日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

連れあいは

2011年05月31日 | 自然 季節
           

花公園の中にある地元産の土産などを販売する店の入口に「ツバメが巣作りをしています」という立看板がある。なるほど、と見上げて店内へ。接待用のお茶をいただきながら品定め、店を出るとき作りかけの巣に目がいった。

何かおかしい。作りかけの巣のそばに取り付けられた板の台にツバメが1羽だけいる。飛び立っていこうとする様子もない。作りかけの巣は椀を向き合わせたように見える。高さはそれなりにあるが、二つの間は大きく開いていているというより欠けている。

何度かツバメの巣作りを見ている。その何れも2羽が一緒になって粘っこそうな土などを繰り返し運んでは巣を大きくしていた。そのとき、下方から椀形に作り上げていく。大きく開いた形は見たことがない。見上げていると「何度やっても巣を作りきりません」と店の人が奥から教えてくれた。

未完成の巣の上の方には湿った感じの土が付いている。今日も巣をつくろうとしていたのだろうが、今はそんな様子もなく、板の上でじっとしている。巣はつがいで作ると聞いている。連れあいに何か起こったのだろうか。

あのツバメは家族を作ることが出来るのだろうか。マイホームを持たないツバメはいない。早く完成させ子育てを終えないと南へ旅立てなくなるぞ、そんなことをおもいながら「頑張れ」とエールを送り店を後にした。

(写真:未完成な巣と1羽のツバメ)
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脇芽を育てる

2011年05月30日 | 生活・ニュース
           

野菜作りを趣味として楽しむ知人の広い菜園の中で野菜のあれこれを聞いた。作りを楽しむだけでなく、収穫したものをおすそ分けも趣味にしている人だ。畑を持たない者には土付きの新鮮な野菜を届けてもらえて嬉しい。

「トマトの苗は1本あればいくらでも増やせる」。苗1本から増やす方法は、脇芽かいてそれを挿して育てればいい。そうして次々増やす。家庭のプランター菜園なら十分すぎるほど収穫が出来る。そう話しながらそばのトマトから芽を1本かいでくれた。そういえば、そんな話を聞いたことがあると思いだす。

早速、素焼の鉢へ挿した。3日過ぎくらいからシャキッとした姿勢に変わり元気そうだ。根付きは間違いないだろう。これでトマトが収穫出来たら大儲けということになるが、それは取らぬ狸の皮算用と同じ、肥料や水やりの手抜き出来ない。

「芽」という字は新鮮でそこに何か夢が広がり成長する力を備えているように思う。芽が出る、芽を吹く、芽生えるなど努力した人の姿がそこに浮かぶ。かぎとられた一つの脇芽に花が咲き実がなり、そして食卓にのればその芽は喜んでくれるだろう。

いつかは脇役の一歩上に行きたい、誰もがそう思いながら鍛錬する。もし脇芽に実がなったらその存在感を示すことになるだろう。といっても人の手がかかる。脇芽に存在感を感じさせられたら、喜んでいいのかもしれない。挑戦だ。

(写真:貰ったトマトの脇芽が育ちそうだ)
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青梅は食べない

2011年05月29日 | 生活・ニュース
           

ホームセンターに梅酒用の瓶が積んである。そろそろ収穫の時期が近づいたことを教えてくれる。散策の道沿いにも青い梅が鈴なりの木を見かける。実をみるだけでこの年になっても少し酸っぱい感じがする。

梅の実の色は濃い緑に育っているが青い梅という。果実などの未熟なものを青いというところからきているとか。そういえば人柄や行動が未熟だと「あいつはまだ青い」、そんな表しかたをする。青い梅の実は本当に未熟なの。

子どものころの遊び域は広かった。柿やイチジクにビワなどがあちこちの庭になっていた。断ってからひとつふたつ貰って食べた。「怪我せんようにとりいや」と注意を聞くころには口に入っていた、そんな記憶もある。

が、青い梅を口にした記憶はない。「青い梅をたべたら腹下しになる」というのが子どものころお年寄りからの耳学問。あのころは素直に守った。今ならネットで調べてみよう、てなことで「爺ちゃんどうして食べたらいけんか知ってる」とネットで得た網学問で爺ちゃんを困らせるかも。

子どもころの我が家は梅漬けと梅肉エキスの2種類があった。梅漬けは漬けたものを干さないでそのまま保存してあった。その頃は塩分控えめではなかったろう。一緒に漬けた紫蘇を小さく刻んで握り飯に入っていたのを思い出す。

すりおろした梅を鍋に入れ、長い時間、火鉢の火で煮詰めていた祖母を思い出す。どろっとした黒光りするそれは黒飴のようだが、甘くはなかった。「万病に効く」とガラス瓶に入れ戸棚の奥の暗いところが定位置だった。腹の調子が悪いと水で薄めて飲まされた。夏には薄めて喉の渇きを抑えた。少し酸っぱいが飲み終えた時の梅味のスカッとしたさわやかさ、今の自販機飲料では味わえない清涼さだった。

(写真:散歩道で見上げた青い梅)
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欲しいなあ

2011年05月28日 | 生活・ニュース
           

「足腰が衰えたら楽しみが半減するから歩け歩け」という。用事で近くに出かける時、往復2キロくらいなら出来るだけ歩くことにしている。晴れた日の散策は少し長い距離になる。

手ぶらで歩く時は運動だと意識し周囲をあまり気にしないように前を向いて進む。2千歩あまり歩くとこの頃でも汗ばむ。水気が欲しくなったときのために小銭は必ず持って出る。しかし、ほとんど必要としない。

たまにカメラを抱えて出ると周りのものに目移りがする。すると汗ばむことはなく、歩数計のカウンは上がらない。ジャガイモに花が咲いた、梅の実が大きくなった、雑草の中の1輪、青鷺の餌待ち、飛びかう小鳥、緑濃く生き返った雑草などなどきりがない。

下手な趣味でも、こうした目に入るものにカメラを向けファインダーからのぞきピントを合わせる。するとそこに小さいが自分だけの世界が現れる。それは高くて深い意味や芸術性は全くないが、自分のその時の思いを残したことになる。

ファインダーをのぞくと自分の腕にお構いなしにいろいろと思う。もった長いレンズが欲しい。綺麗だとおもう花を見るとマクロがあったら。そんなことは上手くなってからでいい、と自問しながら今日も道沿いの花を撮る。

(写真:いつも通り慣れた道もカメラを持つと少し変わる)
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刈り取り

2011年05月27日 | 生活・ニュース
           

そろそろ剪定するか、こう書けば「樹形を整える」かのように思われると嬉しいが、本当は伸びた枝などを刈りとるだけのこと。せめて刈りこむくらいの腕になると、この作業も楽しいかもしれない。

刈りとるのは、まきとクロガネモチとつげと椿の4本。刈り取る作業は椿が1番やり易い。とにかく刈りこむだけ。その点つげは各枝を半楕円状にする。葉が密に茂っておりそれなりの樹形が出来上がる。気を使いながら刈りこみ鋏を使う。

そのつげはいま白い花が満開。花の大きさは径が2ミリあるかないか、おまけに葉の下側に咲くので見えにくいし、光線の加減では全く気付かないこともある。こんな花でも蜜を求めてか蜂がくる。蜂はミツバチの倍くらいの大きさで黒っぽい蜂だが名前は分からない。かなりの数が来ている。野生の生き物の餌が少ないというが、こんな小さな花にも寄っている。

この花の落花は早い。そうすれば蜂は蜜の採取に来なくなる。それから刈りこむことにしようと決めた。何の符号かちょうど雨も降り出した。隣の伸びたクロガネモチの枝が揺れている。早く刈ってとせがんでいるようだ。

(写真:花は白くて小さいが数の多さに見栄えがする)
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クリニクラウン

2011年05月26日 | 社会 政治
           

クリニクラウ、「クリニック(診療所)」と「クラウン(道化師)」とを掛け合わせた合成語として主にヨーロッパで使われ、先進地はオランダという。日本では阪神淡路大震災のあとで活躍が始まったそうだ。主に入院中の小児の病室を訪れ、遊びやコミュニケーションなどを通じて心のケアをする専門家。日本では臨床道化師と和訳されている。

そうした人の東日本大震災後の小児病棟での活躍を映像で見た。紹介された子どもは小児がんで入院3年あまりという4~5歳くらいの男の子だった。そんな子らは震災後は笑いを無くし、緊急地震速報を報せる音におびえる。震災のため母親が避難している子もいる。

診療道化師は病室を回る前、医師から子どもの状況を教えられる。医師の注意事項を理解しその子にあった笑いの方法を工夫する。ピエロ姿の臨床道化師に、はじめ警戒するようなまなざしだった子が、いつの間にか診療道化師や親と共にはしゃぎ、全身で笑っている。いつの間にか子どもの子どもらしさを引き出していた。画面に引き込まれる。

これになるには厳しい選抜があるという。子どもの心理や保健衛生、病院でのルールなどに精通し、なおかつ優れた表現者であることが求められる。そうした表現者だからこそ、治療入院中の子どもたちを、おもいきり笑わせ、一緒に遊ぶ環境を醸し出せるのだ。

病院スタッフも臨床道化師と同化する。こうした活動が精神的な医療効果を生んでいるという。何より笑いが復活した我が子の顔を見て、嬉しさをぽつぽつと話す父親の顔のアップが印象に残った。まだ緒についた活動という、大きなエールを送る。

(写真:早くこうした戸外で遊ばせてあげたい)
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雑草雑感

2011年05月25日 | 生活・ニュース
           

これからの季節、広さにお構いなく庭に顔を出すのが草。数少なければ草でいいが、広がれば雑草になる。夏の日照り続きでも雑草は衰えを見せないで生きている。我が家は庭の草防止策として砂利を敷いた。以後、草ぬきの作業は激減する。砂利を歩くと「ジャリ」と音がし防犯にも一役かっている。

「雑草のように生きる」という。高い障壁を乗り越え深い谷から這い上がるなどたくましい生命力の例えにつかう。雑草はちょっと尊敬されている。「あいつは雑草のような奴」ともいう。こちらはまさに邪魔もの扱いの例になる。

山間地域を車で通っていて感心することがある。それは地域がら段々畑が多いが、その法面の雑草が綺麗に刈り取られていること。農家の人は見栄えでなく畑や作物のことを考えての除草だろうが、法面のうねりは、くっきりと描かれている水彩画を見るようで、気持ち良い。

自家用の畑は段状だった。法面の雑草を刈る。畝にかぶせその乾燥を抑えたり積み重ねておいて、畑にすき込んだりした。肥しをやるわけでもないのに法面の雑草は畑の作物に負けない、それ以上に伸びていたことを思い出す。そんな畑も用地買収にあい30数年そんな経験から遠のいている。

(写真:綺麗に刈られた道路の法面、法面に続く畑を作る人が刈られたのだろう)
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プランター菜園

2011年05月24日 | 生活・ニュース
           

「よくなりますよ」という種苗店主の説明を素直に受取り買ったミニトマトの苗。プランターへ移して10日あまり、見た目は順調に育っている。丈は伸び枝は増え、葉は大きくなり枚数も増えた。緑色だがトマトの形をした小さな実が10個くらい姿を現した。1番育っているのでも径がまだ1センチもない。それでも少し嬉しくなる。

昨年、初めてピーマンを植えた。これが驚くほど収穫できた。それに気を良くして今年はピーマンと新たにミニトマトを植えた。いま、育っているのは薬味のネギ、昨年の名残から育った大葉。もらった根つきのチシャもいい調子に育ち何度か食卓へのった。

省エネ、自給自足、地産地消、節電など右肩上がりの成長時代には全否定されたような言葉が、いま巾を利かしている。その時代にも心がけていれば、付け焼刃のような対応を今しなくてもよかったかもしれない。そんなことを思いながら猫額ほどの庭に並んだプランターを眺めている。

プランターは「草花の栽培に用いるもの」というのが本筋らしい。しかし、世にはプランター菜園という言葉が定着しており、こちらでの普及も相当なものだろう。我が家のそれは樹脂製、高価なものは大理石製もあるというが、これには野菜が遠慮するかも。手軽に自家菜園を楽しめるといことは、生活に潤いが出るかも。我が家の菜園も付け焼刃ならぬ息の長い潤いを見出せるようにしたい。

(写真:期待を抱かせるミニトマトの列)
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あじさい

2011年05月23日 | 自然 季節
           

南九州地方の梅雨入りが発表された。北九州地方の梅雨入りもそう遠くないだろう。そうなると山口県は自動的に梅雨入りという決まりになっている。県東部に住んでいるとピンとこないがこれが行政の仕組みだろうか。

その梅雨の前触れだろうか明け方の静かな雨。それに誘われるように鉢植えの紫陽花が開いた。向かい合った大きな濃い緑の葉の間に、粒々のつぼみが見え始めてだいぶになる。それが伸びて葉の高さを超え数輪だが柔らかな白い花になった。紫陽花の開花は7月の半ばころまでというが、この花は雨に濡れている様が美しい。七変化するもという、これから色合いをどう変えていくのだろうか。

紫陽花を土におろして盛り上がるように育てたいが庭が広くない。ひと株ほどの鉢植え、それでも季節を届けてくれる。たっぷりと雨滴を乗せた葉で枝が重そうにたれ下がる。プラ竹で支えをする。ちょっと手を入れてやると素直に姿勢を直し再び雨に顔を向けた。今年も大事に守ってやろう。

(写真:小雨の中で今年初めて開いた紫陽花)

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ネギの花

2011年05月22日 | 生活・ニュース
             

あちらこちらの畑で「ネギ坊主」が見られる。しっかりしと太ったネギの先に咲いている。子どものころから見なれたそれはそれなりに親しみを感じる。ただ、坊主の出たネギは茎が固く中の空洞は広がり、食用には向かない。

ネギはある程度大きくなってから、秋冬の気温が低く日が短い時期に花芽を作る。春を迎え気温が上がり日が長くなると花芽が伸長し外に顔を出す。これが「ネギ坊主」で、300~400の花がついているという。花はやがて種になる。

和食とネギ、古くから味噌汁、蕎麦、うどん、これから美味い冷奴などの薬味として用いられる。鍋料理、すき焼にも欠かせない。料理のわき役としては絶対に欠かせないひとつで、その存在感は高い。

「ネギ 使いたいだけどうぞ」と、ネギを大きな椀に盛りつけてスプーンを添えてテーブルに備えたうどん店があった。珍しさと欲もありしっかりと使った。ネギの風味は十分だが、うどん出汁の味を分からなくした。薬味は食べ物の風味を増し食欲をうながすが、度を超えると嫌になる。そう学んだことがある。

このネギも、ところ変われば品変わるではないが種類、使い方、食べたかと多彩だ。そんな品種など関係なく我が家はプランタンで1年中育っている。根つきのネギが届くと根元から10センチほどのところで切り落とし、プランタンに植える。買ったものでも勢いのいい時はそうする。が、最近は根つきのネギを店頭であまり見かけない。その理由はよくわかる。

プランタンの固くなった土はときどき移植こてで柔らかくしたり、たまにはエコ肥をやる。水やりは欠かさない。いま、2種類のネギがよく育ち出番を待っている。

(写真:通りかかりで見かけたネギ坊主)
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