日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

除夜の鐘撞き

2016年12月31日 | 生活・ニュース
  
 あれこれと予定が込み合い忙しかった12月、要領も悪かったのか夕方になってやっと年越しが出来るとこまで来た。これほど予定が込み合ったにはそれなりの訳があってのだが、我が家の年越し蕎麦を食べてほっとしている。この後、除夜祭に参加し除夜の鐘を撞に出かける。20年くらい続くが煩悩は、居心地がいいのか我が身体から抜けない。

 除夜会には結構な人数の門徒が集う。春秋の彼岸会や報恩講などでは見かけない子どもが大勢参る。中国地方では門徒の減少で廃寺も多いと聞くが心配なさそうだ。煩悩などの法話が終わると本堂から出て鐘楼へ、外気は冷たいが背筋を伸ばす。子どもらも寒いとは言わない。

 鐘楼を囲む蝋燭のぼんやりとした灯りが鐘を厳かな姿に見せる。撞く前に合掌し撞木で打つ。グォ~ングォ~ンと音と脈動が体に染みる。鐘はいくつ撞く、人の煩悩と同じ108という。住職は参加した人が2打してもそれを超えるので数は気にしないと笑う。鐘で四苦八苦を取り払うということで「4×9+8×9=108」ともいわれるとか。

 住職は「紅白歌合戦の最中ようお参りくださいました」と挨拶の初めは毎年同じ。鐘にはそれを超える威力があると思いきや小さな声で「録画しています」昨年相席になった人。紅白は国民的行事といわれるが長いこと見ていない。鐘撞きを終えると坊守さん手作りの熱い善哉をいただく。今年もこれで終わる。それでは皆さんよいお年をお迎えください。来年もご訪問のほどお願いします。
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ブログ1年

2016年12月30日 | 生活・ニュース

 猿年も残り2日、帰省や海外旅行など年末恒例の大移動がはじまり、映像でその様子を見ている。私はこうした移動を1度も経験していない。親元、ということで親戚中が親子連れで我が家にやって来るので半端な人数ではない。父の時代にはどこの家も兄弟姉妹は多いい時代、不思議ではなかった。就職すると3交替、盆も正月も工場は生産を休まない。工場は地元なので同僚の帰省補充で年末年始は超勤続きだが次の給料日は疲れを忘れさせた。

 弟や姉妹もいつの間にか親元となり、子や孫が帰ってくるのを待つことになり自分の親元への足は後回しになる。これが自然の循環だと思う。我が家もここ数年は静かな年末年始、というのは孫が受験対策で帰省の時間なしということですで過ごした。受験対策もこの冬が最後になってくよれと、遠くに住む孫にエールを送っている。

 このところ例年同じことを思いながら年の瀬を過ごすのは穏やかということだろうか。ただ、今年は義兄義弟の入院、幸い安定しており安心している。私的にはがん術後5年が過ぎた秋に定期検診終了の診断をもらう。風邪を引くと全快までこれまでより長引く気配を感じた。目に見えない身体の変化に注意がいるようだ。

 ともあれこの1年、内容は横に置いておいて休まずにブログを書き、秋には10冊目の冊子も手製で仕上げた。続けられたということは健康に過ごせた証として記す。多くの人の訪問をうけたことは喜びでありひとつの勲章だと思う。訪問者に感謝し、くる年も変わらぬクリックをお願いし1年間のお礼とします。
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再生可能エネルギー

2016年12月29日 | 社会 政治

 1970年3月に大阪吹田市の千里丘陵で「世界の国からこんちわ」で始まったのは日本万国博覧会。これはアジア地域で最初の万博で世界中から多くの人が訪れた。その開会式で日本原子力発電(原電)敦賀1号機から送られた電気で会場の灯がともった。原子力の灯りに、当時の日本人の多くが明るい大きな未来を夢見た。

 以後、「安全神話」という造語のもとで化石燃料に比べ「安価な電力」として、注目もされなかった辺地とも思える土地に国策として原発建設が進んだ。水力発電はいつの間にか忘却される中で「原発はトイレのないマンション」という行き詰る問題点が指摘され始めた。しかし、安全神話のもと建設は進んだ。ところが、東日本大震災で多くの人が故郷を失うという神話の崩壊が発生した。紆余曲折はあったものの事故は想定外という大くくりで原発推進に再び舵が繰られた。

 原発の危険性が指摘される中で「再生可能エネルギー」の活用による新たな発電事業が芽生えた。太陽光、風力、地熱、太陽熱、さらにバイオマスなどが見直された。水力もその一つに加わる。これらのエネルギー源は枯渇せず二酸化炭素を排出しないクリーエネルギで優れていることはよく知られている。これらを電気に変える策は足踏みになっている。原発にとって変わるといわれたが原発回帰の策に戸惑う。

 近隣の道を車で通ると、過疎化の進む地域の休耕地や里山などに太陽光発電設備が急増している。なかにはこれだけの空き地に、と思える小さなものも見かける。こうした光景を見ると別のエネルギー源、食料自給率の更なる低下を懸念する。エコに心がけながら、安全な電気供給制度の確立を願っている。
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寒い朝

2016年12月28日 | 自然 季節

 霜の降りた寒い朝。「よいしょ」と自転車に買い物の入った大きな袋を乗せた年配女性。顔見知りらしいそばの同年輩くらいの女性に「今朝あひやいけえ手袋を2枚重ねたいね」「そうかね、寒いときゃあ恰好言うちゃあおれいんね」。久しぶりに地元弁丸出しの会話を耳にした店頭、外気の冷たさをほっこりさせる地元弁の温もりを感じる。

 「手袋2枚」で思い出す。高校出て就職したのは昭和30年代前半、産官学の経済発展神輿に乗せられて日本中が沸いていた。私も小さな一つの駒として頑張ったと自負する。当時の通勤手段は自転車か汽車かバス、自家用車など露ほども思うこともなかった。冬の3交替勤務、厚着はあたりまえ、手袋2枚、靴下も2枚という身づくろいで出退勤をした。耐寒のためには恰好など言ってはおれないし、温かいカイロなども無かった。

 ふと、吉永小百合の歌った「寒い朝」が浮かんだ。彼女は、女優の肩書より今は反戦を歌い平和を祈る作品を朗読する吉永小百合になっている。歌の出だしは「北風吹きぬく寒い朝も」、そして春を待ついくつかの過程を歌う。その中で「心ひとつで暖かくなる」の一節が寒さへの心構えとして私好みだ。

 「寒さも歳につれてその感覚が鈍る、あんたも気をつけんさいよ」という先輩の経験談。「まだ大丈夫」と思うのは何かが気がかりになっているから比べているのだ、と先の人は続ける。寒さも暑さも高齢者にはどちらも大敵、これに耐えるには体を動かし頭を使えという。まず、寒さを口実にした怠惰な気持をぬぐうことから始めよう。
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表彰状の中味

2016年12月27日 | エッセイサロン

 辞書によれば表彰状とは「善行・功労・成果などを公にし、褒め称える主旨を記した書面」ということになる。在学中はいくつかの賞を受けたが、学業に関連するもので、受賞の陰には教師の指導があった。ただ一つ自力でもらった賞は高校での皆勤賞がある。3年の時インフルエンザで休んだ日から休校になりラッキーはあった。

 国民の義務はもれなく果たすが公には表彰されないと愚痴る人に、義務は果たして当然だから賞はもらえないと言い聞かす人の落ちに軍配、酒席が盛り上がったことがある。だからといって国民の義務を放棄してはならない、と付け加えたのはさすがニックネームの「おやじ」にふさわしい男だった。

 そんな難しい「表彰状」を11年連続もらっている。授与は毎年12月第2木曜日に開く「エッセイサロン忘年会」の席。会員一人ひとりの1年間の創作活動を総括しながら、時には言葉優しく意味深長に諭し、ある時はユーモアを交えて道しるべを示す。最後の1行は必ず「来年も創作を続けよう」と思わせる締めになっている。その作成は会の代表でどれも世界でたった1枚しか存在しない価値あるものだ。会員は毎年これの授与と副賞を楽しみにしている。

 表彰状の文字数は毎日新聞「はがき随筆」の文字250字ほど。代表の筆力では苦は無いだろうが、これに投稿するには苦労している。字数が多ければいいという訳ではないが、少なくても苦労する。今年の締めは「真面目に真摯にエッセイに散り組んでいる姿勢で来年も頑張って下さい」、赤面しそうなお褒めに負けないよう頑張ろう。
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一夜にして

2016年12月26日 | 生活・ニュース

 クリスマス、日本の各家庭でその過ごし方はいろいろだろう。「海外では、クリスマスはゆっくり休暇を取って家族でお祈りをするのが定番。どういうわけか日本はお祭りになっている」という諸状況に詳しい人のコメントを読んだ。それは常々感じていたことと同じで、全くの我流意識でないことに安心する。浄土真宗西本願寺派僧侶で歌手でもある人が、母として我が幼子へのクリスマスプレゼントに悩む気持ちも読んだ。

 「悪い子にはサンタがこない」、それを見分けるのはサンタ愛用の眼鏡に秘密があるらしいというが、子どもに理解させるには難しい大人の言い訳だろう。善意のサンタ登場に喜ぶ子どもの姿を映像で見ると、暖色の赤い服がより温かみを増すように見える。

 そんなクリスマスの余韻にひたる暇のない人も職場もあろう。身近なそんな一つにスーパーがある。クリスマスの残り香などどこにも感じさせない今朝の店内には賀春の文字が目につく。文字だけではない、新春用の食材が色鮮やかな包装姿で並ぶ。そこには新しい年が訪れている。一夜にして購買意欲を転換させる術は今日始まったことではないが、そのお手並みと素早さにいつも感心させられる。

 一夜といえば「一夜の試験勉強」や「一夜漬け」というが、店内の模様替えは急ごしらえではないしっかり準備されたもの。その模様替えする人らは閉店から開店まで仕事の一夜漬けかもしれない。客の目は情報によって日々進歩しつつあるから、一夜漬けの仕事と思わせてはならない。よくて当然が客の立場、これから歳末新年に向けて店内はどう変わる、店内を眺め一夜の変え技も楽しんで見てはどうだろう。 
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見せかけ

2016年12月25日 | 生活・ニュース

 ある会合で流行りの「回転すし店」の話題になった。最近は寿司だけでなくどんぶり物なども人気が高い、予約しないと何時間も待つことになる、ボタン注文で食べたい寿司が即送られてくるなどなど、通の話を聞いているとおもしろい。という私は、TVのCMは見ているが長いあいだ暖簾をくぐっていない。嫌いなわけではないが、待ち席の状況を見てあきらめている。

 どのくらい待つのか、先の通の人は1時間半が記録という。美味いものは並んで待つ、現役のころにはよく教えられたが、損な性分なのか気が短いのかそれが出来なかった。退職して時間は十分あるのに待つのが苦手は矯正できないまま十数年が過ぎた。

 冬休み、帰省した孫を連れて回転すしに、クリスマス前で混んでいることは孫も承知で出かけた。なんとなんと、混雑どころか大混雑、待ち時間を聞くと「3時間くらい」とぶっきらぼうな返事、そこに忙しさが伝わる。楽しみにしていた孫も待ち時間に耐えられぬらしく、「ばあちゃんまたにしよう」という孫に促され、レストランで食事をした。これは我が家の前の辻での立ち話、孫さんはばあちゃんの体調を気遣ったのでは、話が終わってそう思った。

 握ってもらう寿司とお持ち帰りの寿司では持ち帰りの方がシャリが多いと聞いたことがあるが、確かめたことはない。そのシャリについてこんな話が載っていた。昔は一貫24㌘、それが20㌘になり現在は18㌘という。実に2割5分の減、その分ネタが大きく豪華に見えるからだという解説がつく。寿司屋で食べるシャリの少ないのはそんな意味合いがあるのか。寿司人気が米の消費拡大になるといいのだが。
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二つの誤解

2016年12月24日 | 生活・ニュース

 ウオーキング中に「たつのこさん」と呼び止めたのは同年輩くらいの男性。誰だろう、誰だったかと思い出そうとするが出ない、戸惑っていると「いつも投稿を読んでおります。発動機の話を読みながら死んだ親父を思い出しました」と話される。発動機の話とは、イベント会場で見た展示発動機のことを投稿し、今月の中頃に掲載されたもの。確かに読んでもらっているが名前がわからない。

 街中で出会った人で投稿を読みました、と感想などを聞かせてもらうことはある。それは老若男女を問わず顔見知りであったり同年輩者、声を掛けてくれた人はその範疇にない。失礼ですが、と名前を伺うと「名のるほどの者ではありませんけえ」と断られた。続いて「立派な文筆家になられましたのう」と言い残しすれ違いになった。話し方は地元の人に間違いないが、数日過ぎた今も思い出せない。

 自分の父親を思い出してもらえたことは良いとして、「立派な文筆家になられました」は大きな二つの誤解と間違いをされている。まず、「文筆家」ではない。そう名のれるのは「作家など、文章を書くことを職業とする人」のことで、趣味と脳の衰え防止に投稿を楽しんでいる者には全く似合わない言葉。二つ目は「立派な」という形容詞。立派とは一つのことに秀でた人を評する言葉遣いと思っている。

 同好会例会で書き方について指摘や注意される一つに「単語や熟語、諺などの意味を誤って用いないように」がある。例えば「流れに棹さす」を「時流にさからう」意に用いる例がある。また褒めたつもりが逆になると大変だ。稚拙なこのブログもそんな心づもりで書いているが「修正した方がいいよ」というメールを時々もらう。声掛けてくれた人に感謝しながら、過ちを繰り返さない自戒の出会いとする。
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強風と狂風

2016年12月23日 | 生活・ニュース

 昨日、半日近くも続いた新潟県糸魚川市街の火災、燃え上がる炎、北の日本海へ向けてなびく黒煙は風下の屋根をなめるように流れていく。災害の規模はここ20年来最大という。炎を背に「いま家が燃えています」とインタビューに答えた人の胸中はどんなに苦しかろうかと、いい表す言葉が浮かばない。年の瀬も押し迫っての災害、心からのお見舞いを申し上げるしかない。

 古いはなしだが、知人の家が「昨夜全焼した」という知らせを受け現場へ急いだ。火災の激しさを表す言い方に「燃え落ちる」というが現場はそうだった。検証が終わり片づけに入ってしばらく経った時だった。昔はどこの家にもあったブリキ製の化粧箱が、黒焦げになった布団の下から綺麗な姿のまま見つかった。知人が蓋を開けると「ぼっ」という音がして炎が上がった。箱の中の衣料は高温になっていて、空気に触れたため燃え上がた。その時、火事は消えても怖い、ことを教えられた。

 狭い道路を挟んだ我が家の斜め向かいの家から火がでた。多少風のある日で火が出たと直後から煙は我が家の方へ流れてくる。火災になると上昇気流が発生し風が強くなる。瞬く間に全体が炎に包まれた。状況から飛び火は無いと思いながらも車庫の樹脂製屋根に散水した。消防車も通りづらい密集地帯、類焼もなく鎮火してほっとしたのは3年ほど前だった。

 糸魚川市の火災は、強い風のなかでの怖さ恐ろしさを改めて教えた。通りが狭い、家屋が密集しているなどの要因は我が家一帯も同じ。そのうえ、初めての人には迷路といわれるくらい入り組んでいる道、火災映像を見ながら万一の時のことを思いながらあれこれ考える。強風は状況が変われば狂風になる。今日は強い風が一日中吹き落ち葉の舞いを演出していた。
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5の値打ち

2016年12月22日 | 回想
  
 2学期の終業式を終え下校中の男の児童数名。「お前なんぼうあった」と一人が問うと「国語と算数で」、すこし間をおいて「覚えとらん」と返事をする。明るい子どもらの声はランドセルに入っている通知表の中味についてらしい。通知表の評価内容につて、我が家以外に自分から漏らしたことは無いと思うが、目の前の子らは屈託なく話題にしている。中には言いづらい者もいるだろう。それがいじめに繋がらないことを願うが、様子からそんな心配は必要ないようだ。

 通知表の思いの一つ。中3の1学期に驚いた。体育で評価項目ははっきり記憶していないが「1」をもらった。その理由を訊ねると「対外試合に出ていないから」という。文系のクラブ活動に所属しているものは、運動系の対外試合に出場はきない。「1」があれば高校受験は不可能、体育担当の教師はそうもいった。その教師の家は近所だったのでよく覚えている。「1」は1回だけ、以後の評価は無かったから高校受験ができたのだろうか。

 通知表を受け取る時はどんな様子だったのだろう、と考えるが確かな記憶は出てこない。隣りはもとよりクラスの者と見せ合うということは無かったと思う。評価は5段階で5が最高、5が多いほど親は喜ぶのは当たり前だ。学校の成績では通用する5の値打ち、社会に出るとそれほどの値打ちを感じないことをいくつも経験した。

 終戦直後の小学入学、通知表の様式は謄写版刷りのはがきサイズ、数項目の評価が手書きで残る。その教師は後年、障害児童の教育に職務を掛けられた尊敬できる先生だった。通知表、正確には通信簿という。これは保護者に学業などを通知する書類のこと。IT化でレスペーパーが進むと通信簿は消えるかも、そのころ5は残っているだろうか。
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