日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

勝手に咲く

2008年02月29日 | 生活・ニュース
 

「1度行って見たら」と幾人かの人から進められ、ブログでも沢山紹介されている上関の水仙。展望台への道沿いには育ち方はまちまちだが植えられた水仙は良く手入れされている。山頂の灯台に似た展望台の周囲は白い水仙が盛りと風に揺れている。

水仙の英字学名は、ギリシャ神話の美少年ナルシサスに由来する。泉に映った自分の姿に恋をし毎日見続けていたらいつの間にか1本の花になったという。花言葉がうぬぼれや自己愛と言うそうだがなんとなく納得する。

水仙は寒さに強く、肥沃でない畑や鉢でも良く育つ。花が終わると球根が出来、植替え無くても次のシーズンには咲いてくれる。手がかからない花の1つだった。

「水仙の球根はそのままにして咲かすと球根が地表へ近づき花が弱ります。3年に1度くらいは植替えておやりなさい」、近所のお年寄りが花畑を見てそう言われた。水仙は何年も植替えしていない。花が小振りにになっていた。それからは素直に植替えをした。今は鉢植えなので毎年行っている。

水仙はラッパ、口紅、八重などの種類がありその色は白色や黄色がある。梅から桜までの間を清楚な水仙は香りとともに楽しませてくれる。

(写真:上関上盛山の展望台と水仙)
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雨音から

2008年02月28日 | 生活・ニュース


先日、夜半からの雨は「まとまった雨量になるでしょう」の予報どおり静かだがいち日続いた。貯水量の少ないダムには恵みの雨となったろう。これが雪なら銀世界が見られたかもしれない。

玄関前に置いている紫竹の葉に静かな雨音を残して落ちていく雨粒を見ていたらふと思いだした。なにかで「げんこつの雨」を読んだとき、この雨は何だろうと思い調べた。その「雨」は絶え間なく降りそそぐたとえ、とあった。身に経験のないことだが怖いと感じたのは小学校の図書室だった。

「雨が降ろうが槍が降ろうが」、よく聞きまた使ったかも知れない「どんなことがあっても、どんな困難に出会ってもやり遂げる」というこの表現、今の世では使われなくなったように感じている。

「雨はれて傘を忘る」、受難のときが過ぎるとその時受けた恩を忘れてしまうという例えに使われる。人として欠かしてはいけない戒めだろう。大事にしたい。

子どものころ登校前に雨がやむ。曇り空を見ながら重たい番傘を持っていくか悩むと「朝方の雨はすぐ晴れる。傘はいらない」と祖父はよく教えてくれた。ラジオの天気予報と歳月を経た経験則からの予報は良くあたった。その祖父は大雨の朝逝った。あちらでも予報を楽しんでいるだろうか。

(写真:静かな雨足に濡れる紫竹))

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手作りの内裏様

2008年02月27日 | 生活・ニュース


3月3日は女の子の節句。錦帯橋付近のホテルや商店でお雛様が飾られている。雛飾りを知らせる赤い幟に誘われて訪れた人を楽しませている。緋毛氈に並んだそれは歴史を感じさせるものが多い。

孫娘に嫁の実家からそれが届いて何度目の雛祭だろう。毎年その時期になると写真が届く。しかし我家には雛飾りがいらなかった。それでも孫を思い季節の味わいにと本当に小さな人形を飾る。毎年同じ人形だが夫婦だけの部屋にも柔らかい春の風を感じる。

今年はその飾りに、粘土をこねて形作り、素焼きしたものへ釉薬塗り、そして本焼した手作りの内裏雛が加わった。市販のそれとは違う素人の面白さがいいと自賛しながら写真を撮る。

焼物教室の玄関に「紙雛」を折ってくださいと作り方と色紙が備えてある。1つ作りさて目と口はどんなに書こうかと迷う。ところがそこに見る作品にはそれが書かれていない。目や口は折った人の思いの中かに残すのか、そう考えて作品を置いた。

ひな祭りのもとは上巳の節句といい邪気をはらう意味があり、赤・緑・白の尖った菱餅はその名残で、緑の餅に蓬を用いるのも邪気を払う意味があるという。菱餅を飾ったことは無かった。邪気払いになるなら今年は飾ってみようか。

端午の節句は祝日だが桃の節句はそうなっていない、男女差別だと言った人があったようだが、無粋なことは考えないで白酒を召し上がろう。

(写真:前列右が手作り雛)
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川舟

2008年02月26日 | 生活・ニュース


時代離れした風景が気になる。
この舟は昨年も1昨年もこの場所につながれている。夏は数々の雑草が茂り遊歩道から見える舟は半分あまりが隠されている。冬は誰かが舟に近づいたように枯れ草が倒れている。錨は舳先の少し離れたところに埋まっている。

子どものころこんな木造の川舟で川魚を獲ることは珍しくなかった。特に鮎の季節には上流に舳先を向けて何舟も並んだ舟の上で流していく竿を見ていた。学校帰り橋の上から見下ろして時間を過ごしたこともある。

川舟で竿を使った鮎釣を静とするなら同じ川舟を使った投網は動になる。網を投げると同じくして積み込んであった石を網の周辺へ投げる。驚いた鮎は沈んでくる網の中へ逃げ込んだことになり一網打尽となる。引き寄せられる鮎の姿は思い出せないが、橋の上から見るには投網が良かった。

ここ錦川の鮎に心配が起きた。昨秋、日本に存在しなかった鮎の新感染症が見つかった。「エドワジエラ・イクタルク」という細菌が原因で沢山の鮎が死んだ。人体への影響はないが漁業や観光への風評被害が心配だ。夏の観光鵜飼が心配される。感染経路の特定と防疫体制作りが急がれる。

数少なくなった川舟が朽ちようとしている。なんだか川漁業の行く先を示すようでなんとなく寂しい。

(写真:枯れ草が見守っている川舟)
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安全な食材

2008年02月25日 | 生活・ニュース


食品に関する不安な事案が次々と明らかになる。日本の食糧自給率は4割余りという。輸入食品に不安がつのれば国産となる。たまに訪れる朝市、気のせいか心なし賑わっているように感じる。

曲がっていても、太さや長さが揃っていなくても、スーパーの店頭には並ばない姿と分かって買い求める人が立ち寄る朝市。産地の分かる確かな品そして安さ、これが朝市の魅力だ。時には思わぬサービスにも出くわす。

「大根葉栄養満点食材」。中国産の食材と間違いそうなこの9文字の漢字はある食材に付けられた名前だ。素直に「大根の葉は栄養満点の食材です」と訳す。高齢者はひと目で分かりそして懐かしい食材だ。

これは道端に捨てられた大根葉のことを書いた日のコメント欄に書き込まれたネーミングで「もったいないですね」と結ばれていた。この方の作られた聖護院大根をバザーで見たことがある。赤子の頭ほどの大きさにしっかりと葉は付いていた。作られる方のひと言に重さを感じる。

新幹線の駅弁も社内ルールに反する表示がされ、そのことを幹部も承知していたとの報道だ。食に関して偽装表示も大きな問題になっているときこれを止めることがなぜ出来なかったのか不思議だ。名前のとおり高速通過専用列車なので積みかえる時間がなかった、のかも知れない。安全のためなら「こだま号」でも構わない。

(写真:冬の日を浴びながら収穫をまつ大根)
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表示できません

2008年02月24日 | 生活・ニュース


昼食後インターネットを起動したら「ページを表示できません」と連れないメッセージが表れた。何かをした覚えはない。

こんな時の復旧方法をプロバイダーから電話で教わっていたことを思い出し、残していたメモどおりに電源のOFFとON、接続の切離しなど処置をし復旧した。教わったときには1回で復旧した。がこの度はだめ。再度トライしたが同じだった。

こうなったらただの箱と同じ。かといって投げるわけにもいかずプロバイダーにSOS。来宅した技術屋さん、状況を聞きながらテキパキとチェックが進む。何をどうやっているのか分からないまま見ている。2分ほどで初期画面が表れた。

異常の状態を再現し復旧の方法を説明、それをメモ書、保存して終わった。原因もネット検索しながら推定ですがと特定された。規定の出張料と技術料の領収書を出しながら「パソコンは5年になりますが元気です」と一言。買い替えのチャンスが遠のいた。少しだけトラブル解決のノーハウをもらったと言えばオーバーになろうか。

ただ、入力して印刷してのパソコン使用ではパソコン人生とはいえないだろうと思いながらパソコンに向かっている。

(写真:つれない画面)
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安全運転

2008年02月23日 | 生活・ニュース


我家の近所に自動車学校がある。創立から50年近くなるだろう。高校の卒業式が近くなるとここへ通う制服姿が賑やかな会話をしながら通り過ぎていく。3月の終りまで続く。今の時代、特に就職する生徒には必要な資格になった。

高校卒業し就職したころは自転車の他はバスや列車が通勤手段だった。海岸線にある工業地帯の企業は3交替制が多くバス通同士、他企業の人とも親しくなったことが懐かしい。今は3交替に対応する交通機関はなく、車がその役目を担っている。

在職のころ高卒新入社員の導入教育に安全運転のカリキュラムを加えた。在籍する社員が2千人いれば安全教育の事例には事欠かなかった。また、職場と仕事になれるまで配属後半年ほどは運転を禁止した。

この間は全員寮生活とし同期との関係構築を図ることとした。運転解禁になると親御さんを煩わしただろう車が寮の駐車場に並んだ。幸いなことに退職まで新入社員の事故処理はなかった。

暖かくなったのかメダカが姿を見せ始めた。冬のあいだは動かないでいたメダカ、若葉マークのような泳ぐ様子を見ていて、導入教育をした高卒社員の姿を思い出した。

創立から50年近く経つ自動車学校で免許取得して40数年なる。返上の時期が遠くなるように、これまでどおり無事故無違反をこれからも心掛ける。

(写真:姿を見せ初めたメダカ)
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枝ぶり

2008年02月22日 | 生活・ニュース


盆栽の幹造りは「アルミの針金を幹に巻きゆっくりと創りたい形に曲げる」という意味の説明に合わせ実技が映された。慣れた手つきは上手く良い形に曲げられていく。司会者は「簡単ですね」と側から口出す。そうだろうかと思いながら見ていた。

桜、銀杏、紅葉など四季を楽しませてくれる樹木などは落葉し枝は木枯らしにゆれる。昨夜は十五夜、その月を背にして映す影は一つの美術のようで、朝ウオークはこんな美術の道を進んでいく。贅沢極まりない。

公園とその周辺の樹木には剪定や下草の刈取りなど人の働きがいくつか加わって育つ。樹木医の診断で切り取られた跡もいくつかある。こうした守る人のお蔭で樹木は訪れる人を楽しませ喜ばせる。

落葉したどの樹木も今は芽吹きの支度に勤しんでいる。幹からは伺えないものの、大小の枝は日を浴びようと意志があるように伸びている。そこには少し窮屈そうだが自然に伸びる枝に繕う姿はない。

「枝ぶりのいい松」という。枝のでぐあいやその格好がいいという松の褒め言葉がある。丹精こめた盆栽は分身と言われるから格別だろう。針金や添木の跡が残る盆栽は年代を思わせ、苦心を偲ばせる。

自然の樹木は要領よく上手く伸びて格好良い枝ぶりになることは問えない。とにかく強く生きることだけがその使命と伸びていく。所詮は盆栽と同じ生かされいる身だが、枝ぶりに拘らない生き方をしたい。

(写真:芽吹きに備え日を浴びる枝々)
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河津桜

2008年02月21日 | 生活・ニュース
  

昼食には少し早い時間だがドアを押した。水仙の匂いが漂っている。「山口県最南端のレストラン瀬里家へようこそ」のカレンダーが置いてあった。メニューの丁寧な説明に負け1日4食限定のランチに決めた。

聞かれるままに「幾つかのブログを見て訪れた」事を話す。この答えの人も多そうだ。上盛山展望台への道を尋ねた。地図を指しながら途中にある河津桜も見られたらと進められた。伊豆にあるその桜は映像で見たことはある。

坂道を登った山頂では白い水仙が迎えてくれ疲れを癒される。ここにある灯台に似た展望台。そこからは360度の眺望、遠くは四国連山も見えるそうだが霞んでいた。眼下の瀬戸内海は真青で穏やか。

真新しい取付け道を入るとすぐに上関城址公園入口。そこは河津桜のほかは何も植えられていない。開花は1分ほどだろう。5枚の円形の花弁の淡い色合いと青空のコントラストは言いようがない。「昨年は2月10日に咲いていた。あと1週間か10日したら見ごろ」とビデオを回されていた地元の人の話。

河津桜は、寒緋桜と早咲き大島桜の自然交配で誕生した。1955年伊豆半島で偶然発見された。発見者の努力で66年に咲き始めたという。この桜の咲き始めてからの歳月よりも自分のこれまでの歳月のほうが長い。何か考えることがありそうだ。

(写真:優しい色合いの河津桜)
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見張り

2008年02月20日 | 生活・ニュース


この冬、初めて悪戯をした。

小さな庭に赤と黄色の千両を植えている。毎年のこと実が色づきはじめると小鳥がやって来てついばむ。それでも小鳥の心遣いか残った幾粒かを眺めて過ごしてきた。生け花へ添えるなんて出来なかった。

この冬は色づく前に防鳥用のネットを張った。色づきはじめると小鳥が姿を見せる。千両に並んでいる紅葉の枝に止まって観察しているが、餌にならないと分かると未練なさそうに飛び去る。安心した。

ネットのお蔭で沢山の実を楽しんだ。家内は生け花に使った。もう良いだろう、と昨日の朝ネットを外した。今朝カーテンを開けて驚いた。赤色も黄色も千両の実はほとんどなくなっていた。昨日の昼間ついばみに訪れたのだ。ということは欠かさず見張りをしていたことになる。

自衛艦が漁船に衝突、漁師の親子2人が行不明のニュースが昨日の早朝から流されている。原因はこれから解明されるが、見張りの不十分さも原因の1つではないかと大きく報道されている。

小鳥はネットで邪魔されていた餌さに近づけることを見つけついばみ生きる糧にした。国民の生命を守ることを職とする側が見張り不十分となればその責は大きい。改めて見張りの大切さを小鳥から学んだ。行方不明者の捜索では見張りを怠りなく続けて欲しい。

悪戯したお蔭か「小鳥」から思わぬことを学んだ。さて次の冬にネットを使うか否か悩ましくなった。

(写真:小鳥の心遣いが残っている1部)
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