日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

雨の朝 顔見世

2019年06月30日 | 生活・ニュース

 梅雨前線の影響で西日本と東日本に雨雲が停滞し、断続的に非常に激しい雨が降り記録的な雨量となっている。降雨地域では被害の発生と警戒レベル4が出て二十数万人近くの人らに避難をうながしている。九州から四国に留まる線状降水帯という雨雲、過去の被害を知っているだけに不気味に見える。この雨は7月3日ころまで続くという。

 付近では予報ほど激し降雨はなかったが、市内北部のダムでは、流入量が増加しているので、昼前にゲート放流が始まった。川の水位上昇に注意くださいと防災メールが入る。ローカル放送では四国に停滞している降水帯は北へ上昇し山陽側に影響を及ぼすかもしれないと予報する。梅雨末期の状況に似ている。

 今朝、カーテンを開けると雨の心配を癒してくれるかのように朝顔が2輪初咲き、ほっとさせてくれた。というのは、昨年、何年振りかに購入した種で朝顔を楽しんだ。花が終わり採種し、今年2代目を願って育てた。弦の伸びに促され花芽がつく。しかし、一向に太くならないので、自家増殖禁止の花か、そんな疑念を持ったりしながら開花を待っていた。

 雨に打たれて花の勢いは抑えられているが、昨年と同じ色合いで咲いていた。確認したことは無いが、朝顔は日没から8時間から10時間過ぎたころに咲くという。この時期なら午前3時から5時くらいになる。朝咲くから朝顔、も大きな間違いはなさそうだ。朝顔に大雨を遠ざける力があればと思うが、花は夕方早々には眠りに入っていた。
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難儀してます

2019年06月29日 | 生活・ニュース

 勧められ、時代の流れかと十数年使った世間でガラケイと呼ぶ携帯電話、これに別れを告げスマホに変えて数カ月経った。使用形態は発信より受信待型なので、周囲にスマホが蔓延しても困るとは感じなかった。ところが、スマホで映像や資料を眺めながらの会話が進むとガラケイではどうにもならない。また、キャシュレス化に遅れないようにという気もありスマホになった。

 ポンポンポンと手続きは進む。Q&Aで交わした契約に関する内容が設定されたのか「これで使用できます」と言いながら何十枚もプリントが渡され手続きは完了した。手続き中に機器操作の説明は一切なし、渡されても使える訳がない、とON-OFFから質問し、何となくパソコンと似ていることを知って後は独学とする。

 暇を出した携帯には、しっかりした分厚いマニアルがついていた。使用しながら知りたいこと出来ないことは、マニアルを繰って調べれば解決した。今は電子形態で咄嗟の用には困る。テキストを探していたら店頭に購入と同機種の説明書があり求めた。使える人がより高度に利用するための説明で喜ぶほどではなかった。色んな事で難儀しながら使っている。

 パソコンと違い、操作中に操作以外の箇所に触れると中断されたり、違う画面に飛んでしまう。まだ手が震えるほど老化はしていないつもりだが、ゆっくり丁寧に触ることを心掛けている。ポケットに入れて持ち歩け、検索も容易な便利品だが、使いこなすにはまだ時間が掛かる。「楽しみながらマスターを」と知人が励ましてくれた。
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賞与のあれこれ

2019年06月28日 | 回想

 今日、国家公務員に夏の賞与が支給された、昼のニュースで知った。7年連続のプラスで平均35・5歳の一般行政職で約68万円という。賞与ともボーナスともいうが普通6月と12月に給与とは別に支給される金銭、民間では賞与の支給されない小企業もある。また、8月の盆に支給されところもあると聞く。何度貰っても嬉しいもので、現役時代、これで大型の買い物ができ、家庭内を明るく丸くする効果を担っていた。

 現役時代、賞与は4月から9月分を12月に、10月から3月分を6月に支給されていた。支給は厳しい査定、といっても査定される当人は何の関与もできず、何段階かの過程はあるが秘かに行われた。当人は支給金額を見てどの段階かを知る。それを納得するしかない制度、1度苦い経験がありその回復には涙が出た。

 今をさかのぼること何十年前、給与も賞与も現金支給だった。賞与は給与額よりかなりの増額になる。その現金を、社員千数百人分の袋へ入れる。ペアを組んで確認しながらの作業だが、支給額は袋ごとに異なりそれはそれは苦労した。総額が金種ごとに準備してある。1枚の過不足もなく机上から姿を消すと袋いれは終了する。数回経験したが、夫のそして父の威厳を保つ重要な仕事だった。

 そう、給与、賞与の現金支給制度は「誰が働いて家族を守っているのか」の権威付けの核だった。職場や金融機関の合理化が噛みあい振り込みとなり、給与明細持ち帰りと化した夫であり父となった。共働きが一般的となった現在では想像できない昔話だろう。我が家は、定年まで私が引き出し夕方に現金を持ち帰り、何とかその地位を保った。
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100歳の年に 2

2019年06月27日 | 社会 政治

 先日、私が100歳になる2040年、「その頃は高齢人口が最多になる。病院や介護施設へ入るには高額の金が要り、入れるのは一部の人、貯金の無い人は自宅や訪問介護の手段になるが、これも人手不足で深刻だ。そんな記事に驚いた」と書いた。追い打ちのように100歳到達の年の問題が載った。

 「2040年ごろにかけて人手不足が進み、行政も職員確保が困難になる恐れがあるとして、住民サービス維持へ自治体連携の強化が必要」という内容で、政府の地方制度調査会の専門員会の中間報告という。対策としては、圏域を行政主体とする構想が取りまとめられるという。そうしないと医療や福祉、土木などの専門職員が不足するという。再び合併という問題が起きるのだろうか。

 新聞投稿で、市内美川町の実情を知った。「中学校は休校中だが廃校の方向で進んでいる。町で唯一の幼稚園は園児が少なく休園になった。小学校の児童数は十数人、やがて休校になるだろう。子どもの居なくなると灯りが消えた町になる。教育施設のない地域に若者は住まない」。圏域というさらなる広域化が進むと小さな生活圏が消えないかと心配になる。

 人生50年が倍になることも視野に入れろという世に変わろうとしている。しかし。人口減、高齢者割合増という短時間では手直しや修正できない難問が横たわる。そして新たな資料が出た。金融庁の必要老後資金2000万円より多い2895万円のという金額が記載された経産省所管の審議会資料をHPで見た。綺麗な資料で分かりやすい。官僚にも本気で仕事をしている人の居ることが分った。考えを通して欲しい。
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傘寿に向けて

2019年06月26日 | 生活・ニュース

 「来年は80歳になるんじゃのう」、街で出会った同期と立ち話中何かの話題から齢に変わった。私は今年の誕生日で80の一つ前、そうか来年の秋には80か、と納得して「そうじゃのう」と返した。後期高齢者ということは何かにつけて意識はしていたが、年齢をそれほど意識はしていなかった。世に言う傘寿になる。

 年は取りたくない、いつまでも若くいたい、自分は未だ老いてはいない、まだまだ若いんだ、という裏には「年寄くさいのは嫌だ」と若さを装い老いに逆らうことが老いの印、あるエッセイストが語っている。指摘の通り年寄を意識するからそれを避けようとしていることが、はたから見ると老いの印に見えるということだろう。

 「おい、傘寿まではこの会を続けようで」、昨年の高校のクラス会で一人が中締めのグラス乾す前に呼び掛けた。もっと続きそうな元気な高齢者ばかりだが、声を上げた一人には傘寿という言葉に意味があったのだろう。元同窓、元同僚、など元のつく仲間と語ると盛り上がる。楽しんで別れたあと思うのは年々「新しい話題」は少なく何度か聞いた話の繰り返しが多い。

 80歳、私には8020という一つの賭け事がある。今の時点で、成るか成らぬか確認していないが、身体のために気を入れることが一つでもあれば後期高齢の健康維持に役立つのでは、そう思って頑張ってみる。
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待望の梅雨入り

2019年06月25日 | 自然 季節

 ひと月ぶりに出会った知人の男性は「ようやく梅雨が来そうで」と何かほっとしたような口ぶり。遅れに遅れている「梅雨入りしたでしょ」という気象庁の発表は明日とTVの気象予報でもニュースでも報じられる。画面に表示される雲行きからすればそういう気なる。

 予報では梅雨入りしたとたんに大雨が予想されている。梅雨末期の大雨は梅雨明け近しの合図だが、今年は初めから大雨になりそうで、繰り返されるという。水の無い地域、特に稲田では困っている様子がネットで見る。いきなり大雨では少々気に掛かる。やって来る前線は熱帯性低気圧を伴うというから心配だ。

 元号が変わったから遅れたわけでもあるまいが、自然界にも都合があってのことで遅れたからとどこにもクレームは付けられない。夏の水不足を心配する高齢の人の声が流れていたが、限定された地域では高齢者のこうした経験は貴重な予知情報かもしれない。各地に多すぎず少なすぎず適度な雨量で梅雨が明けて欲しい。

 梅雨になると一つだけ好きな景色にタイミングが良ければ出会える。そこは四季いつも眺めて国の名勝・錦帯橋。見慣れている風景だが、全景が霧にかすむ姿は幻想的で、薄い墨絵の世界に迷い込んだ錯覚を起こす。こういう日、意外に観光客が多いのは気のせいだろうか。
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五濁に思う

2019年06月24日 | 社会 政治

 世界中では紛争や戦争で幾多の人が尊い命を失っている。日本はこの74年間、戦により直接命を失った人はいないが、危うい目に遭った人らはいる。攻撃のためとは言えないので、自国防衛のためといい世界各国が最新鋭の軍備拡充を行っている。世界の軍事費は昨年203兆円、日本は世界の9位に位置している。沖縄慰霊の日のニュースを見ていると大きな矛盾を感じる。

 戦ではないが、国内で人を殺める残忍な事件が後を絶たない。幼い我が子を、口にしなくないが虐待で死に至らしめることが頻発している。特に子どもの死の原因が虐待などによると報道されるたび思うことがある。児相には児相の実情や言い分はあるだろうが、報道で知る限りでは、児相の力によって救われた命は幾例もあるように感じる。

 仏教では悪が満ちている社会を「濁っている世」というそうで、これを五濁(ごじょく)と言い五つに分けている。。「(1)社会の悪が増大する劫濁(こうじょく)(2)邪悪な考え方がはびこる見濁(けんじょく)(3)むさぼる心が盛んになる煩悩濁(ぼんのうじょく)(4)人びとの資質が低下する衆生濁(しゅじょうじょく)(5)いのちを軽んじる命濁(みょうじょく)―である」(洗心メールより)。

 悪という言い方は強烈に感じる。よくないこと、みにくいこと、不快なこと、などと置き換えてみると五つそれぞれが浅くだがわかる。言葉はともかく、社会に五濁のどれがはびこっても困る。五濁の最悪が戦争だが、これを取り除くことが出来るのは地上にいる人間しかない。戦の無い時代を伝える労を惜しんではならない。
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我家のDIY

2019年06月23日 | 生活・ニュース

 DIYで木製のフェンスを完成させたというブログ、添えられた写真は私の目からは素人とは思えない出来栄えに見える。コンクリートの基礎にアンカーボルト用の穴あけは、その後の作業と出来栄えを左右するので苦心苦労したとはあるが、その苦心苦労は実っている。知識と技術、それを活かす工具類がいる。DIY、口にするのは簡単だが形にするにはそうはいかない。

 DIYは「Do It Yourself」の略語で、専門業者に頼むと費用が高額になるので「自分でできることは自分でやろう」という意味、分かりやすく述べてある。電池を入れたり出したりで息を吹き返すくらいではDIYとは言えない。少しでも専門業者の代替のまね事くらいはしないと定義から外れる。

 それらに該当するものは我家にはないと思いながら振り返るがやはり無駄な抵抗だった。思い当たるとすれば「引き戸が重い」という家内の話しで外してみると、戸車の樹脂製の部分が重さに耐えかねたのかひしゃげている。20年余のご苦労を感じ10数枚全部を取り換えた。これはDIYだ、一人思い出し苦笑した。

 ブログ開始以来掲載の1年分を1冊の本している。編集も印刷も製本も装丁も一人でこなす。こんなことを知った知人が「注文すれば3千円で本物の本になる」と教えてくれたが、いまだに自作で済ませている。DIYの説明に「全てを自分でやることにより充実感と達成感を得ることが出来る」とある。これが喜びを呼ぶのだろう。「出来ることは自分でやる」、加齢度合いは進むがこれからも心掛ていこう。
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IDS祭で

2019年06月22日 | 生活・ニュース

 1年を二十四分割した節季の呼び方がある。今日はその10番目に当たる「夏至」。北半球では1年のうちで最も昼の時間が長い。ちなみに今日の岩国市の日の出は5時、日の入りは19時26分で昼間は14時間26分となる。暦の説明では「夏至のころは梅雨が明けていないことが多い」とあるが、まだ梅雨入りしていない異常気象が続く。

 徒歩で5分のところで「IDS祭」が開かれた。「愛・で・す」と銘うったのは岩国自動車学校を略しているそうだ。ここは50数年前に免許取得した学校。当時の指導教官は「仕事の合間に免許を取るなどとふざけるな」よいうくらい学校には勢いがあった。高齢者免許になってからは認知検査や講習も世話になっている。

 祭りイベントは多彩で、子ども連れの家族が大勢で賑わっていた。日ごろは遠くから眺める白バイは記念撮影などで人気がある。若い女性が若い白バイ隊員に操縦のテクニックを質問していた。彼女は競技会などにも参加しているそうで、教える隊員も身振りを交え訓練の一端を話していた。取り締まりでは体験できない交流を交通安全の仕事に活かして欲しい。

 教習コースを使っての高齢者交通安全講習も開かれたが参加できず残念だった。地方に住めば日常生活に車は必需品で、運転できる間は手放せない。高齢者の免許には厳しい制限を付けることを検討されているようだが、あわせて安全な車の開発とそれを高齢者が取得しやすい制度も検討して欲しい。子どもらが車に興味を示す姿を見ながらそんなことを思った。
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山モモ

2019年06月21日 | 生活・ニュース

 160回目のエッセイ月例会。毎月エッセイとは別の話題も登場する。それまで知らなかったことを教わり「ヘェ~」と驚きながらも楽しみでもある。十人十色というがその倍ほどの会員が居れば毎月発信はある。今回は、植物通の男性会員が、葉っぱがはみ出ている大型のポリ袋を持って登場。植物持参はよくあることで今回はなに、と注目する。

 それは庭で育った山モモ、実が落下して周辺を汚すので枝を切って持参したということだった。この山モモは野生でなく園芸用なので、実は大きく完熟すると黒赤色になると口にできる。まだ、食べごろではないが一個食してみた。まだ酸っぱくて甘みは無かったが、久しぶり、いや何十年ぶりかの味わいだった。

 山モモと言えば子どもころの遊び場に山モモの木があった。そこは山の斜面を少しばかり上った松林の中に1本あった。野生の山モモの粒は園芸用に比べれば小粒だが、当時、園芸用などあることは知らなかった。山モモだから山にあるくらいの知識しかない。何人もの子どもで楽しんだものだ。木の位置も食べ方も順送りだった。

 その山モモの大きな木の姿を忘れてはいないが、しかしあれから70年近く過ぎた。その山の麓ではサルを見かけることがあるという話を聞いたが、山遊びのころには無かった話だ。もし子どものころサルがいたら私らのおやつにはならなかっただろう。ザラメの飴玉に似た山モモが、山を駆け回ったころを思い出させてくれた。一枝持ち帰り花瓶に挿している。
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