日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

工事現場

2011年02月28日 | 生活・ニュース
           

ここ1年くらいの間に近所は新築ラッシュで、いま6軒目の棟上げが終わった。建築会社の人によると3月下旬には入居されるという。工法や建材の進化で工期は短縮の方向にあるのだろう。現場全体を覆ったネットを見ながらそう思った。

最近は大小を問わずいろいろな工事現場の外観の見栄えがよい。そばを通るそれとは関係ない者にもいい印象を与える。乱雑で危険を潜めたような工事現場は見られなくなった。さまざまな社会環境がそうさせた。

外観の変わりようのひとつにネット状のもので工事現場全体を覆うことだろう。その外側からは中の様子をうかがうことは難しい。何がどんなに変わるのか、覆いが外されるまでお楽しみになる。その日を待っている気持ちだろうか。

今度はどんな人が越して見えるのか、道の向い側の建築現場、今日は槌音だけが聞こえてくる。トントントン、トントントントン、スキップでも踏み出しそうなリズムで。

(写真:どんな工事か外からは全く伺えない橋梁の工事)
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教わった新聞の魅力

2011年02月27日 | エッセイサロン
           

2011年2月27日 中国新聞「広場」掲載

 15日付の広場欄「児童と新聞学習 宝に」を読み、快活な児童と爽やかな教室の様子が伝わる。そんなことに私の小学3年の朝が重なった。

 担任は、その春採用の女教師。1949年、戦争の混乱は完全には収まっていなかった。そんなころに「新聞を読んで感じたこと」「どんな記事が載っていたか」先生は毎朝発表させた。

 今では普通になりつつある新聞と教育。当時はまだ先進的な取り組みだったと思う。これが私の新聞を読み始めるきっかけだった。

 中国新聞のNIE実践校のリポートを読むと、児童らの活気に満ちた様子が伝わり、将来への明るい展望につながる。

 広場欄のヤングスボットでも、若い目線での社会観や自己啓発の動機などにうなずくことも多い。家庭や学校で投稿を勧めてほしい。

 私は、孫への月間新聞を作り続けて9年目になる。作りながら孫の目線で考えてみると、自分のエゴが見え反省することも多い。

 新聞を読むことを教えてくれた先生の三回忌が過ぎた。緒につき始めた新聞と教育を、どんな気持ちで眺めておられるだろうか。
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ローカル線

2011年02月26日 | 生活・ニュース
           

万葉の歌に詠まれた地を旅しています、という年配の女性から「ローカル線はいいですね。ゆったりして、のんびりとして」そう話しかけられた。鎌倉からというその人は旅するだけのローカル線をほめられた。

大動脈の路線とちがい、ほめられたことはそのとおりだ。その陰に便数は減り、駅は無人となり自販機が応対、改札も検札もなくなった。乗り降り自由な駅がローカル線には並んでいる。

市内には二つのローカル線が走っている。その沿線人口は減少に歯止めがかからず過疎化へと進んでいる。ローカル線の経営は一筋縄ではいかないことは良く知られている。それでも車の便のない人の通院や通学などには欠かせない足であることは昔と変わらず、止めることはできない。

そんな中で生き残りをかける一つに観光がある。3セクターの鉄道会社はそこに力を注いでいる。沿線の見どころの発掘、ローカル行事へのタイアップ、温泉やホタル、農産物など沿線のあらゆるネタを乗客増へ連結しようと努力している。

混雑と格闘する大都市の路線を見なれた人にはローカルという言葉のひびきが心を癒すのだろう。そこにローカルの生きがいがあるようだ。地方のよさを自然を壊さずに広める、そんなローカル線に地域は期待している。

(写真:目に見えない重い荷を積んで走るローカル線)
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うたた寝

2011年02月25日 | 生活・ニュース
           

なんだか強く手を押さえつけられているような感じがする。そこで目が覚めた。お昼を済ませガラス戸越しに入る日ざしを背に雑誌に目をとおしていた。ページをめくりながら、うつらうつらと…、そこらあたりくらいまでは記憶に残っている。

うたた寝をしていたようだ。うたた寝は気持ちよい。寝入るまでは何度か目をパチパチ、顔を左右に振るなど睡魔を追っ払うこともある。それは寝入りへの儀式のようなもの。大きな変化をとらない限りその道へと進んでいく。

寝るつもりはないのに眠るのがうたた寝。熟睡でなく浅い眠りなのに目覚めはよい。うっかりうたた寝をして、約束の書きあげる時間を失い自分に八つ当たりしたこともある。それでも和みを感じさせるのがうたた寝だろうか。

ガラス戸の外には柔らかい日がさしている。昨年末に植えた葉ボタンがその日ざしを受け、私と同じようにぼんやりしているように見える。そう、うたた寝をしているようだ。こんなのどかなひと時に「関東地方では春一番が吹きました」と季節情報がテレビから流れた。

(写真:温かい日ざしにまどろんでいた葉ボタン)
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引退の引退

2011年02月24日 | 町かど
           

就労人口の減少、年金の支給年齢先送りなどで本来なら定年退職する人らがそうならず、給料は大幅に減額したまま再雇用され現役として多く働いている。再雇用が終わるまでOB会への入会を見送る後輩が多い。

年の離れた後輩は「再雇用とはいえ仕事があることに感謝していますよ」、と話してくれた。再雇用制度が新卒者の就職を難しくしているのかも、と心配そうに続けた。

引退、現役から退くこと。その後の過ごし方や生き方は様々。元気だから言えることでもあるが、何かしたいという思いは一緒だろう。かって言われた「定コロ」は聞かれなくなった。

現役を引退した人がかってはゲートボールに参加した。誘われたこともあった。そのゲートボールコートのそばに引退したロープウエーのゴンドラいつからか置いてある。そこでのゲームをゴンドラが見守っていた。だがそのコートで、カーンという乾いた音が聞かれなくなり、ゴンドラの色もあせてきた。

引退を宣言して辞任した総理経験者がその宣言を覆した。引退とはかくも難しいものだ。この次は何を引退しようか。

(写真:人影の見えなくなったゲートボールコートの片隅)
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試食、試食・・・

2011年02月23日 | 生活・ニュース
           

B級グルメと銘打ったイベントが盛りだ。先日も県内のある市で開かれたB級グルメのニュースで「これだけの人出は経験したことがない」と地元の人がインタビューに答えていた。高位の評価を受けると、その後の繁盛が約束されるとか。

これから先の食料品の高騰が地球規模で起きると予測されている。人口増、異常気象、地域紛争、途上国の食生活の変化など、年金生活者個人ではどうしようもない条件が語られている。これといった解決策は今のところなさそうだ。

かたや、売る方も消費者をつかむ策をあれこれと講じる。スーパーの試食販売もそのひとつ。TVのCMと違い、大きさや香りを見たりかいだり、そして味わえる。休日などには店内のあちこちにあらわれる。全部回ると小食の人なら1食分くらいありそうだ。

日本人には珍しくない餅つき。先日、外国人の家族が立ち止まって珍しそうに眺めている。最近みえた基地に住む家族で初見なのだろうか。販売する人がひと口の大きさにして家族へさしだした。もぐもぐ口を動かしながら笑って首をかしげ立ち去った。帰国するまでに日本の食を好きになってくれるといいが。

(写真:外国人の家族が首を傾げつきたて餅のコーナー)
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白菜に虫 おいしさと安全性証明

2011年02月22日 | エッセイサロン
2011年2月22日 毎日新聞「みんなの広場」掲載

 この冬、特に1月は例年になく寒さが厳しかった。寒い日は鍋料理がおいしい。でも「野菜が高くて例年のように鍋を囲めない」と話す主婦をテレビで見た翌日、知人から無農薬の白菜をもらった。

 根には黒い泥がついていた。手に取るとどっしりと重い。みずみずしい甘い香りもする。しかし、よく見ると、破り取られた葉や無数の黒い粒が目に付いた。葉をちぎると、何匹か虫が現れた。畑から新鮮なまま、我が家に持ってこられたことが分かる。虫には悪いが、つまみ出した。おいしくて安全だから虫が付く。この白菜は安心して食べられる。虫たちが証明してくれた。

 新鮮な野菜を手にすると、以前家庭菜園を耕していた苦労を思い出し、ありがたさが増す。ぜいたくな野菜たっぷりの鍋を食べることができて本当によかった。
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春へ

2011年02月21日 | 生活・ニュース
           

出水のツル達はシベリアへ向かって旅だち始めたという。飛来したころ鳥インフルで騒がれたが大きな騒ぎにならず、故郷へ向かったのは何よりだ。八代の越冬ツルはわずかだが、冬を越した。いつ北へ向かうのだろう。

鳥には厳しい厳しい冬だった。鳥インフルが荒れ狂い多くの鳥は途中で生きていけなくなった。近くでは常盤公園のハクチョウなどが被害を受け、公園で癒された多くの人が寂しさを感じた。

錦川の水鳥が大きな波紋を描いて川面を動き回る。ときおり群れて飛び立つ。長い旅への支度をしている。自然は春へ春へと向かっている。

そういえば今日の日ざしには暖かさを感じた。

(写真:吉香公園公園のお堀で)
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黒ネコの独りごと

2011年02月20日 | 生活・ニュース
           

私は猫。ネコ、猫、ねこ、とTPOに合わせて呼ばれる。ここの公園には数多くの仲間がいるが定まった住処はない。私もいつ、誰に、どうしてここへ連れてこられたのか覚えていない。人の住む屋根の下で飼われた覚えがないのでこの公園でで生まれ、この公園で育ったのだろう、と思っている。だから年が分からない。

人からは野良猫と呼ばれる。どら猫とも呼ばれる。野良猫は飼い主のない猫、野原などに捨てられた猫と広辞苑に説明してある。また、どら猫はさ迷い歩いてよくぬすみ食いなどする猫、と載っている。私は望んでそうなったわけではない。気づいたときそうだった。

公園には観光で全国から大勢の人が来られる。野良猫でも頭をなぜたり抱き上げたり、一緒に写真を撮ってくれる人も多い。写真を送ってくれる人はいないがうれしい。勿論、避けて通り過ぎる人も多い。

早朝、軽の白いバンで餌を持って来てくれる人がいた。その時間前になるとその広場周りにはどこからとなく仲間が集まり、じっと待った。最近その人が姿を見せてくれない。話では、私たちに餌を与えることが禁止され、反すると罰を受けるとか。公園の中にはイノシシが余った餌を求めて出没するので、野良猫にえさをやるな、そんな立て札が立った。

つい最近、生まれたばかりの子どもが数匹、深さのある段ボール箱に入れられ桜の木の下に置き去られた。翌日にはそこから子どもらのすがたが消えていた。人に救われたと思いたいが、他の生き物に連れされた、経験がそう思わせる。

いつの間にか古株となりリーダーのようになった。広い公園を見回りながらこれ以上仲間が増えないよう願っている。家猫を野良猫にしないで欲しい、どうしたらこの願いが人に通じるのだろう。

(写真:よく見かける黒猫、白壁の上で古株の威厳を保っている)
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冬の噴水

2011年02月19日 | 地域
           

冬の公園、それも休日でない日は訪れる人も少ない。公園全体がなんとなく緩んで見える。少し温もりを感じる日ざしがそう思わせるのだろうか。

例年にない暑さだった昨年の夏、そばを通るとひと時の涼を与えてくれた大型の噴水。この緩んだ公園の空気を感じているのか、噴き上げて落下したときの叩きつけるような水音に心なしか力がない。

それでも、間歇噴水は伸びたり縮んだりを繰り返しながら律儀に公園を演出している。訪れる人があることを願いながら。

冬の公園の昼下がり、近くでは梅が咲き始めるなど、もうすぐやってくる春を迎える準備をしているようでもあった。青い空を背にして流れる白い雲の早さ、あれは春を運んでくるのだろうか。

(写真:人のいない公園を公園らしく見せている噴水)
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