日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

渓谷美

2011年11月30日 | 地域
                     

歌人の谷村はるか(東京在住)さん、JR山陽本線大竹駅前からから岩国市美和町鮎谷行きのバスに乗車しての感想を「峡谷美 車窓から堪能」と題した短い紀行文が載っていた。これは「街に会う 旅を歌う」という連載で中国地方の街が紹介さる。訪れたことのある街だとより真剣に読んでいる。

「バスは大竹市と岩国市の共同運行で、業務委託されたタクシー会社のマイクロバス。バスはこんな道を?と驚く山峡の細い道、小さな集落を縫って山深く入っていく。弥栄ダムの大橋を渡るとぐるりの山の木々に目を奪われる。どこで降りていいの分からず終点まで乗ることにした。

バスというよりドライブして峡谷美を堪能させてくれる格安の大型タクシー、終点まで620円。終点の鮎谷から折り返し便に乗る。『もう帰るんですか』とバスの運転手。『バスに乗ることが目的なんです』と正直に話すと『はっはっはっ』と白髪の運転者さんが笑った」

所要で出かけたおり大竹から弥栄湖まで谷村さんの文章を思い起こしながら足を伸ばした。何度も運転しながら走っているが、この時期は上流へ向かうにつれて紅葉が広がる。谷村さんはこの紅葉に出会われなかったようだ。

弥栄湖畔のバス停で時刻表を眺めた。平日と休日で運行時間が変えてある。それでも1日5便。谷村さんは「折り返しの大竹駅行きは各停留所から少しずつ乗って、座席はほぼうまった。町内会の旅行みたいで楽しかった」と結んであった。

弥栄湖は国道186号線を広島・山口県境の小瀬川沿いに上る。大竹市内からおよそ20キロ。

(写真:歌人にも見て欲しい湖畔の紅葉、)
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芋つる

2011年11月29日 | 回想
           

環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)へ参加するかしないか、加盟するかしないか大きな議論になっている。その構図を大胆に分類して見ると農業対工業という、どちらも国力をつかさどる分野だ。すぐに両立する策はないようだが、避けて通れない選択を迫られている。

そんなニュースを見た後の散歩だからでもないだろうが、畑の垣根に干されたさつま芋のつるが目についた。触ってみるとからからに乾いている。こうして干されているということは何に使われるのかと見て通ったが思い当たらない。

子どものころはさつま芋は米や麦などの代用にもなるなど準主食だった。我が家の地下壕、大戦中の防空壕には1年中それがあり、大家族を支えた。ふかす、焼く、蒸して切って天日干しなど遊びの空腹を満たす大切な食材だった。

種苗店で、試食してと店主が拳ほどの大きさの焼き芋を半分に割って差し出す。割れ口は栗色で匂いもいい。久しぶりアツアツのそれを口にする。子どもころ雨の降る日、父の手伝いでつるを植えたことを思い出す。さつま芋は今もしっかり記憶に残っている。

(写真:干されてからからになったさつま芋のつる)
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ローカル線

2011年11月28日 | ウオーキング 散歩
           

老化対策にと歩くことを心がけている。ウオーキング以外でも、近くへ用事で出かける時はできるだけ自転車を使わず時間を見計らって早めに家を出る。車では通らない裏通りや碁盤の通りをジグザグに回ってみる。

藩時代の町名が残る細い道で家屋が解かれ空き地になっているところが多い。駐車場になっていればそれなりに見えるが、大方は雑草が茂っている。歴史ある裏通りの家は間口は狭いが奥行きがある。何か歯の抜けた感じがする。1戸だけではどうしようもない。車社会に対応できる古い街並みを変えるいいアイディアはないのだろうか。

散歩の区域内で工場の跡地が2カ所宅地になり、場所柄か建築ラッシュだ。そのひとつでは10区画のうち8区画では5割がた完成、残り2区画では基礎工事が終わっている。その全部がそれぞれに違い、新築の競演のようだ。工事中の覆いが除かれるのが待ち遠しい。

川沿いに出ると視野が広がる。ローカル線の鉄橋からその下流の橋まで遊歩道が続く。1キロと少しあろうか。そこは四季の変わりを感じながら歩ける。だから小さなデジカメはいつもポケットに忍ばせ、目についたものは撮っておく。そんな中でいいチャンスに出会えないのがローカル線のジーゼル車。いつか時刻表に合わせて歩いてみよう。

(写真:近くで出会えた清流線のジーゼル車)
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こも(菰)巻き

2011年11月27日 | 地域
           

風物詩にもなっている「松の木へのこも(菰)巻き」は毎年、立冬の日から始まる。ここ吉香公園では1週間かけて200本ほどの松にこも巻きが行われる。小学生の課外活動として体験させる自治体もあるという報道を見た。これからを担う子どもらに郷土への思いを募らせるいいアイディアかもしれない。

この、こも巻きについて「松の枝についている虫が冬の間は樹幹を下がり、樹幹の粗皮の割れ目などに隠れて越冬するので、この時期に幹に『こも』を巻きつけ、『こも』内で越冬させ来春の啓蟄の頃に『こも』の中で越冬した虫を『こも』と一緒に焼却し駆除するそうです。『こも巻き』は一つの害虫の退治法」と広報に載っている。

公園でこも巻きされた松を撮っていたら「初めて見るのですがこれは何ですか」と観光で見えた人から声を掛けられた。害虫退治の方法のひとつと話すと「我が家の松にもやってみよう」とその人は撮って行かれた。庭の趣きがよくなるだろうと思いながら見送った。

こもを巻かれた松の木は少し暖かそうに見える。それも啓蟄の日まで。その日、こもが取り外され、燃やされて公園の冬が終わる。この冬はどれほどの害虫がこもの中で越冬してくれるだろうか。

こもが消えると公園は春への準備が始まる。
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読後感を終えて

2011年11月26日 | 生活・ニュース
地元で発行される「総合雑誌 21世紀」は創刊から40年以上の歴史がある。掲載される内容は政治、教育、社会一般、科学、医学、文学、家庭、郷土史、趣味の9分野についてと多彩で、投稿は自由にできる。運営は会員からの会費と掲載の広告料のように思う。

投稿は市内在住の方が多いようだが、遠く関東在住の方の作品もあり読者層は広い。そんな雑誌の読後感を3年間書いた。きっかけは初投稿が掲載されたおり、それを読んだ知人と編集責任者の強い説得にくじけてしまったことだった。

編集者からの注文は「全編を読んでから書く」という1項目だけ。読むだけならさしたる苦痛はないが、読後感に繋げるとなると肩に荷をしょった感じになる。雑誌と名のつくもので掲載されたものを読破するのは大変だとつくずく感じた。

毎回3千字弱ほどの文章だが、読み直し打ち直し辞書を開きと苦闘した。それは取り上げた作品への思い入れと作者への敬意からだった、と今そう思う。その時は最善と考えた文字だが、印刷されたそれを目にして反省したことも多い。

思いもかけなかった読後感。「稚拙な文章を毎号掲載頂きほんとうにありがとうございました。私としましては、思いがけない光栄を頂き、また、いい思い出を残させていただきました」最後にこのような挨拶で読後感を終えた。各読後感を読み直して「何か一つ仕上げた」と感じているが、読後感の読後感は読んでいないので所詮は自己満足の域を出ていない。

次号からは一会員としてページを繰っていける。
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秋過ぎる

2011年11月25日 | 自然 季節
           

いつの間にか芒の穂が我が頭髪に似てきた。秋を満喫したであろう彼らも字のように草かんむりが消えていくようだ。枯れ落ちて土に還っても来春には芽ぶき夏には一面緑の絨毯に変わる。肌寒く感じる風を彼らはどんなに感じているだろうか。

そんな芒の向こうに川舟が一隻。乗っている人は何をされているのか、立ったり座ったりを繰り返し繰り返しされている。釣り竿が見えないので川魚を獲っている風でもない。と言って網を使っているでもない。舟の周囲に波も起きていない。

錨をおろしているあたり、子どものころは淵と呼んで川遊びは禁じられていた。崖が落ち込んだあたりは大人でも底まで潜れないと聞いていた。人が近づけないからか、そこ付近には大きな鯉が沢山いると教わっているが、その姿を見たことはない。流れからしてアユを狙う場所ではない。

無心に見える舟の上の人の動きが何か分からないまま中断していた散歩を上流へ向かって始めた。

(写真:川舟の人は何をしているのだろう)
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春に向かって

2011年11月24日 | 自然 季節
           

西高東低の冬型の気圧配置で等圧線が縦ジマ模様になる。日本海には大陸からすじ状の雲が流れ込む。大陸から真冬の寒気団が南下してくる。北日本では平地でも雪になるでしょう。気象情報の時間にこんな予報が多く聞かれるようになった。

晩秋、映像では各地の紅葉の様子を教えてくれるが、温暖と言われる瀬戸内でも体感的に冬に向かっていることが分かる。向こう3カ月の予報では平年並みかそれとも低めの気温という。昨年と同じ冬になりそうだ。

そんな中で葉を落とした桜の枝には米粒より少し大きめの芽が出そろっている。さすがに硬くしまったそれにはまだ何の愛想もないが、桜は誰に言われることなく春への準備をはじめている。冬の日を受けるそれらには咲くというしっかりした目標が見える。

桜の見ごろにはまだ4カ月以上も先。こうした長い長い準備期間があって人を酔わせ楽しませる花になる。受験生もこの時期を乗り越えてこそ春が見れる。桜の芽の膨らみに負けぬよう目標へ向かって日々を積み重ねて欲しい。古いが「サクラサイタ」がスマホに届く日を目指して。

(写真:小枝の先に姿を見せる桜の芽たち)
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竹林がない

2011年11月23日 | 地域
           

錦帯橋から上流へ続く道は春には桜のトンネルになりに訪れる人を喜ばせる。その桜街道が今は春に備えて散った葉で落葉街道に変わっている。それはそれなりに風情がある。その終わりのあたりにバス停がある。1時間に1本ほどの時刻表を眺めている旅行者から声を掛けられた。

「このあたりは竹林が覆い茂っていて薄暗く感じた記憶があるのですが」。定年後の旅行を楽しむ熊本からのご夫婦という。10年ほど前にも新岩国駅から錦帯橋まで歩いて旅した。その時の竹林の印象が強く残っていると話される。そして、沿線の変化はどこの街でも感じるが、あれほどの竹林が大きく姿を変えているのは驚き、とも話される。

護岸工事で竹林が取り除かれたことを話しながら、自分と同じことを感じる旅行者のあることを知った。竹林の話をされるので竹林の中に作られた遊歩道を紹介した。歩いてみましょう、と答えがかえった。

分かれ際に「橋のたもとの銀杏の木はまだありますか」と聞かれた。前回の訪問の時も黄金色のころだたっという。いい色に変わっていますと答えた。熊本からの旅人に、10年の歳月が過ぎた錦帯橋界隈はどんな印象を与えたのだろうか。

(写真:話しに出た橋のたもとの銀杏、奥へ伸びる道が桜のトンネルになる)
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誕生日

2011年11月22日 | エッセイサロン
2011年11月22日 毎日新聞「男の気持ち」掲載

           

 がんの手術から4日目、誕生日を初めて病院のベッドで迎えた。「もう、祝う年でもなかろう」と思いながら、窓から雲の流れを見ていると、なぜかいろいろ思い浮かぶ。

 子どもの頃の我が家は、3世代と父の妹などが暮らす大家族だった。だから毎月のように誰かの誕生日がある。その日は夕食のおかずがひと品増える。家族全員の小さな皿にのせられた紅い蒲鉾。誕生月の者にはそれがひと切れ多くのせてある。 

 今考えると、戦後の食糧難と大家族を賄う家計のやりくりの中で、家族皆で誕生日を祝いたい母の素晴らしい知恵だったと思う。ささやかなひと品に込められた家族の絆。そうとは知らず、私は蒲鉾が食べられると喜んでいた。

 そんな家族の中で、父と私は誕生日が同じだった。父は50代半ばで急逝した。父の享年を超える日、私は朝から落ち着かなかった。夕食のとき、遺影でしか父の顔を知らない妻が「超えましたね」とひと言。妻も同じ思いをしていたことを知る。その日の晩酌は格別の味だった。

 検温に来た看護師から「退院されたら誕生祝いをしてくださいね」と思いもしなかった優しいひと言。思わず顔がほころんだ。すると、窓の外の紅葉した葉の揺れも「早くよくなれ」とエールを送ってくれているように見える。今年もいい誕生日だ。心からそう思った。

 父の享年を15超えた。

(写真:窓の向こうからエールをくれた紅葉)
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好きだからできる

2011年11月21日 | 生活・ニュース
           

久しぶりに吉香公園を歩いた。それぞれの樹木がそれぞれの色を織りなし紅葉している。そんな中で青空を背にしたフユサクラの白い花びらが清楚に見えた。

同じ色のリボンを付けた全部で数十人くらいのアマチュアの写真家集団に出会った。数組に分かれて行動されていた。モデルらしい男性にポーズをつける人もいた。

手に肩に胸にと所持されているカメラの価値は分からないが、使われているレンズは長ものばかり、それなりの値段がするのだろう、そう思いながら一行と前後する。

道の反対側を撮ろうとする人の邪魔をすまいと立ち止まった。撮り終わったその人が「自分の感度とカメラの感度が違う」と液晶を眺めなが仲間に話している。撮り主の狙った色合いが出ていないのだろう。いいカメラも使いこなしてもらえないと嘆いているのでは、そんなことを思い苦笑していた。

失礼だが年齢は高齢者ばかりの男女。小柄な婦人が首に掛けられていた3台のカメラ、そこにつけられているレンズは元気でないと操作できないほどの大型だった。好きなだからこそ苦にすることなく首にかけれる、その元気な姿に恐れ入った。吉香公園がどんな作品になって紹介されるのだろう。

(写真:写真家集団も狙われていた黄と赤)

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