日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

馬糞のベッド

2009年02月28日 | 生活・ニュース
               

荷馬車とは荷物を運ぶために馬に引かせる車。その馬を馬車馬といい、競走馬とは区別し見下げた感じで呼んでいた。わき目もふらずひたむきに働く人を「馬車馬のようだ」とも言った。昔の親たちの姿でもある。

子どものころ見た馬はみんな馬車馬。荷車を引くだけでなく牛と同じように農耕にもなくてはならない貴重な家畜だった。そんな馬も馬車を引くとき道の処かまわず糞をする。その量たるや少々ではない。今のご時世だったら大問題になろう。

運動の苦手な小学生のころ。「馬の糞を踏むと早く走れる」こんな他愛無いことを信じ、人の目線がないとき、特に運動会前にはそれを踏んづけ、走ってその場を去った。その効果があったという記憶は無い。

そんな馬糞がバラの根本に撒かれている。それもフカフカのベッドを作るために湯気のでるホカホカの馬糞を撒いたという。いまの世で大量の馬糞が手に入ることにも驚いたが、淑女の一団がバラが好きの一念で糞を掴むとはそれ以上に驚いた。

糞は「ん」ともいう。きっと皆さんいい「運」をつかまれる、そんなことを1人思いながら馬糞にちょっと触り、フカフカのベッドに咲く大輪のバラを見に来ようと決めた。

(写真:根本にタップリと撒かれた馬糞と喜ぶバラ)
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倍率だけでは

2009年02月27日 | 生活・ニュース
              

今年1月の全国の有効求人倍率は0.67倍で、2003年9月以来5年4カ月ぶりの低水準となり前月比を0.06ポイント下回り、1992年1月以来17年ぶりの大幅な低下となった。また、完全失業者は277万人、前年同月比21万人増、前月比でも7万人増という報道がある。公務員は職安へ行かないというからこの数字は民間企業の人か。

一方、こんな厳しい社会情勢であっても大学入試に続き高校の入試も始まる。先日、県立高校の競争倍率が発表された。学校や学科間に差があり2倍強から1未満と受験生やその家族には気になる値だろう。受験生頑張ってください。

大阪府下のある市では、職員採用試験の倍率が数百倍に達したと報道された。この倍率にも厳しい経済状況と安定した職を求める人の姿が重なり単なる話題として看過出来ない事態だと考える。

求人倍率が高くなることは日本経済の上向きに連なる。科学の進歩で高倍率になり生活に潤いや逆に不安をつのったものがある。顕微鏡に望遠鏡にカメラ、その何れにも使われるレンズなど日本技術の得意とする分野だ。

顕微鏡は新しい発見により未知との出会いを喜ばせる。と共に身体の微細な病巣をも見つけだし、知らなければつのらなかった不安を知ることがある。人間ドックを避ける人の幾人かが指摘する。

9月までには絶対に行なわれる総選挙。選挙にも競争倍率がつきもので、高ければ激戦という。選挙は倍率よりもその中味が勝負、よーく見極めて高い投票率に繋げたい。

(写真:0.5%の確率で得た年賀のお年玉、貴重な1セット)
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水たまり

2009年02月26日 | 生活・ニュース
               

この頃の雨はさほど強くなく静かにしとしと降る。これが春雨の姿だという。

雨は好きですか嫌いですかと聞かれたときに、しばらく考えて両方と答えた。その日の気分や都合、その日の降り方などにより好きだったり嫌いだったりと同じ雨といっても思いや考えが変わる、というのが両方と答えた言い訳とした。

日本の生活では古くから雨が少ない時には雨乞いなどの儀式を行ない雨が降ることを祈った。今でも伝統的に続く行事もある。一方で、大雨は洪水をもたらし田畑を壊し、時にはそうした人の生活を破壊する。

治水をなす者は国を治めるとも言われてきた。治水技術の進んだ今はそれが利権に結びついた。私財を投げ出して灌漑や治水に力した人たちを思い出し、本当に綺麗な水を流してほしい。

アスファルトの水たまりにいくつもの水紋が遊んでいる。大きさも消えてなくなる時間もみんな違っても、みんな丸い形をしている。生まれては消え生まれては消える水紋は、あめんぼうが動いているようだ。そっと避けて通りすぎる。

帰り道、アスファルトの道はしっとりとしていた。先ほどまで水紋が楽しんでいた水たまりには向こうに見える紅梅が映っている。周りの緑濃い木々の色にも助けられ淡い色の日本画のようだ。通る人もなくしばらく立止まっていた。

雨の日に歩くと思わぬ出会いもある。こんな雨の日は好きだ。

(写真:雨上がりの後だから出会えた水たまりの風景)
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幾つになっても

2009年02月25日 | 生活・ニュース
               

「少年易老学難成 一寸光陰不可軽」(少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず)は若い頃聞かされた勧学の名詩。柔らかい頭を持つ若いときにこそ、寸暇を惜しんで学問に励めと教えられた。

「僕の頭は叩いたらゴツンと音がします。硬いから学んでも無理です」と笑わせたクラスメートがいた。「きょとん」としていた教師に2度目の笑いが起きた。

人は一生涯学ぶものだ、高齢化をいいことにあちらの団体こちらの自治体などが趣味やボランティア活動などへの誘いを毎日のように目にする。中には高額の金品を必要と思わせる内容もある。高齢者を惑わすものも多いという、充分に気をつけよう。

そんな心配の一切ない月1度の学習会がある。場所は市内のバラ公園。植栽された本物のバラを教材に剪定したりベッドを作ったり。雨が訪ねてくると側の東屋で座学が始まる。勉強会のほかに毎週土曜日にはバラの手入れをされている。

主宰者は「バラは生涯の恋人」という家庭の主婦Sさん。自宅の庭はバラバラバラ、バラの根を踏まないことには玄関へたどり着けない。そんなSさんがパソコンを駆使した自作の資料を使いながらボランティアでバラの勉強会を開いている。

「25人のバラ姫」(主宰者の呼称)が今日も東屋で学習会。Sさんの説明にペンを走らせ質問をする。時おり吹き抜ける冷たい初春の風をものともせず、一見母親役は務め終えたような皆さんの真剣さは学校の教室以上ではなかろうか。

5月には素晴らしいバラが見られるでしょう、いや見られます。吉香公園へお越しください。風にゆれる紅梅は勉強会へエールをおくっているように思えた。

(写真:バラの向こうで勉強会、ブログ掲載の了解を得ていませんのでお姿は遠景)
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菜種梅雨

2009年02月24日 | 自然 季節
               

TVのローカル放送で「菜種梅雨」になりました、と雨マークの続く週間天気予報が映っている。背景に菜の花が揺れている。桜の咲くころも雨の続くことがあり、しばらくは肌寒い雨の日を我慢しなければいけない。

季節の変わり目は気温の変わり目でもある。そういう頃は前線が停滞し、梅雨のような天気が多い。このような気候は1年に4回ある。

冬と春の間が菜種梅雨で冷たい雨や雪、春と夏の間が梅雨で曇りや雨が続き西日本では雨量が多い、夏と秋の間が秋雨で台風に刺激されると非常に危険、秋と冬の間が山茶花梅雨で冷たい雨、こんなに梅雨があるという。

春の雨は早春から晩春まで長く続き菜の花の咲くころなので「菜種梅雨」と呼ぶそうだ。この時期の雨は細い、ある方は絹糸のような雨と歌われているが、何か情緒がある。

新国劇「春雨じゃ濡れて参ろう」という月形半平太のセリフも科学者の目から見るとこうなる。あれは風流で言ったのではない、横から降りこんでくる霧雨だから、しょせん傘をさしてもムダだから、傘なしで行こうと行った、となるらしい。そして霧雨の落下速度は0.3m/sと付け加えてある。

思いや表現はそれぞれだが半平太のセリフ、京都三条の春雨を見たことはないがなんとなく思い描けるから風流と思いたい。ひと休みした雨は今夜からまた降り始めるという。「春雨や蓬をのばす草の色」(松尾芭蕉)、春を迎える植物には欠かせない慈雨が明日も続く。

(写真:春の雨を菜種梅雨と呼ばせる菜の花)
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教えてください

2009年02月23日 | 生活・ニュース
               

先日、カーラジオから「耳を疑う」会話が飛び込んだ。

話の途中から聞いたので、それまでの内容は分からないが子どもと魚についての話。最近の子どもは、のあとにこんな紹介があった。

「魚に骨のあることを知らない」「魚の骨が硬いということを知らない」「魚の姿を知らない」など、思いもよらない内容を耳にした。そしてその原因を一つひとつを例示される。

曰く、3枚下ろしの魚を使うから骨を知らないし見たことがない、いつも開きや切り身を使い尾頭付きの姿で食卓にのらないからなど、到底納得しえない話が続く。会話の相手は相づちばかり。これが真実で絶対多数の子がそうだとしたら驚くだけではすまない。

本当にこれが子どもたちの魚についての知識実態なのですか。教えてください。

魚の身を食べる時の箸の使い方の説明には納得した。小鳥は餌を食べるときくちばしでちょこちょこと突くようにしているが、箸では魚の身をチョコチョコとつつかない。身を掴み箸を横に動かし出来るだけ固まりにして骨から外す。

でも、子どもが骨のない魚を食べているという説明の後だけに、話のつじつまが合わないなどとつむじ曲がりが芽を出した。

(写真:鯉のぼりに骨はないけれど)
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桜のころには

2009年02月22日 | 生活・ニュース
               

端境期とは「古米に変わって新米が市場に出回ろうとする時期で9月から10月のころの称、転じて果物や野菜などの市場に出回らなく時期ともいい、広義にはさまざまな移行期をもいう」(広辞苑)。

古くから伝わるこの言葉には味わいがあるものの、新米の登場時期の早期化やハウス栽培による野菜の季節感喪失などを考えると「広義にはさまざまな移行期をもいう」が適切な感じがする。

黒人初のオバマ米国大統領の登場は何かが変わると世界中が注目して1ヵ月、自国の経済危機救済のための法案を通過させた。クリントン国務長官は笑顔で日本の1日を過ごし、親しみを残した。

最初の訪問国が日本、と喜んだマスコミも今朝の論調では対中国でのクリントン成果と日本のそれを比較し、米国は日本より中国と多方面に渡って力を合わせる姿勢、と報じている。

日本の国内政治は政局より政策といいながらなんら進展が見られず、数ヵ月前に選んだばかりの総理総裁では選挙に勝てないと言い切っている。自分の選挙でなく政策を進めてほしい。国民の声を聞きながら。

次期政権を取るかもしれない民主党の小沢代表にクリントン国務長官は会談を申しいれた。成否は別にして米国がもしかして次の政権は変わるかも、日本政権の端境期を予測しながらの行動、マスコミならずとも思うところだ。

人の世の端境期はいつ起こるか予測できないが、自然のそれは厳しいけれども目に見る。今、自然界は冬から春へ移行するための衣更えが進んでいる。桜の咲くころ日本の政界はどんな衣更えを済ませているだろう。

(写真:冬の季語・枯芭蕉と初春の季語・白梅が並び季節は変わっていく)
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春の感じ

2009年02月21日 | 自然 季節
               

ブログもTVも、そして新聞も春の訪れをいろいろな姿で伝え知らせてくれる。と思えば台風並み低気圧の暴れまくる姿も教えてくれる。流氷見物に出かけたOさんご夫妻はいまどんな様子だろうと気になる。

日当たりの良い斜面は緑色がだんだんと濃くなる。暖かい風に白いタンポポが1本のんびりと揺れている。春が近づいたという象徴のようだ。

蝋梅の艶やかな黄色は少し白みかけ、匂いをかぐ人も少なくなった。変わりに梅の便りが春本番の少し前を華やかせる。青空を背にして日に輝く白梅はキラキラと輝く貴石の様にも見える。桜の芽も膨らみ始めたようだ。

周りのそれに比べ背丈は低く、その色もまだ白っぽいヨモギが、アスファルトの裂け目から覗いている。今は珍しくなくなった「ど根性もの」。小さなヨモギの「ここまで伸びればもう大丈夫」暖かい日ざしを浴びながらそんな話し声が聞こえそうだった。

今日は行きかう車で、窓を開けて走っているのを何台も見た。黄砂や花粉が漂っているのにと思いながら真似をして窓を開けた。流れ込む風は春を感じさせた。

(写真:ど根性ヨモギ、まだ背が低い)
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謄写版

2009年02月20日 | 回想
               

小学校の側を通りかかったときその運動場には沢山の車が停まっているのに気づいた。陸橋を渡りながら見ると「満車」状態になっている。学校で参観の行事があるのだろうと思いながら通りすぎた。

この歳になり、自分の子どものころを思い返すのは単なる懐古趣味といわれるだろうが、日々変わる時代の変化を認識しながらも懐かしむのはそこに何かの思いがあるからだろう。

その昔、参観日に行く親は遠くは2㌔も3㌔も歩いて子どもの教室へ向った。その行き帰りに親同士の会話があった。運動場の駐車の様子からは行き帰りの親同士の会話は望めない。

学校の行事、給食の献立、いまどんな活動をしているか等など学校の様子はカラー写真入りの学校HPで見れる。ガリ版刷りの学校便りなど今では想像できないだろう。そのころガリ版は立派で大切な備品だった。

ガリ版刷りを手伝っているときこんな事があった。ローラーで印刷中に誤って原紙が破れた。その時の担任の「怒るに怒れない残念そうな顔」をかすかに憶えている。

ガリ版、正式には謄写版という。特殊加工した原紙をやすり版の上に乗せ、鉄筆というペンで字を書く。原紙の塗料が剥げて透かしが出来る。書き終わった原紙を木枠に貼り付け、インクの付いたローラーで印刷していた。原紙は1度使うと捨てる。文字を間違えると蝋で塗りつぶして書き直した。

こんな懐古をしながら、何度でも削除と入力を繰り返しながらパソコンと仲良くしている。時代は変わったのだ、と言い聞かせながら。

(写真:満車状態の運動場、きちんと並べられているのは気持ちよかった)
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七段飾り

2009年02月19日 | 生活・ニュース
               

語呂合わせの記念日や古くから続く祝い事など、売る側の飾り付けやチラシを見てその季節や時季が近づいて来たことを知ることは多い。語呂合わせの場合は特にそんな気がする。先日は巻き寿司を食べたばかり。

節分が過ぎバレンタインデーが終わるとチョコ売り場がお雛様セールに衣更えした。花屋の店先には黄色と桃色のチューリップを顔にした雛人形が飾ってある。素朴な感じいい。

バレンタインデーのチョコの値段。本番の前日に買い求めた方が、翌14日には3割引になっていた、と悔しがるブログを読んだ。値段ていったいナンなのだろうか。あるスーパーで残ったチョコを大きな箱に片付けているいるところを見た。再び登場するのはいつなのだろう。

あるスーパーの雛飾り。雄大なこと7段と見事。親王は飾られているが3人官女や5人囃以下は、さすがスーパー、ピンク色の商品がずらりと行儀よく並ばされている。ここは先日までチョコレートが積まれていた。店内が華やいだ感じになる。目を引く飾りだがさて売れ行きはどうだろう。

(写真:ピンク一色に飾られた7段飾り)
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