日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

ケーキの味は

2010年03月31日 | エッセイサロン
               

2010年3月31日 毎日新聞「はがき随筆」掲載

 親子教室で作ったという大きなケーキを笑顔で抱いた孫娘の写真が届いた。それを見ながら電話していた妻が声を詰まらせる。

 「おばあちゃん、近くだったら一緒に食べれたのにね」と言う孫の思いやりの一言に胸が熱くなった。そう話す妻のうれしそうな笑顔、それは病み上がりを感じさせない明るさだった。

 京都に住む孫は、進級につれ自分の気持ちを分かりやすく話せるようになり、成長を感じている。4月からは小学6年生。優しい気持ちも一緒に育ってくれたらうれしい。

 夏に帰省したら同じケーキを作らせ、昧わってみようと楽しみにしている。
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再建の応援

2010年03月26日 | 町かど
               

各地から桜の開花便りが届いている。名勝・錦帯橋周辺の桜も咲き始め、4月はじめの休日のころが見ごろでないわないかと、経験がいわせる。

60年前、錦帯橋は流失した。1950(昭和25)年9月、当地を襲ったキジア台風により、270余年も幾多の風雪に耐えた錦帯橋は中央部の第3橋が流失、続い第4橋も濁流に呑まれた。ずぶ濡れになりながら堤防から見守る市民は大きな悲しみにふけった。

自治体をはじめ関係者の努力で1953(昭和28)年1月に再建された。その年の花見、錦帯橋を訪れた人で、橋の上が身動きできなかったことを体験している。橋上のあれほどの人をそれから後には見ていない。近在の人の喜びがうかがえる。

このとき、再建運動を力強く後押しした話がある。当時、毎日新聞主催で「日本観光地百選」の投票が行われていた。錦帯橋流失の直後からこれへの投票が急増した。学校でも「錦帯橋」と書いたような記憶がある。

再建運動中の錦帯橋が見事首位当選した。市民だけでなく全国からの応援があったからと思う。しかし、流失して現存しないものを対象にするのはおかしい、という指摘があった。主催者の「必ず元の姿で再建される」という見解で結果は変わらなかった。

この話しは、錦帯橋のはがき投票に父が仕事で多少関与していたことから、毎日新聞の記者から聞いた話としして、桜の咲く頃に何度か聞いている。

2004(平成16)年3月に平成の架け替えが完成し、世界遺産登録への運動が行われている。

(写真:流失直前の錦帯橋、奥側の樽の位置が第3橋:錦帯橋物語より)
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ご当地検定を岩国で

2010年03月25日 | エッセイサロン
                

2010年3月25日 中国新聞「広場」掲載

「岩国の歴史や文化を市内外の人に知ってもらい、それをご当地検定まで膨らませよう」という活動に誘われた。

 考えてみれば、私の知っている故郷の歴史や文化、自然も人も狭くて超薄っぺらなことに気づいた。知れば知るほど広くて味わい深いだろうと考え、参加を決めた。初会合では全員がやる気を述べ合った。

 その後、町を歩くと、無意識に通りすごしていた所に思い出がたくさん残っていることに気づいた。そんな思い出と今の様子を写真と一緒に残しておこうとブログに「町かど」というカテゴリーを加えた。ふと出合った風景や耳にした話、懐かしい行事などもこまめに残したい。

 数回の会合を重ね、故郷の恵まれた姿を教えられている。何かを知るということは年齢に関係なく、うれしいものだとあらためて思う。

 市内の人には愛着と誇りを持ってもらい、市外の人には岩国をよく知ってもらおうとボランティア活動ながら大きな目標を立てている。その終点である秋のご当地検定へ向け、メンバーは頑張っている。
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六角亭の贈り主

2010年03月24日 | 町かど
               

錦帯橋から吉香公園を散策し紅葉谷公園へいたると奥まったところにエキゾチックな深紅の建物がある。それは春の桜、夏の緑、秋の紅葉、冬の雪とそのいずれとも見事な調和を見せる「六角亭」。

これは1593(文禄2)年、朝鮮の役に出兵した初代藩主・吉川広家激戦の地、壁蹄館(へきていかん)を偲び、1918(大正7)年に贈られたものである。この贈り主が長谷川好道である。

長谷川好道は旧岩国藩士・長谷川藤次郎の長男として1850(嘉永3)年8月周防の国錦見(現岩国練武場)に生まれたとある。幼少から文武両道に達し神童と呼ばれた。少年のころ抜擢され主君のそば近くに仕える侍臣となり、藩儒・東澤潟(ひがしたくしゃ)について陽明学を修めた。

戊辰の役で各地に転戦、田原坂の戦で武名を轟かせた。フランスに留学、日清戦争では旅順要塞巧城戦での勲功により男爵になる。日露戦争では満州の野に武功をくりひろげたとある。明治37年陸軍大将、同45年参謀総長の要職に就く。日独戦争も参画する。

1916(大正5)年元帥の称号を賜る。同年から朝鮮総督を4年間務めた。この間にさきの「六角亭」を同地から記念に贈ったとされる。1924(大正13)年1月、75歳で薨去と記されている。没後元帥の生前の功績によって官位は「元帥陸軍大将従一位大勲位功一級伯爵」を授けられた。

生誕の地にはそれを示す石碑と、元帥の生涯を記した説明版が建っている。その生誕地には威徳を偲び練武場が建ち、武道の振興に寄与している。少年剣士等の勢いのある声が元帥に届いているだろうか。軍人として最高の官位を授かった人を知る人も少なくなり、訪れる人は少ない。

(写真:生誕地を示す石碑、奥の建物は練武場)
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しろうと展

2010年03月23日 | 陶芸
               

所属している「ゆ・遊・陶芸クラブ」の2回目の作品展を開催。会員は60~80代、年齢は熟年の域にあるものの、陶芸は小学校入学したばかりの腕前、しかし熱心さわどこの誰にも負けない気構えの者ばかりだ。

この1年間、月2回の教室で作り上げた作品を展示する。大きな皿や花器から小さなぐい飲みまで、数だけはどこの展示にも負けないほど並んだ。大勢の方に見ていただきたいと。

今回は、写真を撮るため東奔西走している「デジカメどうこう会」の第3回作品展と共催する。そのため昨年とは異なった趣のある展示になっている。デジカメの会も毎月の例会でその技術研鑽にいそしんでおられる。

合わせて「しろうと展」と称し次の通り開催しております。
素人の素朴な作品を楽しみにおいでください。

 会 場 岩国市中央図書館1階展示室
     (岩国市南岩国町4-52-1)
 期 間 3月24日 ~ 3月28日
 時 間 10時 ~ 16時 但し28日は12時まで

(写真:開場を待つ展示会場の様子) 
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ブランコの歌

2010年03月22日 | 生活・ニュース
               

次の歌は1971(昭和56)年、愛知県心身障害者コロニーで働く人たちのサークル「コロニーぶらんこ」の創作曲。子どもたちの願いや思い、コロニーで働く人たちの思いをこめた歌。

  ブランコが揺れる 僕の夢のせて ゆれている
  ブランコが揺れる 僕の夢のせて ゆれている
  僕のこの手とこの足が
  まっすぐに伸びて歩けたら 一人でブランコにのりたいな

    ブランコが揺れる 僕の夢のせて ゆれている
    ブランコが揺れる 僕の夢のせて ゆれている
    僕の体が強くなって
    何でも自分で出来たとき 母さんの待ってる家に帰るのさ

      ブランコが揺れる 僕の夢のせて ゆれている
      ブランコが揺れる 僕の夢のせて ゆれている
      空を翔る鳥になって
      ぼくらの生きてるよろこびを もっともっとみんなに知らせたい

歌が作られたコロニーは「心身の発達に障害のある人々が明るい幸せな生活を営むことができるように、療育、医療、教育、職業訓練、授産などを行うとともに、在宅の障害者や家族の相談や指導にも応じる」また「すべての人の願望である心身障害の原因の探求や治療と予防を図るための研究をする総合的な福祉センター」とHPで紹介されている。

近くの児童公園のブランコ、思いっきり足を動かしたり、立ち上がって身体全体で大きな振れを楽しむ子らを見てほほえましく思っていた。しかし、ブランコにのれることを願って訓練などに励む子らのことを知りながらも、自分には頑張ってと願うしか方法がない。

(写真:寂しそうな雨上がりのブランコ)
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西岩国のメイン通り

2010年03月21日 | 町かど
               

JR西岩国駅、かっては岩国の玄関だった。駅前から通称・新小路を通り大明小路を行き着いたところが名勝:錦帯橋。およそ2キロの道のり。錦帯橋へ向かう花見見物の人で埋まったという通りだが、いまは見れない。

しかし、かっては繁栄した町並みらしく、いくものセメント作りの古い建物が残る。そこには大正時代の面影を感じる。西岩国駅もそのひとつ。続いてF歯科・Aテーラー・旧岩国税務署・岩国学校資料館・山口銀行錦帯橋支店・H写真館・F時計店などの名前が浮かぶ。

セメントつくりではないが饅頭屋・文房具屋・酒屋・食堂・菓子屋など古い看板と昔のままの店舗で営業していた店はほとんどが閉まったり改装され、残っているのはわずかになり、子どものころの記憶は一変した。

セメントの建物でも、テーラーも歯科も後を継ぐ人がいなかったようだ。昔税務署は外科病院から美術教室へと変遷している。こうした通りにも時代の波は押し寄せ、新しい様式の家が建ちはじめた。そんん中で寺院は改装こそされるが、外観はかわらないまま存在感を示している。

大明小路には白壁と古い門構えの残る家がある。そこを通り過ぎると錦帯橋の袂に着く。かってのメイン通りに残る建物を折々に紹介してみよう。

(写真:国登録有形文化財になっている旧岩国税務署)
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マンホールの蓋

2010年03月20日 | 生活・ニュース
               

マンホールの蓋、それはどこの道を歩いていても見かけ、特に気にするほどのものではない。しかし、マニアはおられる。白い紙を蓋全体に被せて鉛筆で蓋の絵模様を写している外国人女性を見た事がある。立ち止まってみていると片言の日本語で「面白いです」と笑顔で話しかけられた。

それは円形で、錦川の錦帯橋と鵜飼と岩国城をデザインした観光岩国を表現した鋳鉄製の蓋。デザインには町のシンボルや花木などが多く使用される。市章などをあしらったシンプルなものもある。近所の歩道には鮎をデザインしたものもある。

近所で消火栓の工事があった翌日、通りかかると補修した黒いアスファルトの中に丸い形をしたオレンジ色の物が見える。マンホールの蓋だった。市内でカラーの蓋を初めて見た。

デザインは消防の梯子車と市章、それに消火栓の3文字。これなら蓋の下にあるマンホールが何かすぐに分かり、万一のときも役立つと思う。火災予防へのちょっとした気遣いを呼び覚ますかもしれない。

鋳鉄そのままの色の蓋では注意してみないとその用途が分かりづらい。これからのメンテナンスや工事でカラー化されるとおもしろいかな、と思いながらコストのことが頭をよぎった。

(写真:カラー製のマンホール蓋、これが空けられないことを願う)
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佐々木小次郎出生の地

2010年03月19日 | 町かど
               

昭和初期に朝日新聞に連載された「小説 宮本武蔵」の著者・吉川英治は、錦帯橋畔の「割烹 深川」で執筆をしていた。宮本武蔵の宿敵といえば「巖流島の決闘」で知られる佐々木小次郎。

小次郎の出生地には諸説ある。吉川英治作では、「小次郎は、周防岩国(現在の山口県)の生まれで母から授かった家伝の長光の刀(別名物干竿)で、錦帯橋河岸一帯の柳とつばめを相手に、独学で剣術に磨きをかけ、天下無双の剣法『つばめ返し』を完成させた」とされている。

錦帯橋畔にはつばめ返しを編み出したとされる柳の木がある。近くの公園には1989年に作られた佐々木小次郎像もある。二つとも多くの観光客に喜ばれカメラに収まっている。この像のレプリカが武蔵・小次郎決闘の地である巌流島にある。

佐々木小次郎への愛着の念を込め、錦帯橋を中心とする岩国の観光PRや小次郎についての研究を行う有志グループとして平成14年に「岩国巌流会」が結成されている。会員が小次郎姿に扮して錦帯橋を歩いている。佐々木小次郎剣道大会もあり、岩国の小次郎になっている。錦帯橋そばの佐々木屋小次郎商店のソフトクリームは味と種類の多さが老若男女に好評で、長蛇の列を覚悟するときもある。

すっかり岩国人にされた「佐々木小次郎」、どんな思いで彼方からこの賑わいを眺めているだろう。

(写真:佐々木小次郎像、後方の山は岩国城のある城山)
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雨のなかで

2010年03月18日 | 自然 季節
               

だてにも春雨とはいい辛い雨の降る中、田舎道で人待ちをしている。携帯が鳴る。「申し訳ないが少し遅れる」といい、続けて車の位置を告げた。15分はかかりそうな場所にいるようだ。

少し肌寒いが待つあいだ春はないかとあたりを歩いてみる。このところ続く雨のせいか花も木も草も勢いが見られる。そういえば緑の色も濃くなり、枯れ草も少ない。あいにくの日和で畑に人影はない。

雨の中、幅の細い長さのある「筍堀用の鍬」を持った人に出会う。1週間くらい前から本数は少ないが、毎日、掘っているという返事。近くなら見に行きたい尋ねたら、あきらめる距離だった。今年の地物はまだ見ていない。

昔はこんな雨の日の田舎道はぬかるんで歩き辛かった。いま、道だけは都会のように舗装され、ところどころで日をうつして輝いているところもある。長靴はいらなくなった。

離れたところに雪の積もったように揺れているのは「こごめ桜」が満開に咲いた小枝。梅と桜の端境期に咲く。一つ一つの花は小さくて可愛いが、まとまると大きな存在感を示しだす。だれに教わるともない自然のてだて、人知の及びところではないと今日も思う。

(写真:舞っているように見える雨にうたれるこごめ桜)
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