日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

もう食べれません

2016年04月30日 | 生活・ニュース


 小さな朝市、予定の買い物を終えレジに並んでいるとき前の主婦の会話が聞こえる。前回の開店日にタケノコを買ったらきすくて(硬くて)食べれなかったと言いながら、プラ製のケースで並んでいるタケノコを指し「これと同じ、もう食べれんよね」という。相手の人はさわり、納得したようにうなずく。

 それは穂先から50センチくらいの長さで切りそろえてあるが、その切り口を押さえて見たが確かに硬い。伸びすぎた先端を出荷した、経験からそう思った。歯ごたえのいいのを好むが、その箇所は竹に近い。そこはある団体の婦人部が開く朝市で、通りがかりに見るがいつもにぎわっている。婦人部の開く市にどうして並べられたのか、主婦二人の会話は続く。

 今年は「不作。いやけっこう出る」両方の話が聞こえる。いただいて食べている者にはわからないが、これを職業とする人にはどちらに傾くかわ大きな問題になる。タケノコが工場製品なら品不足になれば増産も可能だが、旬の時期しか収穫が効かないとなると深刻だろう。竹林に係わっている人が「盗人も多い」と話す。早朝、県外ナンバーの貨物車が竹林の傍にとまっているのをよく見かけていた。

 伸びて困る人もあれば、通販で買い求め旬を味わう人もある。「朝掘り新鮮 ぬか付き」という売り言葉、それは自慢の一品だろう。今、我が家はありがたいと感謝しながら贅沢にいただいている。
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高空の占い

2016年04月29日 | 生活・ニュース


 今朝はよく晴れていて、ちょっとひんやりする午前5時だった。昼間は日なたは暑く日陰は風が吹くとここち良い、そんなゴールデンウイークの初日が明けた。北国では冬に逆戻りしている。列島は長い。気象予報士がこの季節の空の表情は「春と夏のデュエット」だという。巻雲に鱗雲が多かった空にぽっかりと浮かぶ白い雲が印象的という。

 雲の形が面白い、そう感じたときは撮っている。撮ってはいるが知能程度がばれることを憚っり紹介したのはこれまで数枚くらい。天気予報では視聴者の写した雲の形を、天気予報の変化と関連付けて紹介する。雑学知識として面白く見ているが、いつまでも記憶としては残っていない。

 ふと見上げると「これは北米大陸だ」と撮った。今日の上空は大陸からの冷たい風が強いという予報に吹かれ、さすがの米国も見る間にその形は崩れた。米国は次期大統領の予備選で熱い戦いが繰り広げられている。これまでにない政策を打ち出し、所属する政党内から疑問視される人がトップを走る。他方の2位につける人も変革的政策をうちだし、若い人らから指示を得ている。

 その本選挙は本年11月、就任は来年1月、日本が同盟国と呼ぶ米国の選挙ではあるが眺めるしかないだろう。日本も参院選は7月、これに衆院選を絡めるか否かは総理の胸のうちという。衆院は任期4年の半ばにも達していないという疑問を抱く。高く澄み渡った空からはどんなに見えるのだろう。
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1千回を超える

2016年04月28日 | 地域


 最大震度7を記録し、多くの犠牲者が出た「熊本地震」、4月14日午後9時26分に発生してから2週間が過ぎた。困難な状況の中で残る1名の行方不明者の捜索が続いている。一刻も早い発見を願っている。地震の発生から震度1以上の揺れが1千回を超えた。しかし、その収束について気象庁は見通しが立たないという。3万余の避難者への対応など長期覚悟の対策が望まれる。

 全国で活断層への関心が強まっているという。「それを知ってもどうすることも出来んでよ」という達観した人がいる。確かにそうだろう、台風と違い、突然揺れ始める地震には対応する策はないかもしれない。それでも、日ごろから心積もりをしておれば咄嗟の判断に役立つ。

 「30年以内に発生する地震の発生確率は0.03~2%、最大マグニチュードは7.6程度の可能性で、2メートル程度の右横ずれを生じると」という岩国活断層が旧市内の北部から南西方向に延びている。右横ずれ、は熊本地震のずれ方と同じになる。その長さは44キロに達するとある。ここを震源とする地震を1度経験している。かなりの揺れを感じたとき、岩国活断層の存在を知ったが、時期は記憶していない。

 岩国活断層は、地震が発生する確率が我が国の主な活断層の中ではやや高いグループに属するという調査結果もある。瀬戸内は自然災害の少ない住みよい地域、関東在住の同僚らからは羨ましがられていたが、安心ばかりはしておれないようだ。長引く避難所生活の映像を見るたび、心積もりについて今一度改めてみなければと思う。
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がむしゃら

2016年04月27日 | 生活・ニュース


 広島東洋カープ・背番号25の新井貴浩選手(39)、26日のヤクルト戦(神宮球場)で2000安打を達成した。3回、左翼線に適時2塁打を放ち史上47人目の記録を残した。1999年5月12日対巨人戦で初安打、通算500安打は2005年4月7日の対阪神戦、1000安打は2008年4月12日の対横浜選(阪神籍)、1500安打は2011年7月30日の対横浜線(阪神籍)、そして広島に復帰しての記録になった。ここまで18年。

 祝福の声は無数。そんな中で新井選手をよく知る人らの言葉に選手の人柄を表す短い言葉を見つけた。「彼の姿を見るたびに愚直という言葉が頭に浮かぶ」「本当によく頑張った。決して起用な選手ではない。ひたすら振ってきたからこそ、この日を迎えられた」「これだけ不器用な男ががむしゃらに一生懸命やった結果だと思う」「守備は下手だった。出番がもらえず2千安打できるとは思えなかった」「とにかく監督やコーチに怒られていた姿しか印象にありません」「入団時から、ギリギリ瀬戸際の立場だった選手。守りや走塁の力があったわけじゃない。打たなければ終わりの選手だった」「いい意味でプライドがないところがすごい」。
 
 長い引用をしてしまったが、新井のここまでの記録を残せるとは当初はだれも予想していなかった証だろう。がむしゃらにバットを振る、猛練習に耐える、やじに耐える、そのひたむきな努力がチャンスに活かせたと感じる。単なる偶然の結果ではないことがわかる。

 「下手くそな僕が、多くの人に支えられてここまでこれた」と周囲への感謝を言葉にしている。2112試合目の記録、毎試合安打が出るわけではない。昨夜「よっし、俺も」そんな気合を入れた若者もあっただろう。
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夫源病

2016年04月26日 | 社会 政治
  
 
 毎日訪問するブログで発見したのは「夫源病」という3字、初めて知った。それは、定年退職し毎日家にいて、夫への遠慮、3度の食事の世話、友達の誘いがあっても外出しづらい、頭痛・めまい・不眠症、妻がストレス状態になること、と説明がある。亭主元気で留守がいい、そのままである。家族のために一生懸命働き老後は趣味を生かしたいと願っていた亭主をなんだと思っている、とブロガーさんは締めている。

 社会の変化で、人に起因するその時々の新しい病が起こることはそれとなく承知しているし、そうならないように気配りをしてきたつもりでいる。周りの人からは「少しおかしなところが見受けられる」ことがあるかもしれないが、今のところ患っている様子は思いつかないので普通に生活している。また、仲間内とも楽しく過ごせている。夫源病があれば「妻源病」もあるはずだが男は我慢しているのか。

 足腰の衰え防止の3策、散歩であり散策でありウオーキングをしている。途中でいろいろな物を見つけたり久しぶりの人との出会いがあったり、たまには野菜を土産にもらったりする。そんな一つにお寺の門前に掲げられている一文は、仏の教えを現代語に変えてある。どの寺院でも住職の筆によるそれは優しく受け入れができる。そうか、その時は納得するがいざ実践となると難儀なところがある。最近読んだのは「一人じゃ何も出来ないけれど 共に歩く友がいる」、一人で生きているんじゃないよと呼びかける。

 法話では「人は人という字のとおり寄り添い支えあうものである」、そうした意味の話をされる。ということになれば、夫源病も妻源病も己のわがままに起因する。諸説賛否あるが「この世では、人が仲よくすることが最も大切である」という聖徳太子の十七条憲法第一条「和を以て貴しとなす」を思い出す。
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一極集中

2016年04月25日 | 地域


 ひいきなものでネットの書き込みで「岩国」や「錦帯橋」の文字があると「なんと書いてあるのか、どんな写真が載っているか」、ネットの安全を確認してクリックする。載っているのは国の名勝・錦帯橋や吉香公園に関するのが多く、シロヘビにびっくりしたが紅の目が印象的など、その多くは好意的な旅のが感想で載っている。
 
 先日もそんな気持ちで開いた画面に城下町の姿も紹介されている。うんうんと進み投稿の末尾で驚いた。「岩国観光のPRは錦帯橋一極集中ぶりに唖然となった」と載っている。この旅行者の我が街にたいする印象だったことになる。唖然とは「あきれて言葉が出ないさま、あいた口がふさがらないさま」(広辞苑)。驚きあきれて「あいた口がふさがらない」は使ったことはあるような気もするが定かな記憶はない。

 逆に言えば、錦帯橋以外にもいいものがあるでしょう、と唖然と書いた人は言いたかったのではなかろうか。市の観光行政が錦帯橋中心とする施策は重要だ。長く住んでいて感じるのは、文化や郷土の伝統などに関しては行事の紹介程度で、観光誘致に繋がる施策はあまり目立たない。埋もれた資源の発掘を期待する。直近では明治維新の門戸を開いた「四境の役150年」の節目をむかえる。他市町では行政も加わって行事が行われるが、吉川経幹が長州軍として戦った当市では無催との話しか聞こえない。

 錦帯橋から徒歩数分の所、スーパー跡地に錦帯橋資料館が20年春オープンする。これは錦帯橋の歴史などを国内外に発信する拠点として建設する。隣接する土地に駐車場が整備される。憩いの場イベントの場として地域に親しまれた場所には観光案内所にでも使えそうな親しみやすい木造建築がある。そこの解体が始まった。城下町の風景がまた一つ消える。
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間引き菜

2016年04月24日 | 生活・ニュース


 大根や人参、葉物などを植えるとき、親指と人差し指に種を挟み、両指をすり合わせながら所定の位置へ均一になるように蒔いていくことは子どものころに親から教わった。とはいってもゴマほどの大きさの種、心して蒔いても均一には蒔けない。やがて芽が出て葉が育ってくると必ず必要になる作業が間引き。生えた物を抜き取って、大根や人参が大きく育つように間隔を作る作業は複数回発生する。

 その、間引いた物を「間引き菜」と呼び店頭にも並ぶ。食べ方はいろいろあるだろうが、薄塩での浅漬けが一番美味いと思っている。和え物もいい。間引き菜は大根や人参が1本立ちする間隔ができるまで続く。だからその菜の量たるやおろそかにはでいない。1本立ちの大根や人参は蒔いた種の何分の一でしかない。間引き菜も収穫の楽しみをもたらす。

 いつだったか、間引き菜や大根葉も食べるという話の時、笑いながらではあるが「貧乏くさい」と切り捨てた人がいて幾人かは驚いた表情になった。貧しいから食べるのではなく、美味しくて栄養価もあり、なんといってもその新鮮さを食卓にのせるので、食材を無駄にしない知恵でもある。

 今は仲間内との菜園で間引き作業を体験している。本番の収穫まで、生育具合を話しながら、どれを1本立ちさせるかと見比べながらの作業は気を使うが準収穫にもなり楽しい。無農薬で栽培中の間引き菜がほかの野菜と合わせ玄関前にそっと届いていた。荷姿からその人はわかる。家内の仕事はひとつ増えたが嬉しさはそれより大きく勝る。
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タケノコ

2016年04月23日 | 自然 季節


 タケノコは今が盛り、辞書では「竹の子」で「竹の地下茎から出る若芽。鱗片状の皮で包まれている。煮て食用にする」(広辞苑)。竹の旺盛な繁殖力は里山を踏み出し過疎地域の人里へと侵攻し大きな問題になっている。こうした整備のため年額500円とわずかではあるが県税を納めている。税の効果は表れているのだろうか。

 畑の傍に数十本ほどの孟宗竹があり、毎年この時期にはタケノコは飽きるほど食卓にのっていた。両親は、食べきれないものは「食べてもらえますか」と茹でたものを近所や知り合いに配っていた。父が逝ってからは掘り手を引き継いだ。雨の翌日には出勤前に畑に急いだ。「こんなに出なくても」と思いながら掘っていた。

 穂の傾いた側の根元を少し掘り起こし、斜めに鍬を振り降ろしてひと鍬で掘り起こせるようになった。掘った跡は埋め戻すことを守った。その畑が公共用地として買収された。それからタケノコは「いただき物」、貰って食べることになった。そうなってみるとタケノコとはいえ贅沢な食べ方をしていたことを知り、旬の食材という言葉の意味を実感したことを思い出す。

 タケノコは貰って食べる、そうなってからもう40年近くなる。最近は茹でたものをいただくことが多い、そうでないときは糠が添えられていて助かる。その保存方法は、茹でて適当な大きさに切り冷凍保存することを教えられた。すると旬を外れた時期でもいただける。そんなことで、畑がなくなってもタケノコを買うことなく旬を楽しませてもえて幸せなことと感謝をしいる。
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ショートケーキの日

2016年04月22日 | 生活・ニュース
 

 1年を通して「今日は何の日」がある。その理由に唸るものもあれば妙に納得できるもの、できるが商売のためといろいろある。歴史上の事実から決められていると素直に聞き入れられる。目くじらを立てることではないが、すごいアイディアが出るものだと感心する。その道のコピーライターならわかるがそうでない素人さんの発想も面白い。

 さて毎月15日と22日は何の日か、両日は関連があって決まったという。答え、15日は「イチゴの日」で22日は「ショートケーキの日」という。答えの説明は、カレンダーの22日の上は必ず15日、これはイチゴと読んだ。ここからが発想、22日の上にイチゴが乗っているからこの日はショートケーキの日になるという。とか何とか言ってケーキを食べようというわけだろう。

 イチゴの旬は4月から5月のはずが近年では秋から夏までと長い。そしてイチゴが最も売れるのは12月という。イチゴ大不作のある年の12月、知人のイチゴ栽培農家へ、神戸の一流ケーキ店からの訪問者がバックに詰めた万札を見せ「これで売れるだけ売ってくれ」と頭を下げられ驚いたと話してくれた。ケーキとイチゴは離れられない。

 ハウス栽培されるイチゴのDNAは本来の旬が欠落していないだろうかと気になる。そんなイチゴは果物か野菜か、店頭では果物コーナーにあるが、本当は果実的野菜で野菜の仲間というのが農水省の分類。表面にある小さなつぶがイチゴの実で種はその中にある。赤い部分は実の根が大きく育ったもので実を守っている。とがっている方に甘みがあるのでへたの方から食べるのが専門家のおすすめ。ケーキと野菜のコラボと思えば新しい発想が浮かぶかも。和菓子派の私には似合わないお話でした。
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主治医の不在

2016年04月21日 | 生活・ニュース
 

 がん術後の定期検診、指示通り朝食抜きで病院へ急ぐ。諸検査を済ませ外来診療の受け付けに受診票を出す。ここは受付順に担当医の診察室へ入る、その時は名前でなく受診番号で呼ばれる。受付で「申し訳ありません。担当医は熊本へ応援に行っておりまして」と不在を告げ「代診でよろしいでしょうか」という。これまで出張のため予約日の変更が1度あったがそれ以外不在はない。

 代診と言われ一息ついたが、検査結果を知りたい気持ち、それ以上に熊本地震の救援参加と聞いては返す言葉もなく「お願いします」と答える。待合室のテレビは地震状況の中継を交え多角的に伝えている。どの場面も状況がいい方向に向かっていないことを繰り返し伝える。避難されている人らの厳しい環境に加え地震関連死の発生も重い言葉で伝える。医療関係者の救援場面は流れなかった。

 診察室に入る。経験豊富そうな医師が、代診であることを断った後に検査結果を丁寧に説明、これまでと変わらない検査・診断内容にほっとする。代診と聞いたとき、次回は術後満5年目の最後の検診だが、それはどうなると心配した。「次回の診察は」と予想していた日を告げられた。「主治医は、検査関係部門へ予約して熊本へ出かけた」と教えられる。地震は突然やってくる、その救援も突然のこと、しかし、出発までのあわただしい中でも患者のへの配慮を怠ることはなかった。

 大災害の救援体制について、医療と医薬関係はこれまでの経験がよく生かされ、連携の取れた活動がされているというコメンテーターの説明があり、主治医もそんな中の一員で活躍しているのだと思った。震災地の苦労や被害を想うと、安心して検診を受けられることのありがたさに感謝した。
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