教わるうちに少しずつ分かってくる。が思うようには出来ない。世界で1つの作品を作ろう、と誘われて月2回の陶芸教室へ通い始めて10ヵ月が過ぎる。
ろくろに置いた粘土を両手で捏ねて形を作る、鋸も鉋も釘も槌も鋸も要らない造作なのに、思い通りにならないものだといつも悔しい思いをしている。うまい人の作品を見ると神の手かと思う。
気に食わない作品は地面に叩きつけて壊す陶芸家、ドラマではよく見かけれシーンだ。教室ではさすがにそれはない。
素焼きされると1割くらい縮み小ぶりに仕上がる。それを撫ぜながらここの処をこんなに仕上げたかった、厚みが均一でなかったので歪んだ、ひび割れたが何故だろうと、素焼きという造作への素直な答えを見せ合いながら仲間と話し合う。
盗んで学ぶというが、うまい人の造作の仕方を見るのも参考になる。首を右に左に振りながら手を動かすうちにいい形に仕上がる。それは素養とセンスが備わっているとしか思えないが、盗もうと観察する。
教室の仲間は定年を過ぎたものがほとんど、作品作りも楽しいが同世代のわいわいがやがやも楽しんでいる。年明けには素人作品展の計画が発表された拍手が起きた。盛んになりそうだ。
(写真:釉薬の洗礼を待つ素焼きの皿)