日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

冬 あさがお

2011年10月20日 | 生活・ニュース
           

今朝の外気温は10度を下回っていた。そんな朝、17日にアップした朝顔のつぼみが開いた。

寒さで、こごえて思うように動かない子どもの手のようだ。精一杯に咲いたのだろうが、陽がさしはじめてもかじかんだ手のままで、それよりは大きく開かなかった。

自然に逆らって無理をさせた、それに一生懸命に応えてくれた朝顔、すまないことをした気持がした。まだいくつかつぼみの先から花の色が見える。元気に咲いてくれそうで、私は大きなパワーを貰った。

もし、種が採れたら次の夏に育ててみよう。


   いろいろあって明日から2~3週間、
   パソコンのないところで生活することになりました。
   そのためつたないブログですがお休みします。
   再開しましたら、またご訪問いただきますようお願いしまし。
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色づき始めた

2011年10月19日 | 自然 季節
           

通りで出会った知人が「障子を張り替えた」と季節感ある声を掛けてくれた。障子、和室に襖ななどとともになくてはならない建具のひとつ。単なる部屋の区切りの役目だけではなく、畳とあわせ安らぎの部屋を演出してくれる。

最近は障子かと思いきや紙の変わりに合成紙がつかわれている。遠目には分からないが、よく見ると雰囲気は違う。やんちゃ盛りの子どもさんの遊び対策としては重宝らしい。汚れれば水拭きも可能とか。それでも桟越しに日はさしこむ。

障子を張り替える時期になると、庭の千両の実が色づき始める。ここ2、3日の冷え込みのせいかその色が増したようだ。といっても、その盛りの鮮やかな色合いにはほど遠い。それでも季節の変わりを感づいている。色が鮮やかになるとしばらくはネットで覆っておく。

小鳥たちはよく知っている。色つやがよくなると、ゆらゆらする枝に止まって赤や黄色の実を上手についばむ。それはタンバリンの上でダンスを踊っているようだ。見ている内はいいが、正月前には全滅となる。しばらくは餌でなく千両らしい姿でおいてやりたい。せっかく実を実らせたのだから。

(写真:色づき始めた千両の実)
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使い切りのLED電球

2011年10月18日 | 生活・ニュース
           

世の中は省エネ、電力についてみると大きな施設やビルなどでLEDへ切り替えるなど使用が広範囲に渡って進められている。ハウスでない農場も出現した。太陽を必要としないLED農場、ここでは無農薬の農産物が作られ採算が合うという。そして天候に左右されず計画通りの生産と出荷が可能で、価格安定も図られるとか。

報道やCMで見ると家庭でもこうした傾向は強まり、蛍光灯からの切り替えも多いようだ。使えるものをわざわざ取り換えなくても、という話をしたら「そうではなく、省エネのために切り替える」と考えて進まなくては日本のエコは進まない、と言われた。家の蛍光灯を全部取り換えるとなると考えるところが。

何十年も使った電気スタンドの寿命が来た。電球が特殊で高価なため買い替えることにした。ならばLEDにと量販店へ。品数は多くなかったが、自分の使い勝手に合う商品が見つかった。値段も手ごろ。

よく見るとLED電球の取り換え方が分からない。聞くと「このスタンドは灯かなくなった時が寿命で、交換は出来ません」と教えられた。そのLED電球はは4万時間は持つとある。「4万時間の電気代は白熱球より88%もお得、電球交換を含め8万5千円の節約になる」という説明。1日5時間使って22年近くは持つという計算になる。これからの我が寿命と比較しながら苦笑した。

使ってみると目に優しい感じがする。新しい生涯の連れができた。

(写真:デスクトップに映ったスタンドの明り)
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花のいのち

2011年10月17日 | 生活・ニュース
           

「朝顔の花一時(ひととき)」という言葉があるそうだ。朝顔の花のしぼみやすいことを、物の衰えやすいことを、はかないことにたとえた句。この句に並べて「槿花一朝(きんかいっちょう)の夢」とある。こちらは、栄華のはかないことを槿(むくげ)の花にたとえたという。

朝顔は日没から約10時間たったころから開花するというから朝は早い。4時頃に咲いているのを見た。朝のうち花に勢いがある。花の命は長く夏から秋まで長い間咲き続けるというが、今年の我が家の朝顔は夏の終わりとともにお終いとなった。

槿は朝3時頃から開花し夕方にはしぼんでしまう。朝顔と同じで一日花だ。両方とも次々に別の花が咲くので、見た目は長く咲いているように見える。

夏の終わりに朝顔を抜き取ったプランターに朝顔の二葉が何本かのぞいた。元気そうなので植え変えてみた。可愛くも育ち始め、今は背丈が20センチほどに伸び、葉を茂らせている。もしやと気をつけて見ていると、幾つものつぼみらしきものがつき始めた。

夏ほどの強く長い陽あたりは受けれないこのごろ。気がつけば陽のさす所へ移動させている。明け方の気温は10度と少々、果たして花を咲かせる力が備わっているのだろうか。句に読まれているように、例えはかない花でも、つぼみを見せてくれるこの生命力、しっかりした力強さを感じる。

(写真:咲くのだろうか、つぼみらしきもの)
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豊作雑感

2011年10月16日 | 生活・ニュース
           

「大豊作のマツタケ」とローカTVニュースで、画面からあふれ出しそうな店頭に並ぶ見事な商品を映し出していた。地域は県の北部。価格は昨年より1万円ほど安い、と説明があったものの、それがどのくらいなものか見当がつかない。豊作なら値が下がる、さて口に入るか否か。

この豊作、全県下でそうあってくれると嬉しいのだが、世間はそれほど甘くないかもしれない。スーパーでは外国産が多く、その値段は少し高めの気がする。東北地方の減産を予測してではないのか、国産が豊作なら間違いなく値下がりするだろう。マツタケどころ広島県も豊作らしい。

豊作は「五穀のよくみのること」とある。次いで作物のできのよいこと、と説いてある。五穀はは人が常食とする5種類の穀物で米・麦・粟・豆・黍などをいう。黍の変わりに稗ともいう。今の時世で粟や黍、稗などを常食にする日本の人はいないだろう。

これらは干ばつや病害虫に強い、水をそれほど必要としないので山間部でも育成が容易、含水率が低いので保存が簡単などから作られたという。それが今日の日本の農業を築きあげた遠い源だったことになる。

先人のこうした知恵が今日の稲作に連なったことを知ると、豊作・豊作と浮かれているだけではすまない。食への感謝の大切さを改めて思う。

(写真:柿も鈴なり、ここには見える豊作がある)





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旅立ち

2011年10月15日 | 回想
音信が途絶えて数年が過ぎた。

障害で車いす生活の彼は定年退職後も郊外の高台にあるマイホームに一人で住み続けた。彼を知る沢山の人が話をしに訪れた。時には持ちよったつまみを肴に缶ビールを開けた。彼の酒量は、若い元気なころのそれには到底及ばない量に減った。それでも、昔ながらの陽気な笑い声で皆を安心させてくれた。ビールはエビスが好きだった。

障害が進むにつれ一人での生活が難しくなり、ヘルパーさんの訪問を受けはじめた。何度かそのヘルパーさんとも顔を合わせたが、いい人たちばかりだった。症状の進行が目に見えて早くなり、ヘルパーさんの力だけでは生活ができなくなり、介護施設の世話になり始めた。

そこへは2度ほど会いに行った。2度目は数人の仲間と訪ねた。それが彼の顔を見る最後になろうとはそのときには思わなかった。ただ、昼食を食べさせてもらっている姿に胸が痛んだ。それからまもなくアルプスの麓に住む娘さんの所へ移った。娘さんと暮らせることを仲間と喜んだ。アルプスの感じを織り込んだ年賀状が2度届いた。それが最後の便りになった。しばらくして、関東の施設で世話になっていると仲間から聞いた。

春と秋の彼岸には家内の作ったおはぎを持って訪ねていた。「すみません」といいながら仏壇へ供えるようにうながした。どなたが供えられるのか仏壇には花が供えてあったことを思い出す。隣の県に住まいの娘さんだったかもしれない。

「彼が亡くなった」、仲間から電話で知らせがあった。
不自由な体に負けずに仕事をしていた顔を思い出した。

私より若い彼のご冥福を祈る。
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さつま芋

2011年10月14日 | 生活・ニュース
           

つる付き、土付きのサツマイモをいただいた。「砂地で育ったサツマイモなので美味しいはずです。天ぷらがいいかも」とは届けてくれた人。自慢そうでない口調にその自信を感じる。畑作りはその人の多彩な趣味の内のひとつ。

子どものころには勤めの合間に畑を耕し、食べ物の自給を図る両親の手伝いをした。ジャガイモ、玉ねぎ、大根に人参などなど幾種類もあった。サツマイモもそんな品数の中のひとつだった。梅雨の雨を待って、自作のサツマイモの苗を植える。チビな私には広い畝の幅とその高さが気になった。

夏の日を受け思うままに伸びるツルを畑の内側へ戻すこともあった。収穫は四又鍬で父が掘る。傷ついたサツマイモを見た記憶がない。せっかく育ったそれへの思いなのかもしれない。掘る前にツルを切り離す。これは子どもにもできる作業だった。

収穫したサツマイモは、かっての防空壕に敷き詰めたもみ殻の中で保存した。植え方も育て方も今風と違ったあの頃のサツマイモは戦後の我が家を支えた食料のひとコマ。今日もイモか、そんな事はいわなかったと思う。

収穫は「農作物のとりいれ」というが、転じて「何事によらず得たもの、成果をいう」ともある。少しばかりの収穫経験から得たものは思いつかないが「いただきます」という感謝の意味は子どものころに身についたおもう。

届いたサツマイモは先ず天ぷらとしていただいた。甘みがありほくほくする噛みどは、作られた人の言葉通りだった。残りは何になるのか、これは家内の胸のうちだ。

(写真:届いたばかりのつる付き土付きの新鮮なさつま芋)
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落 葉

2011年10月13日 | 生活・ニュース
           

落葉樹は秋から冬にかけて葉が散る。その散った葉のことを落葉という、のは誰もが知っている。公園にはその落葉の溜まり場が見られる。それは舞台裏で出番を待つ役者のようで、風が吹いてくれるのを待ってようだ。

落葉といえば童謡にうたわれた「落葉たき」を思い出す。

♪ (1) 垣根の垣根の 曲がり角 たき火だたき火だ 落葉たき
     あたろうか あたろうよ 北風ピープー ふいている

  (2) さざんかさざんか 咲いた道 たき火だたき火だ 落葉たき
     あたろうか あたろうよ しもやけ おててが もうかゆい

  (3) 木枯らし木枯らし 寒い道 たき火だたき火だ 落葉たき
     あたろうか あたろうよ 相談しながら 歩いてる   ♪

今の子どもたちは都市も地方も含めてあまり目にすることのない光景だろう。やすやすと焚火のできるこの頃ではない。さざんかの垣根は高く積まれたブロック塀に変わり、焚火という風情にもなじまなくなっている。

祖父は寒くなると、登校時間の少し前になるとよく焚火をしてくれた。燃やす物は落葉や薪の切れ端、松葉くずなどいろいろだった。近所の子どもが集まり、温もった勢いをかり、学校へ向かって駆けた。霜の降りた朝は焚火のまわりがじめじめになるが、手をかざして温めた。

落ちないで枯れたまま枝に残っているのが枯葉、と呼ぶことも皆が知っている。風に吹かれ地上を舞っている落葉もいいが、風に揺れる枯葉には何か想いを感じる。桜の落葉を集めている人に出会った。聞くと「堆肥」にするという。落葉が喜んでいるように見えた。

(写真:遊具と遊んでいる落葉)








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スポーツの秋

2011年10月12日 | 地域
           

10月の晴天率は非常に高く、それも後半ほどよくなるという記録があるとか。国体の期間中も全国からの選手を青空が迎えた。開催の山口県は東京都を振り切り天皇・皇后の両杯を獲得し、県民を喜ばせてくれた。報道ではこのために数年以上の歳月と35億円を掛けて選手の育成をしたという。

学校関係の運動会も高校から始まって中学校・小学校と続きと、幼稚園・保育園などが先日の3連休までに終わったようだ。およそ1カ月、元気な声が聞かれた。近所の小学校では例年より早く練習中のテントが張られた。各地の運動会などで起きた熱中症対策だろう。準備に万全をきたすに越したことはない。

スポーツといえば記録。各新聞のローカル面に大小様々な地域のスポーツ記録が載っている。記事より小型の文字で「びっしり」と掲載されるそれは当事者にとっては記念として残せる嬉しい紙面という。普段の成果が表れたことになるので、投稿が掲載され喜ぶのと同じ心境と思う。

文化省の調査では小中高生の走力や握力などの成績が上昇しているという。40歳以降が落ち込んでいるのは仕事や育児などでお疲れが出ているのかも。少年期の元気さがものをいっているのか、高齢者の増進が目覚ましい、という。年よりのはつらつもいいが、働き盛りの人に元気をもたらす取り組もしっかり考えて欲しい。

(写真:道路から眺めた小学校の運動会、万国旗が消えている)
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稲が先住でした

2011年10月11日 | 地域
           

スーパーの米売り場には各地の新米が積まれている。そこだけ見ていると今年の米作は順調なように感じるが、そうではなかった。

東北地方では大地震と大津波、それに重ねるような福島原発での事故による放射性物質による汚染、そこから生まれた風評被害、さらに台風などコメどころ東北の農家は大きな被害を被られた。いつそこから抜け出せることができるのだろうか。あれから7ヵ月、遠く離れた地のことではあるが気になる。

大方の地域で稲刈りが済んだのではなかろうか。我が家にも家内の実家から例年のように精米しだちの新米が届いた。硬く閉められた紙袋を開ける。ふわーと新米の香りが漂い出る。収量は例年並みだたっという。早速、京都に住む孫へおすそ分けを送る。孫は小さいころからご飯大好きで大きくなった。

住宅に囲まれた稲田。いやいや、元々は田んぼだったところが宅地に変わったのだ。だから先住の稲が頭を下げることはないのに頭を下げれる稲がうらやましい。刈り取られた稲穂がはぜ掛けにされている。はぜに干すと水分が均一に飛んで、美味い米になる、といううのは耳学問から。

年々、稲田が減っていく。ここはいつまで作り続けられるのだろう。

(写真:美味しいお米ははぜ掛けに限るそうだ)
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