日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

保護色か

2008年05月31日 | 自然 季節
               

雨上がり。見事な緑色の葉が茂った柿木。その色に惹かれ近づくと白い花と小さな実が幾つもある。それを何枚か写真に撮っていて何か小さな動くものに気づいた。

よく見ると、葉の間に見える小さなそれは頭部にぽっこりと膨らんだカエルの目、カメラに気づいているのかいないのか、じっとしたまま動かない。

カエルの横から後ろに回ってみる。舟形に丸く曲がった葉の色と見間違う同系色のアマガエル。これでは天敵の鷺や蛇から容易に見つからないない見事な保護色をしている。

雨上がりの後なのに背中は乾いている。雨の降りそうなとき葉の上でグーグーと鳴くアマガエル、また雨になるのかと思う。

子どものころはおたまじゃくしもカエルも遊びの仲間だった。カエルを追って田んぼの畦道を走る、手に乗せてジャンプさせたこともある。アマガエルに触ったら後で手をよく洗うように、教えられたことを思い出した。理由は知らなかったが小川で洗った。

保護色と呼べば天敵から身を守る色をさす。カエルは生きた小さな昆虫や蜘蛛などを餌にする。餌を捕るときは保護色と言わず隠蔽色と呼ぶ。

人の世界にも2色使い分けの人は多い。単なる市井の1人なら笑って済ませることでも、権力を持つ者の2色使い分けは許せない。大方の市民は単色で生きている。単色は光の七色の原色、単一の色をさす。

権力ある者は、単色の大きな怒りを受ける前に脱皮し、市民を安心安全の色で包む方向へ舵を向けて欲しい。

(写真:保護なのか隠蔽なのか見極めが難しい)
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レモンの花

2008年05月30日 | 自然 季節
               

「野菜作りを始めたので見に来て」と訪問依頼の電話に答えるため雨上がりの道を走った。付近は道路の拡幅や農地の宅地転用などで子どものころ知っている様子は跡形もなくなっている。

広い屋敷の大きな門を入った母屋の裏に広い畑が在った。そこには大きな何十もの畝が行儀よく並んでいる。知人の借りた畝は長さ20㍍幅80センチほどの広さ。何種類もの野菜が数本づつ整列している。菊の苗も植わっている。

この畑は無農薬で作られているというとおり、隣の畝のキャベツは芸術作品を思わせる穴あきの葉が青々としていた。

畑の周囲にはビワや柿など幾本もの木が植えられている。初めて見る白い花の名前を聞くと「レモン」と返ってきた。木にはピンク色で縦長のつぼみも見られた。

この花は7から8割が自然に落下して残りが果実になる、とも教わった。リンゴやミカンと違って手間がいらないようだ。

   ♪おさななじみ
     幼馴染の思いでは 青いレモンの味がする 
      閉じたまぶたのその裏に 幼い姿の君と僕

いろんなとこで黄色いレモンとは言わない。レモンの本当の色は緑色という。店先に並ぶ鮮やかな黄色は輸入品で収穫後に化学処理されるためという。

酸味の中のほのかな甘さ、「おさななじみ」の歌詞は遠い2人の思い出でまで続く。青いレモン、こんな純愛物語を語った団塊世代、そのレモンは今どんな味に変わっただろう。

(写真:白く清楚なレモンの花)
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日の出の浜

2008年05月29日 | 生活・ニュース
               

出かけた先で早朝ウオーキング。いつもの山の麓とは違い海面からの日の出を撮ろうと意気込んだ。外は予報とは違いどんよりと曇り風もなく重たい感じ。

砂浜に着いたときは低く垂れ込めた雲で日の出の瞬間は撮れなかった。が、間もなく雲が薄らぎ少し昇った日の出にシャッターを押した。図ったかのように2人の人影が納まることになった。

「今朝は風がないので蒸し暑いです」写真に納まったご婦人はランニングしながら話しかけてくれた。「この浜を走るのが楽しみで時々やってきます」そう言いながら波打ち際にその跡を残しながら遠ざかった。

ゴルフクラブを素振りしている人に出会った。ボールが足元に転がっているので打ちっ放しの練習中だろう。朝の挨拶をしたが返事は無く黙々と振られている。打ちっ放しして良い場所でないことは明らか。ばつが悪かったので返事なし、と思い通り過ぎた。

名前を知らない黄色で小さく清楚な感じの花が群生している。遊漁船は捕ってくるぞ、そんな感じの音を残して船着場を離れた。

太陽は紅から白に変わり周りがはっきり見え始めた。少し前まで見えなかった小魚が船着場の周りに群れている。小魚たちは今日一日をどんなにして過ごすのだろう、先ほど出かけた遊漁船の小さな影を見ながら聞いてみた。

(写真:ようやく顔を見せた日の出)
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借金時計

2008年05月28日 | 生活・ニュース


TVではチョット苦しそうな声で出演される経済評論家・財部誠一氏のHPに「借金時計」というページがある。画面を表示しているあいだ「日本の借金額」とそれの「家庭負担額」が刻々と増えている。

これは、08年3月31日現在の国と地方をあわせた772兆円の長期債務残高(08年度予算案)を基にプログラムされている。08年度1年間で6兆円増となる長期債務、1秒間で190,259円増となることを基に時計が動く。

原油価格の高騰とガソリン価格の値上げ・食料品と日常生活用品の相次ぐ値上げ・高齢者医療の問題など身につまることが多い。これらの問題について議論はされるが早急で効果ある巧妙な解決策は出ていない。

また、道路財源の使いみちは2頭立てのようで一般財源化の道はまだ厳しい状況が残っている。道路族議員と呼ばれるとこには大きな権益がついて回るのだろうか。道路だけが政治信条かと思う発言も時に出ている。

高齢化率の高いある地区。バスも容易に離合できる広い道に、年代を感じさせるバス停の標識が立っている。幾つも時刻表を剥がした痕の残るその標識に真っ白だが小さなな時刻表が1枚貼られている。

新しい時刻表はこれまでの時刻表の中で最も小さなサイズだろう。それにはスクールバス用の時刻表、休校日は運休の注記がされている。ここにも置いていかれる過疎の姿が見える。

道路・道作りも必要、そこに「本当に必要な」という言葉をつけて考えて欲しい。人あっての国、道路を作る前に道があるところには「バス」を走らせて欲しい。通院を便利にして欲しい。後期高齢者を大切にして欲しい。欲しいばかりが並ぶが、欲しいばかりを言わせない政治家が欲しい。と、また欲しいがついた。

(写真:小さな時刻表に過疎が伺える)
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まもなく始まる鵜飼

2008年05月27日 | 生活・ニュース


♪ハァ~ ちょいとおいでよ 錦帯橋に
  あの娘招くよ 鵜飼の闇に
   篝火燃えて 人波寄せりゃ
    籠の荒鵜も 羽根鳴らす
     ソレ 舷たたいてドントセノセ
      ソレ ドントセノセ
これは岩国市出身の作詞家・村井一露、同じく作曲家・吉田矢健治の「岩国鵜飼音頭」の1番。

6月から始まる錦帯橋の鵜飼に備えて鵜の公開トレーニングが先日8羽のデビューを含め21羽で行われ、錦帯橋や周辺の河原から多くの観光客が見守った、と報道されている。

起源は370年前とも言われるこの鵜飼は、一時中断されていたが戦後に復興再開され今日まで続いている。一昨年の台風被害で実施が危ぶまれたが地元経済界の努力があってしのいだ。

舳先に篝火をたき、巧みな手綱で鵜を泳がせる鵜匠、その姿はかさげ折帽子、腰には腰蓑をつけたそれは昔のままという。鵜匠と鵜を繋ぐ紐は檜の繊維で鵜匠自らが作るという。強い紐だがひねるとすぐに切れる特徴があり、万一のとき鵜匠は紐をひねり鵜を助ける。

鵜についてのことわざのひとつに「鵜のまねをする鳥」とある。
これは、鳥が姿の似ている鵜のまねをして、魚を捕ろうとして水におぼれる意味から「自分の才能や力量をかえりみないで人まねをして失敗するもののたとえ」。
肝心なことは己の力量を知ることと教えられる。

(写真:出番を待っている屋形船)
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我が専用道

2008年05月26日 | 生活・ニュース
               

早朝ウオークで挨拶を交わす人が道のどこを歩くか、その人の長い習慣から形ちが出来ている。そのなかの車道を歩く人を見てみよう。

ウオーク暦は私より長いご婦人。ゆっくりと頭を少し傾けて必ず車道の左側を行かれる。街灯のない道なので追い越す車も怖いと思う。1度パトカーから「歩道を歩くよう」促がされたがいまだに直らない。信念なのか歩道に嫌な思い出があるのか、詮索しても分からない。

車道を歩く人は意外に多い。20代と思う女性はいつも片側1車線の中央付近を歩く。車が近づけば車道の端へよるが過ぎれば中央へうつる。この方にも訳があるのだろう。

高齢の女性の方に「歩道は波うつように凹凸が多く足腰が弱ると歩き辛い」と聞かされた。駐車場入口・家の門扉前・バス停・交叉点など車道に向けて傾斜が作られている。住宅街のなるとこの傾斜が連続する。この方は車道と歩道の際を歩かれる。

腰の具合が悪いとき、歩道に作られた波からの腰への負担を軽くしようと歩き方が変わる経験を何度かしている。自慢ではないが自身は歩道一筋のウオーキングをする。

錦帯橋上流の歩道は時間帯の関係で「我が専用道」かと錯覚する。行きは錦川の竹林沿いを帰りは城山沿いを使う。春は桜、今は鳥の鳴き声、秋には虫の声と贅沢な自然に恵まれている我が道、いつまでも続いて欲しい。

(写真:我が専用道に人影なし)
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会うと合う

2008年05月25日 | エッセイサロン
               

ある会合。同年輩の女性の方から「Iさんをご存知ですか」と問いかけられた。Iさんは知っている。「彼女と同じ趣味で楽しんでいるNです」と続けられた。Iさんには会合の話をしていたから伝わったのだろう。

ある懇親会。面白く楽しい自己紹介が終り会が第2ステージに移って間もなく「tさんですか」と同年輩の男性からブログネームで声をかけられた。初対面、少し怪訝な顔つきになったことは自分で分かった。話してみて名前は知っていることに気づいた。今日も新しい人とのであいがあった。

こんなとき「であい」・「であう」と使う。どんな違いがあるのだろう。意味薄いことを書いているがこんな疑問をたまに感じる。辞書にもよるが「出会い・出合い」と「出会う・出合う」が例示されている。

「であい」は、であうこと・めぐりあうこと・邂逅など。「であう」は、ゆきあう・でくわす・おちあう・会合するなどととある(広辞苑)。別の辞書の例示には「合う」は川と川が合う、「会う」は人と出会う、とある。

よく区別できないがこれまでも「合う」は人以外に、「会う」は人に使って来たたように思う。つまらないことを思いつきながらパソコンの前に座っている。

先の2人の方とはこれから長くお付き合いできる。次はどんないい出会いが待っているのだろう。

(写真:どんな出会いから甲羅干しをしているのだろ)
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油膜

2008年05月24日 | 生活・ニュース
               

満ち潮の時間帯なのか、河口付近の流れは上流に向かって流れていた。初めて見たことでよく分からないがその速度はかなりの速さに感じた。下流へ進むにつれてあることに気づいた。

ゴミと油膜が広がっている。油膜の広がりはかなりの長さだ。海からかそれとも何処かで破棄され溜まっていたのか、油膜は確実に上流へ流れている。

両岸と川底はコンクリーで覆われており地面からの浸透は考えられない。事故や事件で吸着マットが浮く画像はよく目にするが、実際に水面を漂い這いずりながら上流へ向かう油膜は不気味だ。

7月のサミットの議題のひとつは環境についてという。高く広くそして深い討議の中から子や孫、それからも続く世代が感謝する形ちの結論が導かれることを願う。高邁な精神論と自国のエゴでは環境は守れない。

油膜の下を上流へ流れるように泳ぐ魚、その名は知らないがかなりの数だ。再び海に戻り近海物として店頭に並ぶことはないことを願いながら川沿いを離れた。魚にはなんの罪も無いのだが。

(写真:満ち潮の流れに乗って上流へ向かう油膜)
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前に習え

2008年05月23日 | 生活・ニュース


雑草1本も生えていない畑。そこになすびが植えられている。定規や測量器を使われた、そんな錯覚を呼びそうな丁寧な植え方がされている。苗の背丈も同じに見える。

よくもまあ、と眺めていてその仕掛けに気づいた。畝に敷かれたシートの中心線に一定間隔の表示がされていた。その表示にしたがって植えられている。それにしても丁寧な仕事に驚いた。

見事な一列縦隊を眺めながら、少し前に見た園児の整列を思い出した。

「はい、それではきちんと並びましょう」。表通りへ聞こえていた賑やかな園児の声が止んだ。立止まって門の内をみた。

数十人ほどの園児が整列をしていた。肩の高さに上げた手を前の友達の肩近くに伸ばした子が何人かいる。整列の仕方を習っているのはこの春園児になった年少さんだろうか。先生が両肩を抱き話しながら列をつくっている。慣れた姿に見えた。

それなりの列が整うのにそれほど時間は要らない。短い時間だがお喋りをする園児がいなかったことに驚いた。園の躾のよさだろうか感心していたら体操が始まった。

あの園児らが、いつの日か真直ぐな国づくりのため働いてくれたら、整列の仕方を教えた先生が喜ばれるだろう。そんなことを思いながら、収穫量はいかほどだろうかと、夢の無い現実に戻った。

(写真:図面の上に植えられたようななすび)

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駅の講座室

2008年05月22日 | パソコン講座
               

JR岩徳線の西岩国駅。無人駅になって久しい。かっては岩国市の玄関として市の拠点駅だった。幾多の変遷をえて、今はあるNPO法人が受託管理し、街興しの拠点にすべく活動、その成果は報道にも多く取り上げられている。

この法人とタイアップし駅舎の一室を利用したパソコンの個人指導を始めた。ホームの見える1室はかっての事務室だろうか、そこへの出入りが便利だ。

ローカル線の駅に降りる。そのホームにパソコン教室がある。駅の外へ出ることなく帰りもローカル線に乗れる。市街地域から離れた方には利用しやすいと喜ばれる。

そもそもは無料のパソコン相談として試みた場所だが、相談者の強い希望により個人講座を開くことになった。内容の充実と環境整備を図り通常の講座形式にしようといま準備している。

市街を離れると「パソコンを勉強したい」という希望者、特にシニアの方が多い。VISTA持参の方も増えている。熱心さは年齢男女ともに差はなくジーゼル列車の音も気にならないようだ。意欲への手助けになれば、メンバーは自己研鑽に努めている。

(写真:教室の側に止まるローカル列車)
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