日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

今年の一字

2009年12月31日 | 生活・ニュース
                               

今年の流行語大賞は「政権交代」、1字は「新」。鳩山新政権の発足をはじめ様々な「新」が誕生し、あわせて幾つかの「旧」が姿を消していった。

ブログでも自分流の「今年の1字」を発表されている。それには今年の思い出、来る年へ繋ぎたい気持ち、願いを託するなど、どれを拝見しても大切な1字になっている。

私の1字は「戴」。幾つかの意味がある(広辞苑)。
その1、のせること。のせて運ぶこと「積載・満載」。その2、書きしるすこと「記載・掲載」。その3、とし(歳)「千歳一隅」。

仲間皆さんに教えられながら新聞への投稿をはじめて3年余り、今年は運よく20編掲載された。望外なことで、元旦にくれた孫の電話予言がズバリ当たったとしかいいようがない。と、喜んでいるようでは情けない。

夜が明けてすぐ、短い時間でしたが雪になり庭も花も薄化粧をしました。行く年への自然の贈りものでしょうか。

こんなブログでしたが1年間訪問いただき、会話もさせてもらい有難うございました。よいお年をお迎えください。

(写真:初雪とチロリアンランプ)
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冬季の安全策

2009年12月30日 | ウオーキング 散歩
               

ある年の冬の朝。いつもの様に早朝ウオーキング、月のない朝で竹林側の真暗な歩道を歩いていた。スゥーと車が近づいてきた。こんな時間でも道を尋ねられることはある。見るとパトカー。なにもやましいことは無いが何だろうと立止まる。

制服の警察官の顔がのぞく。
「お早うございます。毎日歩いてですか」「雨さい降らなければ」
「お父さん、何か光るものを持っちょてですか」「ちいさな懐中電灯」と見せる
「歩道を歩きよってじゃけえ安全じゃが、反射するものをつけてもらうとええですが」「そうしましょう」

その翌日から反射タスキを使い始めた。

着用している当人にはどの位の効果があるのか分からないが、邪魔にはならないので続いている。最近、出会い始めたウオーカーが同じものを使っている。確かに反射して存在が確認できる。腕に通した赤い光が点滅する輪、キャップランプ、両手に持った懐中電灯など暗い道を歩く工夫を皆さんされている。

事故に遭っては健康作りの意味がない。身を守るのは自分でしかない。今年も残すとこ1日、無事故と健康に感謝し反射タスキを寅年へつなごう。

(写真:早起きのお陰で冬の綺麗な夜明けにも出会える)
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掛値のはなし

2009年12月29日 | 生活・ニュース
               

現金なものというか、年末はどこまで行っても1,000円という高速道のETC割引が使えない。利用車が少ないようだ、と報道される。運輸関係者は遅れが発生しなくてと笑顔。盆の混雑の反省からの処置という。

当然、帰省に車利用を予定していた方からは苦情が出る。「スムースな物流のため当然でしょう」という一般利用者のインタビューも流れ、救われた。いろいろ意見や考えがあって面白い。

年末の折込広告。購買意欲をそそる工夫がされている。しかし、店頭の価格は上がっている。特に野菜類の値上がりは大きい。そんなことを思っていたら、年末年始に使うそれらを知人や親戚から沢山に届いた。ありがたい、と感謝している。

「現金掛け値なし」は、江戸の呉服店三井越後屋で始めたという売り方。掛売りをせず現金取引をする変わりに、売価を正しくして掛値をしないという商売の仕方。歳末大安売り出しに限らず、最近はいつも大幅値引き続きで本当の値段はいくらか理解できない。

値引きだけでなくポイントや一定額を超える買い上げにはさらに値引き券まで出される。値引き券につられてまた買物へ、これではデフレスパイラルは止まらないだろう。お歳暮製品の半額バーゲンも始まった、福袋も販売している。気候と同じで何か異常を感じる。

(写真:歳末、公園の人影は帰省の孫と遊ぶお婆ちゃんの二人だけだった)
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灯りはいいものだ

2009年12月28日 | ウオーキング 散歩
               

♪ 何から何まで 真暗闇よ すじの通らぬことばかり
   右を向いても 左を見ても ばかと阿呆の からみあい どこに男の夢がある

これは、鶴田浩二の歌う「傷だらけの人生」(作詞 藤田まさと・作曲 吉田正)。
「右を向いても左を見ても世の中、真暗闇じゃございませんか」というセリフで始まる。世をすねたヤクザの歌としては強い印象が残る。  

そんな闇に足を踏み入れたことは無い。が朝のウオーキング、月の出ない朝は真っ暗な道を歩いている。そこは錦城橋から千石原へ向う「いざない街道」と名付けられた桜のトンネル道路。

そこで「暗い遊歩道」という自作の替え歌、ずいぶん昔にメモしていた。

  何処からどこまで 真暗闇夜よ 行灯あっても点いてない
    下を向いて 足元見てる 何で点もらぬ 愚痴が出る 誰が入り切りしてるのか    

その路沿いには行灯型の街灯が1キロあまりに亘って設けられいるが、これまでその点灯を見たことはない。それがどうしたことか20日の朝、灯っていた。今朝も点いていた。試験点灯ではなさそうだ。

と言っても、中ほどの10数灯で200メートルほど。それでもその間は足元に気を使うことなく歩けありがたい。

暗闇といわなくても、暗い中にも何か明かりが見えると先への望みが芽生えてくる。厳しい世情を思いながら、今朝も歩いた。

(写真:遊歩道を照らす明かり)
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春に備えて

2009年12月27日 | 自然 季節
               

はじめは樹上でやがてその根本で織り成す模様を見せてくれたモミジもイチョウも消え去り、冬の公園に一時の華やかさはない。啓蟄まで撒き置かれる松の木のコモが季節を教えてくれる。

桜をはじめとする公園の花も木も春へ向けて準備しているのだろう。来春からは気象庁からの桜の開花予測は中止と決まった。理由は「民間の情報に速さ精度ともに負けることが原因らしい」という報道。この公園の染井吉野の予測はどこが発信してくれるのだろうか。

公園にバラ園がある。ここのお世話をされている方のブログに、春に向ってのバラ園の仕事が載っている。今年最後の日の作業が記されている。そこをお借りする。

  今一番大切な作業は黒点にかかった葉の処理。
    全部葉を取って(勿論下に落ちてる葉は拾う)裸木にする。
      1メートルぐらいの高さにしておく。(込み合った枝や細い枝の整理)
        しっかりと冬消毒。

冬日を浴びるバラの木、裸にはされているが通り抜ける風になんだか気持ちよさそう。そばのバラ守のような赤い1輪が何かいとおしいく見えた。春はまだ遠い。

(写真:冬日を浴びる裸のバラの木)
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門 松

2009年12月26日 | 生活・ニュース
                

新年を迎えるため門松にしめ飾り、鏡餅におせち料理など古くから受継がれ伝えられてきた準備がある。かってはこうした準備はかく家の手作りで受継がれた。今はお金を払えば求められるようになり、どこも似た形の新春風景が多い。

そんな中で違いの分かるのが門松。門松は「正月に家の門口に立てる飾りの松」とは辞書。門松というが外観は竹が主役に見える。竹のほかに松、梅、南天、葉牡丹など材料は同じでも、組み合わせと飾り方で趣が異なり、同じものはないから面白い。錦帯橋の門松を撮影する外国人観光客は多い。

最近はクリスマスイベントに押され気みでという。ツリーでは「門松は冥土の旅の1里塚めでたくもありめでたくもなし」という一休の狂歌は浮ばない。これは門松派の言うことだろう。歳を重ねるとなんとなく分かる狂歌だ。

錦帯橋付近には10日間くらい前からホテル、割烹、和食店などの玄関先に門松がお目見えした。29日は苦が重なり二重苦、30日・31日に飾るのは「一夜飾り」「一日飾り」といって神をおろそかにするということから、28日までに飾るのが良い、とされている。

わが家はミニ門松を飾り終えた、というより置いたというほうが正解だ。暮れには寒波の襲来が予想されれている。年末のことごとは早めに済まそう。

(写真:錦帯橋付近で見られる門松のパノラマ)
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崖っぷち

2009年12月25日 | 生活・ニュース
               

誰もがよく知っている諺に「天、二物を与えず」がある。金はあるのに美男じゃない、美男じゃあるけど金がない、世の中、思うようにはいかないものだが、1つ誇れるものがあるならば、それで満足すべきではないだろうか、と諭す。

長年に渡り毎月1,500万円の子ども手当てを貰っていていたことを全く知らなかったという。それは直接受け取っていた訳ではないからと説明。そのためか、何に、あるいはどこへ使ったかの説明がない。

金も富みも家庭も誇れる、あわせて国のトップに座す人の釈明に首を縦に振る庶民はいない。感で「あるところにはある」というが、その通りがあらわになった。

「豆腐も煮れば締まる」という。豆腐は柔らかいが、煮れば固く締まってくる。未熟でも苦労重ねればしっかりと締まってくる、と昔の人は言い残した。この3ヵ月の間に何度となく決断のなさが指摘された。今回も進退を問われ「世論の動向」と答える。

国民の期待感は無期限には続かない。政権交代で入れ替わった水も100日たてば少しはあたたかくなっただろう。いつまでも水に浮いた出来たての豆腐でもあるまい。そろそろ柔らかい豆腐を固くする勢いのある火力に変わって欲しい。

(写真:崖っぷちでも根付けば耐えられる)
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のど飴

2009年12月24日 | ウオーキング 散歩
               

この季節になるとどこのスーパーでも「のど飴コーナー」にかなりのスペースを割いている。並んでいる商品の数も多く、年々その数が増しているように感じる。すべて味わうとしたらひと冬では難しいかもしれない。そんなのど飴に毎日、お世話になっている。

寒くなると早朝のウオーキングには必ず「のど飴」を1個、口に含んでから出かける。習慣になってからもう何年にもなる。飴の大小はあるが大よそ錦帯橋手前くらいまで味わえる。かみ砕いたりはしない。

飴の硬さや甘み、1個の大きさなど種類によって異なる。それぞれに特長があるのだろうが、家内が買い置いたものの中から無作為に選んで出かける。特に湿度が低く冷たい風の吹く朝などは、のどを守ってくれる、と実感している。

のど飴とは「せき、たん、炎症などによるのどの声がれ、痛みや不快感を癒す飴」のこととあるが、これが効能だろうか。さらに医薬品、医薬部外品、食品の3つに大別される。医薬品として販売されている商品は、常盤薬品工業の南天のど飴と浅田飴の2種類という(2007年1月時点)。

すっきり・さわやか系が口に合う。目覚めにもいい。たかが飴1個でも、ウオーキングの友と思えば多少の選り好みをしたくなる。朝一番、無作為に選んだ1個が、今日の気分を左右するかも知れない、そんな大袈裟なことを思いながら小さな包装を裂く。

(写真:買い置きののど飴)
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消える遺構と竹林

2009年12月23日 | 地域
               

「岩国の千石原で遺構確認」という記事が目についた。場所は錦帯橋上流で竹林を取り除きながら進んでいる護岸改修工事の現場、旧岩国藩の足軽居住地という。錦帯橋から1キロと少し、桜のトンネルを過ぎ錦川が錦帯橋へ向って大きく蛇行する川沿い。

「関ヶ原の敗戦で岩国に転封された初代吉川広家が翌1601(慶弔6)年に着手した城下町造りの際、上流からの侵入防御に足軽を住まわせたとされる」と記事は伝える。「幕末の絵図から路地沿いの石積と見られ、江戸初期の城下町建設の姿を残し、狭い路地が防御上の意図をよく示している」と郷土史家の評価も載っている。

岩国の武家屋敷は、錦川の氾濫に備えて2階建てが多かったという記述はいくつかある。足軽の住居も2階建てだろうか。この付近は幾多の洪水に見舞われたという。戦後の台風で、このあたりの竹林が痛めつけられた様子は子ども心に残っている。

狭い路地を挟むように詰まれていたであろう石垣、その上に建っていたであろう足軽の住まい、防衛重視の特殊な住まいの生活に思いをはせると、単なる追憶だけではすまないもの悲しさを感じる。

遺構は写真撮影や測量などの調査が終われば再び護岸改修工事で撤去されるという。日に日に姿を消されていく竹林、同じようにこの遺構も再び人の目にふれることはなくなる。大切なものを失う気がする。

(写真:国指定重要文化財 目加田家住宅の遠景、外見は平屋だが洪水に備え2階が設けられている)
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冬 至

2009年12月22日 | 生活・ニュース
               

今日は1年で夜が最も長い日、冬至。その長さは15時間くらいと載っている。これが過ぎると、障子の桟ずつ日が長くなると聞かされていた。それがどれほどのものかは覚えていない。

冬至の日にカボチャを食べると風邪をひかない、中風にならない、しもやけにならない、お金に困らない、長生きできるなどいろいろいわれる。どれも何か深い意味があっての言い伝えだろう。夕食の1品としていただいた。

カボチャは戦前戦中戦後、夏の太陽を閉じ込めた栄養豊富な大切な大切な食材だった。自家用に作ったそれは冬至まで大事に保管されていたことを記憶している。今はハロウィーンやシンデレラの馬車などを連想する向きもあるだろうが、子どものころには知らなかった。

皮は不気味なような濃い色、、ごつごつした岩のように盛り上がったカボチャの外観、人に例えれば美男美女とはいえない。しかし、この特長が絵を描く人を喜ばせてくれる。その外観を思い切り誇張して個性的な作品にしなさい。ある図工の先生の指導だった。

「給食に出されるカボチャを児童はほとんど食べきる」ある給食栄養士の話が載っていた。カボチャが代用食のような時代もあったことを思いながら訳もなく嬉しくなった。

(写真:日が長くなるのを待つ岩国城)
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