日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

大晦日

2006年12月31日 | 生活・ニュース


大晦日。今年そして12月最後の日。子供のころ大つもごりとも聞かされた。この1年、大過なく過ごせたことに感謝する。
3交替勤務のころは大晦日も正月も普通に過ごしていた。食卓は華やいだが、屠蘇を飲んで出勤は出来ない。年賀の親戚の食事時も夜勤に備えて寝床にいた。社宅住まいの同僚の帰省不在の補充勤務もあった。高額な交替勤務手当ては魅力だった。

個人的にはこれまで経験のない事例へ飛び込んだ1年になった。
仲間とのNPO法人の設立、エッセイ同人への入会とそれに会わせたブログの開設、どちらも駆け出したばかりで学ぶことが多いことを知った。そのためか身体は健康そのものだった。

定年後も4年、それまでの経験が生かせる仕事に携われた。目標と反省はそれなりにやってきた。
本当のフリーになったとき、ボランティアの仲間に出会え新しい活動を教わった。どんな手伝いが出来るのか、工夫し考えながらこの1年も過ぎた。これからも身の丈を超えないスタンスでやっていく。

皆さんの穏やかさに魅力を感じるエッセイ同人。人としての内面を創れるような作品を書いていきたい。

妻は「退職後もいい人と出会えて良かった」と折に触れ口にする。
いい人との出会いの中で学びながら、何かを発信していけるよう、来る年もやっていく。
今年も除夜の鐘を突きにに行く。
(写真は吉香神社鳥居前の楓。この姿が好きで公園を訪れた時は眺める。風雪を絶えたときこんなになれるのか)
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雪の日の勤務

2006年12月29日 | 回想


「とうとう降りましたですねえー」。早朝歩行でよく出会う犬を連れたご婦人の挨拶。昨年より20日以上遅い初雪、犬は待っていたのだろう。

屋根はうっすらと白く化粧しているものの道には雪の気配はなかった。錦帯橋には薄く積もっていた。幾つもの足跡が雪を楽しんだように残っていた。錦帯橋から1キロほど上ると畑は一面真っ白、車は雪ですっぽり覆われ「冬が来ました」と言っていた。

30代の後半まで化学プラントのオペレーターとして3交替勤務だった。勤務は所定の時間が過ぎると必ず交替する。トラブルなどが起きない限り実にいい勤務体系だった。この勤務で1番苦痛に感じたのは、雪の降る日の23時出勤だった。でも高額な交替勤務手当に逆らえなかった。そんな日、妻は玄関の外まで見送りに出た。

今朝の報道によると、スキー場のメッカでは急遽オープンの準備に入った所が多くあるという。昨年の豪雪は被害とスキー場の賑わい両面だった。この冬はどんな雪になるのか。
(写真は今朝4時過ぎの錦帯橋)

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手作りの賀状

2006年12月27日 | パソコン講座


各地の神社は迎春準備、郵便局は年賀状仕分けでフル回転と報道。近郊の店は正月モード一色。門松はこの2、3日で数が増えた。今年もあと4日になった。

メールの影響で年賀ハガキの発行枚数は年々減っているそうだ。賀状も手書き手作りが減り、パソコン製が増加しているようだ。我家の年賀状はおおよそ200枚、ここ何年もパソコン製で変わらない。

12月に入ってパソコン講座の受講者から「年賀状を作っているが困っている」という電話が何件かあった。お互いがパソコンを開き、電話で話しながら手順を追って進める。この要領で解決できる。チョットした操作漏れが多く大きなトラブルはない。我家へフロッピーディスクを持参された方もあった。皆さん真剣なのだ。

特に初心者の方は、パソコン購入動機として「年賀状を作るため」と言われる方が多い。それだけに熱心。講座を担当する者として、ここでパソコンを投げ出させては申し訳ない、と熱が入る。

パソコンで苦心して作る年賀状、「これは立派な手作りの年賀状です」と講座で話すと、受講者の皆さん首を立てに振られる。

東日本から北海道に掛けては台風並みの爆弾低気圧で大きな被害が出ている。当地の明日の天気予報は寒く、雪のマークも出ていた。冬はこれから。年賀状をこれから書く人もまだ多いだろう。
(写真は2007年の年賀はがき)
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門松の競作

2006年12月26日 | 生活・ニュース


今日、名勝錦帯橋へ門松が飾られた。雨に濡れて輝く橋板と門松、日本文化の美を感じさせる。

数日前、ボランティア仲間から「門松を作れ」と高さ20数センチの竹1対が届いた。思案した構図に合うような小間物を納戸から、百均から、庭から思いのままに集め材料とした。

大き過ぎたり丈不足だったり、色合いが悪いなど寄集めの材料へ小言をいいつつ、正面や横、上からも眺めながら配置に四苦八苦。
出来上がりを玄関に置く。もう一度眺めて完成。楽しかった。
これまでにも幾つか小さな門松を作ったが、今年の作が最高だ。

仲間からの宿題は「完成したら写真を送れ」。この宿題は7、8名の仲間に出されているようなので、門松の競作だ。仲間の写真を早く見たい。
(写真は宿題への私の回答)
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掲 示

2006年12月25日 | 生活・ニュース


錦帯橋バスセンターから岩国駅方面へ向かう。突当りの三叉路に岩国小学校がある。藩校の時代からすると160年の歴史がある。ここを50年余前卒業した。そのころに比べると、校舎と運動場の位置が校舎建替の時入替わり、建物は木造から鉄筋へ、校内の緑が少なくなった。

校内外は綺麗な白壁で境ができている。白壁沿った校内に高い鉄製の柱があり、ネットが張られている。よく運動場側の柱を利用して、小中高生の全国大会出場を知らせる掲示が掛かる。

甲子園、インターハイや国体をはじめとして、各種競技別の「大会名と選手名」が掲示される。今は来月周南市で開催の「中国ミニバスッケットボール交歓大会」出場者15名の掲示が乾いた風に揺れる。

熱心に練習し、その成果を発表する児童生徒等は嬉しいことと思う。顔は知らないが同じ街に住む元気な子等のいることを嬉しく思う。新しい掲示を見るたび「頑張って」と応援する。
(写真は風に揺れているミニバスケの掲示)
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結露と露

2006年12月24日 | 自然 季節


今朝も放射冷却、最低気温は1度。早朝歩行で汗をかかなかった。15時には14度まで上昇した気温、これが今日の最高気温か。

外気温が下がると結露現象が現れる。結露は「低温の壁や窓ガラスなどに空気中の水蒸気が凝結して水滴がつく現象」(広辞苑)とある。暖房のある部屋の窓や戸の結露をぬぐい取り乾いたタオルで拭く、この時期これが朝1番の日課になる。家の保守には欠かせない日課だ。

先日、露と結露を同じ概念で話していると、その違いを教えられた。「地面の温度が低くなると四囲の空気が冷えてその中の水蒸気が凝結し、草や木の葉などに水滴となってやどる」(俳句小歳時記より)ものを露という。

草木へやどるのを露、壁や窓ガラスへつくのを結露という。明快な区別がなされていたのだ。そして露という言葉は、季語として幾通にも表現の仕方があるとも教わった。

露という言葉は「はかない」感じ、露と消えるなどのように弱いイメージを持つ。露の季語を引いてみた。白(しら)露、朝露、夕露、夜露、初露、下露、露けし、露散る、露冷、露の世、露の命と沢山ある。本当の意味は分からないが、語感からは落着いた静かさを表しているようだ。

「冬は寒く、雪が降り畑の虫が絶えなければ、春からの農作物は育たない」子供のころ生活の知恵を聞かされた。化学肥料や農薬のないころの農業経験者の知恵は、地球の再生に役立つように思うのだが。
(写真は日差し前の車庫の結露)
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桜の蕾

2006年12月23日 | 自然 季節


昨年は12月に雪が3回舞った。今年はまだみない。錦町府谷では積雪があった、とパソコン仲間の情報。早朝ウオーキングで感じる風は肌を刺す冷たさになり、時おりフードを被る。手袋は離せなくなった。でも15分程歩くと身体は暖かくなる。

県指定有形文化財の「岩国学校校舎」をご存知方は多いでしょう。
岩国学校は1870年岩国藩主吉川経幹が藩の青少年を教育するために現在地近くに新築翌年開校した。後に増築した3階は、屋根鋼板ぶき、アーチ窓、鎧戸付、しっくい大壁つくりの洋風で、1,2階の和風様式と異なる。電気の父藤岡市助、文豪国木田独歩らも学んだ(観光ボランティHP参照)。小学生時代この校舎は、音楽室、養護室、給食調理場などお世話になった。今は岩国学校資料館として公開されている。

校舎の側に横断歩道橋がある。利用する人は少ない。これを渡るとき見える岩国城とその側のロープウエイは観光地らしい情景だ。小学校の運動場で体操する児童の元気な姿が見える。

橋上の側に桜の木がある。春には柔らかな花びらに手で触ることができる。枯葉が1枚残っていた。曇り空を背にしたそれは「冬だ」と感じさせる。しかし、米粒より少し大きめの蕾が小枝の先に付いているのを知った。枯れ葉と別れたばかりなのに、もう春の準備に移っている。自然の営みとその仕組みの不思議さをあらため教えてくれた。

岩国学校の屋根と桜は良い組合せだ。春になったら鋼板ぶきの屋根と開花した桜を写してお目にかけよう。
(写真は蕾と岩国学校の屋根)


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忘年と望年

2006年12月22日 | 生活・ニュース


後輩とは在職時の善悪辛苦を、同好のメンバーとは創作の裏話と同人誌創刊を、旧友とは世相と年金を、ボランティア仲間とは活動の夢と自己PRを、こうして予定の忘年会は終わった。およそ60名の方と楽しい一時を過ごした。

忘年会は「その年の苦労をわすれるために、年末に催す宴会。季語は冬」(広辞苑)とある。今年は2つの大きなことに出あった。が、その苦労は良い経験としてして残せる。

梅の花が咲き誇るころ、ボランティアグループのNPO法人化が決まり、準備委員となった。準備から法人認定までの半年、書類作成に没頭した。実にいい経験をした。が、家を空けることが多かった。

秋。春ころ入会申込を考えたが、先行のNPO準備に専念せざるを得なかったことで遅れた「岩国エッセイサロン」に入会。ただやってみたい、己の力を知らぬまま飛び込んだ。新聞投稿で文章作成の力を付けるという目標がある。短い文章だが4回投稿し2回掲載された。サロンでは、文章を読みあい感想を述べ合う中で上達のコツを掴む、こんな会合は相性いい。

この1年は、定年後久々に充実した記憶に残せる日々が過ごせた。
来る年は、望みを生み出しそれを成せる力が養われるよに日々努める。

何れの忘年会も年金生活に相応しい会費が設定されていたのは、各幹事さんのご配慮だろう。
(写真は同好の忘年会で店主サービスの活き作り)
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贈り物探し

2006年12月21日 | 生活・ニュース


「申し訳ありませんが売り切れで、入荷の予定はありません」2軒目も同じ答。車で20分ほどのお店に電話。「売れ筋の商品、予約されますか」。受話器を置き急いで受け取りに。「注文が多くお店に置けない」包装しながら説明の店員は笑顔。3千円ほどの玩具。

8歳の誕生日、贈り物は何が良いかの問合せにメールで届いた孫の希望の品。カタカナ名の玩具はどんなものか浮ばないまま探したが、女の子らしい手芸用の品に安心。品薄な玩具と知っての希望かは分からない。

大好きなイチゴと一緒に届ける。孫の誕生日は聖夜と同じ。
(写真は玩具の商品がスラリと並んだ賑やかな店内)
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虫の知らせ

2006年12月20日 | 回想


 夕食になってすぐ「明日病院へ行く」と母に言った。食事中、何かにせかされている気がした。

 食べ終えて「今から行ってくる」と病院へ。父は急な訪問に驚いたが、笑顔だった。
消灯近くになった。帰り支度を始めた時、「お母さんを頼む」と言った言葉が最後になった。くも膜下出血の再発。当直は主治医だったが、2時間後に父は両親のもとへ逝った。

 なぜ夕食後、急に病院へ急いだのかわからないが、これを虫の知らせというのだろう。そのため父の最期の言葉を聞き、臨終に立会えた。40年前のことだが、父の享年を10歳超えた今も思い出す。

(06.12.20 毎日新聞「はがき随筆」掲載)
(写真は新聞掲載の様子)
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