日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

うるう日

2012年02月29日 | 生活・ニュース
           

「オリンピックの開かれる年は」と小学校の先生が受け持ちの児童に質問した。「うるう年です」という元気な男児の答えが通じなかったのか先生は再び質問を繰り返した。「4年に1回で今年です」。先生は正解ですとほほ笑んだ。

今日はうるう年を示す4年に1回だけの日。オリンピックの開催は4年に1回、うるう年に開かれる。先の先生はこのことに気づかなかった。第1回オリンピック競技大会は1896年アテネで開かれた。今年のロンドン大会は第30回ということになる。

オリンピックはさておき、地球が太陽の周りを1周するのが365日と約6時間となるから、4年に1度、不足する1日をプラスして調整する、ことは理科で学んだのか理解できる。では4年ごとに1年366日はいつからだろう。

どうしてそう計算されたのかは分からないが、2000年以上前のローマの政治家ユリウス・カエサルは4年に1度、1年を366日とするユリウス暦を作っていた。これを改良したグレゴリオ暦(太陽暦)が現在も世界で使われているという。

日本が太陽暦になったのは1873(明治6)年。開国・明治維新という歴史の流れの中で欧米の暦に合わされた。それまでは太陰太陽暦、月の満ち欠けから計算した29.5日を1カ月としていた。19年に7回ほど、うるう月を入れ1年を13カ月として調整した。作物栽培では気温や日の長さなどは重要である。そのために暦は古くからよく考えられ庶民にまで周知されていた。先人の知恵が今の科学を作り上げていることを改めて思う。

(写真:ユリウス・カエサル)

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猫じゃあない

2012年02月28日 | 生活・ニュース
                      

写真家の大木 茂さんがある対談のなかでこういう話しをされている。「高校生のとき、列車の時間を聞こうと駅に飛び込んだら『猫じゃないんだから、まず挨拶をしなさい』とどなられた」。そのとき人との接し方を教わったとある。

言って聞かせるときに「犬や猫じゃあるまいに」と、本論の枕ことばとして使うことはある。子どらには使ったことがあるかもしれない。これは犬や猫を一段見下した例えで、賢い犬や猫にこの言葉が通じたら彼らはきっと怒るだろうなあと思う。

子どもの失敗を犬猫に例えてすべて諭すのでなく、多少の失敗は体験として残させることが将来の力になることがある。その見極めは大切だが、すべてを型どおりの生き方にすることはやめてもいいのではなかろうか。動物との接触も自然な接し方の中でルールを覚えさせて欲しい。

駅員は飛び込んできた見知らぬ若者に人としての大切な一歩を教えた。猫を飼ったことがことはないのでその術を持っていない。そこで思うのは、駅員は自分の子どものように猫をしつけ可愛がっていた。そこで飛び込んできた若者の態度にいつもの躾の言葉がでた。だから高校生の心に残ったのではなかろうか。

大木さんは機関車を撮っている。車両自体は熱効率の悪いものだが、重厚に作って手厚くメンテナンスされた方々の情熱と努力が、ぬくもりとなって備わっている、と話す。そんな蒸気機関車が本州の線路から姿を消したのは1974年11月という。山口線貴婦人号は運転再開30年という。日本人の郷愁を誘うのだろう。

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戻らぬ風景

2012年02月27日 | 回想
           

一年中、老舗旅館の玄関前で休まず回っている水車。といううより、名勝・錦帯橋を見つめながら回っていると呼ぶ方が似合いそうな場所。苔むすとまでは経っていないがようだが、樋から流れ落ちる水に逆らうことなく律儀に回っている。水車の回るギーコ、ギーコという音、こぼれ落ちるザザーという水音はしないが、眺めていると母の実家近くで見た昔が目に浮かぶ。

昭和16年の「森の水車」  
1 緑の森の彼方から    2 雨の降る日も風の夜も  3 もしもあなたが怠けたり 
  陽気な歌が聞えます     森の水車は休みなく     遊んでいたくなったとき
  あれは水車のまわる音    粉挽臼の拍子とり      森の水車の歌声を 
  耳をすましてお聞きなさい  愉快に歌を続けます     ひとり静かにお聞きなさい
   
   コトコトコットン コトコトコットン ファミレドシドレミファ        
    コトコトコットン コトコトコットン 仕事にはげみましょう          
     コトコトコットン コトコトコットン いつの日か 楽しい春がやって来る

地方の街が都市化し、それが川の上流へ進むにつれて流域周辺の人口減や農産物の生産減に高齢化が進み、水車や臼の回る小屋など、かっての生活を支えた姿が消え、コンクリートの護岸では元へはかえれないことになっている。

あの頃の風景、今では唱歌や童謡の中でしか残っていない。市内にはかって日本一の大きさを誇った水車がある。その名は「でかまるくん」。そばを挽き、そこならではのそばが食べられる。普通に見られた水車は観光資源に変わった。それでも残してほしい。
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手水鉢

2012年02月26日 | 町かど
 

毎年、除夜の鐘が鳴り始めると氏神様へ参る。長い石段を上りきったころに日付が変わる。すると老若男女の列が 雅楽に導かれるように参道をゆっくりと社殿へ進み始める。この氏神様には石段の手前に手水鉢がある。

今年の初詣のとき、水で手を清め口すすぎする参拝者が例年になく多いことに驚いた。この水をためる器を手水鉢という。3人が並んで使えるそこには、竹製の導水管で水は絶え間なく注がれいて手水鉢からはあふれている。

自然石で作られた手水鉢には石の野趣をいかして作られており、形状は千差万別とある。そんな形状のひとつに「誰が袖型」という着物の袖を思わせる形状が名前の由来のものがある。有名なのは清水寺成就院書院縁先にあるという。

その「誰が袖の手水鉢」が吉香公園内の12代藩主・吉川経幹(1867「慶応3」年3月没)とその妻順正夫人(1891「明治24」年2月没)の墓のそばにある。小堀遠州の作といわれれいる。経幹の姉の夫(小堀勝太郎)が1846(弘化3)年に経幹に贈りました。後に毛利家との仲直りしたとき、毛利慶親に贈り、その写しを造って残したものという。

手水鉢はもうひとつある。それは30段ほどの石段を上がったところにある、初代藩主・吉川広家(1625「寛永2」年9月没 65歳)の墓のそばにある「みみずくの手水鉢」。これは広島藩の家老・浅野家の茶人・上田宗箇から1625(寛永2)年に寄贈されたものである。手水鉢は意匠の豪華さから優れた芸術品といわれている。

広家と宗箇は共に千利休に師事し交友があった。手水鉢が届いたとき広家は亡くなった後で、今津の淨念寺に置かれ、1907(明治40)年に現在地へ移されたという。広家は贈られた手水鉢を目にすることが出来なかったことになる。

岩国検定の学習を続ける中で、散歩中の楽しみが増えている。コースを変えながらこれからも楽しみたい。

(写真:左 誰が袖の手水鉢、右 みみずくの手水鉢)

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春の前触れ

2012年02月25日 | 町かど
           

バレンタインデーが終わり桃の節句関連がお店を飾るこのころになると、恒例のひな飾り公開イベントが錦帯橋畔で始る。今年は題して「お雛様と人形展」。錦帯橋通りを中心に飲食店や骨董店、割烹に民家など15軒の玄関や座敷に飾ってある。

知識がないので聞いてみると、明治から昭和初期ころまでの作品という。7段飾りは分かるが、着物や皿、掛け軸に屏風などと組み合わせて飾ってあるなど、見る人を楽しませる。大きな円卓に男びな女びな、様々な顔や形の人形をずらりと並べた飾りもある。その一つ一つは雛段のそれに負けない年代を感じさせるいい顔だ。

2回目の桜の開花予測が出た。錦帯橋の吉野桜は前回より2日遅くなった。開花予測が出るとおもいだす。錦帯橋そばのホテルの女将さんが「毎年大きな変わりようはありません」と何十年と見つめてきた経験を話されていた。今年は梅の開花が大幅に遅れ、各地で梅まつりの催しが日のべになっているとか。桜はどうなるだろう。

お雛さまは早く仕舞わないとお嫁に行き遅れる、こんな言い伝えを無視するように「お雛様と人形展」は3月末まで続く。地元の商店主らが町おこしのひとつとして始めたイベント、桜のシーズンへとつながって欲しい。





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ひとつの終わり

2012年02月24日 | 回想
           

普通に見れば古くなった団地の解体工事だが、そこは定年まで勤めた会社の社宅。会社は日本で最初の石油化学工業を起こした。その発祥の工場を作り、支え、進化発展させた社員が住んでいた岩国社宅。

建設は1958(昭和33)年から4年の間で鉄筋2階建と3階建の各6棟で計108戸。テニスコートや広場なども備わっていた。かっては希望しても入居待ちになる優良人気社宅。しかし、ピーク時には約2700人の社員が在籍した工場も、各種合理化・プラントや研究所の統廃合・合併などで、現在は1100人まで減り、岩国社宅利用者は30世帯まで減っていたという。

昨秋、社宅跡地2.2ヘクタールが隣接地で営業しているスーパーに売却され、複合型の大型店舗の建設が見込まれる、と地元紙で報道された。OBの間では惜しむ声が多かった。いつか解体の時が来るとは思っていたが、現実にそれを目にすると、寂しくやるせない思いになる。

私は地元出身なので社宅への入居経験はないが、この社宅住まいの上司の家で幾度か宴会を重ねた。仕事としてもこの団地にかかわったこともある。通勤途上の国道から朝夕眺めながらそばを通っていた。今は遮音幕などで外部からは見通せない。解体整地は4月半ばまで続くという。

石油化学発祥の地からひとつの足跡が消える。解体する重機の唸り音を聞きながら、工場操業50周年記念式典の厳粛さを思い起こした。社宅は消えても企業の永遠なことを平凡なひとりのOBとして祈っている。
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雨垂れの音

2012年02月23日 | 生活・ニュース
           

春夏秋冬の季節代わりには梅雨があるという。冬から春のそれは菜種梅雨。気圧配置からもその様子がうかがえるというのは気象予報士。昨夜からの雨は昼前にやみ日がさし始めた。市内でも40ミリ近い雨量を記録した。これが雪だったら大変なことだったろうと思ういながら、雨垂れを見ているときローカル紙のある情報を思い出した。

瀬戸内は自然災害は少なく環境もよく住みよい、現役のころ関東などから転勤してきた社員の感想はおおむね良かった。住まいの周りではこの冬1度も雪が積もらなかった。しかし瀬戸内から中国山脈を越えると、この季節の山陰の生活は雪に苦労されいる。そのひとつにこんな事例がある。

JR西日本の木次線は、島根県松江市の宍道駅から広島県庄原市の備後落合駅に至る約82キロの鉄道路線である。この路線の中国山脈側の出雲横田駅から備後落合駅の約30キロ区間が、積雪で運行見あわせのためタクシーによる代行運転が行われているという。それは今年1月4日から続いている。

近年にない積雪に見舞われた日本海側の豪雪地帯の厳しい様子は映像で見ているが、中国山地のローカル線で長く続いている雪害はあまり知られていないのだろう。一定間隔で落ちる雨垂れの音は春が近づいている拍子のように聞こえる。根雪が解けるのはいつだろう。


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無意識

2012年02月22日 | 生活・ニュース
           

その時は素人なりに考えて撮ったつもりでも、焼き付けられた写真を見てがっかりしたのは何年も前のこと。今は撮った直後に確認できるデジタルカメラで、気にいらなければひと押しで消去出来る。地方在住の記者も液晶で確認しながら撮り直している。

フィルムの時代は白黒もカラーも含めてシャッターを押すことに慎重だった。理由は簡単明瞭、難しく言えばコストが頭にあるから、考え考え撮った。そんなことから昔の人は上手く撮ったと言われるのかもしれない。私の持っている補助機材はストロボだけだった。

そんな中でもまぐれで1枚くらい気にいるものがあると嬉しいものだった。子どもの写真は子どもの顔の表情と同じくらいピンボケも含めて撮った。だが、大きくなるに従い枚数は激減した。間をおいて孫の写真になった。

デジカメになってパソコンへ取りこんで見ると何だこれは、という消去忘れにあきれることがある。反対に無意識に押したシャッターが面白いものを残していたりする。白鳥が寄って来たのでなんとなく撮った。パソコンを開くと水面に何やらあやしげな模様がある。墨絵のような線は何だろうか。

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八朔ジャム

2012年02月21日 | 生活・ニュース
                      

新聞を取りに玄関を出たら、名刺とメモが添えられた中味が黄色く見える大きな袋が置いてある。ずっしりとした重さ。同好会の知人の畑で採れた八朔が今年も届いた。いい色をしている。

「はっさく」、変換をすれば「八朔(国語辞典、広辞苑)」。いま話題の「八策」は載っていない。「八策」は「船中八策」で検索できる。これは坂本竜馬が立案した「新国家体制論」。ここでその解説はしないが、某政治団体の政策集が「船中八策」として発表された。坂本竜馬を尊ぶ知人が「竜馬のそれをなぞらえるのは所詮は彼らの政策に中味がないから、そこで竜馬の威信を勝手に使っただけ」と怒っていた。

早速いただく。確かに、どこかの政策集とは大違いで、味は甘さと適度な酸味がきいた、ほのかな苦みもいい。八朔について「魅惑の歯ごたえ、1度食べたら止まらない」、そんなエッセイの1節を思い出した。

家内は味色に染まった手製のレシピを参考にジャム作りを始めた。見ているとなかなか根をつめた下ごしらえがいるようだ。さて、どんな仕上がりになるだろう。
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使い方

2012年02月20日 | 生活・ニュース
最近はパソコンを携帯化したようなポケサイズが、今、世界を席捲してる。周りにもぼちぼち持ち始めた人がある。それを見たり聞いたりしていると確かに便利で使いやすそうで、欲しくなる。こんな便利な機器での交信を見ていると子どものころ大好きだった空想科学物語が現実になったと感激する。

針金で作ったアンテナに向かって「トンツー ツートン」とモールス信号を送って遊んだ。工作で作った糸電話の微妙な音の伝わりに何かを発見した気分。関西への修学旅行で初めて見たダイヤル式電話に都会の先進性を知る。こんな大昔のことも思い出す。

今は老若男女、箱の中にある仕掛けや仕組みを知らなくてもタッチするだけで交信できる。この便利な道具を悪に使う者がいる。ポリスメールでは毎日のように管内の情報が送られてくる。知らない者からのものは開くな、とよく言われることだ。

「ワン・クリック百万円」とはメールを始めたころに教わったルール。知らないメールは「絶対に開くな」ということ。仕掛ける方は進歩している。普通の人が適うわけがない。被害にあわないために知らないメールは開かない、これは厳守です。
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