日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

「商店街が消えた」の言葉にショック

2024年11月05日 | エッセイサロン
2024年11月5日 毎日新聞「みんなの広場」掲載

 10月23日の本欄「商店街の衰退を食い止めて」を読んだ。私の住む岩国市でも、国指定の名勝である錦帯橋のそばにあり、 「銀座通り」と呼ばれ100軒ほどの店でにぎわった街一番の商店街が、郊外型大型店の出店ですっかり衰退してしまった。
 先日、その商店街で初老の男性が閉店した書店を撮影していた。かつて父の転勤で移り住んだ地を訪ねて旅をしているという。岩国の感想を聞くと「錦帯槁の5連のアーチは昔と変わらないままたが、商店街が消えていることに驚いた」と話した。
 「シャッター通りになった」「寂しくなった」という声はよく聞くが、「消えた」という表現を聞くのは初めてでショックを受けた。かつてのにぎわいの記憶との対比から、そのような言葉が出てきたのだろう。
 商店街は江戸時代から商人の町として栄えてきた。観光によるにぎわい復活を模索しているが、歴史を生かし独創的な施策がほしい。

 (今日の575) 懐かしい屋の付く店を思い出す
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まだ油断できない感染症

2024年11月04日 | エッセイサロン
2024年11月4日 中国新聞「広場」掲載
(中国新聞より)

 新型コロナウイルスが5類に移った後の1年間で死者は3万人を超え、季節性インフルエンザの約15倍だったと10月25日付1面に載っていた。その数に驚き、移行後、発生状況の報道に疎くなっていると気付いた。
 10月中ごろ、軽い負傷で経過観察のため半日入院した。その時「感染者が多いので」と新型コロナの検査を受けた。幸い陰性だったが、「油断できないのだ」と感じたことを思い出した。
 地元岩国市の広報にワクチン接種料金の助成が出ていた。高齢者はちょうど接種時期のインフルワクチンと合わせ、自己負担が3600円ほどになる。夫婦だとそれなりの出費になり、インフルの接種を優先し、コロナは少し後に考えている。
 関連記事で、感染の広がりを心配する高齢者施設の人が「不特定多数が集まる場所ではマスクをして」と訴えていた。わが家ではコロナ以降、外出時の着用を続けている。夫婦で忘れないようチェックし合う。状況を見ながら、しばらくはこういう姿勢で対応しようと思っている。

 (今日の575) マスクして会話初めてもう何年
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就活に挑む高校生を応援

2024年09月23日 | エッセイサロン
2924年9月23日 中国新聞「広場」掲載


 「就職試験控え揺れる思い」という17日付ヤングスポットの投稿から、高校生の不安と焦りの気持ちが伝わってきた。会社の採用担当として接し、面接で膝に置いたこぷしを固く握る真剣な姿を見て、全員採用したいと思ったことなどが脳裏によみがえった。
 私か担当したのは40年くらい前から定年までの十数年間だ。多くの学校を訪問し、就職希望の生徒さんと接触し話も聞いた。試験までの思いは変わらないと感じた。 当時は、会社案内が就職希望先の主な情報源だった。今はインターネットなどで得られ、より詳しく知ることができるだろう。
 今年の採用活動の状況が報道されている。就職希望者が減り、「売り手市場」といわれる。だからといって選考は甘くない。試験のチャンスを生かして挑戦し、養った力を発揮してほしい。
 実社会へ巣立つとき、健康であることが肝心である。健康を害し入社できなかった例がある。残る半年間、健康で実りある高校生活を送ってほしい。


 (今日の575) 生涯を託す仕事に前途あれ
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63円最後の投稿

2024年09月21日 | エッセイサロン
2024年9月21日 毎日新聞「はがき随筆」掲載

 「短い文章を書いて投稿し自己研鑚」という同好会に入会して初投稿が「はがき随筆」。嬉しいことに掲載された。18年前の9月だった。これまで90編ほど掲載され、読み返してみると小さな自分史になっている。100編になったら手製で冊子にしてみたい。
 投稿を始めた頃のはがき1枚は50円。数回の料金改定で10月から85円、今回が現料金で最後の投稿になる。
 買い置きのはがきがあり、次からは22円の桜葉切手を貼って、しぱらく投稿を続ける。252文字、これにまとめる苦労を楽しみながら、パソコンのキーを打つ。

 (今日の575) はがきさん切手を貼られ重くなる

 
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飛べないセミ

2024年09月02日 | エッセイサロン
2024年09月02日 中国新聞「こだま」掲載

 
 今夏、貴重な経験をした。車庫の土間に1匹のクマゼミが腹を上に足を動かしていた。セミにはよくあることで、手に乗せると勢いよく飛び立つはずだったが、この日は違った。
 手に乗せてみた。だが、セミは羽ばたくが、飛べない。何度繰り返しても土間に落ちる。よく見ると、左の羽が畳んだように折れ曲かっていた。これで揚力がつかないのだと、私は勝手に想像した。
 土間に放置すれば、鳥やアリの餌になる。そう思い、庭木に止まらせるが、同じように何度も落ちる。
 セミの一生は短いというから保護を決めた。プラスチックの容器に、砂糖水を含ませた綿を小枝にくっつけて、切ったキュウリを入れてすみかにした。ネット情報を参考にした。
 翌朝、私の腕に乗せると、元気に動き回る。飛べないが動けるようになったと思った。大きな容器に土を入れ、枯れ葉やコケを置き、小枝を複数本立てて、新しいすみかを用意した。入れると容器内を動き出した。ほっとした。
 4日目の朝は動きが鈍い、腕に乗せても、じっとしている。その日の午後に動かなくなった。短い一生を終えたセミを庭木の根元に葬り、これまでの経過を自身のブログに残した。

 (今日の575) 飛べぬセミどうしてここに辿り来た
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氷の塊

2024年08月27日 | エッセイサロン
2024年08月27日 毎日新聞「男の気持ち」掲載

 今年の夏は今までにない異常な暑さを感じ、これほどエアコンに頼ったことはないように思う。そんな暑さから、かき氷が飛ぶように売れるという映像を見ながら、氷にまつわるあることを思い出す。
 父の葬儀は58年前の初秋だった。その日は、残暑の非常に厳しい日たった。当時は自宅葬の時代で、葬儀は喪主の希望に沿い、近所の皆さん方の取り仕切りで営まれた。
 葬儀後にそんな皆さんに冷たい物を飲んでもらおうと思うが、その頃は冷えた飲み物など売っていない。そこで、当時ひと塊1貫目(3・75㌔)の氷塊を2個購入。風呂に水を張って氷塊を入れ、瓶ビールやサイダー、ジュースなどを冷やした。
 葬儀は滞りなく終わった。世話人さんが、飲み物を冷やしておいたことを「ええ思いつきじゃった」と声を掛け、グラスにビールを注いで祭壇に向けて軽くささけ、そして一気に飲まれた。その時の喉の動きは、今も目に焼き付いている。どれほどの暑さだったかがうかがえた。
 入院するまで、父は晩酌を欠かしたことはなかった。この世話人さんの飲みっぷりを、遺影の向こうからほほ笑みながら喜んで見ていただろう。時は過ぎたが、当時お世話になった近所の皆さんの顔を今も思い出す。

 (今日の575) 講うちの繋がり今は消え失せし
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運転免許

2024年08月20日 | エッセイサロン
2024年08月20日 中国新聞セレクト「ひといき」掲載
 
 自動車運転免許の更新手続きをした。高齢を理由に免許を返納した知人も多いが、私はもう少し運転が必要なので更新を選んだ。
 妻は「今回が最後ですかね」と言う。助手席で何か気付いているのかもしれない。次は80代後半だから、更新するかどうかを思案することになるだろう。
 そんなことを考えていると、免許を取得した当時を思い出した。3交代勤務をしていた20代半ばだ。上司から「勤務割りは配慮するから運転免許を取れ」と命令調で勧められた。
 朝の勤務を外れ、夕と夜勤となった1ヵ月余り、自動車学校に通った。息子が1歳の頃、便数減などでバス通勤が不便になり自動車を持った。
 「気を付けてね」。これは私が車で出かける時に妻が必ずかけるひと言だ。何十年も続いている。このひと言が効いているのか、今日まで反則金も罰金も納めずにきた。
 「運転規則とマナーを守る」という、ごく普通のことをまず心がけている。そして、信号の色と横断者を指でさして確認しながら交差点に進んでいる。
 これまで通り、安全運転を心がけ、ゴールド免許のまま返納したい。「気を付けてね」が「ご苦労さまでした」となるように。

 (今日の575) 運転は慣れた心がやばいです
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はがき随筆だから

2024年08月12日 | エッセイサロン
2024年0812日 毎日新聞「はがき随筆」掲載
 この春から、はがき随筆の投稿がメールでもよくなった。一度、試しも兼ねて投稿をした。
 送信した後で何かしっくりしない感じがする。ほかの投稿はすべてメールでも違和感は起きないのにどうしてだろうか。考えると一つ思いついた。
 ポストまで歩いて行き「載りますように」と願いながら投函する、という投稿最後の締めが抜けた。違和感はこれだ。 
 今、社会は変革真っただ中、投稿も送信へ変わる時が来だのだ。はがきも値上がりが決まり送信が楽だが、はがきの買い置きがある開は投函を続けよう。それは「はがき随筆だから」。

 (今日の575) 買い置きは月1投稿2年分
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熱中症?の子スズメ元気に

2024年08月03日 | エッセイサロン
2024年08月03日 毎日新聞「みんなの広場」掲載

 
 「大暑」にあたる7月22日、私の街では最高気温が36度に達した。昼前、我が家の門柱の下に1羽の子スズメガ目を閉じて横向きで落ちていた。指で押しても
手に乗せても動かない。
 庭木の根元に葬ってやろうと、日陰の庭石の上に置くと、目をうっすらと開いた。生きていた。とりあえず水を与えてみようと植木鉢用の皿に水を入れ、体をつかんでくちばしを水につけてみると飲み始めた。やがてくちばしを水から離し、頭を起こした。ひと息ついた仕草に思えた。
 しばらく水を張った皿に置いて様子を見た。頭を動かし始めたので皿から出し土の上に降ろしたら2、3度身震いをして、真っ青な空に向かって勢いよく、さつと飛び去った。
 ちょっとあっけない別れだったが、あの子スズメ、熱中症だったのではないだろうか。早く回復してよかった。生き返るとはこのことか、我がことのようにうれしさが湧いてきた。


 (今日の575) 水を飲むくちばしの動き感動す
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新紙幣 ネパール貢献思う

2024年07月20日 | エッセイサロン
2024年7月20日 中国新聞「広場」掲載
           (8年前に撮ったミツマタの花)
 日本の紙幣の原料となる樹木「ミツマタ」がほぼ全てネパールの農村で生産されていると。紙幣が約20年ぶりに刷新されたことを巡る14日付国際・総合面の記事を読み、驚いた。
 ミツマタは地元岩国市でも、江戸時代に岩国藩が作付けを奨励した。和紙の生産は藩の主要産業となり財政を潤したようだ。錦帯橋近くにある国重要文化財の旧目加田家住宅の庭にも植えられ、歴史を学ぶ資料に紙幣の原料との説明かあった。
 そんなミツマタのネパールでの栽培は1990年から取り組まれ、日本の手厚い支援もあり、今では世界一の品質となっているようで、うれしい。
 記事を読みながら、8年ほど前に旧目加田家住宅で咲くミツマタの花の前で出会った年配のご夫婦を思い出した。ご主人の両親はミツマタ農家だったが、自分が中学生の頃には時代の波に押され、関西へ家族で引っ越されたそうだ。
 ネパールのミツマタにも厳しい時代が来るかもしれないが乗り切って、末永く発展してほしいと
願っている。

 (今日の575) ネパールのミツマタ紙幣で里帰り
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