日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

凛とした大晦日

2010年12月31日 | 生活・ニュース
           

ことし最後の朝はうっすらとした雪化粧で明けた。一日、強い風に雪が舞う荒れ模様の大晦日だった。そんな昼過ぎの一瞬、よく澄んで晴れ渡る青い冬の空が現れた。のみ込まれそうなその色を背景にした岩国城は凛として見えた。

60代になると「毎日が短く、1年過ぎるのが早い」と現役のころ何人かの先輩から聞かされた。それらの人はみんな趣味や地域活動など生き生きと動かれていた。その60代を今年の秋に通り過ぎた。退職後4年間、契約社員として働いた後は毎日が日曜日となった。

幸い、いい仲間に出会え、色々なことへ参加することができた。おかげで、毎日、今日は何をして過ごそうか、など悩むことなく来れた。やることが面白いという自身の気概と妻の支えがあったからだ、と思う。凛とした岩国城を眺めたとき、ふとそんなことを思った。

多少の災いはあったが、除夜の法要と除夜の鐘つきでことしも終わる。

稚拙なブログですが今年も多くの方に訪問とコメントをいただき有難うございました。来る年もよろしくお願いします。

よい新年をお迎えされることを念じております。

(写真:何かを諭すように見えた岩国城)
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アメ横並みだった

2010年12月30日 | 町かど
             

御節の注文が今年は「プチ贅沢」という。目に見えるほど景気は良くなっていないが年末の買い物風景をこう表現されている。暮れになるとその買い物風景が必ず各社のTV画面に登場するのはアメ横商店街。あの人ごみの中で目的の品を買うのは大変だろうと同情しながら、いや、楽しまれているのかも、と思う。

そんなアメ横の様子を見るといつも思い出す。その商店街は、アメ横の人出に負けなくらい賑やかな歳末風景が見られた。正月用品は食べるもの、飾るもの、贈答品など何でもそろえることが出来た商店街、そこは錦帯橋にも近い登富町といった。

一角には公営の市場、魚に肉に野菜に惣菜に揚げ物、餅に注連飾りに活花など何でもござれだった。蒲鉾などは焼き上がりを待って買ったこともある。そんな人出もスーパーの出現とともに薄れやがて見られなくなった。そうなってもう40年近くになるだろう。

登富町商店街は車社会へ対応できるスペースがない。今は数軒の商店が開いているが、賑わったところを思わせる建物も少なくなっていく。この商店街の入口に立っている「登富町商店街」の看板の文字の赤色も薄くなり、師走の風に吹かれていっそう寂しさをさそう。

(写真:色も薄くなった案内表示)
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虫食い葉

2010年12月29日 | 生活・ニュース
           

「正月用に」と頂いた白菜の根には泥がついている。「無農薬なので」と言われたそれはどっしりとした重さが伝わる。よく巻いているのだろう。瑞々しい甘い香りがする。

よく見ると表側の葉は虫に食いちぎられた大小の破けた跡がある。大きな葉を何枚か取除く。虫もいた。黒い糞もついている。何もかも畑から直行してきたことを示している。虫たちには、これからは人様が頂くからと、お引取りを願った。

無農薬野菜とは「農薬を使用せずに農作物などを栽培する方法で、この方法で作られた野菜」を表わす。有機栽培とは少し違うらしい、というのは素人の判断。年の瀬をむかえ何もかも値上がりしている。野菜類も負けずに高値になっているそうでありがたい。

スーパーにはどの商品も普段より多くそして高めに積み上げられている。夫婦2人で越年するにはそれほどの量はいらない。30人近くが年末年始に訪ねてきた何昔か前を懐かしく思いながら、積み上げられ正月用品を横に見た。

歳末の大寒波が予想されている。寒波さん帰省の人たちの楽しみを奪わないでください。子どもたちは、成人の日が加わりいつもより長い冬休みになる。

(写真:見事に食いちぎられた白菜の葉)
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鳩の行進

2010年12月28日 | 地域
           

弱いけれど冷たい風の吹く日でした。何度も通った道ですが、こんなにのどかな様子には初めて出合った。

川向こうへ行こうと橋へ向って歩いていた。その手前を十数羽の鳩が道幅いっぱいに広がって私のほうへ歩いて来る。その様子はいかにも通りなれた道だ、といういうように見える。舗装されたそこにはついばむ餌などないだろうに、ついばむしぐさでこちらへやってくる。

周囲へ気を使う様子など全くない。それは堂々というか恐れを知らぬというか、人に例えれば落ち着きはらっている。

私は道の端を、鳩の横隊行進を妨げないように避けて通った。橋を渡り終わるまで車は通らなかった。鳩の行進は続いたのだろうか。鳩の進む向こうには車もよく通る大通りがある。どこまで鳩は進めるのだろうか。

地域の人の優しさが鳩には分かっているのかのような鳩行進。それにしてものんびりとした、つかの間の眺めを楽しんだ。

(写真:大きな街では見れない鳩の横隊行進)
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雪の道の備え

2010年12月27日 | 生活・ニュース
           

福島県内の国道で大型貨物車など300台あまりが雪で動けなくなった。一昼夜あまり車中に閉じこめられた人たちは大変な思いをされたようだ。自衛隊の災害出動による救出活動でやっと動き始めたという。閉じ込められた人たちの安堵の顔が映し出されている。

これほどまでに大きな状況になった原因は、急に降り積もったとはいえ、チェーンなど雪道への備えをしていない車が多かった、と分析されている。豪雪地帯をこの時期に走る運転者の心構えの問題もあったようだ。

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」、これは万人が知っている川端康成の「雪国」の冒頭の部分。「国境」を「こっきょう」と読むかか「くにざかい」と読むか議論があるという。そんなことを思い出したのはトンネルを出たときだった。

所用で市の北部のそのなかの北部の長い上り坂を走っていた。雲ってはいるが降りそうな気配はない。上り坂の終りは長いトンネル。出口へ近づくにつれその向こうにこれまでと違った風景が見える。トンネルを出るとそこは雪だった。

先日のちらほらとは違い「雪だ」と感じる。通りがかりの老人は「お昼くらいまで雪が残っていた」と話す。解けたころを見計らって降り始めたようだ。「この雪は積もりそうだ」と傘越しに上空を見上げながら教えてくれた。

冬用の支度をしていない車、早々に用を済ませてトンネルへと向った。

(写真:雪らしい雪を久々に見た)



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歩き方

2010年12月26日 | ウオーキング 散歩
           

最近は自称「早朝ウオーキング」を健康のため昼間、お天道様のある時間に変えた。早朝のころは、とにかく決めた折り返し点まで行って帰ること、そう決めていた。何せ夏以外は夜明け前で暗く、そんなに見るものはない。といいながらブログネタはいくつか拾った。

その時間帯が変わると、当然のことだが目に見えるものがが多くなる。そうなると眺めたり、話したり、撮ったりと足の運び方が変わる。どんな形があるか、思いつくままの言葉で広辞苑を開いてみた。

  歩く 一歩一歩踏みしめて進む 歩行する 「歩いて帰る」 
  散策 ぶらぶらと歩くこと 「気ままな散策」
  散歩 気晴らしや健康のために、ぶらぶら歩くこと 「川端を散歩する」
  徒歩 乗り物に乗らず歩くこと 「徒歩旅行」
  歩行 歩くこと あゆむこと 「歩行者天国」
  ウオーキング 歩くこと、歩行

思いつきだけでもこれだけ見つかった。紅葉を眺めて、撮ってまた歩き出す。銀杏を拾って臭いをかいで投げ戻す。道に落ちている栗のイガに実があるか確かめる。あれば拾ってポケットへ入れる。新築中の家があれば立ち止まって見上げる。

義務感は持たなかったが、目標の距離をひたすら歩くことに専心したことから脱皮したかのように、歩き方が変わった。キョロキョロして何かに間違われないように注意しながら歩こう。歩き方によって多少の言い回しが異なる。そのときの気分や体調、四囲の環境などによってその呼び方が変わるのは面白い。明日はどの組み合わせになるだろう。

(写真:散策していて出合った小さな虹)
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ちらちら

2010年12月25日 | 生活・ニュース
           

予報どおりのクリスマス寒波が列島を襲った。日本海側から東北以北は一晩で数十センチ以上の降雪に見舞われとところが多い。雪景色というニュース画面でなく、生活への支障を多く映し出している。温暖な瀬戸内に住んでいると想像もつかない環境だ。

そんなニュースを見た後、カーテンを開けがら「よく晴れているな」と見上げていたら、なんと「ちらちら」雪が降り始めた。クリスマス寒波はここ瀬戸内にもやってきた。予報士の予測通りに、気温の下がりを背筋に感じる。

ちらちらはちらちら、石や木葉の上にしばらく留まっていたがそれが止むとほどなく消え去った。つかの間の冬らしさを楽しませてくれた。雪を期待した写真家は残念だったろうが、冬は始まったばかり、楽しみを後に残した。

明日にかけて1mの新雪が積もるという予報も出された豪雪地域がある。帰省も始まる。豪雪地域も年末年始は穏やかと期待する。

(写真:超薄化粧した庭の灯篭)
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よいさこらさ

2010年12月24日 | 生活・ニュース
           

何年も前。マンションに住む孫が「煙突がないのにどうしてサンタさんはこれるの」と不思議そうな顔で聞いた。「オッ、少しずつ知恵がつき始めたかな」と喜びながら「サンタさんは、良い子の家に煙突がないときは秘密の煙突を作って入ってくるの」と話した。

その孫も小学校最後のクリスマスイブ。そして誕生日でもある。これまでと違い、今年はあることで特訓中、両方とも年明けに回すことになった。毎年、楽しみに待っていたケーキと笑顔の写真はお預け。

ある方のブログで「トナカイののどが渇くだろう」と、バケツに水を汲み玄関に置いた男の子の話が紹介されていた。お母さんはクリスマスの朝その水を半分流しておいた、と追記されている。サンタクロースの来ることを疑わず、そしてトナカイへの優しい心遣い、いい人に成長したことを疑わない。

サンタクロースは実在するのか。113年前、ヴァージニア・オハンロンという名前の少女は「編集者さま、 私は8歳です。私の何人かの友だちはサンタクロースはいないと言います。パパは『サン新聞が言うことならそのとおりだ』と言います。どうか私に本当のことを教えてください。 サンタクロースはいるのでしょうか?」とニューヨーク・サン新聞へ質問した。

これに対する答えは「目に見えるものしか信じない悲しさと、目に見えないものの確かさ、不変さ、そしてそれを信じることの素晴らしさ」を説き、後に社説となり、クリスマスが近づくと世界中で語り継がれるものとなっているそうだ。

(写真:重いプレゼントを担いだサンタさん、ご苦労さん)
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冬至のあと

2010年12月23日 | 自然 季節
           

冬至は「日短きこと至(きわま)る 」という意味でだそうで、その冬至は昨日、今日からは昼間の陽ざしが少しずつ長くなってゆく。「障子の桟」だけ長くなる、祖母はそう言っていたが、それはなにを表わす度量なのか覚えていない。

この日はいろんな慣わしや運気の良くなる境目でもあるという。柚子湯に入ると無病息災、カボチャを食べると中風よけになる。またお粥を食べるのもいいという。陽ざしが長くなることから、一陽来復といって、悪い物事がようやく回復し善い方向へ向く嬉しい日でもある。

とっくに落葉した仲間の分も頑張っているのか、それとも落ちはぐれたのか赤く染まった桜の葉が2、3枚、シッカリと小枝に残っている。いたわしいように見えるが、小春日和の陽を受けた葉はまんざらでもなさそうに揺れている。

近くで、緑濃いときは幟のような大きな葉をばたつかせている芭蕉、その大きな葉は千切られたようにボロボロに裂けて枯芭蕉となり、ちぎれたそれぞれが風にせわしく揺られている。

桜も芭蕉も風雪に縮かむ日があるけれど、春に続く道へ踏み出した。そう思い眺めると「がんばるぞ」、乾いた青空へ向って手を振っているようにも見える。今日は暖かい日だった。

(写真:散りそびれて赤く染まった桜の葉)
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検定準備で故郷学ぶ

2010年12月22日 | エッセイサロン
2010年12月22日 中国新聞「広場」掲載         

            

 「故郷の歴史や文化を多くの市内外の人に知ってもらい、それをご当地検定に膨らませよう」とことし1月、12人の有志で「岩国検定実行委員会」を立ち上げた。

 準備すること約1年。11月末に第1回岩国検定を実施した。19歳から90 歳までの百余人、県内はもちろん、北陸は石川県からも応募があり会員みんなで喜んだ。無事検定を終え、合格認定証を発送、ほっとしている。

 岩国市は1940年の発足から数度合併し、市域は県で2番目の広さ。この広い地域の何をどれだけ知っているのか、と問われたら、答えるのに窮する。そんな不安を抱きながらも、会の魅力にひかれ、仲間入りした。

 資料を読んだり、調べたり、問題を考えたりする中で多くのことを教わった。それらは歴史や文化に産業など広範で、故郷を再認識するというより、初めての学習に似ていた。

 会では今回作成した資料を集大成し、次回検定の参考本の編集を話し合っている。市民の目線から見た故郷の力、それを織り込めたらこの上ない喜びになる。

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