日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

80を過ぎると

2024年02月24日 | ウオーキング 散歩

 「老化は足から」と聞かされて何十年だろう。定年直後は「そうなのか」くらいで、よくいう受け流しだった。それでも4時半に起床し、6㌔くらいの早朝ウオーキングを10年くらい続けた。ある入院を機に「早朝は避けて」という医師の指示で日が昇ってからゆっくり歩行の散歩に切り替えた。都合もあり毎日は歩けないが、歩けるときは気の向くままに出かけている。

 OBの先輩から「80を過ぎると体調に変化を感じる、気をつけんさいよ」と呑みながら何度か聞かされていた。最近それを実感することがある。一つは歩幅が狭くなっていること。それは以前と同じ距離を歩いても歩数が増えている。二つ目はいつの間にか無理をしないように気配りしている。疲れの回避かと思う。これらが80を過ぎたらの忠告例かもしれない。

 ノルマの無い歩きではいろいろなことに出会える。それは人であったり動物であったり、現象であったり事故であったり、全部ではないが出会えばブログに書いたり、投稿のネタに頂いたりしている。おやっと思うこと、嬉しくなること、感心すること、こころ和むこと、ウルっとすることなどが多い。

 よく通る住宅地の道で見落としていたのだろ、怒りを表した柘榴に出会った。大きく割れた、いや開い口から種が牙のように見える。収穫されなかったことか、寒いからか、世間が穏やかでないからか、笑っているようには思えない顔の様子からいろいろ巡らす。80を超えた頭からは斬新な空想は出来ないが、これも体調変化のひとつ、そう思いながら次の出会いは何かと角を曲がる。

 (今日の575) 句は出来ず気ままに歩く年男
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紅と白の花

2020年06月07日 | ウオーキング 散歩

 最近は少し歩いても汗ばむ、マスク着用でこれまでになくそう感じるのかもしれない。行きかう人は数知れているが全員がマスク着用なので暑さを我慢しているのだろう。マスク着用していないのは基地関係者でジョギング中の人ら、日本人は着用して走っている。民意の差だろうか。

 春過ぎにきれいに刈られていた畑周りの雑草が次にかられるのは何時かと待っている。適度な雨と日差しは雑草を喜ばせているがこれが自然というものだろう。そんな畑の中で玉ねぎ収穫作業に出会った。どれも地球のような球状で大きさがよく揃っている。腰を伸ばしながら「孫のところに送ってやります」と嬉しそうな主婦の笑いがコロナを忘れさせる。

 狭い通りの終りにある家の道路側は高いブロック塀が築かれている。今年もその塀越しに石榴の花が咲き始めた。花は細い楕円状の葉を茂らせた小枝の先端に鮮やかな紅色の5弁で登場する。実は熟すると裂けてその中を見せる変わった性質を持っている。この木の実が収穫された様子は見たことがない、といって道路からは高すぎて1個もらうのは不可能。子どものころの記憶では酸っぱい味という記憶がある。

 散歩で頭上の紅い花の石榴に対して雑草の茂りそうなところには白いドクダミ草の花が咲いている。ハート型の葉が悪臭を放つとして嫌われる。祖母はそれが効くと陰干しして家庭薬にしていた。湿り気のある所に白い茎を地下に伸ばしいくらでも広がる。花は清楚な感じで臭いがなければ好かれるのにそう思いながら通り過ぎる。気をつければいろいろな書く題材がある、今日もそんなことを思いながら歩いた。
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素直だから

2020年02月01日 | ウオーキング 散歩

 女の子とお母さんが上空を指さして話している。何だろう、鳥かな飛行機かなと指さす方向を見るが、私には特別変わったものは見えない。「何か見えますか」と訊ねた。すると「子どもクジラが乳を飲んでいるそうです」と母親が答える。言われて向こうの空を見ると、横に長い楕円形の白い雲は親クジラ、白い雲の下に吸い付くような灰色の小さな雲は子どもクジラに見える。

 言われてみれば、確かに映像で見覚えのあるクジラの授乳シーンに似ている。急いで撮ったが、間もなく子どもクジラは形が変わりそして消えた。子どもの発見した天体ショーは終わった。いやいや、子どもの観察力、ひらめき、思いつき、その鋭さにただただ感心するしかなかった。
 
 健康のために散歩と言いながら、何か珍しいこと、面白いことがあればブログに書けるのだが、そんな「二兎を追う者は一兎をも得ず」の諺に似た散歩では収穫がない。雲がクジラの授乳に見える素直な気持ちでないと、例え発見を書いても自慢めいた内容になるだろう。エッセイ例会で「自慢話は控えめに」と教わる。

 小中高生が創作した詩、作文を対象にした「鈴木三重吉賞」がある。児童文芸誌「赤い鳥」の鈴木と言えばよく知られている。賞となった作品の読後感は「素直」な気持で感じたままを作品として展開してある。大きな白い雲と小さな雲、それを見ただけで海中の様子を天空に見出すなど、素直な子ども目線と感性だろうか、ただただ驚く。
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朝冷え

2020年01月31日 | ウオーキング 散歩

 5時過ぎに朝刊を取りに出る。「久しぶり冷え込むな」と感じながら空を見上げる。日の出が少し早くなったこともあり空は薄明け、少し多めの雲ながら何となく晴を予感させる。その時、近くの交番のミニパトカーがゆっくり通り過ぎた。赤色回転灯は消えているが、尾灯に住民の安全を感じる。

 アメダスの記録を見ると、今朝の最低気温は5時過ぎに1.4度、丁度冷え込むなと感じた頃になる。前の日と2度くらい違う温度差を感じたのは、私にもまだ何とかなる感覚が残っているようだ。気温が2度くらい上がるとクマは冬眠から覚めるという専門家の話し、今年は冬眠しなかったクマも少しいるという。

 錦川沿いの遊歩道に並行して広がる中州に茂るススキもすっかり冬の色合いを濃くした。それにつれ、あれほど重そうだった穂も何かしら薄くなり、風にたなびく姿から勢いを感じなくなった。それでも、根元の枯れた雑草と一体となった姿は、冬の風情としてはなかなかなもので、春へ向けての営みにエイルを送りたくなる。

 早くも2020年の初めの月が終わる。1月はいぬる、2月はにげる、3月はさる、と年度末各月を、時期的な気ぜわしさをうまく織り込んで表している。それでも今年はオリンピック年でいつもよりより1日長い。ススキが青い葉をだすころには新型コロナウイルス肺炎が終息に向かっていることを期待している。 
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緑の中で

2018年05月04日 | ウオーキング 散歩

 GWというのに各地で行楽を台無しにする強風、雨、あられなど大荒れで、中止になった行事も多くあるとか。そんな天候なのに「春の嵐は今日でお終いです」と言い切る気象予報士。いぶかるコメンテーターに「明日は立夏、夏になります」とすまし顔で解説し「明日からはメイストーム」でいきます。一杯食わせたという表情がいい。

 行楽地の人出とそこで展開される様子は映像が報せてくれる。先日はUSJのジェットコースター「ザ・フライング・ダイナソー」が緊急停止し乗客30人余が2時間宙づりになったとか。その時の高さがビル10階に相当したとか。凄まじい雨や強風にさらされる姿に気の毒にと思いしか手立てがない。広島FFは好天に恵まれている。

 春の嵐でなく五月晴れの下でゆっくりGWを満喫した人も多かろう。今日はみどりの日、出かけるには出かけたがそこは緑の中、幾つかの畑で農作業をする人を多く見かけた。その一つ、お孫さんだろう、タマネギの収穫を喜ぶ可愛い声と一緒に手伝う姿見かけた。行楽地もいいが、こういう自然に接する帰省もいいものだと眺める。

 そんな畑の周辺の草むらに野イチゴを見つけた。雑草に覆われていて赤い実に手が届かない。手の届きそうなところは採られたのか、それとも野生の生き物の餌になったのか、へただけが残っている。こんな野イチゴ、子どもころには大勢で競って取りアルミの弁当箱に入れ持ち帰り、縁側に腰掛て並びおやつ代わりに食べた懐かしい思い出がある。終戦直後だが良い時代だった。
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ぜひ延伸を

2016年10月31日 | ウオーキング 散歩

 新愛宕橋下からJR岩徳線鉄橋下までおよそ1㌔、巾2㍍あまりの遊歩道がある。コンクリート舗装で車道とは分離帯で区分されている。上流へ向かって左は錦川、錦帯橋はおよそ2㌔上流にある。川と遊歩道の間には中州があり野鳥を撮る写真家も多い。秋にはススキも茂るが雑草に雑木も繁茂している。

 この遊歩道の工事が始まったころ、ずいぶんと古い話になるが「錦帯橋まで続く」と聞き大いに期待していたが、岩徳線鉄橋下側で止まったままになっている。音頭をとる人がいなくなったのか、必要性が無くなったというのか、役人口くせの「お金がありません」なのか、伸びない理由はわからないが、何とかならないかと歩きながら思う。

 新愛宕橋から鉄橋まで、上流に向かって進むと左は中州、四季の移ろい野鳥の鳴き声になごむ。右は河川敷広場、車の心配なしに土の上のジョギングが出来る。その上流隣りは市内で最も古い自動車学校、私も50年前にここで免許を取得した。鉄橋の上流から臥龍橋まで対岸の桜は一見の価値あり、それが終わるとアユ掛けが見られる。臥竜橋下をくぐると錦帯橋へ至る。ここからは遊歩道がある。

 この間約2㌔、錦川の清流を眺めながら錦帯橋まで歩ける。時には河川の増水で冠水もするがそれはそれで自然を味わう題材になる。高齢者の健康管理がさけばれ、運動する人にはポイントを付与する、そんな話が国会でされている。ここの遊歩道で見かけるのは高齢者ばかり。2級河川なので県の管轄だろうが、市も一肌脱いで援助してほしい、秋深まる上空の爆音を聞きながら思う。
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ひねもすぶらりぶらり

2016年03月23日 | ウオーキング 散歩


 公園の堀に設けられた2つの台座で30匹ほどの亀が甲羅干ししている。見た目は眠っているとしか見えない。風で台座がゆえても動くこともなく目を閉じたまま、のように見えるが亀の目が小さくて分からない。傍目にはそう見える。台座の周りの鯉や鴨などの動きには全く無関心、日向ぼっこを満喫している。

 そんな眺めのそばで甲子園での選抜高校野球の実況を聞いている人がいる。観光客の人らもちらっと見て通り過ぎる。自分の出身校の試合中ならその気持ちは良く分かる。ひときわ大きな音が聞こえた時に音声が切れた。気の毒だが出身校が点を取られた、そんな思いがした。

 堀の鯉に餌をやる親子連れ、父親はその様子をビデオに撮る。長い望遠レンズをセットしたカメラマンはそれを摂る。餌がなくなると待っている次の親子に変わる。同じ光景が始まる。鯉よ食べ過ぎるな、と声を掛けたくなる。水面を泳ぐ鴨がそんな餌を横取りする。微笑ましい風景は続く。

 桜の開花宣言はまだ。このところの明け方と昼間の温度差の大きさから桜はいい目覚めをしてくれると期待できる。公園内の1番咲きの目印にしている桜は明日くらい咲くかもしれない。
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もう2、3日か

2016年03月21日 | ウオーキング 散歩

 
 神域の入口を表す門の役割をはたす鳥居は神社の象徴でもある。その鳥居の笠木や貫に石を投げてのせる、そんな経験は子どものころにある。3人連れの若い女性が周囲を気にしながら小さな石を投げあげている。鳥居から離れすぎ石は放物線状に飛ぶ。鳥居の下から真上に投げあげたら、昔の経験を伝える。その直後の3人の1投目の石が笠木の上にのった。偶然とはいえ驚いた。彼女らからもらった一声は「おじさんすごい」。

 鳥居に石を投げてのると願いが適うとか運試しとかいう。由来やその是非は知らないが、いくつもの石が重なっている。子どものころで満願成就した覚えもないが、石をのせたという喜びはあっただろう。神聖なる鳥居に石を投げる、考えればどうかという思いもするが、邪気の無い願いなれば許してもらっているのかもしれない。

 錦帯橋上流、花見の一等地に建つ茶店もその準備が進んでいる。そんな傍らで昼過ぎ、桜の蕾の下で弁当を開いている人も多い。錦帯橋上流側の鏡のような水面には「春の遊覧船」の運行が始まった。水上からの錦帯橋の眺めは格別だろう。この風景にまもなく桜が彩を添える。錦帯橋周辺の開花は26日ころという。

 2、3日前から桜の開花宣言が届き始めた。気象庁職員が「どうもお待たせしました。開花しました」と嬉しそうにTVに写る。その表情も姿も言葉使いもすっかり「染井吉野さん」になりきっていて微笑ましい。名勝・錦帯橋畔と吉香公園には染井吉野3千本といわれ、つぼみも膨らんできた。ここ数年、1番咲きを観測している木のつぼみ、もう少しで開く。春本番は近い。
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ゆったり遊歩道

2016年02月14日 | ウオーキング 散歩


 名勝・錦帯橋の下流に架かるJR岩徳線の鉄橋からおよそ1㌔下流の新愛宕橋まで、清流錦川沿いに遊歩道がある。巾は2㍍ほどでコンクリート舗装されている。遊歩道と流れの間には長く伸びた中洲があり、四季の草花や野鳥が楽しませてくれる。今は中洲の枯れ芒に見守られながら冬鳥が群れになって川面に浮かんでいる。

 流れの反対は市内で一番歴史のある公安委員会指定の自動車学校がある。ここで免許を取得して丸50年になる。免許更新の高齢者講習で走行して分かったのは、運転教習場で変わっていないのは難関のサイド合わせの緩やかな坂だけ、そのほかは改修されている。教習場を挟む様に両側は家庭菜園が広がる。荒地が年々広くなり高齢化の陰を感じる。河川敷公園では運動を楽しむ人、車を気にせず遊ぶ子どもたちの声がする。2面あったゲートボール場は雑草で姿を隠した。

 このコースは車の心配なしに歩けるのがいい。ということで高齢者も安心して思いのままに歩ける。杖などをつきリハビリを兼ねている人も多い。難点は日陰がないので夏場は水持参、冬は川風対応の服装が必要になる。黙々と歩く人、すれ違うたびに挨拶する人、カメラを片手に探し物スタイルの人、伴の犬が迷惑している立ち話、思いのままに過ごせるのどかな遊歩道だ。

 この遊歩道からの眺めは周囲に遮るものがない。上流の遠く、城山山頂には城100選の岩国城、鉄橋を1両で渡るローカル線のジーゼル車、下流には物流の動脈として活気ある欽明路道路の新愛宕橋がアーチを描く。何よりも素晴らしいのは街なかでは見られない広い広い空が広がることだ。「空は広いな大きいな飛んでいきたいよその国」という替え歌など思いながら歩く。歩数計は8千歩、玄関まで歩けば1万歩になりそうだ。
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四つ辻の山茶花

2016年01月13日 | ウオーキング 散歩


 昔の風景はいつのまにか変わる。賑わっていた商店街はシャッター通りに変身し、歴史ある建築物は今風に利用できず保存が困難と解体され、酒造会社や銭湯のシンボル煙突は崩され、裸電球の街灯はLEDで明々と照らすなど、散策する通りの角を曲がるたびに何かが変わっていく。

 四つ辻にあるその家には、見上げるほどの高さに茂った山茶花の垣根は通りのシンボルだった。道を聞かれた時、その垣根を目安に教えたこともあった。久しぶりにそこを通りかかったら、すっかり変わっていた。地面から7分ほどはブロック、そのうえに乗っかるように山茶花が残されていた。家主さんも全面撤去は愛着からか憚れたのだろうか。それはそれでいい造作だと思いながら、いつものように童謡の「♪ たきび」を思い出した。

  (1) 垣根の垣根の 曲がり角    (2) さざんかさざんか 咲いた道    (3) 木枯らし木枯らし 寒い道
    たき火だたき火だ 落葉たき    たき火だたき火だ 落葉たき      たき火だたき火だ 落葉たき
    あたろうか あたろうよ        あたろうか あたろうよ          あたろうか あたろうよ
    北風ピープー ふいている      しもやけ おててが もうかゆい    相談しながら 歩いてる

 童謡の1番と2番の歌詞は、小さな四つ辻のこの場所そのものと置き換えられる。こうした城下町時代の風情を残す垣根も次第に変わる。錦帯橋畔に高い杉垣の家があり、そのきっちりと剪定された垣根越しに梅や桃、しだれ桜が見え、写真を撮る人も見かけていたがその家も杉垣が現代風に変わった。脚立を使っての選定姿を何度も拝見しているが、こうしたとこにも高齢化の波を感じる散歩道の一つがある。
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