日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

夏の終り

2010年08月31日 | 生活・ニュース
           

暑い暑いという間に子どもたちの夏休みが終わる。真夏日に熱帯夜に熱中症は連日マスコミにのり、町なかの普通の会話にも自然に入り込むなどが今年の夏の3大流行語のようだった。日本近海で熱低が台風へ次々と変わる、ちょっと異常な夏だった。

こうした異常な暑さの影響は野に山に畑に人にとくまなく異変を起こした。局地的な豪雨は大洪水となり人命や家、農産物を奪うなど予想のつかない甚大な被害をもたらした。

こんな中でひとつだけ「よかった」と感じた夏があった。65回目の広島原爆慰霊の日。評論はいろいろあるが、米国など核保有国を含めてこれまでで最多の外国大公使の参列があったこと。国連事務総長も平和への誓いを述べられた。暑い中で少しばかりの安らぎを感じた。

多少の夏バテやエアコンの故障などはあったが、その日に済ませる用事は昼までに済ませ、午後は静かにする。こうして猛暑に酷暑、焼けるようだった夏を潜り抜けた我が家。夏にさよならを出せそうだ。とはいっても9月になっても暑さは続き秋は短いという予報。まだ気は許せそうにない。

朝顔が勢いよく咲いてくれる。咲いてくれるのはうれしいが、暑さと関係するのなら少し咲き控えてくれないか、花を見るとそんな無理は言えそうにない。

夏の終りといえば3カ月続いた錦帯橋のう飼いも今日まで。フィナーレ撮影用の場所取りが昨日から始まっている。今年はどのくらいの人が楽しまれたのだろうか。

(写真:楽しかった水遊びも今日まで)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧百十国立銀行の支店

2010年08月30日 | 町かど
           

岩国検定実行委員会へ誘われて仲間入り、ご当地検定の準備をするうちに知らなかった岩国のをいろいろ教えられれている。知っていてもごく薄い表皮の事が多い。最近は散策しながら思ったり気づいた事を「町かど」としてカテゴリーに加え残している。面白いことに気づく。

西岩国駅から錦帯橋までの狭い通りには幾つもの西洋館がある。そのなかに銀行もある。「銀行の建物は頑丈でどっしりしている、だから皆から信用され、皆はお金を預かってもらっている」、銀行に対する子どものイメージだった。

錦帯橋にほど近いところに建つ山口銀行岩国支店(今は錦帯橋支店に変更)は通学路沿いにあり、毎日そばを通っていた。近くには広島銀行(現在の場所は移転後)や岩国信金(合併して西中国信金)や西郵便局などがあり、かってはこのあたりが岩国の中心で賑わっていた。

山口銀行岩国支店は旧百十国立銀行岩国支店と称して1927年に竣工したというから、歴史ある建築物という事になる。百十国立銀行とは「1878(明治11)年11月25日、長州藩士の井上馨などの勧めによって、金禄公債を主な原資とする資本金60万円で営業を開始した。初代頭取には士族総代の右田毛利家当主・毛利親信(藤内)が就き、本店を山口においた」という。1944(昭和19)年3月、山口銀行へ発展的に解消した、という歴史がある。

支店建物の様式など詳しい理解はできないが、白亜の外観はいかにも銀行らしい建築物、子どものころの思いと変わらない。古いがゆえに取り壊しや改築される建物は多い。先日、支店にカメラを向ける観光客をみた。愛着を感じるものを潜めているのだろう。いつまでも残して欲しい建物だ。

(写真:山口銀行錦帯橋支店の今の姿、左の突き出た部分はATMコーナー))
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無線信号機

2010年08月29日 | 生活・ニュース
           

道路工事の無い日はない、車で出かけるとそう思う。暑い日も寒い日も屋外で工事に携わる人の仕事は「大変だろう」経験が無いのでありふれたいいかたになる。昔と違うのは、大小の違いはあるがどこの工事現場でも必ず重機が動いている。鶴嘴(つるはし)にスコップの影はない。

昼間は交通頻繁なので、夜間だけ短い区間ごとに区切った道路の徹夜工事が何日も続いている。工事用の明々とした照明、交通規制用の赤い灯火など、遠くから見れば事件か事故かと迷いそうだ。

その工事中の三叉路での交通規制。どの方向からでも車が工事現場へ近づくと、接近方向の信号が赤から通行可の青に変わる。車は一旦停止なしで通り過ぎる。信号を過ぎると青が赤に変わる。接近車がいないと常に3ヵ所の信号は赤。

片側交互通行の工事現場では、対向車が無くても信号に従って一定時間待つのが普通。しかしこの工事現場では待機なし。よくみるとその仕組みは、車の接近が交通誘導員へ伝わると誘導員は信号の切り替えを無線で操作する、と説明の掲示がある。

牛乳の配達、コンビニ商品の運搬、ミキサー、ゴミ収集など早朝の町を走る仕事車がすいすいと通過している。交通量の少ない夜間ならではの規制方法かも知れないが、よく考えれあると思った。

車の接近は見通せないのになぜ誘導員はそれが分かるのか。信号機の下で点滅している黄色の小さなランプに仕掛けがありそうだ、そう勝手に思い込み観察を終えた。

(写真:工事現場で始めてみた信号機、右斜め上の赤い灯)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドリルの練習

2010年08月28日 | 生活・ニュース
           

小学校の運動場から夏休みなのに軽快な行進曲が聞こえる。校門からのぞくと真夏の陽射しが照りつけるそこでは大きな管楽器や太鼓、旗を持った子どもらがドリル演奏の練習をしている。

どの子もTシャツに半パン、首にはタオル、当然のこと帽子着用。4年生以上だろうか。指導者は大きな麦藁帽とサングラス、顔は黒っぽい布で隠し服は長袖を着た女性。

練習は終盤だったのか、指導者はひとこと話し木陰に。すると指揮する女の子が1歩進み出る。右手で高くあげた指揮棒が動いた瞬間、各楽器の演奏がはじまった。そのうち左右に前後に、斜めにとドリルが始まる。旗が回され振られるたびに動きが大きく変わる。見事な交差行進で終わった。思わず拍手をした。

木陰で見ていた指導者は顔を出して拍手しながら子どもらを招き寄せる。演奏に納得したような笑顔。子どもらが汗を拭きながら指導者を囲む。「9月の運動会の練習です」トランペットの男の子が教えてくれた。

あさ10時。子どもらは水分を取りながら指導者の話を聞いている。オルガンしかなかった木造の教室では創造すらできない光景だ。木陰のこぼろれ日に光る楽器を見ながら、自分が初めて手にした楽器はカスタネットではなかったろうかと思い出す。急に額から流れる落ちる汗に気づいた。

(写真:熱心な練習風景、後方の青い屋根は岩国教育資料館)
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田島直人の木

2010年08月27日 | 町かど
           

名誉市民の田島直人。

大阪府に生まれその後、父の郷里である現岩国市に戻り、岩国尋常高等小(現岩国小学校)・旧制岩国中学(岩国高校の前身)に進学した。兄・田島 元も三段跳の日本チャンピオンになったことがある。織田幹雄とも親交があり岩国中学でよく一緒に練習したという。この兄と織田の影響で田島直人は三段跳を始めたそうだ。

1932年、ロサンゼルスオリンピックに出場し、走幅跳で6位入賞。1936年、ベルリンオリンピックで2度目のオリンピック出場。三段跳で16m00、当時の世界新記録で金メダルを獲得した。これは、織田幹雄・南部忠平に続く日本人選手による3大会連続での金メダルという記録に繋がった。また走幅跳(7.4m)で銅メダルを獲得した。

引退後は陸連関連の役員などを歴任。1990年、岩国市名誉市民となり、同年12月4日死去、78歳。平成16年から山口市で田島直人の功績をたたえて「田島直人記念陸上競技大会」が毎年開催されている。

田島直人の木。ベルリン五輪金メダルの副賞として、オーク(樹種:ドイツカシワ)の鉢植えの苗木を贈らた。「ドイツカシワ」には「もっと伸びよ」の言葉がこめられているそうだ。その苗木は京都大学に植えられ、関係者の適切な管理によって、風雪に耐えて根をはり、現在は樹高20mを越える大樹に育ち、「オリンピックオーク」や「田島直人の木」とも呼ぶ。

その「田島直人の木」が「田島直人 ベルリンオリンピック三段跳び 優勝記念樹」として岩国小学校の運動場を囲む庭木の中に植えられている。まだ数十センチの幼いこの木はこの春ころに在住の方から寄贈があったという。

母校の木陰で児童や校舎を眺め、何を思い出されているだろう。「もっと伸びよ」と呼びかけているのだろうか。

(写真:母校の庭木に育つだろう「田島直人の木」)
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の気配

2010年08月26日 | 自然 季節
           

昼間の最高気温は真夏日を示しているが、盆すぎから朝夕は少ししのぎやすくなった。朝ウオーク、橋上で半そで姿の腕にあたる風に冷たさを感じることもある。

大合唱をふりまいていたセミの鳴き声は聞こえなくなり、かわりに虫の声が聞こえ始めた。練習中の音あわせのようだが、日に日に音色が高く大きくなってきており、混声合唱はまもなく始まるだろう。

黄いや茶に色変わりした桜の葉が枝を離れて歩道を飾り始めた。その数は日に日に多くなり、葉が半分近く落ちた桜の木もある。春に向って花の準備を始めたのだろう。

静かにこっそりと秋が忍び寄っている。今日は暑い夏シリーズはお休み。

(写真:錦帯橋上空から川面を照らす15夜の月)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昼寝の公園(夏ー4)

2010年08月25日 | 地域
           

この夏、真夏日・熱帯夜ともその連続日数の記録を更新した市内の気温、何の支えにもならないが県内でもトップクラスだった。さほどに暑かった夏は思い出せない。

クーラーも良いが緑陰も涼しかろうと公園に出かける。昼下がりの公園は人影もまばら。芝生も雑草も暑さに疲れ、くたびれて生気を失っている。この暑さ、その様子は人も同じ、よく分かる。緑陰で奏でるセミの大合唱は生き生きしている。

そんな公園も歩を進めると元気な声が聞こえ始めた。大きな噴水の水しぶきを浴びながらはしゃぐ子どもたちの声、生き返らせてくれる。親たちはその周りの日陰で話し込んでいる。絵に描いたような平和な公園だ。

日焼けした顔を見ながら「暑いのにゴルフでもやられますか」とよく聞かれる。さほどに日焼けしているらしい我が顔。日焼けしすぎ、とは家内の表現。もう焼け代はないようだが、日陰に入ろう。

ソフトクリームを買う行列の人らは暑くないのだろうか。

(暑さの写真4:暑さで昼寝をしている公園)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイスキャンデー (夏ー3)

2010年08月24日 | 回想
           

小学校のころ家から学校までの間に「アイスキャンデー屋」が4軒合った。ガチャンガチャンという冷凍機をまわす音が道まで聞こえる。黒っぽいベルトが音にあわせてゆるゆると天井へ向けて登っては降りている。

店の前には真っ青に塗られたな箱が幾つも並ぶ。その中は真っ白に凍った壁があり、売り物のアイスキャンデーが詰まっている。そう製造直売所だった。家から直接買いにいく。食べるときはいいが、帰りにはまた汗をかく。それでも満足だった。

4軒のうち1軒は同級生の店でラムネも売っていた。その子とは仲がよく宿題をしようとよく道草をした。もちろん他にも目的があてのことだったが、太っ腹なお母さんは、宿題が終わったころに冷たいものを「取りにおいで」と呼んでくれた。

アイスキャンデーは和製語で、果汁や水に甘味・色・香りなどをつけて凍らせた棒状の氷菓子、と辞書にある。追加するとすれば、味が均一でなくグラデーション状で先端ほど美味かった。作り方に秘密かあった。最近の棒状氷菓子、形状は昔と変わらないがその高級感には驚く。

キャンデー屋4軒の今。1軒目は表具屋、2軒目は花屋、3軒目は戸締め、4軒目は道路拡幅で立ち退き。変遷を感じる。

(暑さの写真3:お店によっては1本30円差がある最新の棒状キャンデー)
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こおり (夏-2)

2010年08月23日 | 生活・ニュース
           

中学1年のとき軟式テニス部に所属した。夏休み、今の中学生ほどハードではないが練習に参加していた。実力のない部員はコートの後ろで、抜けたボールを拾って返す。腰をかがめて抜けるボールを待ちながら、選手たちの練習を盗み取るのが私の練習だった。

当時のコートはただの地面。見た目にも凹凸が分かる。そんなコートだからは抜けるボールも結構ある。それを競い合って拾っていた。それでどのくらい汗をかいたものか覚えてもいない。暑さをしのぎたいが、泳いではいけない、水を飲んではいけないという伝統だった。

この夏は熱中症防止策のひとつとしてニュースでも気象予報でも「水分を摂りましょう」と繰り返し報道、今も続いている。スマートな容器も発売され、歩きながら飲む光景もよく目にした。スポーツ飲料を手にする人も多く見かけた。あのころテニスの練習中、水を飲まなくても倒れなかった。今ほど暑くなかったのか、体力があったのか、考えるが分からない。

冷菓は柔らかくなる間もなく飛ぶように売れたという。氷も売れたという。暑いのによく我慢してと眺めたソフトクリーム屋の行列。あるスーパーで店内のカゴ一杯にカップ入りのアイスクリームを買った人、子ども会の行事だろうか。それぞれの水分補給方法がある。

(暑さの写真2:氷の旗も暑くて動きたくないとか)



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

避暑地 (夏-1)

2010年08月22日 | 生活・ニュース
           

貰った残暑見舞いに残雪の残るアルプスの写真が挿入され「行って来ました」という短い添え書き。土産代わりの涼しそうな写真に、まだ体験したことのないアルプスの風を想像してみたが、連日の酷暑は苦もなくそれを阻んだ。

涼しい地に転地して夏の暑さを避けることを「避暑」いう。言葉だけは知っている。してみたいがかなわぬ物が多すぎる。上司の別荘で一夜を過ごした知人から「無為に過ごす時間とはいいものだ」と唐突もないことを聞いた覚えがある。避暑地とは不可思議なものも秘めているようだ。

別荘といえば軽井沢。最近そこで話題を提供したのが前首相の別荘。まず拉致被害者家族と面会に訪れた元工作員の居所となり騒がしかった。先日は前首相派の懇親会へ大物といわれる議員来場。コブシを突き上げた気合いコールには驚いた。別荘は静かな、という庶民のイメージが間違っていたのか。

記録続きの今年の暑さ。人を住みやすくするために作り出した文明や科学が、地球環境を変えているといわれ始めて長い年月が過ぎた。日本は亜熱帯地域になるかも、そんな話題もある。避暑地は持てないが四季のある日本だけは持ち続けたい。

(暑さの写真1:亀も甲羅干しより水の中がいいというこの暑さ)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする