白味の少ない主だが、投稿が掲載された日は、大きな印をつけひとり喜んでいる。声は出さないが私もよかったとそれにつき合う。勿論、大きな出来事も書き残す。

 高齢者の仲間入りをしてからは、約束を忘れ人に迷惑を掛けないよう気配りし、私らを頼りにしていると話している。

 主は店頭から私を相棒として選んでくれた。常に身近にいて、どこにでもお供をした。1年間、相棒として大事に使いこなしてもらえたことに感謝している。 

 健康で毎日記入された諸々の文字が私への表彰状の文章に想え、主の好きな「やり遂げた喜び」を感じる。これを誇りに思い、長いお休みに入る。


 この1年間のご訪問に感謝申し上げ、くる年もよろしくお願いします。
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暖かい

2015年12月30日 | 生活・ニュース


 今年の年末はちょっと事情があって例年にない忙しさをこなしている。まあ、それができるのも元気な証かと、疲れを楽しんでいる。忙しくしているとこれまで知らなかったり、当たり前に思っていたことに新しい発見、と呼ぶほどではないが気づくことかある。これはいつかブログのネタになるだろうとメモを残している。

 朝方の冷え込みは冬らしさを実感する。西に傾きかけた月も少し冷たそうに見えるのは気のせいだろうか。それでも昼間、身体を動かしていると寒さは感じない。外回りの掃除でも風もなく上着は必要なかった。隣の若い主人も朝から窓ふき、その服装は長袖のシャツだけ。窓がキュッキュッと鳴いるので力が入っているようだ。

 毎日の天気予報で暖冬の状況がが解説されているが、これは気圧配置や前線などからの解説になっている。COP21の各国温暖化対策が進んだら暖冬は解消するのか、そんな情報もおり込んで話せば、温暖化対策への意識がさらに向上し、住みよい地球の将来が見えてくるのではなかろうか。

 レジで並んでいて聞こえてきた話し。帰省した孫が誰から習ったのか「お正月になると懐があたたかくなる」とお年玉を暗に催促している、と笑っている。その笑い方に嬉しさが感じられ平安で暖かな家庭を思わせる。しかし、懐があたたくなるとは、いったい幾らもらえるのだろう。孫の胸の内にはくれる人の顔と額がインプットされているのでは、そんな邪推をしているうちにレジの順がきた。 
 
 
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年替わりの記憶

2015年12月29日 | 回想


 スーパーのチラシは鮮やかな色刷りで年末年始の買い物をと呼びかける。客はメモを見ながら店内を行き来、紅白の飾りが張り巡らされた店内は華やいでいるいつもの風景。アベノミクスの浸透は薄いといわれながらも年の瀬の光景は変わらないが、混雑ぶりはさほどでもない。事務納めや帰省の渋滞風景を見ると40年ほど前に卒業した3交替勤務のころを思い出す。

 盆暮れの帰省は昔もあった。故郷を遠く離れている同僚は楽しみな帰省をする。24時間操業、3交替職場は帰省で欠員だから操業を止めるわけにはいかない。その欠員補充は工場のある地元出身者が早出や残業で補充する。紅白歌合戦の途中からや小雪のちらつく大晦日の出勤、お神酒も屠蘇も飲めない元日の雑煮の朝食を済ませて出勤した。そんな勤務は家族全員の正月気分をも抑えさせた。現在も3交替勤務する人は同じだろう。

 苦になることばかりではなかった。盆正月の勤務は倍給、さらに手当がつくという大判ふるまいの給与制度だった。家計を預かる主婦にとってそれは悪いはずがなく、少し遅めのお年玉になった。忘れられない光景もある。高さ40メートルほどのストラクチャーの上で、瀬戸内海を染める初日の出、その恍惚とした暁光は今も忘れていない。一瞬だが寒さを忘れさせた。頭上で初日の出を取材するヘリに手を振ったのはまだ若かったのだろう。

 こんな勤務から思いやり、助け合いなど、協同体では欠かせない一端を経験から学んだと思う。特に連続操業が必然の装置産業ではこれなくして安全安定運転はできない。帰省ラッシュの映像見ながら、世間では昼夜を問わず生産のため、世の中の安全のため、命を救うためなど多くの人が働いていることをちょっと知って欲しいと思う。
 

 

 
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番号での管理

2015年12月28日 | 生活・ニュース


 来年1月から始まるマイナンバーのお知らせをラッピングしたバスが街を走っている。マイナンバー(個人番号)制度が適用されるのは税、社会保障、災害関連の3つの分野とされている。年金収入なので税の不正をしようにもその策はない。災害関連、これは被災者生活再建資金の申請に必要となる。災害は忘れたころにやって来る、12桁を大事にしておこう。

 心配なのは年金関係。今年の5月、日本年金機構は100万件を越す個人情報流失という大問題を起こした。年金を管理する基礎年金番号と個人番号が連携されるのは2017年11月の予定、当初より延期となったが心配が解消したわけではない。基礎年金番号の流失は担当部署の失態からだった。個人番号の流失はそれの比では無い影響が起きる。漏れたら再交付、そんな安易な業務姿勢が反省されていない事が不安を増す。

 個人番号の利用拡大は国の方針。今年からメタボ検診の履歴管理が始まると紙面にある。来年1月から新規の証券口座の開設には番号がいる、18年からは銀行などの預金口座にも適用される。始めは任意だがやがて義務化して脱税防止に役立てるという。丸裸にされるものがなければ特に困ることはない。やがて健康保険証として使う考えもあるという。いやでも個人番号カードが必要になる。

 番号で管理されるのは初めてではない。在職中は、今も記憶している5桁の社員番号であらゆる社員情報が集約管理されていた。作業効率のよさは計り知れない。現役時代の一例。大規模な組織改正では何百人もの異動に伴う複数の資料作成が発生する。その氏名などを打ち込むとしたら大変だが、社員番号を1度入力ですべての資料が完成する。番号による効率のよさは否定しない。個人番号の漏洩を恐れると共に、効率化でどのくらい財政に寄与するか知りたい。 
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113番の新元素

2015年12月27日 | 生活・ニュース


 周期律表、これは元素の性質や特徴を並べたもの。元素ごとに原子番号、元素を表現する記号、それに元素の名前が一マスにまとめてある。元素番号は元素を順番に並べたものを左上から右に数字をつけたもの。縦の列は資質が似ているという特徴がある。原子番号の1番は水素、2番はヘリウム、窒素は7番で酸素は8番、ネオンは10番、金は79番で銀は47番などとなっている。

 高校の化学では周期律表をもとにして実習を行った記憶はあるが、実社会に出て、仕事のうえで1度も使うことはなかった。ただ、複雑怪奇に思える自然界には一定のルールがある、そんな認識をなぜか抱かされた。こんな周期律表を突然思い出させたのは、113番の新元素に史上初めて日本発の名前がつくかもしれないという報道。

 その新元素は、陽子が30個ある原子番30の亜鉛を、同83個の原子番号83のビスマスにぶっつけ核融合させて113番元素を合成した。これは米国とロシアの共同チームも先行確認しているが、日本の方がデータの確実性が高く国際的に認められる見通しという。日本の研究機関は理化学研究所が発見を主張してきた。

 113番はどんな元素だろう。「一瞬で崩壊するため、その化学的性質は不明」という。自然界で見つかる元素は92番のウランまで、これより重いプルトニウムなどは人工的に合成され、発見されたもので、現在116番まで存在が分かっているという。日本初の元素名、若い化学者らが夢を抱くような命名をして欲しい。
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向き合って

2015年12月26日 | 社会 政治


 青空を背景にして黒色の蜘蛛が向き合っている。少し離れとこでは黄色系のやはり蜘蛛が向き合っている。少しの間眺めていたが、風に吹かれて揺れる以外どちらも向き合ったまま動く様子はない。関係は何だろう、夫婦か親子か、これからむすばれる関係なのか、聞いて見たいがそれはならず。

 「睨めっこしましょ 笑うと負けよ あっぷっぷ」と唄う相手はダルマ、これには勝てっこないが笑っておさまる。。睨めっこはいいが睨みあいとなると穏やかではない。鋭く目を怒らせて相手を見つめる、ドラマなら見せ場の一つになるが人同士の関係では穏やかではない。ましてや国と国の関係になると、簡単に笑って収まることにはならない。

 年末となり報道機関は恒例の国内外の今年の十大ニュースを発表する。幸せをもたらすニュースもあるが、大きな事故や災害という人力だけでは防げないことも多い。一方、残念なのは論争の域を踏み越え、戦の文字がふさわしい悲惨なニュースが印象に残る。自然と違い人間が引き起こした争いの終焉は遠い遠い彼方のようだ。

 「人と屏風は直ぐには立たず」という。屏風は曲げなければ立たないというように、互いが正論と思うことを振りかざしてばかりでは生きていけない。向き合い見つめ合い受け入れる点を探しあう事が必要だ。戦後70年、くる年は戦の文字が紙面に踊る憂鬱を払いのけてくれる年となって欲しい。
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暖冬異変

2015年12月25日 | 自然 季節


 雪の無いスキー場、梅や桜が開花した、温かい今冬の様子が各地から映像で知らされる。その中にスイセンもある。同好会仲間とスイセンを見に出かけたのは寒の最中の2月だったことを思えば、相当に早い開花となる。どんな種類の花でもよく咲き、たまには通りがかりの人が黙って拝借していく花畑がある。暖冬を受けてか先週くらいからそこにもスイセンがちょっと下向きに咲き始めた。

 年明け三が日までの天気予報は暖かく降水確率も低いという。出かける予定のない身でもほっとする予報、遠出の人はなおのこと喜ばしいだろう。車で遠出の人はガソリンの価格低下も喜ばしいだろう。今日、市内を走ってリッター当たり114円から116円、高い店は121円、この差はどこ来るのか分からないが、車を使う方は安いこと歓迎だ。

 温暖化防止のためには消費削減が望ましい一つに灯油がある。最新の家では電気やガスが暖房の主役だろうが古い家なので灯油を使っている。何年か前、2重ガラス戸に変えたが寒さを防ぐほどの効果は無い。ひと冬に使う灯油もバカにならないから、原油価格につれて灯油の値下がりは有り難い。有り難いがガソリンスタンドなどはWパンチで効いてくるように思う。

 裏庭で菜園作りを楽しむ人の話。このまま暖かさが続けば正月出荷予定の野菜を計画以前に出荷するようになる。ひょっとしたら、正月野菜は品不足で例年より高値になるかもしれない。これはあり難くない暖冬の影響、何もかもうまくいくとは限らない世の中だ。スイセンは雪中花と呼ばれ雪の中で咲くその姿が美しいといわれるが、この暖冬を何とを思うやら。
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霧の向こうから

2015年12月24日 | 生活・ニュース


 五里霧中、困ったときや考えの纏まらぬときなどについ口から出て、纏まらぬことの言い逃れに使う。広さ5里にもわたる深い霧の中に居る意味から、現在の様態の分からず、見通しや方針の全く立たないことのたとえ。日々の小さな悩みや困りごとには適切な使い方ではないように思う。寒くなったせいか濃霧注意報が頻繁に出る。

 霧と霞と靄と雲、どれもが水蒸気を含んだ大気の温度が下がり露店温度に達し水蒸気が小さな水粒となって空中に浮かんでいるものだが、その状態で呼び方が違う、そう理解している。写真好きの知人は天気予報から翌朝の霧の発生を予測し雲海や天空の城などを撮影に出かける。アップされた作品は撮影の苦労など微塵も見せないが、読みどおりに切り取った自然に己を忍ばせている。

 石原裕次郎の歌う霧には哀愁を感じる。その歌は多くの人が感情込めて歌う。歌ベタな身だが歌詞だけは真似て歌いながら霧の情景だけを思い浮かべたこともある。霧は演歌に切り離せない言葉のひとつかもしれない。これが濃く立ち込めると呑気なことは言っておれな。それでも錦帯橋の屏風のような城山をすっぽり覆う霧は神秘を宿す。

 今年もあと1週間、来年度の国家予算が閣議決定された。歳出の増加原因は「高齢化社会」という。わかりやすく言えば年寄りが増え医療費を中心にした社会保障費の増加ということになる。長生きは肩身の狭い思いをする時代になったようだ。といって問題を一気に解決する策はなさそうだ。霞んだ向こうから明るい日ざしが輝き始める、来年の丙申(ひのえさる)に期待する。丙には「形が明らかになってくる頃」の意味があるから。
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手作りケーキ

2015年12月23日 | 生活・ニュース


 昨日、とんぼ返り帰省した孫、仏壇で手を合わせた後に「これ爺ちゃんに」と、ちょっと凝った包装紙に包んだものを渡してくれた。大きさにしてはしっかりした重さがある。断ってすぐに開く。あらわれたのはチーズケーキ、帰省のために作ったという。

 小さなころからケーキ作りが好きだった。流し台の上に背が届かないので踏み台に上がって一人が手作りする写真が何枚か届いている。親の手を借りないで完成させていたらしい。ある時、出来上がったケーキを食べていると言いながら妻に電話してきた。途中で妻の声がつまった。電話が終わって訳を聞くと「近くなら一緒に食べれるのにね」と話したという。その気遣いが嬉しかったという。

 コーヒーは好きだしよく飲むが、そのコーヒーの渋さ苦さがケーキ―の甘さとどうしても一致しない。時には「まあ、美味しいのに」と揶揄される。しかし、和菓子とお茶の時はそうした違和感を覚えないのは何故かと不思議に思う。グローバル人間になっていないという事だろう。日本人の域を抜けきれていないで大損をしたことはないので、それは良としよう。

 孫は普段でもケーキ作りを楽しんでいるようだから、そのキャリアは10年以上になるだろう。孫手作りのケーキの実物を見たのは初めて、外観はどの点も店頭品と見分けがつかないほどよく出来ている。話を聞くと細かいとこまで手を掛けているという。ひと口味わう。「美味い」、その一言しか出なかった。孫はやった、という満足そうな顔をしていた。コーヒーとケーキの関係を見直すきっかけになるだろうか。
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赤福

2015年12月22日 | 生活・ニュース


 京都に住む孫、学校行事、塾、受験準備、友達との約束などで年末年始の予定が詰まっていて帰省出来ないという連絡は早くから届いていた。なのに、母娘でトンボ返りだが帰省してくれた。その訳は体調の良くない妻の見舞い。お土産は妻の大好きな「赤福」、京都のお土産ではないが京都駅で売られている。

 父の50回忌で5月にちょい帰りして以来の帰省、顔を合わせるとすぐに引き返すのは物足りないが、生活の中心を学校一本に置いているようで安心もする。今日も鞄に英語の辞書を忍ばせているので聞けば受験用という。話の端々に取り巻く環境も緊張しているようだ。だが適当に友達との息抜きはしているようでこれも安心する。

 我家の昔からの習慣として頂いたお土産はすぐに開かず、ご先祖へ報告しお供えする。仏壇にあまりお供えはするなと聞かされるが、かといって改めようとは思っていない。供筒にはいつも果物や菓子類は供えているが、茶請けの菓子などもお下がりとしていただくことが多い。今日は珍しい久しぶりのお土産を遺影が見下ろしている。

 孫の顔や話しは薬に勝のか、いつもより元気にそうだ。食事の準備も手伝うなど、我が家では日ごろにない台所風景、ちょっと華やぐ。孫の誕生日はイブと同じ、小さいころはクリスマスと誕生祝いと2部制だった。高2になりどんな祝い方をするのか聞き洩らした。明日は赤服を茶請けにいただく。

 

 

 
 
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