日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

絵手紙

2009年05月31日 | エッセイサロン
               

いつか教わりたいと思うばかりで、そちらに足を踏み出したことのない絵手紙、そんな思いをどこでキャッチされたの1枚の絵手紙が届いた。

中国新聞広場に掲載された投稿を「読みました」という一言に続いて内容に相応しい1句がしたためられた表面、紙面から溢れるほどのドクダミの1輪が裏面に描かれている。白い花と柔らかそうな緑色の葉は活き活きとしている。

投稿が掲載されるとメールや電話、ブログのコメントで感想をいただいている。遠くに住む知人からはハガキが届くこともある。繋がりのありがたさを感じている。

今回は絵手紙でも感想をいただいた。このような絵と文字を描いて誰かに送ってみたい、そんなことを思いながら絵手紙を眺めている。

(写真:初めて届いた絵手紙)                 
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カラオケを歌う人形

2009年05月30日 | 陶芸
               

いつの頃からか飲み会で2次会と言えば「カラオケ」が定番になっていた。歌の得意な者にはいいだろうが、そうでない者にはきついこともあった。人間なれれば何とかなる、そのうち嫌な顔をしないで後ろからついていき始めた。

初めの頃は歌の伴奏だけ入ったテープを1曲ごと演奏装置に出し入れ、そのうち複数曲に、分厚い歌集を片手に歌った。ディスクに変わり歌詞と歌にあわせた背景が画面で流れ始め歌集は姿を消す。今は衛星を使い最新を何曲でも予約できる優れものに変わっている。

歌が終わると採点する装置があった。その点数表示に面白い話がある。誰もが上手いという人の点数は低く、そうでない人のそれは意外と高く表示される。歌が下手な人、嫌いな人をカラオケに誘うための作戦が組み込まれている、と言うのだ。周りが驚くほど高い点数に作戦は本当だと思いながら、やはり人前では歌えない歌唱力だ、そんな納得したことを思い出しながら「カラオケを歌う夫婦人形」を作るために粘土をこねていた。

「口は思い切り大きくするとユニークな人形になりますよ」と言うことで顔から作り始める。ここでは歌の上手下手はない、思いっきり大きな口から作り始める。作り終えてみたら全員の人形が2頭身でちょっと不気味。記念写真のため整列すると、大きな口から「憧れのハワイ航路」が聞こえたきた。そういえば石本美由紀さんはとなり町の出身だった。

素焼き、色付けと楽しみは続く。

(写真:大きな口をあけて歌う元気な人形たち)
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目線はどこ

2009年05月29日 | 生活・ニュース
               

高いところから見下ろすことを「俯瞰」という。初めて飛行機へ乗ったのは、大阪万博の初日、私用で羽田から函館までだった。地図で記憶しているだけの本州がそのままの形ちで眼下に広がり感動したことを覚えている。

知人のブログで古里自慢として、城山から写した錦帯橋がアップされた。翌日、知人の友人が錦帯橋の俯瞰写真をアップされた(この方はプロの写真家)。自分のフォルダーを探したら1枚あった。

2年前、初日の出を見ようと城山へ登った時に写していた。記録を見ると午前7時を少し回ったころで、初日を見るまでにはまでは少し間があるころの錦帯橋だった。錦帯橋架け替えの準備中だと分かる。俯瞰と言うのは気持ちいいいものだ。

先日の党首討論の評価は人によって異なるのは当然のこと。どこに重きをおくかで判断が分かれる。ニュースでは自民・民主の議員さんにも聞いているが、聞かなくても結果はおおかた分かっている。

その討論の中で「国民目線」か「上から目線」かが話題になった。両者の食い違いは平行線で交わることはない。次の総選挙でどちらを国民が選択するか、3ヵ月後には決まる。

錦帯橋は上から見ても下から見て、上流から見ても下流から見ても古里の誇りだ。議員さんも万遍なく見渡して誇りある仕事を残して欲しい。

(写真:汎用のデジカメで撮った夜明け前の錦帯橋)
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わが家の薬ドクダミ

2009年05月28日 | エッセイサロン
               

2009年5月28日 中国新聞 「広場」掲載

 ドクダミの白い花が咲き始めた。花はかわいいが、「あの特有のにおいが…」と敬遠する人も多い。祖母は「そのにおいが効くのにね」と根こそぎ採っていた。

 採ったら奇麗に水洗いして束ね、軒下で陰干しする。パリパリに乾燥すると、あの特有のにおいは消え、乾燥ドクダミは大切な家庭薬に変わる。

 腫れ物ができると家庭薬を火で温めて柔らかくし、それをもみつぶして患部へ張り付ける。二、三回繰り返すと治る。飲むと体にいいということで、特に夏場はのどを潤す水代わりにせんじたものをよく飲んだ。あせもが出ると祖母はドクダミ風呂を沸かしてくれた。そんな子どものころをあれこれ思い出す。

ドクダミは日陰や湿っている所、人間社会では出世の機会に恵まれないような場所に群生する不思議な植物だ。しかし、薬効という素晴らしいDNAは途切れることなく伝えてきた。

 そんなことを思い、眺めていると「真摯に生きることですよ」とハート形の葉が語りかけるように揺れる。すると白い花はより白く見え、特有のにおいは薄らぐように感じた。

(写真:日陰でも素直に育つドクダミ)
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親と子の歳

2009年05月27日 | 回想
               

7~8人も腰掛ければ満席になるカウンターと数人も坐れば一杯になる小さな座敷がひとつある馴染みの小さな小料理屋。口数の少ないマスターと明るく話上手なその奥さん夫婦の店。

その日の客は珍しくカウンターの私ひとり。いつもの肴が並んだ。他に客はいない。「一杯いこう」とマスターにビールを進める。いつもは進めてもひと口でやめるマスターが何故か一気に飲み干した。

2杯目も飲み干した。怪訝な顔に気づいたのか「たわい無い息子のひと言、その屁理屈が面白かったので機嫌がいいんです」と話し始めた。屁理屈の中味はこうだ。

あることで息子に注意しこれが止めの言葉と「親は長く生きていていてお前よりいろいろ知っている」、すると「そんなことは無い。俺が生まれたから親になってので、俺がいなかったら親ではない。だから親と息子の年齢は同じだ」と言い返した。本当の親父と息子の会話がこの時から育ち始めただろう。

同じ背丈のゴーヤの苗を植えたのに伸びに差がついた。親と息子の歳の関係を思い出し、良く伸びた方が息子だろうとおもいながら、今は閉まったが小料理屋の暖簾で泳いでいたふぐの染め絵を思い出した。

(写真:伸びに差がついて兄弟関係になったゴーヤ)
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鵜飼が始まる

2009年05月26日 | 地域
               

錦帯橋上流の河原にテントが張られ、河原へ降りる石段そばには鵜飼観覧のチッケト売り場、ちょっと古風な作りのボックスが置かれた。まもなく始まる鵜飼に向けた準備が進んでいる。ニュースでは新しい遊覧船の進水式も行なわれたという。

錦帯橋は2005年9月の台風14号で第1橋の橋脚2本が流失した。おなじ台風で、河川敷に保管してあった鵜飼関係の船の大半が流失・破損した。その影響で翌年の鵜飼開催が危ぶまれた。

伝統を絶やすなと地元企業家有志の努力、全国各地の鵜飼開催地域皆さんのご支援などで引続き鵜飼が行なわれた。一市民としても熱い思いを抱いた。

錦帯橋下を流れる錦川のアユ解禁は6月1日。早朝の解禁時間を待ちわびた人たちが長い釣竿をあやつり始める。見ていると、新しいおもちゃを手にした子どもがそれに夢中になるのと同じに見える。鵜飼も同じ日の夕暮れから始まる。今年も多くの方に見ていただきたい。

「解禁とともに行われる、錦川の夏の風物詩。古式ゆかしい衣装に身につけた鵜匠が、巧みな手縄さばきで鵜をあやつる伝統漁法を、屋形船からじっくり見物できる」。これは錦帯橋の鵜飼について説明された文章で、読めばなんの不思議も無いが、同一文章が違ったサイトで紹介されていて驚いた。

(写真:手前が遊覧船、中央が鵜飼舟、遠景は錦帯橋)
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「山へ行くぞ」 父の声を思い出す

2009年05月25日 | エッセイサロン
               

2009.05.25 朝日新聞「声;特集『山歩き』」掲載

 「明日は山へ行くぞ」と夕食の時、父から声が掛かる。翌朝、父は弁当や道具を乗せた背負子を背負い、少し前かがみで細い山道を登る。その後を遅れないように1時間くらい黙々とついて行く。

 着いた所は倒木や小枝が散乱し足の踏み場もない斜面。そこは自給用の薪を作る仕事場なのだ。自分の担当は折り重なった小枝をひと枝ずつ引っ張り出すこと。父は倒木を切断し、その整理をする。「大丈夫か」と時々小学生の私に声を掛けてくる。

 プロパンガスが我が家に入ったのは昭和30年代の中頃。それまでは自給自足の薪が家庭用の燃料で、ご飯を炊き風呂をわかした。近くの山の伐採で用材にならなかった木や雑木を購入し薪にした。弁当の握り飯は麦入りだが、家で食べるよりうまかった。

 小学5年の時、過って左の人さし指をノコギリで切った。その時の傷跡がかすかに残っている。それを見ると、血を□で吸い取り、タオルを引きちぎり、傷口を縛ってくれた父を力強く感じたことを覚えている。

 整備された坂道を健康づくりのため登りながら、生活のために「山へ行くぞ」と言った父の声を思い出す。生きていれば今年100歳になる。

(写真:薪とりに登った山のひとつ)   
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ミクロの世界

2009年05月24日 | 生活・ニュース
               

月2回、海抜500㍍にある施設で30人あまりの高齢仲間が焼物教室(陶芸には少し距離があるので)でお世話になっている。ここのエントランスホールには、ゆっくり談笑できるコーナーや、施設で学んで作った作品、施設の活動内容などが展示されている。わが陶芸教室も作品展示会を開いたことがある。

その一角に幾何学的な模型を撮った白黒の写真が貼られたパネルが何枚か置かれている。近寄ってみると、麓にあるミクロ生物館で作成されたミクロの世界の生き物達だった。

ミクロ生物とは「肉眼ではよく見ることができないほど小さな生き物」のことと説明がある。そして、ミクロ生物の姿形はとても個性豊かで、その小さな体の中には、人の持っていないような驚くべき機能がたくさんつまっています、と続く。
 
ただただ見惚れただただ驚くばかりのミクロ生物の姿形。数ミクロンほどの生き物が地上生命の起源だったとも言われる。進化を繰り返し今は人が地上の王のように振舞う姿を、ミクロ生物はなんと思っているか尋ねてみたい。

感慨深いものを感じなが数10枚の写真を見ながら、1度ミクロ生物館を訪ねてみようと思った。

(写真:展示されているミクロ生物の個性的な姿)
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フリーダム

2009年05月23日 | 生活・ニュース
               

夏物野菜の苗が並んでいる中に探す苗が見当たらない。「キュウリの苗ありますか」顔見知るの店主に聞くと「ありません」と聞こえた。「いぼなしキュウリならありますよ」と聞いて困惑した。名前からいぼの無いきゅうりのことかと思ったが要領を得ない。

あるコンビニのキュウリは全部いぼなしキュウリのフリーダムに変わりました。香りと食味がいいと評判です、という店主の説明を聞き2本を200円で買った。キュウリを植えるのは何10年ぶりか。

先日植えたゴーヤは目を見張るように大きくなっている。同じように育ってくれたらいいが、そう思いながらプランターに植えた。苗に付属の説明版には美味そうなフリーダムの写真が載っている。お守り代わりに側に挿しておく。

今、ゴーヤにフリーダム、ちしゃにに三つ葉にネギがプランターで競い合っている。植えた物に統一性はないが、生き生きした緑の葉を見ると元気付けられ、今日も頑張るぞ、そう思いながら日ざしの強くなる前に水を遣る。

(写真:植えつけ直後のフリーダム)
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柿 渋

2009年05月22日 | 生活・ニュース
               

前日の雨に洗われた柿の葉の柔らかな緑色はいかにも若葉を感じさせる。その葉の間からそっとのぞいた柿の花、白い清楚な感じからは、秋の実りの姿とはちょっと違う。

甘柿に渋柿、子どものころは一目見て判断できた。「おばさん柿もらうで~」と言いながら庭先のそれをもらって食べていた。今では想像できないだろうが。

渋柿の皮をむいて甘くする、その方法で呼び方が変わる。何れも渋柿の皮をむくまでは同じ。吊し柿は吊るしてほしたもの、串柿は串にさして干したもの。干して甘くなった柿を干柿という。しかし、人が取り除くその渋には隠れた力がある。

木造専門に家作りする若い大工の知人がいる。彼の建てた家を見学したとき、濡れ縁が単なる防腐剤を塗ったとは違う感じを質問したら「柿渋」を使ったと言う。柿渋は家のいたるところに使われていた。

彼はこんな説明をしてくれた。「柿渋」は古くから補強・防水用の塗料として広く利用されている。紫外線や温度の働きにより酸化することで茶色に発色する。建築以外にも漁網は有名と話す。「子どものころ使われた番傘には柿渋が塗られていましたよ」と身近な用途を教えてくれた。

柿渋の話を思い出しながら小さくて清楚な花を見ていると、畏敬の念をも感じさせる大きい花に見えてきた。

(写真:大きな力を実のらせる柿の花)
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