日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

百葉箱

2008年07月31日 | 生活・ニュース
               

県道から5分ほどで上りきる急な坂道の上に夏休みで子どもたちのいない小学校。校門の学校名の書かれた木の板にまだ艶の残った大きなセミの脱け殻が数個。それは大役を果たした後の安堵感を感じさせた。

その校門を入ったとこに百葉箱があった。忘れるほど長いこと目にしていない。

周りの緑と白のコントラストがほっとさせる。よく観ると真白なペンキ塗りの鎧戸、小さいが扉に掛けられた鍵、周りには雑草も見えない。子どもたちなのか先生なのかとにかくよく管理されていることが何故だか嬉しい。

いつの間にか汗が引いていた。緑に囲まれた真白な箱の周囲は清涼な風が静かに心地よく流れている。セミの鳴き声も気のせいか暑さを感じさせない、不思議に思う。

駐車場に車が1台、当直の先生だろうか。静かな高台の小学校、百葉箱がいつまでも綺麗であてっと願いながら足元を注意しつつ坂道を下りる。下りながら小学生のとき背伸びしながら百葉箱を覗き、気温や湿度を記録したことを思い出した。

県道は真夏の暑さだった。

(写真:懐かしかった百葉箱)
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赤い自転車で郵便物の集配

2008年07月30日 | エッセイサロン
               

 高校の3年間、夏休みと冬休みに郵便局の集配のアルバイトをした。6時半に出勤、赤い自転車で街中のポストを回り、投函された郵便物を集める。一休みして小包の配達補助、それが終わって弁当を食べる。午後もう一度ポスト周りをして終業だ。

 はっきり記憶しているが、50年前は日給で300円だった。夏と冬を合わせて、およそ1万5千円のアルバイト料を得た。これは当時の1年間の校納金に相当し、それにあてた。母が喜んでくれたことを思い出す。

 若くても夏は暑かった。クーラーなど無い時代、そんな時代だったからかもしれないが、お中元の配達先で「小さな郵便屋、これで元気出せ」とよく冷えたラムネ瓶を出された。汗をふきながら飲むそののどごしのさわやかは、時が過ぎた今も忘れられない。

 アルバイト料の他に、こうした人の温かさや思いやりという何物にも代え難い姿に接し、学んだことを今も感謝している。

 郵便局のシンボルの赤い自転車はバイクに変わり、局内は機械化されたという。パタパタと音を立て切手に消印を押す、あのスタンプのリズミカルな音を懐かしく思い出しながら、暑中見舞いを書いている。

 (2008年7月30日 朝日新聞「声特集『アルバイト』掲載)

(写真:アルバイトをしていた局舎は建て直されモダンになった)
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立ち枯れ

2008年07月29日 | 生活・ニュース
               

数行、半分や1枚など原稿用紙や投稿用便箋に書きかけの文章がいくつかある。書きたいことをメモしたものもある。続けて書こう、完成させようとファイルを開いてみる。

開いたら、書いては読み書いては読むことを何度も繰返した、内容が陳腐になった、ちょっと迷惑がかかるかな、思い込みが薄れた、次の言葉が出ないなど未完成の理由は容易につけられる。

それでもパソコンから消去しないのはいくらかの思い入れがまだ残っているのだろう。書き始めた時は、喜怒哀楽を含めた感じたり出会ったりがあった。何かのおりに思い出したものもある。

いつかは書き上げて格上げしたファイルに納めてやろう。仮ファイルのままそこで枯れることのないよう、これまで通りたまには開いて読み返そう。

(写真:立ち枯れたキュウリはやはり気の毒)
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夕立

2008年07月28日 | 生活・ニュース
               

  頭上の雲が激しく動く

  結びつき重なり合う入道雲
  エネルギーを思い切り吸収しているような白く輝く上層の雲
  そのエネルギーの伝播を待っている下方の雲
  最下段の黒い雲がぐんぐん広がり 稲光も走る

  地上では雨を期待する

こんな空模様の下で始まった定例会議。「会議中は降って、終わったころに止んでくれるといいのに」なんとも都合のいい冗談で始まった。終わったとき、冗談が本当になっていた。水溜りを避けながら駐車場へ向かった。

夕方、花などへの水撒きが免除された。葉の艶や勢いがいつもよりいい。話しかけながらタップリと撒いてやっているが天然水には及ばないということだ。そういえばいつからか人も天然水を求め始めている。

心持ち雨の後は暑さが和らいだかなと思う。予報では不安定な空模様が続く、と案内している。毎日きてもらいたい夕立、何か冗談を言ったら来てくれるのだろうか。

(写真:にわか雨前の空模様)
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応援の思い出

2008年07月27日 | 生活・ニュース
               

第90回全国高校野球選手権大会の全出場55校は27日に決まる。山口県代表は下関工業高校が初出場を決めている。

新聞風に書くと「下関工は大会初日、開会式直後の第1試合で、北北海道代表の駒大岩見沢と対戦する」となる。駒大岩見沢は4回目の出場。大会第1試合での健闘を祈る。

甲子園への切符、各県1校は常識になっているが、昔は違った。山口県は中国地区続いて西中国地区といった風に地区代表だった。

そんな中、50年前の第40回大会は記念大会として各県1校の出場枠、各校とも必勝を期して甲子園をねらった。それは県代表柳井高が全国優勝を果たした年になる。

その年の県予選。初戦の応援団は夏休み前にその練習もあわせて出来上がっている。次の応援は試合が終わるまで分からない。ところが毎試合勝つ。結果、応援団参加の呼びかけに苦労した。

今のようにメールや携帯電話は勿論ない。電話のある家庭はほんのわずか。口コミと張り紙で募集だった。駅に集合、ローカル線に乗って徳山駅に。歩いて球場へ。帰りは逆だが勝っているから足取りは軽い。

そして決勝戦で柳井高に敗れた。応援を呼びかけた仲間と悔しがった、が思い出が出来たと気持ちを切替て高校最後の夏休みは終わった。アルバイトを幾日か休んだが職場は寛大だった。

準決勝までの応援は全て1塁側、それが決勝戦で3塁側に変わった。これも敗因のひとつ、先日、同期とジョッキーを傾けながら懐旧談を楽しんだ。

(写真:県代表決勝戦を伝える紙面)
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会話

2008年07月26日 | 生活・ニュース
               

暑いですのう  本当に暑いですね
入道雲が大分高こうなりましたのう  ひと雨来るのでしょうか
来て欲しいですのう  もう何日も降っていないそうですね

あんた等は暑いのにいつも鮮やかな色をしとってじゃね  有難うございます
毎日のことで大変じゃろ  私たちは今日だけですから
それはどうゆうことかね  昨日は姉たち明日は妹たちとかわりますから
そいじゃーあんた等は1日だけかいね  そうです
だから鮮やかで元気なんじゃね  ありがとうございます。

そろそろ時間が近づいたですのう  何の時間ですか
シャワーの時間ですいの  それは何ですか
このうちの主が朝と夕方水撒きをしてくれます  水撒きですか?
あんたらの姉妹が続いて綺麗なのは水撒きされるからじゃいね  はぁ夕立とは違うのですね
生き物は水がないと生きていけんのいね  鉢の土から吸い取っているものですね

わしらは体の汚れが落ちて気持ちいいですいの  涼しくもなるでしょううね
あっあの音が近づいて来た 涼しそうな音ですね
じゃあ来年また会いましょう  ひゃー気持ちいい  

(写真:こんな会話が聞こえる庭の日照)
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ひとり乾杯で祝う

2008年07月25日 | 生活・ニュース
               

「毎朝1キロ走っているよ。お爺ちゃんも体を動かして元気にしてね」小学4年の孫からの便り。こんな文章も書けるように成長したか、読みながらあの日のことを思い出した。

雪の金沢へ出張で出かける直前「いま女の子が産まれた。母子ともに元気」と息子から電話。予定より1ヵ月余り早い初孫の誕生。

心配かけまいとゆっくりした話方に息子の気遣いを感じる。翌日の帰路、京都駅から産院へ急ぐ。

受付さんの「元気な赤ちゃんですよ」の声にほっとする。眠っているか起きているか、息を整えながら階段を上がり、軽くドアをノック。産院の優しい香りと一緒に嫁の母の顔が覗く。その母にとっても初孫になる。

元気そうな嫁の顔に安心し、妻からのお祝いの言葉を伝え、お産の労をいたわる。「少し小さいですが元気です」嫁は嬉しそうに明るく話す。

孫の初抱き。拳ほどの丸い顔。眠っている顔を左右に動かす。「爺ちゃんに抱かれたことが分かった」と返事するかのように思える。

少しゆする。早く生まれた分だけ軽いかな。いやその分だけ生命運が強い、そんな重さが伝わる。

心残りながら急いで駅に。いつもより大き目の弁当と缶ビールを買う。ポケットから出したポラロイド写真の顔に向けてひとり乾杯で祝う。写真のしわくちゃな顔が笑っているように見える。

(写真:孫からの手紙)
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ウナギの厄日

2008年07月24日 | 生活・ニュース
               

ウナギには災難の日。今日は夏負けを防ぐため土用鰻の日とスパーのチラシが教えてくれる。食品偽装のひとつとなり注目をされた日本人好みの食材、例年とは違った報道がされている。

家内の体調がいいのでスーパーに。入口に「予約ウナギ引渡し」の吊り下げ掲示がエアコンの風にゆれている。幾人かの人が取り囲んで見ている。

店員の威勢のいい「はい、20匹」の声と一緒に包みをうけとられたご婦人を周囲が一斉に見つめる。気にする様子もなく重そうに抱えて戸外に。その先をいろいろ思い浮かべるのは貧乏人の性かと恥らう。

鰻の蒲焼はたまに食卓にのる。年明けころから実質値段がうなぎ上りではないが上昇していた。九州のある知事の宣伝効果で値上がりする、そんな事も思ったりしたが、ここに来て買うことをためらう値段になっている。

天然と養殖、国産とそうでない物の見分けを知らなければ安心出来ない市場にしたのはもしかして消費者自身かも知れない、そう反省するところもある。

賢い消費者になれとよく言われるが、どうすればいいだろう。

(写真:暑くても人の食になる心配のないメダカは悠悠としている)
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どうしてるかな

2008年07月23日 | 生活・ニュース
                 

終戦記念日近くなると「今、彼はどうしているかな」というある人を気遣う父の話しを思い出す。

連日の空爆で、戦況は日本の敗戦を感じさせていたころ、敵を竹槍で突く演習に参加した。

「これで勝てる」と連れに話した。それを若い訓練仕官に聞かれ平手打ちされた。平手で済んだのは彼も「勝てない戦争、勝てない演習」と分かっていた。

父はそう思ったといい話の終りに短い言葉で彼の今を知りたがった。

訓練仕官のどこに引かれて気づかう言葉になったのか思い出せないが、その仕官がご存命ならお会いし、父の言葉を告げてみたい。

夏の終りの急逝から40年以上過ぎたが、父が経験した戦争についての一言を残しておきたい。

(写真:復興した現在の岩国駅付近)
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紫式部

2008年07月22日 | 生活・ニュース
               

ネットで新聞各紙を見ると「幻の源氏物語写本 70年ぶりに発見」という記事が大きなスペースを占めている。記事を読むと専門家には重要な資料となる様子がわかる。研究に新たな展開があるかも知れないという。

源氏物語は教科書で接しただけで進んで読だことはない。およそ1千年前に紫式部が創作した長編、光源氏の人生を描いた物語という程度の知識しかない。

由緒ある資料や書物から新たな姿や事実が描き出される。発掘した古墳から人の歴史が読み解かれる。これらの報道を読むと研究者に深い尊敬の念をいだく。

東北のある遺跡発掘の捏造をスクープした記者の話を聞いた。保身ための捏造は許せないという記者魂が歴史的曲説を防いだ。こうした輩のいることを残念に思う。

源氏物語の新資料の発見がこれからどんな展開に進むのか、光源氏を知らないが続報が楽しみだ。

1週間ほど前「持ってお帰りい」そういってミニ鉢植えをもらった。高さは10数センチ、小さく「ムラサキシキブ」と札が立ててある。小さな実が葉の付け根から出ている。秋ころには紫色の実に変わるそうだ。式紫部との偶然の出会い、その先に何があるのだろうか。

(写真:秋の色変わりが楽しみな実)
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