日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

笑う門には

2017年12月31日 | 生活・ニュース

 恒例のミニ門松作り、大きな孟宗竹の節を真ん中にして斜めに切り落とした。肉厚2㌢もありそうな切り口は我ながら綺麗な切り口となった。これは、口には出さなかたが、切った本人の腕の良さではなく竹切り鋸の切れ味の良さに救われたことはすぐにわかった。そのうえで驚いたのは、切り口が、大きな口を開いて笑っているように見える。

 錯覚かもしれないと向きを変えながら眺めるが笑っている。こりゃあ傑作とほほ笑んでいると「ええ、笑顔じゃ」と竹細工指導員のひと言、続けて「笑う門には福が来る、正月飾りにはもってこいの飾り」と折り紙つきをもらった。となると門松作りが難しくなる。笑い顔を隠さずに飾る方法を考える。

 考えるというよりか思い付きでシンプルな飾りにした。車のダッシュボードに置く小さなしめ飾りを、大きく開いた下唇に取り付けた。今年も残り数時間となった、「笑う門に福来る」は待つだけになった。「門」は家のこと。「笑いの絶えない家庭には、自然に幸福がやってくる、苦しいときも前向きな明るい態度がやがて幸を呼び込むという教え」とある。

 今年最後の教えに感謝しながら手作りの干支の戌と並べる。今年も残り数時間、あとは信徒として除夜会に参加する。法話の後で除夜の鐘を撞く。毎年、数回撞いているが、その、波の様に伝わってくる厳かな響きには身が引き締まる思いがする。坊守さんの、小豆たっぷりの手作り善哉をいただけば今年が終わる。
 
 1年間のご訪問有り難うございました。
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この1年から

2017年12月30日 | 生活・ニュース

 「年越しに思い出多く走馬燈」、この句は今日の購読紙に載った時事川柳で作者はかって机を並べた大先輩。内外の十大ニュース、同じくスポーツのそれらも特大な写真とあわせて読者に届いた。表面は穏やかに見えたり装ったりしたかもしれないニュースだが、その裏には情熱や怒り、無念さや不安、再起への思いなどが胸中に渦巻いているだろう。私の1年は何があったろう。

 父の急逝から間もなくの結婚だったが金婚式を迎えたことことは今年一番の出来事になる。振り返ってみると社会の大きな変遷には少々乗り遅れた感はあるが、幾つかの波風を乗り越えてきた。そこには家族はもとより弟や姉妹とも睦まじく過ごせた背景があると思う。孫娘が志望の大学に入学出来たことは春一番の知らせだった。、私の記憶では小学4年の夏休みころに何かの出会いからその大学を目指し頑張りぬいた。合格したという電話の声はこれまでにない嬉しそうに聞こえた。

 いくつかの別れもあった。全快の見込みのない難病で下の妹の連れ合いが73歳で他界した。数年に渡る義弟の闘病と妹らの看病の姿に力強い家族の絆を感じ、安心して見送った。また、高校時代のクラス会出席を楽しみにしていた関西在住の一人が病で欠席、会の10日後に亡くなった。快復を願い宴席での寄せ書きを胸に抱いていたという。

 知人で在京の書家のブログの一節をお借りする。「書道には『目習い』という言葉がある。ただ書くだけでなく人の作品を鑑賞することは大切で、作品の良しあしを見分ける目を養う糧になる」。ここ10年あまり短い文を書いて投稿することを楽しんでいる。人様の作品を読むことはそこから力を得ることに連なる。年明けに出版される同人誌の再読から手をつけよう。
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電話機の交代

2017年12月29日 | 生活・ニュース

 「電話機がおかしいのと違う」、固定電話、夏ころから架けても架かっても告げられていた。確かに、聞きづらく聞き返したり確認をしたりしていた。だましだまし使っていたが、まもなくやってくる年始の挨拶で不快な思いを与えてはいけない、年取って少しおかしくなったのかと思われるのも嫌だ、わかったような理由をつけ使用中の電話を仕事納めとした。

 いつだったか、電気製品の減価償却は4年と教えられた。ならば今日まで十分に働いてくれたことになる。最近は勧誘電話が多く繰り返し架かってくる電話は多くの人と同じように受信拒否に設定している。番号非通知もたまにある。大方は待ち受けの電話だがそれでも置いていないと困る、出費がかさむ暮れだが電気店に出向いた。

 高機能製品から数千円までの多種多彩な機種が並ぶ。大きな液晶画面を狙って探す。親機の受話器が子機と同じように持ち運びができる機種を購入した。電話機から離れても使えるので長電話にはうってつけとなる。電話番号の登録が音声で可能にならないか、そんなことを思いながら100件近く設定した。

 番号の登録中に近所の家から架かってきた。短い連絡事項で聞き取りの良否はまではわからなかった。固定電話取り外しの家も多いという。メールやスマホに押され郵便と同じようにいつか固定電話も消える時が来るのだろうか。これが最後の購入かもしれないと思いながら、大きさは一回り小さくなった電話機の説明書を繰りながら設定をしている。
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週刊誌とTV

2017年12月28日 | 社会 政治

 あちらこちらで門松が飾られている。年の瀬に歌う「もういくつ寝るとお正月」という童謡がある。1番は男の子2番は女の子の正月の遊びが歌われている。歌われているコマ回しや羽根つきで遊ぶ姿、時代劇では演じられているが最近はついぞ見かけなくなった。たまに河川敷で川風を受けながらのたこ揚げを見るとしばらく眺めている。

 年の瀬になったのにTVは相撲界の混乱ぶりを朝から夜まで、長い時間を掛けて流す。報道という概念を通り越している。ワイドショーはそれに輪をかけた内容、ニュース時間ではないがこれも異常というしかない、そう思って日本の内外を思い越してみると、ふた口目には口にするジャーナリストととして担うべき内容はたくさんあった。いつか反省して襟を正して欲しい。

 相撲界混乱の報道について「週刊誌は貴乃花、TVは相撲協会」、ある評論家の連載コラムが紙面に載っていた。週刊誌を読まないのでわからないが、TVは情報があるのか協会寄りに感じる。TVでの発言で気になったのは、事実はこうだということは判明していなから「なになにと思う」「なになにではないだろうか」など自己の推測から何かを結論付けている。第三者が事故や事件の解明をするとき推測を加えてはいけない。

 週刊誌は年末年始合併号で派手な新聞広告が載っている。一方、TVも年末年始の大笑い番組のお知らせが始まった。最近は週刊誌先行の特ダネ(?)を後追いで取材で盛り上がっているTV。今夜も番組欄には3時間4時間という長時間番組が連なっている。文字と映像、どちらが支持されるのか裏情報を知りたい。相撲界、最終ではないが一応のけりがついた。年を越す問題、速報はTV、詳細は週刊誌となるのか、対決が楽しみだ。
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大掃除は義務

2017年12月27日 | 生活・ニュース

 年末、気合を入れ大掃除をして清々しいく新年を迎えよう、多くの家庭でそんな会話があるだろう。会社でも同じだろうが、その時間に業務用の外出と称して職場離脱する上司もいた。掃除は勤務時間内ではあるが「怪我せん様に」と話ながら済ませた。掃除が終わると全員にケーキを配る上司にも出会った。

 そんな大掃除だが「事業者は大掃除を6カ月以内毎ごとに1回、定期的に、統一的に行うこと」いう大掃除を義務付けた法令があることを知った。その法令は「労働安全衛生法」(法律)を受けて作られた「労働安全衛生規則」(省令)。そこには快適な職場環境の形成を促す具体的な内容が盛り込まれている。職場の大掃除をサボることは許されないことになる。

 明日は大掃除、今年の汚れを今年のうちに落として仕事納めの企業も多かろう。官公庁関係も最近は御用納めでなく仕事納めとしているが、納めてはけない不審な事案の多い1年だった。繰り返され言われた「親切と丁寧」のその先が黒塗りの文書開示や破棄したなどで不審を晴らせなかった。年越しそばで「モリもカケも」注文し辛い年末になった。

 幾つかある年末の風物詩の一つに大掃除がある。建物の占有者にも大掃除の義務があるというから我家の清掃もそれに合わせれば、単に風物詩としての様子ではなく義務になる。そんな堅いことは抜きにして、汚れを落すとサッパリする。今年何度目かの墓掃除を済ませ、見上げた青空にぽっかり浮かんだ白い雲が微笑んでいる。ご先祖の気持ちだろうか。
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売れなかった?

2017年12月26日 | 生活・ニュース

 年賀状は特別扱期間に限って通常より10円安い52円で届き年金生活の私には2千円弱の節約になる。特別期間は今月の15日から1月7日までとか、それを過ぎると年賀はがきには10円切手が必要になるそうだ。クイズ応募用に仕舞いこむ方は注意が必要だ。ところで年賀はがきの売れ行きはSNSに押され年々減少し発行数もそれに並行している。

 減少を心配する関係にはないが「通信事務郵便」という書状が郵便局から届いた。内容は年賀はがき「購入申込書」で内容は申し込み様式のほかに年賀はがきの種類、郵便局の年賀状印刷案内、お年玉商品の紹介などが載っている。驚いたのは、届いたのは年賀取り扱い開始2日前の今月13日で、印刷の早期割引期限は過ぎている。A4両面カラー印刷で三つ折り「はがき、売れ残っているのかな~」と思いながら読む。

 高校の3年間、夏と冬の休みに郵便局は郵便課でアルバイトをした。夏は中元、冬は歳暮と年賀状の扱いでアルバイトの目から見ても「目の回るような忙しさ」に思えた。消印は1通ごとに手打ち、仕分けも1通ごと手で区分するなど、自動化など夢の時代の話し。宅配便という競争相手はいない小包時代の話し。

 日本の1年間の人口自然減は40万人というから年賀状の取り扱い減少も頷ける気がする。我が家もその傾向にあり、高齢や病に次いで他界も増えてきた。お年玉付き年賀はがきは、終戦にはなったが日本の主権が回復していない1949(昭和24)年、民間の発想から生まれたという。それからおよそ70年、年賀状減少も世の変化の一つだろう。それでも元気なうちは続けていこう、思いながら投函した。
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箸と親方

2017年12月25日 | 生活・ニュース

 「箸と親方(主)は丈夫がいい、あるいは 太いのがいい」、いつのころからか聞きおぼえになった。それをまざまざと経験したのは弁当を食べるとき。割りばしを袋から出し二つに割く、それを合わせ両手の親指と人差し指で挟み「いただきます」と言い折弁当食べ始める。二口目のご飯をと箸を指したら「ポッキ」と一本が中央で折れた。

 食べているとき箸が折れるというのは初めての事だが、だからといって食べ終いというわけにはいかない。といって周囲に箸の変わりになる物はない。仕方なく折れて短くなった2本を箸にして食べ続けた。その操作は思った以上に難しくわずらわしく、食べるという楽しみはどこにも見出せない。折れたのは力を入れすぎたのか、箸が粗悪だったのかは分からない。

 箸はものすごく器用だという。あるブログに2本の棒なのに「つまむ・挟む・切る・割る・剥す・混ぜる・刺す」など日本の食文化には切り離せない物、たかが箸、されど箸とあった。箸の種類は幾通りもあり一組数万円の品も売られているという。値段は別にして割りばしが清潔という人は「割けていなければ未使用だと分かる」、確かにそうだ。

 箸にちなんだ諺は分かりやすく納得させるものが多い。「箸と親方」は、箸は太くて丈夫なのがいい親方は強くなければ頼れない。「石臼に箸を刺す」は刺すことは不可能だから無理難題を言うこと、「塗り箸で芋を盛る」は滑ってはさみにくいことから、やりにくい物事の例えを表す。1週間先の年越しそばも塗り箸より割りばしの方が食べやすいということ。今年も滑ってつまみ落とした事件事故や政も多かった。くる年は戌の嗅覚で拾いなおして欲しい。
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イヴの抽選会

2017年12月24日 | 生活・ニュース

 新聞販売店年末恒例のクリスマスプレゼント抽選会は毎年イヴの日に開かれる。前月の新聞代領収書を持参で1本くじが引ける。賞品は結構な商品が準備されている。新聞界の競争に勝つための一環かもしれない。その販売店は地方紙1紙の取り扱いだったが、今は全国紙2紙も含め3紙を取り扱っている。昔、万屋に数紙を取り扱う店があったが、市街地でもそんな傾向がみられる。
 
 散歩を兼ねて徒歩で販売店に向かう。くじ引き開始直後に会場についたが数十人の列ができている。空くじなしで残念賞は玉子10個入パックが当たる。何と、私の前2人には毛布が当たる。三連、3回続くことはないと自分に言い聞かせくじを引く。その予想通りで残念賞を持ち帰る。クリスマスプレゼントは夢と消えた。

 今日は子どもが楽しみにするイヴ、子どものころは終戦直後で、わが家だけかもしれないがクリスマスの行事なんて記憶にない。我が子が生まれてからはそれなりの形を妻が支度していた。サンタへの子ども5・7・5メッセージ「クリスマス サンタ見ようと 夜更かしだ」「サンタさん その袋ごと 置いてって」、小学5年と4年の児童作。「サンタさん 悪いぼくにも 来るのかな」は6年生。サンタ不在を意識するのは小学3年生くらいからと専門家、年齢を重ねていても届けば喜ぶのだが。

 京都に住む孫の誕生日。小学低学年ころは、帰省前に「〇〇のゲームソフト」と注文が届き、店頭でメモを見せながら購入し帰省を待っていた。学齢が進みいつの間にかゲームは卒業したが、それでも気持ちだけ届ける。元気な声で有り難うが届いた。隣家の玄関前ツリーがイヴの雰囲気をくれる。
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一陽来復

2017年12月23日 | 自然 季節

 冬至は昨日、この日は太陽の高度が最も低く、一年の内で一番昼が短く夜の長い日ということは知られている。今日からは日照時間は少しづつ長くなり春に向かっていくことから冬至の事を「一陽来復」という。また、この日を「冬の始まり」とも呼ぶ。本格的な寒さは冬至を境にして強まることから気象的には当たっているようだ。

 冬の始まりとなったばかりだが、朝から日差しもあり暖かいので大掃除と称して窓に戸、網戸などを水洗い、上着を脱ぐくらい身体は暖まり、お陰で予定より早く終えた。午後、車で出かける。いつの間にか日差しは陰りどんよりとした鉛色の雲が太陽を隠している。これぞ冬景色、夕暮れの感じ。


 そういえば週末から寒さが増し雨や雪の予報が出てる。特に日曜日以降の天候は荒れる寒さ対策をしてお出かけを、と民放各局はイヴを祝う人楽しむ人らに注意を呼び掛る。夏に熱中症対策を呼び掛けたように繰り返す。しかし夜遊びをするなとは呼びかけていない。流感が勢いを増している、気をつけたい。

 子どものころ木造の我家は戸や障子の隙間から寒風が吹き込む。そんな隙間風は戸外で感じる風の寒さとは違ってより冷たかったように思いだす。教室に吹き込む隙間風も冷たかった。いま学校も住宅もほとんどがサッシの窓枠などになり外気は遮断され隙間風を感じんなくなった。その代わりストーブが換気を教えるという変な時代に変わった。隙間風に絶えながら「春よ早く来い」と願ったのは遠い思い出となった。
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投稿読んだ

2017年12月22日 | 生活・ニュース

 用事を早く済ませたいと急いでいるとき年配の女性から「辰乃子さん」と声を掛けられた。どこのどなたか知らないので訊ねると「新聞投稿欄の読者です」という答え。話を聞くと、掲載されるとよく読んでもらっているらしく、何編かの話が出た。終わりに先日載った「最期のとき」について、涙を流しながら読んだと言われる。心からお礼を言って別れた。

 用事を済ませての帰り、同じ投稿を読んだというお寺さんから良く書けていたと声を掛けられた。どう言う訳か短い時間の間に嬉しいことが重なった。そういえば、掲載された日、朝食を始めた時間に懇意な住職から「最期のとき」を今読んだ、と電話が掛かった。病気のいきさつなど聞かれるままに話した。最後によく書けている、といわれ恐縮したことを思い出した。

 掲載されるとメールや電話で感想をもらっているが、最期のときの掲載では「亡くなった主人のことを思い出しながら読みました」と複数の方からメールが届いた。その中に、延命処置を望まず逝かれたという主人の意志の強さを思いだしたという文面があった。

 掲載面が週1回編集される宗教面ということで思わぬ言葉を掛けられたのかもしれない。「投稿欄読者」と話しているとき、白い壁に生えるチロリアンベルが応援してくれるように揺れていた。この花は放っておくと四方八方に細い枝が伸びていく。花言葉は「恋の病」「さまざまな愛」など枝と同じく浮気性かも、投稿も多角的な視点に立って広げていきたい。
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