日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

一枚の写真

2012年05月31日 | エッセイサロン
           

2012年05月31日 毎日新聞「はがき随筆」掲載

 母の日、贈り物の代わりに遺影の額縁を拭く。ほほ笑んでいる顔から、あの時を思い出す。 
 「写真部に入る」と高校入学式の日に息子が希望。初めてカメラを手にした第一声は「おばあちゃんを写す」だった。よそ行きの姿でうれしそうな母ヘポーズをつけながら、真剣に何回もシャッターを押していた。
 
 母はその中の1枚を大層気に入り「遺影はこれでお願い」と言う。軽い気持ちで聞き流していた。それから2年、その1枚は母の願い通りとなり、予知していたのかと驚いた。高3だった息子の目は潤んでいた。

 存命なら今年は白寿の祝い。
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トキ飛ぶ

2012年05月30日 | 自然 季節
           

 新潟県佐渡市で放鳥されている国の特別天然記念物のトキ、最初に確認されていた巣から26日から27日にかけて3羽が巣立ったとことが確認されていた。自然界で38年ぶりに確認されたことを関係者はもとより、遠く離れた地でも映像を見ながら喜んでいた。

 その巣立ちしたトキ、その飛ぶ姿を昼のニュース映像で見た。時間は午前6時過ぎという。その白い姿に思わず「よかった」、と、急いせデジカメに収めた。ぶれているいるが、急いだことと感動の手振れとしておこう。

 トキの絶滅は捕獲による減少に加え環境変化によるなど、長い年月にわたる人の関与が原因だった。その環境回復に尽力された佐渡の皆さんの苦労が実った今朝の空ではなかったか、画面を見ながら思った。

 本州唯一のナベツルの越冬地でも最近はその数が10羽をきっている。70年くらい前は300羽を越すナベツルが越冬したという。近代化とそれに伴う環境の変化はトキの絶滅と似ているのではないかと思う。越冬地では地域総出で環境改善に取り組まれている。有機農業復活に取り組まれていう報道に希望をかけたい。

 一旦その種を失うとその回復は容易でないことを改めて教えられたトキの飛ぶ姿だった。

(写真:NHK-TVより) 
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畑のほとりで

2012年05月29日 | 生活・ニュース
           

 「よければ貰うてください」と突然声をかけられた。驚いて振り返ると、この畑の持ち主だろう年配の男性が鎌をもって立っている。突然で戸惑ったが「有難いですが、買ったばかりで」と答えにならないような返答をした。持たれている鎌は、もし所望すれば切り取る準備だったと思う。

 散歩沿いの畑に見事に育ったキャベツが並んでいる。それだけなら通り過ぎるのだが、見事さがもうひとつ目に付いた。それは虫食いの葉、つい面白く思えたので、いつも持ち歩く小さなデジカメで撮ろうとするときに声を掛けられた。「よう出来とるのに虫食いになっておしいですのう」と挨拶をした。

 「見てつかあさい」と指差される畑には20個くらいのキャベツができている。が、そのすべてが人様より先に虫が少々ではなく頂いていることが分かる。虫食い芸術もこれほどになればひとつのアート畑、腹も立つまいと思っていると、笑いながら「持ち帰っても家内は気味悪がってさわりもしません」と、方言なまりで言われる。

 虫の付く前に何とかならないものかと思っていると「娘婿が転勤になって持っていくとこがなくなりました」とちょっと寂びそうに言われる。私が貰えば喜ばれるだろうと思ったが、これほどのものを持って散歩は続けられない。「要ればいつでも取ってつかあさい」そういながらジャガイモ畑のほうへ向かわれた。

 話しぶりから、作ることが楽しいのだろうが、喜んで貰ってくれる娘のいなくなった寂しさが虫食いとなって現れたのだろうか。ジャガイモは送ってあげてください、そう思いながら畑を後にした。
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初夏らしさ

2012年05月28日 | 自然 季節
           

 東日本では大荒れの天気が続いている。いつまでも大陸の寒気団が南下し居座るからだという。原因は分かっていても自然のこうした動きを変えたり影響を少なくする力を人は持ち合わせていない。科学が進んだとはいえ、自然災害の力には遠く及ばないようだ。温暖化対策が進めば少しは静まるのだろうか。

 荒れている地域があるの、と疑問を持つくらい今日はよく晴れて暑い日差しだった。観測では夏日を少し上回ったくらいの最高気温というが、1時間半ほどの日差しの下での作業は真夏の感じだった。近くで畑のほとりで動く草刈機の音が時々止む。見ると草を刈る人が汗をぬぐっている。このところの雨なしで刈られる草から砂埃が舞い上がっている。持参したお茶を飲み、続きの作業をした。

 あの見にくかった枯芭蕉は鮮やかな緑の大きな葉に戻りかえってきた。周りに芭蕉に勝る樹木はなく、しばらくは我が天下を誇れると、刈られていく足元の雑草を見下ろしている。

 予報では梅雨入りは平年なみというから、もう2週間もすればうっとうしい季節になる。うっとうしくても、水がめにはなくては困る梅雨、愚痴をこぼさず少しばかり我慢をしよう。そんな季節を察知してか、鉢植えのガク紫陽花がひかえめに白い花を咲かせ始めた。梅雨と紫陽花はいいコンビという。庭の小さな鉢からも季節を教えてくれる。自然はやはり不思議だ。
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次々と咲く

2012年05月27日 | 生活・ニュース
             

 薔薇が里帰りしてきて10日、次々と咲いてくれる。名前は「イングリッシュローズ」の名花で「レディ オヴ ミゲンチ」と里親から届いた。水は鉢の表面が乾いたらたっぷりやっている。肥料は教えられたものを施す。

 鉢植えのミニ薔薇は育てたことはあるが、これほど巨大な薔薇の木を庭に置いたことはなく、おどおどしながら観察している。害虫は今のとこる付いていないが予防のため消毒はしておいた。

 赤子を育てるようで緊張しているが、長く咲く品種らしいので楽しませてもらう。
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教えを信じる

2012年05月26日 | 生活・ニュース
           

 今年で3年目くらいのなるプランター菜園。菜園規模にはほど遠いが、キュウリ、トマト、ピーマンをそれぞれ2本植えた。植えたときは心細かった茎、小さな葉も素人目には順調に育っている。支柱は風と生ったときの重さに耐えるよう工夫した。トマトもキュウリも身長近くまで育った。

 トマトは脇芽で苗を増やす、という家庭菜園ベテランさんの教えに従って挿した。枝葉も広がりそろそろ支柱がいるようになりそうだ。、今のところすくすくと育っているように見える。目には見えないが苗植と競っているかも知れない。

 「初収穫は育ちきらないうちに採る」というのもベテランさんの教え。これは大きく生ったのを採りたいが、最初は少し小さめのときに採る。すると2番収穫からは大きく育ったものが採れるという。真実のほどは知れないが、教えに従って初収穫のピーマンとキュウリを小さめの生りで初物とした。幾つも生り方を競っているので、教え通りなら苗代はすぐに回収できそうだ。

 花でも野菜でも水遣りのとき声をかけながら撒くとそれに答えてくれるという。しっかり管理させるための賢い人の教えだろう、そう思いながら「大きくなれよ」と声かけする。挨拶は意思疎通の大事な手段、しっかり生ってもらうため続けよう。そういば、種から育てた朝顔の伸び具合が目に見えはじめた。声かけの効果だろう。

 気候に左右される野菜の収量と価格の変動は農家の生活を左右する。安定供給のための大規模農場では石化野菜と言われるほど温度管理用の灯油などを使用する。季節の心配をしないで年中、種類豊富な野菜を口にできる今の状況が永遠に続くのだろうか。

  
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「広辞苑」刊行の日

2012年05月25日 | 生活・ニュース
           

 誰もが知っている、そしてお世話になった「広辞苑」(岩波書店)、その初版が発行されたのが1955(昭和30)年の今日5月25日。国語学者・新村出博士が、戦前に自身が編さんした「辞苑」発行から20年、紆余曲折ありながら広辞苑となった。広辞苑は「辞苑」を基に、言葉の新しい用法を追記し、百科事典の要素も加えられた。

 手元のそれは「新村 出編 広辞苑第二版補訂版」で1976(昭和51)年12月1日発行の第1版。定価4600円で2448頁、厚さは約8.5センチ、重さはケース込みで約2.6キロ。これを購入したときの高揚感というか満足感は忘れていない。なじみの書店の奥さんが「良かったですね」と声をかけてくれたことを思い出す。いつも欲しそうな顔で眺めていたのかも知れない。ちなみに電子辞書は広辞苑第五版で逆引き広辞苑が付いている。電子辞書は持ち運びも自由で重宝している。

 辞書編纂を担当する辞書編集部員を主人公にした小説「舟を編む」(三浦しをん作 光文社)が話題を呼んでいる。この本は2012年本屋大賞第一位に選ばれた。これは全国の書店員さんが選んだ本で、読後感から店員さんたちのそのほれ込みようは大変なものだ。ここではストーリには触れないが、辞書編纂には終わりがないことを知った。

 今はPCで調べれば分厚く重い辞書を開き、小さな文字を探して引かなくても簡単に語意やその用法を知ることができ便利になった。電子辞書も然りだ。それでも新版が出ると売れるという。これまで10年から7年くらいの間隔で発行されて最新刊は2008年の第6版で、その発行部数は22万冊以上という。舟を編むからすればそう遠くない時期に第7版となるのだろうか。

 大小に関係なく辞書の何冊かはみんな持っている。そのなかに国語に関するものは1冊はあるだろう。それほど使わなくても傍にあるとなんとなく安心を誘う、それが辞書のすごい力と思う。大辞書を使うことはなくなった。が、色変わりした広辞苑は本棚で存在感を感じさせる。 

 
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何という動物ですか

2012年05月24日 | 生活・ニュース
           

 公園で、何人もの子どもたちが輪になってしゃがみ何かをで囲んでいるように見える。何だろう、いい年をしているが覗いてみた。イタチかリスくらいの小さな動物が動き回っている。その小動物の首輪はそそばに立っている女性のリードと繋がっている。様子からすればペットだが、はじめて見る。

 子どもとらと女性の会話から動物の種類はペレット、餌はドッグフードということは聞き取れた。子どもらが撫でようとして差し出す手を嫌がる様子も見せないが、少しもじっとしていない。落ち着きがないのか、子どもらへ愛想を振りまいているのか分からないが、声は聞けなかった。

 ペットになる動物のペレット、をネットで探したが検索にかからない。名前を聞き間違えたのだろう。検索をあきらめた。自分と比べてこのペットの足のことを言えた義理ではないが腹が地面につくほど短い、細長い胴体、顔は子狸に似ている。触っていないが体毛は犬より硬そうだ。少し離れたところに連れだろうか、もう1匹いた。そちらは白い体毛だった。なんという種類の動物だろうか。

 ペットの癒し効果の高さはよく聞く。逆さにいえば人はペットによって癒されているということだろう。そのペットの飼育放棄が多く、外来種については日本在来種への影響も心配されている。飼うからには最後までその責任を果たして欲しい。目の前で戯れている姿を見ながらそんなことを思った。そういえば、この公園を根城とする猫の多さにも驚く。
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634の語呂

2012年05月23日 | 社会 政治
             

 世界一高い電波塔の東京スカイツリーが、金環日食の興奮さめやらぬ昨日の22日、開業した。あいにくの雨で眺望は良くなかったが、展望台へ一歩踏み入れた人らの顔は満面笑みだった。周辺も大勢の見物の人でにぎわい、映像で知る限りでは盛り上がっていた。見物の人は予想を上回る22万人とか、我が市の人口の1.5倍にもなる。

 現役のころ浅草から東武伊勢崎線に乗車して館林まで何度か出張した。そのころなら634メートルの姿を見ることができたのだが、今は適わない。見物に御上りすることないから、映像で楽しむことにしよう。東京タワーが完成した2年後、上京のおり立ち寄った。333メートルを見上げて高いと思ったが、その倍ほどのタワーを見上げるには、準備体操してからでないと見上げられないかもしれない。硬くなった体に50年の歳月を感じる。

 ギネス登録された電波塔634メートル、これほどの科学の粋を集めたタワーなので634にそれなりの根拠があるかと思いきや、立地エリアがかっての武蔵国にあやかっているとか。遊び心に拍手したい。高さの決定には紆余曲折面白い話も伝わるが「世界一高い」は貫かれた。

 そのタワー、建設中に東日本大震災で大きな揺れをうけたものの、寸部の狂いを起こすことなく耐えたという。発生が予測されている東南海地震などの災害時に情報を出し続けることが可能なインフラとして頼りになりそうだ。 

 スカイツリー周辺域では高い経済効果が予想され活気づいている。そのツリーからの電波はどのあたりまで届くのだろう。願わくば、周辺の活気を全国の津々浦々まで届け、日本全体の活力の司令塔になって欲しい。人通りのない、子どものころ銀座通りと呼ばれた商店街を歩きながらひとり思う。

(写真:22日の新聞から)
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娘と石人形

2012年05月22日 | しっちょる岩国
           

 錦帯橋のたもとに石人形を展示した博物館がある。博物館といえば入館するには一息入れて、そんなことなく入れる親しみやすいところ。展示はすべて石人形にまつわるもの。石人形とは、ここでは硬い話でなく、世界遺産へ登録、そんな活動がされている名勝・錦帯橋にまつわる子どものころに聞いた昔のお話。

 いくら架けても大水で流されてしまう岩国と横山をつなぐ橋、不便でなりませんでした。それならと、両岸に綱をぴーんと張り、これを命綱として舟で渡ることもやってみましたが不便で仕方ありませんでした。流れない橋をなんとか架けたい、吉川藩の願い、住む人の願い、それが錦帯橋という姿になりました。

 古くから伝わる橋を作るには水神様にいけにえ、橋脚に人柱を埋めなければいけないと誰もがおもっておりました。さて誰が良いかと人々が集まって相談しますが、良い知恵は浮かびません。そのとき1人の貧しい武士が立ち上がり「こうしたらどうでしょう。袴に継ぎあてのある者が人柱になっては」と言いました。誰も反対するものはいませんでした。

 袴に継ぎのある者は誰か、捜したところほかならぬ発言をした武士その人でした。「覚悟しての発言」多くの人はそう感じました。その名もない武士の姿は神か仏に見えたということです。

 その武士には親思いで心優しい2人の娘がいました。娘たちは父を失うことを悲しみ、父に代わって人柱となることを決め、白装束に身をかため橋脚に身を没しのでした。そのとき、錦川の流れが一瞬止まったとも伝えられるています。

 人柱となって姉と妹は化して清流錦川の石人形となりました。錦帯橋下で見つかる人形石は親孝行な娘の変わった尊い姿なのだといわれ、今に伝わっております。

(写真:錦帯橋の模型をわたる石人形で作られた大名行列、岩国駅待合室で)
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