日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

新築の音

2015年09月30日 | エッセイサロン
2015年09月30日 毎日新聞「はがき随筆」掲載

 向かいの新築現場、棟上げが終わると重機の音が消え静かになる。すると、シャッシャと鋸で木を切る音、シュルシュルと鉋屑が舞い出る音、金槌で打つ音など、日本家屋造り独特の懐かしい仕事の音に変わる。

 どの音も軽快で単調だが力強く聞こえる。それは、施主の夢を作り上げていく大事な任務を背負っているからだろう。

 パタ、パタという音、畳職人が、敷いた畳をたたいている。連日させてもらった仕事見学もイ草の香りをかいで終わり。

 多くの職人が手がけ完成した家の住人は3世代家族という。元気な子供の声が楽しみだ。      
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一瞬のこと

2015年09月29日 | 自然 季節


 昨日はスーパームーン、その前日は15夜と月を愛でる日が続く。スーパームーンは世界中で月の異なった姿が見られ、それはリアルタイムで日本でも観賞できる。うさぎの餅つき話しを聞いていたころにこのようなことを想像した人はいただろうか。スーパームーンは月と地球の距離が最短の約35万キロ、最長に比べれば5万キロ短いという。

 素人なりに撮ってみようと心つもりして雲の切れることを願ったが両日とも、丸い月はひつじ雲に阻まれ姿を見せない。それでも辛抱強く雲間の広がることを願いながらカメラを動かさずに待つ。多くの人が同じ思いでカメラや天体望遠鏡などを構えて姿を想像する。

 願いが通じたのか雲の間から円形の月が現れた。一杯にズームし2、3回シャッターを押す。時間にして数秒くらいだったがこれで良とした。掲載写真は、この日の記録として真丸い月とウサギの群れを合成した。

 今朝の4時半頃、雲に隠れて月は見ず。ところが6時ころ晴れ渡った空に月、だが残念なことに山の端に3分の1隠れているので勝負にならない。来年11月にまた大きな月に出合えるという。楽しみを先延ばしされたと思えば済むことだが、どうして我が家の上空は雲だらけになったのだろう。
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32.2km/L

2015年09月28日 | 生活・ニュース
 

 シルバーウイーク、日本語にすると「高齢者週間」と載っている。敬老の日もこの期間に含まれてはいるが、報道は観光地の賑わいと高速道の渋滞ばかり、シルバーウイークを止め高齢者週間への改称が待たれる。そんな中、帰省で爺ちゃんや婆ちゃんにあったという話しにほっとする。長期休暇、みんなが幸せならそれで良しとしよう。

 そんな週間中に出かけられず人出が終わってから所用を兼ねて少し足を延ばした。「大勢のお客様でした」と話す店員さんの顔は、閑散とした店内の様子にひと息している感じ。そのせいか応対もよいように感じるのは思い過ごしか。

 道中の彼岸花、日当たりのいい道沿いはそろそろ終わりに近い色と勢い、これは自然の成せるままの生き方。稲刈りが終わっていない田がある、落ちている栗はイガだけ残っている、熟し過ぎた柿も落ちている、コスモスが咲き始めている、ススキの穂が風に揺れる、そんな秋満載の窓外に抜けるような青空から陽が射す。

 天気もよく窓を開けて走る。往復104.7キロ、燃費は32.2キロ/Lと積載計器が表示する。VW社のような誤魔かしはないだろうと値に満足する。無理せず安全速度厳守での燃費、ガソリン代に置き換えてみると2人で426円、なんとラーメン1杯より安い。GS店仕舞いの原因もこれだろうがユーザーは喜ぶこの矛盾の解決できるのだろうか。 
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孫と交流 新聞15年目

2015年09月27日 | エッセイサロン
2015年09月27日 中国新聞「広場」掲載



 この秋、「孫新聞」を作り始めてから15年目、ブログを開設してから10年目という節目を迎えた。いずれも定年後に始めたが、ここまで続いたのは健康で過ごせたからと、そのことにまず感謝している。 

 孫の3歳の誕生日前、嫁から「ひらがなが読めるようになりました」とメールが届いた。離れて住む孫とのコミュニケーションにと、小さな新聞を作り始めた。

 今、孫は高校2年。その成長には追い付けなくなった。それでも毎月、老夫婦の様子を写真と文で送り続け、170号を超えた。

 一方のブログは、エッセー同好会で勧められた。始めてみると、何の制限もなく、書く習慣付けにはいい方法だと気付いた。

 1年分のブログを印刷して製本している。先日、9冊目を仕上げた。各冊500ページ前後で、並べると、それなりの重さを感じる。

 孫新聞もブログ冊子も、たまに読み返すと妙に懐かしい。どちらもパソコンがあればこその作業だが、キーギボードを打てる間は楽しみながら続けたい。
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バカになる薬味

2015年09月26日 | 生活・ニュース


 近くの雑草のなかに清楚で可憐な茗荷の花が咲いた。茗荷で思い出す話がある。子どもは食べてはいけない。その訳は「物忘れしてバカになるから」と教えられた。その人は近くに住んでいた大学生だったと思うが、大学のお兄ちゃんの話だから本気になっていたかもしれないが定かには思い出せない。あの味を子供は好かないだろう。

 祖母は菜園の日陰で管理していたように思う。いつ頃から口にし始めたのか覚えはないが、いつのころからか麺類や冷奴などの薬味としていた。酢の物や天ぷら、味噌汁の具としても食した。この食し方は今も変わらない。かなり食べているから相応のバカになっているかもしれないが、最近の研究では学問的・栄養学的にそのような成分は無いと言われる。逆に、香り成分に集中力を増す効果があることが分かっているという嬉しいレポートを目にしてほっとしている。

 子どものころバカ呼ばわりされると「バカいう者がバカなんよ」、こんな言い返しをしたように思う。バカとアホウはどちらも愚かなことをいう。軽く言われると争いにはならないが、時と場合、機嫌の善し悪しでは大事になる。「馬鹿を言え」くらいで納めておきたい。あいつのような馬鹿につける薬は無い、あいつの言ってることは馬鹿の一つ覚え、そんな皮肉を言われないよう研鑽しなければ。

 茗荷の味の表現は難しい。しゃきっとした歯触り、香りが爽やか、口に入ると清澄感が広がる、などは思い出すが、これは味を表現していない。まだまだ観察の修行が足らないようだ。茗荷には馬鹿になる成分は無いようだからこの次にはしっかり噛んで味を言い表したい。
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車間距離は3秒

2015年09月25日 | 生活・ニュース
 
 10月は運転免許の更新月なのでその手続き案内が届いた。必要な「講習予備検査(認知機能検査)及び高齢者講習」は受講済で、認知機能検査は「心配ありません」の通知を貰っており、今月末から所轄署の窓口で更新できる。高齢になると身体機能が低下するので運転中は注意を欠かさないように、口酸っぱく言われる。

 注意事項の一つに車間距離がある。高速道にはその確認個所がある。たまに高速道を利用する。その時は自分の走行速度に合わせ80メートルを確認している。一般道では走行スピードからマイナス15を引いた値を車間距離の目安にする、とは保険会社の参考資料を記憶している。60キロ走行なら45メートルの車間になる。

 最近は車間距離を「メートル」でなく「秒」で確認する方法が普及し始めたという報道がある。「危ない」と気づくまでに約1.5秒、ブレーキを踏んで停車するまでに約1.3秒を想定し誤差も含め3秒とする。追突事故ワースト県の県警ではチラシに採用し普及に努めているという。3秒の測定方法は「1まる1、1まる2、1まる3」と数えるのがいいという。自動車学校の実技で教えている学校もある。試してみると納得しそうだ。

 「過去5年間の違反内容」欄は空白、免許色区分は「金色」でも更新後の有効期間は「3年」と更新案内に記されている。3年先に同じように更新できるかは神のみぞ知る。信号待ちで追突されたことがあり、いつ事故にあうかもしれないが不注意から加害者になることは避けたい。反則金も罰金もなしに50年目を走っている。来月に後期高齢者への仲間入り、心して運転しよう。
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釣り場への道

2015年09月24日 | 地域


 ススキを求めて川面に並行する道へ向かった。その道は川沿いの土手から緩やかな坂を下ると川下に向かって伸びる。その先には広場があり、ゲートボールが盛んなころには大勢の人が楽しまれていた。スケボーを楽しむ設備もあったが最近は見かけない。川沿いの道の岸側には川面が見えないほど伸びた雑草や小木が茂っている。

 そんな茂みの途中に、以前は犬の散歩道くらいに思っていた当たりに広い道が出来ている。その入り口に白い板に赤い文字の立札が立っていて「これより先の道は魚釣り等するため同志で作った道です、ゴミ捨て不法行為 立ち入ることを禁止」と書いてある。その文字は肉太で何か威嚇するような書体、興味あっても入りづらい感じにさせる。だが、道の軽自動車の通行跡が書体のいかめしさを和らげる。

 犬の散歩道と思うころには何度も通って水際の様子を眺めた。どんなに変わったか進んだ。背丈以上の雑草が壁のように切り取られた先には背の低い雑草が茂る。そのあちこちに赤い彼岸花が背伸びしてその存在を教えるように咲いている。数日の花の命を思えば何かいとおしい姿に見える。

 わずかな勾配を上ったところで、水鳥も川舟も見えない静かな川面が見えた。今日は魚の楽天日のようだ。道の終わりは軽自動車なら転回できる広場が備わっている。魚釣りの同志が川洲に作った立派な道、さぞよい釣果に繋がっているだろうと思いながら引き返した。目的のススキ、カメラを向ける景色には出合えなかった。
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パ~プ~

2015年09月23日 | 地域

 
 「パ~プ~」という聞き覚えのある音色が聞こえる。子どものころに金属製の小さな豆腐ラッパから聞こえてきたと同じ音。耳から入った音がいつに間にか「ト~フ~」と口から出て「ト」の右上がり「フ」の右下がり独特のイントネーションを真似ていた。聞こえてくる音は拡声器を通しているが「おいしい厚焼きもございます」と呼びかける。急いで外に出たが一足遅れ、通り過ぎた車の背中の「とうふ販売中」の文字は読めた。

 「とうふ」は大豆のしぼり汁(豆乳)に凝固剤(にがり)を加え固めた加工食品ということは誰もが知っている。東アジア地域では日常的に食されている。その加工法や調理法は各国それぞれだが、日本の豆腐は白く柔らかい食感で日本独特の食品となっている。英語圏やEUなどでも「TOFU」の単語として定着しているそうだ。

 そんな「とうふ」、漢字で書くと豆腐が元々の表現、しかし「腐」という字を嫌って豆富としたり泉鏡花は「豆府」と表したという。スーパーには産地も種類も様々な豆腐が並びCMで売り出しの商品名を見かけることもある。子どものころは小さな鍋などをもってお店に行く。店の片隅に置いた大きめのバケツに水が張ってあり、その中に豆腐は入っている。店の主人は素手ですくい上げ鍋に入れる。今は見かけない光景を思い出す。

 発酵食品の味噌、豆腐のタンパク質、野菜の栄養が摂れる味噌汁を食べる朝餉の場面は時代劇やその読み物では欠かせないシーン。その豆腐売り、天秤棒を担ぐ軽快な歩きだがセリフはないが欠かせない登場人物の一人。いまどき、豆腐ラッパを聞かせて豆腐を売る人がいる。次に聞いたら小さなボールを持って駆け出そう。
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岩国城と城山

2015年09月22日 | しっちょる岩国

 吉川史料館付近で「岩国城へは歩いて登れますか」と声を掛けられた。散歩の途中で急ぐことはないので「登山口まで案内しましょう」ということにした。関西から来たという中年の感じのいいグループ。ロープウエイ山麓駅で「これでも」と案内したが、山頂に建つ姿を眺めていて歩いて登ろう、となったとか。紅葉谷公園で登山口を教え、城は標高200メートル、道沿いは自然林なので森林浴も楽しんでと岩国検定で学んだうんちくを少々。

 岩国城を訪れる観光の人はロープウエイを使用、とばかり思っていたがそうでないことを知った。登山口から歩いて30分あればロープウエイ山頂駅前の広場に到着できる。ここからは、眼下の錦帯橋や城下町、遠くには瀬戸内海までが眺望できるお薦めの休憩広場になっている。城は広場から整備された道を少し進む。岩国城の建つ城山は吉川広家が入国以来、斧を入れぬため原始林化しており「自然休養林「の指定を受けている。多くの人が踏み入れると懸念することは増えるが、観光資源や学習の場としての活用を一考してほしい。

 岩国城は国の名勝・錦帯橋と並ぶ観光のシンボル。岩国城は初代岩国藩主・吉川広家が1608(慶長13)年、城山山頂に築城した。1615(元和元)年の一国一城令により、僅か7年で破却された。山麓の土居は居館として明治まで存続した。現在の岩国城は、1962(昭和37)年に三層四階の上部に物見を置く桃山南蛮造り白亜の天守閣として復元されたもので、日本名城100選に選ばれている。

 登山口から25分を切って山頂広場まで登っていたが最近は30分に達する。登り始めのほぼ直線の急斜面が一番の難所。そこを過ぎると後はそれほど苦にはならない。錦川や街並みを木々の切れ間から眺めながら原始林の恵みを受ける贅沢なコース。カメラ持参でお越しください。
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プログラムの最後

2015年09月21日 | 地域


 ドドーンバーン、20日の日曜日午前6時丁度に「今日は小学校の運動会です」と恒例のお知らせ花火が校区内に響いた。紺の短パンに白の上着の児童らが水筒を下げいつもより少し早めの登校。競技への緊張からか話し声はいつもよりかこころなし緊張気味。白と赤の帽子の数がほぼ同じ、偶然にしても面白い。

 18日の夕方、それは運動会の前々日、疲れた様子でとぼとぼと下校中の一人の男の子に追いついた。声を掛けると「運動会の練習で疲れた」と話す。本当につかれているようだが「運動会は頑張る」と付け加えた。その子どもらしい笑顔に忘れていたものを思い出したような喜びを感じた。土曜日も練習で日曜日が運動会の予定になっている。

 都合あって運動会を覗いた時は演技最後の組体操が終わり、会場の大きな拍手に合わせて退場していた。退場門にその姿が消えると、場内から関係者の姿が消え選手リレーを待つ静かな緊張が走る。それを打ち破るように白組と赤組それぞれの応援席の声が高鳴る。

 白組と赤組それぞれの選手2名の4人がスタート。直後に転倒もあったが抜きつ抜かれつのいい勝負。学年が進むにつれバトンタッチも上手くなり流れがスムースになる。父兄席のカメラはそんな姿を追い続ける。半世紀以上前も選手リレーでは会場が興奮のるつぼと化したことを思い出す。先日、別れ際に「来週は振替で全部お休みです」と教えてくれた児童はどこにいるのだろう、ふと思い出した。
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