日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

子ども店長

2010年05月31日 | 生活・ニュース
               

「わしはこんなところに来とうなかった」。演技のうまさで日本中をうならせた小学生、今は真っ赤なユニホームで子ども店長。CMのなかで「アイスクリームは好きだけどグリンピースが嫌い」など最後にオチがつく。子どもらしくておもしろい。

その店長がやってきた、といっても等身大のパネル。訪れたちびっ子たちは店長と同じ真っ赤なユニホームを着て記念撮影。子どもたちはちょっと照れくさそうだが、お母さんに熱が入る。ほかにもジュースやお菓子釣りなど楽しめる仕掛けもある。

加藤清史郎君が店長になって1年と少し。エコブームと買い替え補助金などで売れに売れたハイブリッド車。子ども店長の功績はどのくらいあったのだろう。その影では世界規模の大きな問題が発生した。それは子ども店長の関知しない大人の世界。

さて、店長パネルとの写真撮影、準備や応対に忙しそうなスタッフを見ながら、これからの販売へどれほど結びつくのだろうと思った。これについて、子ども店長はどんな分析をしてくれるだろうか、CMで教えて欲しい。

(写真:このショップにきてよかった、と笑顔の店長)
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無理はできない

2010年05月30日 | 生活・ニュース
               

休校日の早朝、対外試合へ行くのだろうか高校生の運動部員、大きなバッグを自転車に乗せて学校へ向っている。ペタルのこぎ方で目覚めのよくない生徒も見かけるが、それなりに愛嬌を感じる。

狭い歩道を歩いていて、今朝もヒヤッとした。悪気はないのだろうが、試合へ行く高校生にかなりのスピードで追い越された。後ろから近づく音は危ない、何度目かの事なので予知、身を避けた。そうしてなかったら、おそらく自転車のハンドルが身体のどこかに当たったと思う。

高校生なら歩道の幅と自転車のスピード、前方に歩行者がある、などを考えれば危険や迷惑を避けるため、状況に合せた運転が必要な事は判断できるだろう。自身も転倒などで負傷し試合へ行けなくなり、また仲間に迷惑を掛けることになるかも知れない。

身の軽い元気な高校生なら避けれる事でも高齢者には無理になることが多い。試合でいい結果を残す事も大切だが、それと同じように安心して生活できる社会のルールも学んでほしいと思う。大人にも同じことは言える。自分の襟も、もう一度見直そう。

(写真:ある日の駐輪場、手前の3台には市内の高校のワッペンがある。3台以外は枠内に並んでいた)
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三文の徳

2010年05月29日 | ウオーキング 散歩
               

高校を出て10数年、7時と15時と23時に交替する勤務を経験した。交替勤務は体内時計に逆らっての生活、それなりに気を引き締めなければ体調を崩す。サイクルのそれぞれに長短はあるが、一つ習得した事がある。

それは「眠るべきときには眠る」という至極ごもっともなこと。睡眠不足からくる眠たい、では仕事にならない。装置産業では一瞬の油断が大きな災害の因となる。眠れるときはどこでも眠る、社会人になって身についた習慣、だから今も寝つきは非常にいい。

退職してからはじめたウオーキング、朝刊の配達時間と同じころ家を出る。四季の移ろいを味わいながらのそれは「早起きは三文の徳」を教えてくれる。特に今の季節の爽やかな風は格別だ。

遠くの緑を眺めるのは目にいい、誰かが教えてくれた。いま、深緑からの風に緑を感じそうな気がする。この時期の三文の徳、それは「目にいい緑」。意識して遠くを眺めながら今朝もウオークした。

(写真:桜の向こうの錦帯橋が緑の向こうに変わった、AM5時ころ)
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クレヨンとクレパス

2010年05月28日 | 回想
               

知人からパステル画教室作品発表会の案内状が届いた。会場にはいろんなジャンルの30点ほどが並んでいる。離れて観ると油絵のように思えたが、近づくと色に混ざりけがない綺麗な絵という感じを持った。教室メンバーの似顔絵と作風が一致していないのが愉快だった。

子どものころから絵を描くのは好きだった。吉香公園の錦雲閣へ、放課後1週間通ったこともある。そんな事から甥や姪が来るとよく絵を描いて見せた。せがまれて描くこともあった。そんな絵の色塗りはクレヨンとクレパス。昔からの使い残りで折れて短い屑のようなものばかりだった。

小学校の何年生のときだろう、図画の時間に使うクレヨンがクレパスになった。戦後まもないころのクレヨン、硬くて塗りにくく色重ねが難しかった。そのうえ簡単に折れる。折れても捨てることなく大事に使った。

クレパスはクレヨンと違い柔らかく重ね塗りが簡単に出来た。急にうまく描けるようになった気がした。いま思えば、柔らかいクレパスが重厚さを感じさせる仕上がりにしてくれたのだ。水彩ではデッサンの線が残る淡い色使いが好みだった。初めてみるパステル画、観賞しながらそんなことを思い出していた。

(写真:パステル画の展示風景)
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宇宙の単位

2010年05月27日 | 自然 季節
               

世界は、犬の乗せられた衛星が地球を周回したとき、人類が宇宙へ到来することを近いと信じそして喜んだ。人類初の月面着陸、瞬きも忘れるほどその映像を見つめた。小松崎茂の宇宙が本当にやって来たと実感しながら。

今、宇宙基地と地球の往復は緊張の中で進められるが、当たり前のよう繰り返される。日本人の活躍も素晴らしく、宇宙の実験衛室「きぼう」を持つに至った。宇宙を身近に感じていたが、果てしない宇宙の存在を改めて知るニュースに出あった。

先日の新聞、「600光年かなた 惑星のむ恒星」という見出しに目がとまった。記事は「地球から600光年離れた場所にある太陽系外惑星が、恒星に大気を吸い取られ、惑星そのものも、のみ込まれそうにそうになっている」というNASAの観測発表を載せていた。

惑星は、ぎょしゃ座にあるWASP-12という恒星から320万キロの軌道を公転しており、恒星に近いため表面温度は1,500度と高い。大気が膨張し恒星の重力でアルミやマンガンの成分が恒星に流失している。

ガスを主成分とするこの惑星は、恒星の重力によりラグビーボールのようにゆがみ、1千万年後には完全にのみ込まれてしまう、と研究グループはみている。

宇宙は、光年であり千万年という想像もつかない単位の世界になる。最近は900光年先にある星の様子も観測できるという。地球の営みとの尺度との違いに愕然とする。太陽系以外の天体でこの地球を観測されていても不思議はない。その時恥じることのない美しい星と認められるようこの地球を守りたい。

なぜか、高校のころからこんな宇宙の話に興味を持つようになった。

(写真:新聞紙面より、惑星が恒星に大気を吸い取られる様子を描いた図。左のラグビーボール状にゆがんだ星が惑星で右が恒星)
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爽やか

2010年05月26日 | ウオーキング 散歩
               

梅雨の走りを初めとするこのところの天候不順、先日の大雨は市内奥地では200ミリを超える雨量を記録した。錦川もその支流も増水し各ダムとも放流が行われた。沈下橋は名の通り濁流に隠れるようにして姿を隠したという。

一転、今朝の爽やかさが際立った。東の空が白み始めると徐々に澄んだ青空が広がり何日ぶりかの心地よいウオーキング。宇宙船艦のような雲がひとつ、その底を赤く染め東へ向って進む。木立をぬけたときその戦艦はもう見えなかった。

鶯の鳴き声がいつもより澄んで聞こえる。うまくなった。最近聞こえ始めた鶯の巣に産卵するというホトトギスの鳴き声「東京特許許可局」も言葉になってきた。久しぶりの明るい朝、小鳥たちは日の出の時間を間違えたかのように、いつもよりたくさん鳴いている。

この鬱陶しい日和を喜んだのは芭蕉だろ。にわかに大きく成長し、葉のうす緑色が鮮やかになった。初夏へ初夏へとウオーキング路は変わっていく。

(写真:東へ向う雲の宇宙船艦、AM4:30ころ)
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楽しみな昼食

2010年05月25日 | パソコン講座
               

出張講座での楽しみは何度もブログに載せた。出会いと会話とそして昼食。先月から新しく始まった会場は市街地から錦川の上流40キロにあるN町。これまでは暖かい弁当を特別配達してもらった。

このシリーズから、講座会場近くにある、食堂に喫茶店、カラオケも備わったお店に出かけている。今日は講師陣7名、店に入るなり「おぉー」とひとりでに声が出た。

押し寿司に温かいフライと味噌汁、胡瓜とわかめの酢の物、野菜の煮物とデザートが膳に乗っている。

食事を終えて店を出るとき「綺麗に食べてもらってありがとう」と気さくなママがひとこと。手ごろな価格で味は申し分なし、午後の講座もがんばるぞ、そんな昼食だった。

(写真:年金生活者には過ぎた感じの昼食)
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まずは素材

2010年05月24日 | 生活・ニュース
               

放送劇作家の西沢 實氏のエッセー「朗読談義」に「黙読して天下の名文も、朗読では、聴いていてさっぱり分からない悪文であるかも知れない。朗読では、わかることが先で、観賞は後である」という一節がある。

ラジオ放送開始直後の視聴者嗜好の1位はラジオ劇場と落語、2位講談、続いて義太夫、放送舞台劇などと続いた。上位は伝統話芸が多かったという。耳からだけの「受け」で聞き手は堪能し、人によっては干天の慈雨であった、と、状況を説明されている。

ブログは私が経験したり、見たり、聴いたり、読んだり、教えられたり・・・それが素材になって自分本位に書いている。一方で、毎日、大勢の方に訪問してもらっている。訪問数が多い日は歳に関係なくうれしい。といって大方の人の顔は知らない。能力もないが訪問者に合せた文など書けない。

ブログは一義的には読むもので、朗読するものではない。それでも、朗読してみたくなるようなブログが書けたら素晴らしい、と夢にも起こらない事を思う。そのためには素材を見つけることが1番だ。

これはエッセイ同好会でもよく教わる。このことがうまくいけば全てよしとも。読んで聴いてわかる素材、素直な気持ちになって探しに出かけよう。

(写真:半日陰に咲いていた蔓日々草は素材になるか)
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競り合うから芹

2010年05月23日 | 地域
               

「芹を摘む」。高貴な女性が芹を食べるのを見た身分の低い男が、芹を摘んで自分の思いの遂げられるのを期待したが、徒労に終わったよいう故事がある。このことから恋い慕っても無駄なことにいう、思い通りにならないことをあらわす(広辞苑)。

芹は春の七草の1番目に数えられ若い芽を食することで知られるが、根を浸し物や和え物にしても喜ばれるという。芹という名前は田んぼや川べり、湿地に自生するが 1ヵ所に「せり」(競)合って生えることから「せり」という、真否は知らないが面白い。

そんな芹の小さな花が道沿いの小川にその名前の通り競りあって咲いている。清いな水は芹の間をゆったりと縫って流れる。そこだけは子どものころに見慣れた小川のどかな光景を感じさせる。

花言葉は「魅了・清廉潔白」という。道路から花を見下ろしても関心を示す人は少ない。取る人もいないのは恋い慕っても無駄になるからか。だからますます競り合いながら広がっていきそうだ。芹は清いな水に感謝している、風に揺れる白い花がそう言っている。

(写真:競り合って綺麗に咲く芹の花)
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生活の橋 臥龍橋

2010年05月22日 | 町かど
               

錦帯橋が史跡名勝に指定されたのは1922(大正11)年、完成からおよそ250年の歴史を刻んでいた。記憶に残るこの橋の最も大きなことは1950(昭和25)年9月キジヤ台風による流失だ。

その次の朝の登校のとき、美しく5連に連なった弧のひとつが、板を継ぎ合わせた長い1枚の板のようになり錦帯橋下流にある橋に引っかかっていた。橋脚に遮られたそのべたっとした無残な姿を欄干から覗き込むようにして見下ろし、驚き悲しんだことを鮮明に覚えている。その橋を臥龍橋という。

臥龍橋は錦帯橋の下流500mくらいにある。無名の橋だが「臥龍橋はあれは去年の夏、盆も間近かのある晩のことでござりました。町の寄合いのくずれで、よそのお碑とと二三人あの臥龍橋の上 でええ心持になって風にふかれていたので ござりまする。すると誰やら、白い浴衣きた女がすうっと私のすぐ傍をすりよって通るのでご ざります。この広い橋の上をあなに近うに人の傍を通らいでもと、そう思うて顔見ますと、別れた女房のおはんでござ ります」と描かれた橋です。

この橋も錦帯橋流失の翌年10月、ルース台風により流失した。今と違い交通手段のお粗末な時代、川西と横山地区は陸の孤島になった。川西地区の児童は当時あった修行僧の寺の本堂で学習したが、楽しかった記憶がある。しばらくして渡し舟が橋の代わりに登場した。臥龍橋の上流から、今は団地に変わったが元義済堂下の川原までを楽しんだ。

流失後再建され、1度大掛かりな改修がされた。今は鉄筋コンクリートで長さはおよそ200m、片側1車線で両サイドに歩道のある、どこにもあるごく普通の橋。しかし、錦帯橋は観光用だが、臥龍橋は毎日の生活には切り離せない用を果たしている。

錦帯橋と比べることはないが、生活の橋としての諸々は地域の人の支えとなって続いてきたし、これからも続く。私はこの橋の西側から見える錦帯橋が好きだ。高い建物などに煩わされないで眺められるから。

(写真:臥龍橋西詰めから眺める錦帯橋、この日は霧がかかっていた)
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