日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

龍之介の実父

2016年05月31日 | しっちょる岩国


 小説家・芥川龍之介の名前を知らない人はおそらくいないだろう。龍之介の実父・新原敏三は現在の岩国市美和町生見の出身ということはどうだろうか。明治初めに上京し、元幕臣芥川家の3女と結婚して3子を得た。末っ子の新原龍之介は、幼いころ母が死亡したため芥川家で養育され13歳の時芥川家の養子となった(いわくに通になろう参照)。新原家の菩提樹は美和町の真教寺にあり「本是山中人(もとこれさんちゅうのひと)」の碑がある。

 その実父・新原敏三は上京の前、第2次長州征伐(四境の役)で征長軍(幕府)と戦っていたことを知った。史料では新原敏三でなく大村源次の変名で長州藩諸隊のひとつで1864(元治1)年結成の「御楯隊(みたてたい)」に加わっている。御楯とは天皇を守る楯、祖国の楯という意味がある。

 1865(慶応1)年の7月、厳島の対岸に位置する松が原を出発し中山峠で従軍した。御楯隊260名余に対し幕府軍、和歌山藩、彦根藩あわせての軍勢はその10倍を超える規模、大苦戦であったが兵卒の奮戦で何とか持ちこたえたという。大村源次こと新原敏三は左足くるぶしに貫通銃創の深手をおう。

 「本是山中人」は1917(大正6)年、羅生門の出版記念会で求められて揮毫したという。このころ岩国を訪れており、錦帯橋から父の生誕地に当たる上流を眺め、山の向こうにある父の故郷に思いを致したことばではないかといわれる。また、作品の中で「維新の革命に参じた長州人の血も混じっている」と単なる江戸っ子でないことを書いている。新原敏三は、百姓一揆の先駆け的な例とされる「山代慶長一揆」で11人の庄屋が犠牲となったがその中の一人、生見村庄屋:新原神兵衛の子孫という。
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よく動いた

2016年05月30日 | 生活・ニュース

 午前5時に起床、いつものように朝刊を読むではなく、さぁーと目を通して閉じる。昨日の雨で順延になった近くの小学校の運動会を校区内に知らせる花火が上がる。濃霧注意報は出ているが昨日と打って変わった青空、児童らの登校するときの声がいつもより明るい。運動会が開校以来初めて秋からこの季節に変わった。

 日中の日差し、気象台の測定より数度高く感じる。湿度も70%近くあり蒸し暑く動けば汗が流れるが、それでも自分でやるしかない。少し苦になるのは何故だろう。それでも昼食会を楽しみに体を動かす。

 昼食会は結婚されたばかりの二人を囲んでのお祝い。新婚さんは仕事の合間を縫っての参加、笑いと拍手のうちに時間エンド。幸せを絵に描いたような二人に描ける言葉なく、今日の暑さをさらにます。

 余韻の残るまま炎天下を走る。日差しは強く車載温度計は30度、身を考えれば無理は禁物、事故は厳禁、燃費など気にせずにエアコンの世話になる。そして一日忙しく動き回った。久しぶり缶ビールを開ける。
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芸州口の戦い

2016年05月29日 | しっちょる岩国

 今年は第2次長州征伐(ここ山口県では「四境の役」と呼ぶ)から150年、お隣の和木町では記念行事が行われている。この日は、「和木町四境の役150年祭記念シンポジュウム」を中心に多彩な行事が開かれた。記念展示では、役の貴重な史料の数々が展示され戦の厳しさを忍ばせる。参加目的の一つ「四境めし試食会」、限定配布のため列に加わる。竹の皮(もどき)に包まれた2個のむすび、戦のはざまに頬張ったでだろう「もぶり飯」をかみしめ味わいながら頂いた。

 四境の役は小倉口、大島口、石州口、芸州口の四カ所の国境で開戦された。和木町はその芸州口に当たる。戦のいわれを残すいくつもの跡がある。砲台跡を示す石柱はさくら公園に立つ。植え込みに隠れているが「四境之」の上部の3文字が見える。彦根藩士竹原七郎平の異境での死を悼み墓標と碑文が安禅寺に建つ。役の祭、御用宿となった浄蓮寺は町内の奥まった所にある。開戦の端緒となった封境之地碑、その向かいに竹原七郎平徒渉地点の碑が立つ。その上流、岩国市小瀬地区には長州藩遊撃隊士の墓が並ぶ籌勝院がある。

 シンポジウム「幕長(四境)戦争 芸州口の戦い」は全身を震撼させる四境太鼓の演奏で始まる。開戦に至った世界情勢とこれに対する幕府と諸藩の事情、四境それぞれの戦い方、長州軍を勝利に導いた縦隊・横隊・散兵の策、など7人の専門家の史料にもとづく解説は、眠くならずに聞け、参考になった。

 歴史を単に歴史として学ぶのでなく、「歴史の上にその時が存在している。先を見据えるとき今の状態がどういう歴史の上に在るか検証すること」、こんな趣旨の発言を複数のパネリストがされた。政治をつかさどる人らに聞いてほしい内容と思う。もう一つ、岩国市でもこのような催しが開かれることを願うというコーディネーターの発言に同感だ、拍手を送る。久しぶりの知人にも多く会えるなど有意義な一日だった。
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誤変換

2016年05月28日 | 生活・ニュース


 昨日の「赤禰武人伝」、実はこれには誤字かある。「禰」のヘンの「示」は間違いで正しくは「ネ」になる。入力し変換で探すと単漢字の「環境依存」として載っている。ブログの下書きでは正確に表示される。稚拙でも一応アップできることになり公開すると「?」が現れる。試しに外字で作成しても結果は同じ、ということで人名なのに正しく載せられない。紹介した漫画冊子の本文にでは両方が使われているが理由はわからない。

 かな入力し変換したところ「これなに」という意味不明の日本文らしき文が現れる。ESCキーを押すと入力間違いもしばしばある。しかし、どこで学習したのかとんでもない変換に出会う。その内容が面白いと思うときもあるが、急いでいるときは腹立たしい。誤は「うっかりまちがうこと」と広辞苑は悪意のないことが前提という。

 これを書きながら「ごじ」と入力、変換するとまず「五時」が現れ次に入力しようとした「誤字」が表示された。大阪の経済波及効果とするところが大阪の経済は急降下、消火訓練が消化訓練、隠し事が書く仕事、正解はお金ですが政界はお金です。メールで気を付けないといけないのは返信待っていますが変身待っています。どれも笑いで済ませるので罪はない。

 スマホでよくメールくれる人の文章、見たこともない漢字様の文字が幾つも現れる。機種やソフトの違いなどで起きる、と教えられた。ITが進化したという今もそんなことがあるのかと思うが、理解できないことなので対応の策がない。ロボットが会話しながら人様の仕事をこなす。誤字や誤変換ならぬ誤言葉はないのか、1度出会ってみたい。
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赤禰武人伝

2016年05月27日 | しっちょる岩国


 名勝・錦帯橋近くにある岩国徴古館は幕末の志士赤禰武人(あかねたけと)の生涯を漫画で紹介した。冊子は「幕末を駆けた一陣の風 赤禰武人伝」でA4版20頁。幕末の志士・赤禰武人その人を知る人は多くないだろう。だが妙円寺僧侶・月性、吉田松陰、高杉晋作、久坂玄端などと共に時代の夜明けのため奔放した一人として国中を動き回った。

 冊子は15歳の秋、1853(寛永6)年に生誕地の岩国市柱島から一艘の小舟を漕ぎながら誰にも告げずに島を離れるとこから始まる。月性や松陰に学び広く活動する中で次第に才を認められ、高杉晋作発案の騎兵隊第三代総督に就く。第2次長州征伐(四境に役)を防ぐため薩長盟約に奔走するも、高杉晋作らの誤解を生み、生誕地で藩役人に捕らわれ1866(慶応2)年斬首、享年29歳。獄衣の背中に「真似偽 偽似真」記した、その意は「真実は偽りに似て 偽りは真実に似る」。

 武人の死後1カ月半、薩長盟約は成立、幕府は長州征伐に失敗、明治維新へ向けて時代は動く。高杉晋作は赤禰武人と同じ29歳で没した。冊子の終わりに晋作が残した「武人の心情を洞察すること能わず、其の生命を保たしめざりしは遺憾とするところなり」という記録があり武人の名誉回復になる。

 赤禰武人没後150年を機に作成された冊子。各ページの下段に登場する人物紹介、安政の大獄、英国公使館焼き討ち、禁門の変などの史実が簡明に記されていて、私のような素人にも分かりやすく読みごたえもある。冊子は「歴史には高杉晋作のような英雄がいる しかしその陰で志をおなじくし、必死に働きながら、非業の死を遂げた者も多い 赤禰武人もその一人であった」と結ぶ。現世にも通じると味わう。
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コースアウトしない

2016年05月26日 | 生活・ニュース


 75歳を超えての運転免許更新はそれまでと違い厳しさが増す。気になるのが講習予備検査と言われる認知機能検査、自分の記憶力や判断力の状態を知ることになる。昨年の更新時に検査を受けたが始まる前はなんとなく緊張した。検査時間は短いが、結果を聞くまでは一抹の不安はある。昨日、予備検査を受けた知人は準備だといい、あれこれ聞かれたが結果はどうなっただろう。

 とは言っても高齢に関わる事故も多い。典型は高速道での逆走やブレーキとアクセルの踏み間違い、報道を見るたびに決して他人事ではないと言い聞かせる。また、重大事故が身近で発生するとなお気を引き締める。当市で3日連続して死亡事故発生、全国放送された事故もある。警察メルマガでは、いづれも中央線突破のはみだしが原因とある。発生場所は国道187号と188号、前者は山間部を貫く「いやな」、後者は海岸に沿う「いやや」と通称するカーブの多い片側1車線の古い国道だが、ここらでは幹線の役目を担っている。

 メルマガでは「コースアウト4(し)ない運動の推進」として「ぼんやりしない、脇見しない、居眠りしない、携帯電話を使用しない」の4項目が載っている。携帯はしないが残り3つはこれから先その可能性を完全否定はできない。どれも一瞬の不注意だろうが、取り返しのつかない大きな交通事故につながることはこれまでの事例が示す。適当な緊張感を持った運転を心がけたい。

 「コースアウトしない」は何も車の運転だけではなく日々の生活にも当てはまる戒めだろう。ここまで幾つかの山と谷の超え方を教わりながら何とか過ごせた。人生は一生学びというが、これまでを活かしはみだししないよう過ごし、次回の講習予備検査も突破するぞ。
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そろそろ植えころ

2016年05月25日 | 自然 季節


 近所の方から「植えんさい」と朝顔の苗が届く。銘柄ごとに仕分けされたうえに手書きの名札まで添えてある。10センチほどに育った苗はピンと背筋を伸ばし、植え替えの時期をアッピールしている。その方は花咲かせが好きで、そのための手間を惜しまれない人。そのことを花も接すればわかるのか綺麗に咲きそろい、そのお裾分けにあずかることもある。

 我が家の苗、何年か前に体調を崩した妻をいやしてくれた思いでのある朝顔から採種したものを蒔いて育てた物。もう数代目の子孫に当たるが芽を出し苗になってきた。花の大きさは年々小柄になっているが、一生懸命に咲くので捨てずに育てている。そろそろ植え替え時とプランターと垣を準備する。慣れた作業で縦横ともに、まあ満足の出来栄えに一人で納得する。

 苗が届いたのは朝顔の垣ができた日の午後、図った様なタイミングに驚く。気ぜわしく思いながらもその日は野暮用で時間なく翌日に植える。夜半から予報通りの雨降り、雨に打たれたが倒れることもなく今朝はしゃんとした立ち姿でいる。垣の横軸についた水滴が、早くここまでやって来い、呼びかけるように並んでいる。どんな花の競演になるか楽しみだ。

 急用で雨の公園に出かけた。周囲の新緑は万緑にかわり、あまり見かけない静寂な中に傘をたたく雨音だけが響く。アジサイは色づき始めたのもあるが見ごろまで時間がかかりそう。菖蒲は一部で咲き始めているがこちらも見ごろは来月の菖蒲祭りのころだろう。どちらも久しぶりの雨を喜んでいる。駐車場は満車だが人影は少ない、どこに消えたのだろう。
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川柳とエッセイ

2016年05月24日 | 生活・ニュース
 

 「石蹴りの神社も淋し過疎の町」、「休診の文字もかすれて過疎の町」、これは川柳同人誌に載っていた知人の作品。生まれ故郷の過疎化を折に触れ聞いているだけに、単に川柳作品というだけでなく、現状を端的に詠みこみ、その背景にある社会的問題を提起している。川柳とは五・七・五音のリズムで「人情を詠み、人や社会を風刺する口語の詩」とある。

 この時期に楽しみな川柳の話題といえば「第一生命サラリーマン川柳コンクール(サラ川)」の投票結果発表。今年は39,551句の中からフアン約11万人の投票から選ばれた「退職金 貰った瞬間 妻ドローン」で元自衛官の作品、6305票で第1位。やって見たいができない自分の代弁者とは50代女性の感想。熟年離婚増加の現状、若い人への警鐘をドローン(無人航空機)に乗せている。

 サラ川作品を読みながら、日々の暮らしの中で題材選びやネタを探し、作品に仕上げることはエッセイも同じだと思う。その表現方法が五・七・五調にするか普通の文章にするかで違ってくる。川柳は読み終わったとき「ウンそうだ」と納得させる力がいる。エッセイも同じだが、読み終わった後で「ウンそうか」のあと気持が温かくなるような文末の工夫が求められる。川柳も面白い、そう思うが「よし挑戦」に至っていない。

 毎年思うことは「サラ川」の主役は男性サラリーマン、それも下働きならだれよりも勝る仕事力の持ち主、悲しいかな自己主張というかかっこよく振舞えない人の立場を詠んでいる。時にはわが身に置き換えて納得したこともしばしば、それでも作品は作れず悶々としている。やくみつる氏は、毎日1句作れと言う。そこで今日の1句「歳重く体長ちぢみ裾直し」(としより川柳)お粗末。
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地方紙の見出し

2016年05月23日 | 生活・ニュース


 新聞・雑誌などは見出しのあるとこから記事が始まる。その見出しづけは編集の真髄という。そこには記事に目印をつけ内容を凝縮し読者を読む気にさせることが求められる。辞書で見出しとは「新聞・雑誌などの記事の標題」とだけ載っている。簡単そうだが、短く・正確で・わかりやすくつける、新聞編集者も「毎日が格闘」と話してくれた。

 そんな硬い話はさておき、広島カープは昨夜、阪神に打ち勝って首位に浮上した。今朝の広島の地元紙「中国新聞」の広島に関する見出しを拾ってみる。1面の今日の紙面紹介の囲み「コイ再び首位に浮上」。スポーツ面「4番松山 2発5打点」が主見出し、柱見出しで「コイの首位浮上けん引」で主記事が始める。中見出しで「新井の代役 手応えあり」の横に松山の4号2ランを放った瞬間の写真が2Lほどのサイズでアップ。

 「救援の戸田2勝」の横に力投する戸田の写真が並ぶ。「丸が一発『風のおかげ』」は謙遜する丸のコメントが勝っているからでもあるが、笑みを誘うというか余裕を見せる。カープの甘辛を綴る「球炎C」は「流れつかんだ石原投入」が見出し。継投(リリーフ投手)ならぬ継捕(リリーフ捕手)の必要性を説いている。これは署名の囲み記事でカープフアンの支持者は多い。

 広島以外の試合はそれなりのスペースで載っている。全国紙の広島扱いに比べると内容は充実している。関西も中京においても同じ傾向というから地元フアンは喜ぶ。紙面から思うと明らかにカープ寄りの紙面だが、それだけ地域においては報道価値が高いということだ。まもなく梅雨入り、雨に負けず泳ぎ続けろ。
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ミツマタの花

2016年05月22日 | エッセイサロン
2016年05月22日 中国新聞セレクト「ひといき」掲載

 岩国のある公園の国重要文化財の庭にミツマタの花が咲いていた。写真を撮っていると、年配の夫婦連れに「撮ってくれませんか」と頼まれた。観光岩国のため、気持ちよく応えた。 
  「ミツマタの花も一緒に」という希望だった。蜂の巣のような形の黄色い花を背景にして数回シャッターを押す。カメラを戻して普通なら 「お気をつけて」でお別れになる。ところが懐かしそうに花を見ながら「何十年ぶりかの出合いです」と話し始められた。
 両親は、錦帯橋の架かる錦川の上流でミツマタを栽培して切り出し、蒸して樹皮を剥ぎ、それを出荷していたという。樹皮は和紙や紙幣用の紙の原料になる。「心を込めて仕事をしていたが、私か中学生の頃には時代の波に押され、関西での再出発を余儀なくされました」
 年を重ねたので、もう一度、両親の故郷を見ておこう、と訪ねたところ、「思いがけず、この花に出合えて故郷に歓迎してもらったようです」と話された。そこには訪ねてよかったというほかに、両親への深い慈しみを感じた。
 資料によれば、ミツマタは、岩国藩では作付けを奨励して面積が増えた。製紙技術も向上して盛況となった。半紙の生産は藩の主要産業となり財政を潤し、藩は紙専売制度を制定して取引拡大を図った。
 歴史あるミツマタの栽培を断念され心残りであった両親。その思いが、花の咲く時季に息子夫婦を故郷にいざなったのだろう。
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