日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

中身は変わる

2014年10月31日 | 生活・ニュース


 「きょう、数学の答案を返していただきました。予想していたのよりよい点がついており六十点です。おかしなと思って調べてみると、一つ、まちがいが正答になっています。私は黙っていようかと思いました。だって先生にそれを言えば、六十点でもよい点でないのに、この点から二十点も引かれてしまいます。それは、わたしにとってほんとうにつらいことです。でも、わたしは、思いきって先生に申し出ました。

 先生はこれでよいのだと強くおっしゃていましたが、私が精しく説明すると、ほんとだね、といって四十点と訂正してくださいました。そして『正直だね』とおっしゃいました。わたしは、パッと顔の赤くなるのを感じました。だって、わたしは、ずいぶんこのまま黙っていようかと考えたんですもの。でも、ちょっとのことで、二十点どころではない汚点を、わたしの人生に付けてしまうところでした。お父さま、お母さまのおかげで、まちがいを犯さないですみました。お父さま、お母さま、きっと喜んでくださることと思います」。

 これは昨年の暮れころ手にした小冊子に載っていた寄宿舎住いの女子高校生が両親にあてた手紙です。受け取った両親の「百点をとってくれたよりも嬉しい」という感想が添えられている。寄宿舎の表現などからかなり前の手紙と思われる。

 手紙の内容から、親の生活の姿が読みとれ、女子高生は素直にそれを受け取り正直に正しく生きることを悟っている。最近の痛ましい世相、赤絨毯からの分かりづらい弁解を聞かされるとき、正直に自分の荷は自分で背負う重要さをかみしめる。月並みだが今年も残すとこ2カ月、どう過ごしてきただろうか。渋柿の皮をむき天日に干せば甘い吊るし柿に変わった。何に影響を受けるかで中身は変わる。心しなければ。
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26文字の意味

2014年10月30日 | 地域


 二宮尊徳 2
 尊徳が手にしている本には次の文字が刻印されている。

 「一家仁一國興仁一家譲一國興譲一人貧戻一國作乱其機如此」。

 調べてみると、どの像も同じ文章という。これは、儒教の経典『大学』の一節と載っている。 この26文字人ついて、ネットではいろいろな解釈が載っているが、一番わかりやすかったものを拝借した。

 一家仁 一国興仁(いっかじんなれば いっこくじんにおこり)
   長を務める人に思いやりがあれば 国中に思いやりができる。

 一家譲 一国興譲(いっかじょうなれば いっこくじょうにおこり)
   長を務める人に譲り合う気持ちがあれば 国中に譲り合う心が起こる)

 一人貧戻 一国作乱 其機如此(いちにんたんれいなれば いっこくらんをなすそのきかくのごとし)    
  一家が思いやりの心を持てば、国全体にも思いやりの心が興り、  一家が譲り合う気持ちを持てば、国全体も同じようにな
  る(一家が貧欲になれば、その国は乱れることになる)。

 解釈からは、家庭であれ地方であれ国であれ、長たるもののあるべき姿の理想がくみ取れる。背負子を背負いながら、こうした書を自らのものにしていったその人生については、二宮金次郎の唱歌から厳しかった生活は想像できる。生涯についてもう少し調べてみよう。                
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二宮尊徳の像

2014年10月29日 | 地域


 二宮尊徳 1
 二宮金次郎と呼ばれ尊徳とも呼ばれる。尊徳は「そんとく」でなく「たかのり」と読むよう説得した文もある。これまで通り「きんじろう」と「そんとく」で通す。

 終戦直後、小学校に入学した時、校門の近くに二宮金次郎が、高い台の上に立っていたようなかすかな記憶があるのだが、定かでない。本を読みながら背負子を背負い働く姿は日本道徳教育の基をなした。次の一から三は明治44年文部省の尋常小学唱歌に載っている「二宮金次郎」の歌。1番はそらんじており、今も口ずさめる。

一 柴刈り繩なひ草鞋(わらぢ)をつくり   二 骨身を惜(をし)まず仕事をはげみ   三 家業大事に費(つひえ)をはぶき 
  親の手を助(す)け弟(おとと)を世話し    夜なべ済まして手習(てならひ)読書    少しの物をも粗末にせずに 
  兄弟仲よく孝行つくす              せはしい中にも撓(たゆ)まず学ぶ      遂には身を立て人をもすくふ
  手本は二宮金次郎                手本は二宮金次郎               手本は二宮金次郎 

 二宮尊徳は1787年~1856年の人。高さ90センチくらいの尊徳像が白壁の崩れかけた蔵を背に軒下に立っている。散歩や所用で何十年も通っている道の奥まったところ、古物商の軒下にある。製作時期を尋ねたが定かでないが明治維新前後らしいという。長い年月、自然にさらされ茶色い汚れも目につくが、青色の部分からブロンズ像かと思う。読んでいる本の文字など少し観察してみよう。
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朝が来ること

2014年10月28日 | 生活・ニュース


 高齢者という線引きや定義はいくつもある。国連では60歳以上、世界保健機構(WHO)では65歳以上、定年退職者や老齢年金受給者以上を指す場合もある。日本の医療制度では前期と後期に高齢者を区分けしているが、今日から、そんな前期高齢者層の最後の歳に入る。

 日本人男性の平均寿命はおよそ80歳、健康寿命はそれより9年ほど下回る。健康寿命とは、日常的に介護を必要としないで、自立した生活ができる生存期間を指す。平均寿命と健康寿命の差に当たる期間は健康でない期間ということになる。この間は何らかの制限や制約が課せられる。平均寿命もだが今は健康寿命を延ばすことが重要だといわれる由縁だ。

 今、平均寿命と健康寿命の差の中間あたりで生活している計算になる。この健康状態がいつ中断しても不思議ではない域で生活しているようだ。

 早期発見でガン切除手術を受けたのは3年前。その朝、ベランダで眺めた東の空は一面が朝焼けで、私の体もそれに染まったような気がした。術後、さしたる心配もないと思いながらも、病院のベッドで目覚め窓外の光景を見てほっとしたことを思い出す。手術から4日目の朝、検温の看護師から「退院されたら誕生祝をしてください」と思いもしない言葉に驚いたその朝も朝焼けが綺麗だった。今朝は秋以降一番の冷え込みだったが、東の空はあの日の朝のようにあからんでいた。
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戦い終わって

2014年10月27日 | 地域


 市議選の運動期間は7日間、中国山脈は千メートルの高地から瀬戸内まで県内で2番目に広い市域をめぐるには時間が足りないと聞く。とはいえ立候補者には同一条件ではある。あるが、山間部が地盤の候補は峠を越え谷を渡りながら地元の皆さんへ訴えることになる。市街地を地盤にする人はおそらく経験しないだろう選挙戦はきのう投票が行われ、新議員が誕生した。

 定員32名に40人の立候補者、4人の現職を含む8人が涙をのんだ。その配布に賛否はあるが選挙公報が配られる。全員分に目を通した感想は「市民目線の素晴らしい市政が行われる」というのは今回も感じた。しかし、これまでの市政は、公報の公約は選挙が終われば膏薬のように剥ぎとられ、市民目線とは離れた市政になっている。今回はこれまでと同じ失望をさせないでほしいものだ。

 面白いのは市民の関心も高くマスコミも将来の市政にのしかかるという課題には、大方の候補者が意見を開示しない。勘繰れば、態度表明が投票結果に悪影響するからと、ものいわぬ態度になっているのかもしれない。勘繰り通りなら無責任な態度と言いたい。

 そんな候補者の姿勢に市民はあきらめているのか、とにかく投票率が低く、有権者約11万7千人で今回の投票率は過去最低の57.40%。市内各地でイベントが数多く催されていた。投票を済ませて参加ください、と載っているポスターに主催者の気づかいを感じた。もごもごぐちゃぐちゃ言うからにはまず投票を、1度も棄権したことがないから胸を張って言える。
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わけあり品です

2014年10月26日 | 生活・ニュース


 市外地域で朝市が始まったころの経験者の話を思い出す。キュウリだと曲がっている、少し短い、大きさが不足、など同じ畑から収穫しても、いわゆる商品の仲間には入れてもらえなかった野菜がある。それらは規格外なのでスーパーを始めお店には出せない農産物を道べりに並べて売り始めたのが朝市のはじまり。スーパーに積まれた物と味は変わらない、捨てるに捨てきれない、そんな勿体ない品の活用策だった。

 収穫したままを戸板に並べるので手間暇が省ける、車の運転ができなくても手押し車で運べて設備に金を掛けなくてすむなど、高齢者の内職的な場となった。やがて市街地から車で買いに見える人らの口コミで各地に広まった。買う人の目的は新鮮さと低価格、それに山間部早朝の新鮮な空気だった。売る方は、知らなかった人との会話が楽しめ「美味しかった」の言葉に喜びを感じているうちに、いつしか顔見知りになっていた。野菜作りにもそれまでとは違った喜びが生まれたという。

 最近はスーパーに「規格外品」と大きく表示したキュウリにナスビ、シイタケなど何種類もの農産物が山積みされている。かっては敬遠した品、時勢に勝てないのか正規品と並んでいる。劣って見えるのはスタイルだけ、色艶にそん色はない、と思う。

 規格外、標準から外れている、基準に当てはまらないなど冷たい感じがする。類似で「わけあり品」という表示もある。なんとなくやさしく聞こえ同情をかう。大きさが不揃いや、箱が壊れている商品など、規格外とは若干の違いがあるようだが、どちらも無駄にせず破棄せずに済めば消費者は助かる。 
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上から

2014年10月25日 | 生活・ニュース


 頭の、木の、屋根の、山の、空の、の後に[「上」をつけて高い位置や高い場所をいいあらわす。ほかに地位や身分、人と人の関係、事柄の比較など同じ1字でも多様に使い分けている。上という字で思い浮かぶのは「天は人の上に人を作らず人の下に人を作らず」という子どものころ習った「学問のすすめ」にある福沢諭吉の言葉。現実には貴賤上下の差別は今も消えていないが。

 上に立つ人がしっかりしないと上を下への大騒ぎになる。上見ぬ鷲(わし)は上には上があることを知らずに振る舞う。他人の身の上の判断はするが自分の身の上は分からないことを易者(陰陽師)身の上知らず。頭の上の蝿も追われないのに上を行きたがる人。石の上にも3年、恥の上の損、目の上の瘤、役者が一枚上など、いい聞かせる上がある。最近は病気や老衰で家庭において逝くことを表す畳の上で死をのぞむ人が多い。

 金額はわずかだが使途明細が必要なので領収書発行を依頼した。最近はレジから買い上げ明細などと同時に領収書が発行されるので、めんどくさそうな顔はされない。担当印を押してお客様欄に上の字を書いてくれた。様は印字されているので「上様」となる。領収書ではよくあることで気にしないが、口に出して読むと時代劇で将軍へもの言う時の「上様」と同じ言い方になる。そうかお客様への丁寧語だと苦笑する。

 桜の紅葉は秋景色を代表する光景のひとつ。上から目線のつもりではないが、眼下の桜の木の紅葉が進み、早いのは落葉が進んでいる。その木は上の方から中ほどまですっかり葉を落とし、小枝が秋の陽に照らされ白い線をくっきりと描いている。落葉を観察したことはないが、上から散っている様子に、なにか自然さを感じた。薄くなった頭頂をなぜながら眺めている間に散る葉はなかった、自然のこころ使いだろうか。
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2桁への期待

2014年10月24日 | 自然 季節


 冬の使者として県民の待つ特別天然記念物ナベヅルが越冬の地、八代に飛来したと夕方のローカルニュースで知った。平年より5日早いという。八代は周南市の山間部で、本州で唯一のナベヅル越冬地として知られる。地元の人を中心に多くのボランティアの方がねぐらや餌場の整備をされる。小学生は全校生徒が「鶴よ来い」と大空に向かって呼びかける。

 熱心な努力はされているが、それが鶴に届かないのか、このところ飛来数が減少しその数が1桁のシーズンもある。今シーズンの飛来初日は4羽、監視所の人は「このままいけば2桁が期待できる」と喜びの声が上ずっていた。ナベヅルが飛んでいる、と近隣の町から情報が寄せられ皆さん西の空を見上げていたという。

 ナベヅルは天然記念物。神経質な鳥で見学や撮影には決められた場所でマナーを守って観てほしい、そんな注意を思い出す。そういえば鶴観覧所付近には駐車場はなく、しばらく歩いた。ナベヅルは漢字にすると鍋鶴と書く。鍋の底の黒い色に似ているからといわれるが、気の毒な気がする。シベリア大陸からはるばるやってくる野鳥、ナベヅルと書いて歓迎したい。

 ナベヅルといえ九州の出水、ここには毎年のこと万を超える飛来が確認されている。その出水には昨日から飛来が確認され、初日は300羽近くが餌をついばんでいたという。毎年、出水への飛来するいくらかが八代に舞い降りてくれれば、人間のそんな身勝手な願いは届かない。その前に、出水に勝る鶴の好む環境整備が必要な条件かもしれない。
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飲む洗浄液

2014年10月23日 | 生活・ニュース


 大腸ガンの切除手術から丸3年。術後は3カ月おきに経過検診を受けた。検診内容は血液、CT、内視鏡検査で経過月数により項目の組み合わせは変わる。3年検診は3項目だったが異常所見はなくひと安心した。経過検診はあと2年ある。

 検診項目で一番の難関は内視鏡検査前に飲む「経口腸管洗浄液」を指定された時間内で飲むこと。腸内を空にし、綺麗にしないと、いかに先端を行く内視鏡といえどもその威力は無になる。3年前に比べれば、少し柑橘類のような味がして飲みやすくはなっているが、しょせんは腸内を洗う洗浄液、夏場の水分補給用の飲料とは違う。

 そうは言っても、冷蔵庫から取り出された直後は冷たくて、緊張した身にもさっぱりとした口当たりは飲みやすい。口当たりのいいのは初めだけ、30分くらい経過したころから「洗浄液」だが、受診するので飲まなければ先に進めない、そんな義務感と意地で飲み込む。流し込む。担当の人が「気分は」「飲めますか」などと確認に見える。飲むのは何度目という経験は役に立たない。

 腸内洗浄の進行度は5段階でチェックする。最終は内視鏡スタッフが確認する。その確認方法に思わず微笑んだ。スタッフは5段階に達した排出液をタブレットで撮影しスタッフ室へ持ちかえる。その後、洗浄済みが伝えられるから複数の目で確認されているのだろう。検診に入ってから洗浄未済みでは笑い話にもならない。現役時代、プラントSD時の配管の洗浄完了をWチェックしていたことを思い出し、内視鏡室への呼び込みを待った。
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新しい手帳に

2014年10月22日 | エッセイサロン
2O14年10月22日 毎日新聞「男の気持ち」掲載

 定年退職は10月。その日、使い慣れた会社手帳から市販のものに変えた。すると何とも言えない新鮮さと、新たな道へ踏み出したという自覚が生まれた。これが「気分一新」か。それからは毎年この時期に翌年の手帳を購入する。

 1冊目のとき、白紙の手帳に家族の記念日や両親祖父母の命日などを記入した。その程度では予定欄は埋まらない。この先、埋まっていくのか心配した。

 その後、契約社員として勤務したり、誘われたり飛び込んだりして複数の趣味の会や団体に入会や参加をした。すると自然に予定欄が埋まり、退職日の心配は消えた。今は半年先の予定もちらほら。私的な予定を変更することもある。

 今年の手帳をパラパラと繰ってみる。大方は予定とその結果、災害発生などの覚え書きで、雑事に思えることが多い。そうは言っても人との約束は間違って迷惑をかけてはいけないと、心して書き込んでいる。

 そんな手帳が机の引き出しの奥に並んでいる。取り出して見ることはなく、保管する意味はない。そう思うが断捨離は忍びがたく、自分なりの跡が残ると思い、そのままにしている。会社人間だった。定年後、家でごろごろしているのではと妻は口にこそ出さなかったが心配していた。今は私の予定を確認してから頼みたい家事を言い出す。

 新しい手帳は15冊目。忘れ防止の相棒としてこれから1年、よろしく頼むよ。
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