日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

お辞儀の中味

2009年08月31日 | 生活・ニュース
               

まだ若いのか緑濃い直立した稲穂、実が育ちきらない稲穂、色ずきはじめた稲穂、コンバインに刈取られていく稲穂、品種なのか植えた時期なのか分からないが稲田ごとの姿がある。

そんな稲田が幾つも続くと、稲田ごとに異なる稲穂の姿は絨毯の柄に見える。それは山合に伸びる1本の道のうねりに沿って高くなったり低くなったりしながらその両側を飾っている。所々で畦に咲いたコスモスが見える。

車を止め稲穂に触ってみた。心なしか柔らかいが、頭を垂れているからまもなく刈取られるのだろうと思った。この夏は天候不順で日照不足・低温などで米の生育が心配されていたが、このところの好天で持ち直してきたという。

頭を垂れた稲穂に触れながら、昨夜から今朝にかけての感謝やお詫びの「お辞儀」を思い出した。赤絨毯へ戻る人と初めてそこを踏む人、そこが踏めなくなった人とお辞儀の中味はいろいろだった。

当人でなければ分からない心の内は読み取れないが、それぞれに来ることと去ることを脳裏に描きながらのお辞儀だったろう、そう思いながら稲穂から手を離した。1匹の赤とんぼがあわてて飛び立った。

(写真:色づいて収穫を促すお辞儀をしている稲)
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まわり道

2009年08月30日 | 自然 季節
               

選挙を済ませていつも通らない道を少し歩いた

庭に植えられた高さ2㍍ほどの合歓の木に沢山花が咲いている こんな小さな木でも咲かせるんだと驚く

よくにたオジギソウの葉は触るとシューッと閉じるが ネムノキの葉は触っただけでは閉じない

夜になるとゆっくりと自分で閉じる それがまるで眠るようなので眠りの木

そしてしだいに「ねむの木」に変化しという

ピンクと白のグラデーションのような細い糸で作ったようだ


たまには道草をしてみるのもいいものだ 


選挙の当選祝いに届ける花は胡蝶蘭 何千鉢も準備されているそうだ 今夜はそれが動くのだ
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弁当の楽しみ

2009年08月29日 | 生活・ニュース
               

サラリーマンの小遣いは不況の風が吹き荒れるいま、収入減にあわせて比例減額される、とその寂しさが話題になる。

小遣いが減額されるとまず昼食代を下げるという。1食あたりの価格が下がればその内容も小遣いと同じように比例的に低下するのが普通だろう。そこでマイ弁当族が増えたとか内容のいいスーパーの弁当に人気が集まる、コンビニのムスビが安くなったなど話題に事欠かない。

定年退職し毎日が休日になった者には厳しさは想像できるが、直接身に応えるほど感じない。家内の並べてくれた食事の内容に文句を言わなければ何を気にすることもなく済ますことが出来る。

先日発表された小中学生の全国学力検査の結果で全国1位になれた理由の中で「朝食を摂る」がトップに記されていた。サラリーマンだって同じだろう。朝食も必ず摂ってから出勤して昼食も摂って欲しい。毎朝お茶漬けです、というCM流の朝食は真似しないことだ。

ボランティアで市街地から盆地や山間部に出かける。その時の昼食は行き先々の弁当を食べるようになった。500ccのお茶がついて500円くらいから弁当だけで550円くらいの手作り弁当をいただく。

弁当によって内容はいろいろだが、温かいご飯とおかずに地元の素材が使われているところはどこも共通している。温かい味噌汁のつく弁当もある。これを楽しみにボランティア、とは言わないが幾つになっても美味しく食べれることはありがたい、そう感謝しながら手を合わせる。

(写真:この弁当にお茶がついて500円)
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生姜と茗荷の話

2009年08月28日 | 回想
               

仕出し弁当に小さな魚の煮付けにスライスされた生姜2切れが添えられていた。甘辛い味付けは弁当のおかずによくあっていた。その生姜を「どうしても口に出来ない」と1人がのけた。

生姜と茗荷はどうしても食べる気になれないというが、その訳は本人も分からないという。単にくわず嫌いだろう、と隣に坐る仲間が口にした。

すりおろした生姜に醤油をあわせる生姜醤油は子どものころから見ていたし、今はチューブ入に変わったがよく使う。この夏も冷奴や素麺には何度も使ったがチューブ入りで済ませる。好物のアジの刺身にもよく使う。チューブ入りは便利だということにしておこう。

「これは誰が食べてもいいというものではない。特に頭の悪い子は絶対に、頭のよい子も食べてはいけない」という食べものと教えられた。その訳はこうだった。

これを食べると物忘れがよくなる。ということは学校で習ったことをどんどん忘れてバカになるということだ、今なら信用しないが首を振って納得した。と言ってもそれがどんな味なのか知らなかった。それはミョウガで茗荷と書く。子どもが好んで食べる味ではないが。

茗荷の香りと紅色は薬味としても食材としても使われる。武士は戦で命が残る冥加にかけて茗荷を大切にしたという。

茗荷と生姜は同じころ大陸から届いたという俗説があるそうだ。いつから日本の薬味として親しみ始められたのだろう。チューブ入りでも欠かせない薬味になっている。

(写真:秋の日を浴びる真白で凛々しい生姜の花)
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入力の方法

2009年08月27日 | パソコン講座
               

「ローマ字がええんかいね、あいうえおがええんかいね」という質問はパソコン講座でもプライベートでもよく聞かれる。結論として「どちらにしなさいと強制は出来ませんがね」とまず答えることにしている。

「昔ワープロでひらかなを使っていたので」といわれる年配の方は割りと多い。パソコンが登場する前はそれだった。それを使い始めたときに書くそして修正が早く簡単に出来て喜んだことを思い出す。

「ローマ字では教室(きょうしつ)などの拗音と学校(かっこう)などの促音が難しいのでローマ字入力を敬遠する」という方も多い。自分でも経験したことなので言われることはよくわかる。

50代半ばパソコンを1台あてがわれ、それを使わなければ担当の仕事がこなせない時代になった。導入教育で「入力できなければPCは只の箱」と脅された。その時にひらかな入力のクセを若い指導者にけなされ「ローマ字」に転じた。その時は立腹したが、ローマ字にさせるための方便だったと感謝している。

こんな話をしながら「ローマ字入力がお勧め」と話している。いまさらローマ字はという方もおられる。入力は練習あるのみ、とも話す。答えになっていないが、問われた人に「練習あるのみ」はよく理解してもらえる。

(写真:たたけば文字になる不思議なボタン)
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わからない

2009年08月26日 | 自然 季節
               

雨の朝 まだ夜の明けきらないころ 向かいの屋根の上の電線に2羽の鳥

鳴きもしない きょろきょろしている 

時どき顔を見つめあう 会話をしているようにも見える 

同じ動作を何度も何度も繰り返す 

何かを捜しているように見える はぐれた子どもだろうか

 ・・・ ・・・ ・・・

顔を見つめあったと思ったら 飛び立った 

右と左に 別々に 理由はわからない

雨は降り続いている
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裏から見れば

2009年08月25日 | 生活・ニュース
               

よく通る道そばに庭木がいつも手入れされた家がある。縁側から見たそれは見事な植え込みなのだろうが、塀の外から眺めるとなにかの舞台裏を眺めているような気がする。

舞台裏は「客席から見えず役者・道具係などが待機しているところ。転じて、あることが行なわれる裏面、一般には知られない事情」(広辞苑)という。少々謎めいた意味を感じる。

衆院選挙の運動も今日を含めて残り5日、候補者とその応援者はあとひと頑張りと懸命だろう。報道各社は各地の選挙動向を伝えながら、世論調査と取材による当落の見通しを記事にした。各社とも「政権交代」は避けられないとしている。

国会で赤絨毯を踏めるのは裏で多くの支持者・支援者の絡み合った力強い支えがあり、時には潤いもいただくからだ。生気のある小枝が揃ってこそ支えられる。そのことをおろそかにすると、1本目は折れ2本目は去りしていくうちに裏の支えは弱まり、気づいた時には総崩れする。政権交代という記事の裏側にそんな思いを抱く。

また、当落の記事は、引退以外に議員資格を失うことは無いだろうと思える大物といわれる人の名前が失業側に入っている。非正規労働者の悔しい気持ちの万分の一でも味わって欲しい。

そんなことを考えながら裏側を撮らせてもらう。何も隠すことなく撮らせてくれる庭木に、人に勝る姿勢を教えられる。

(写真:舞台裏を連想させる庭木)

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さわやかな朝

2009年08月24日 | ウオーキング 散歩
               

真っ暗な夜空を見上げる。そこには星が幾つも見える。秋を思わせる涼しい風が肌に気持ちよい。ウオーキングにでかけるときのくせで、玄関のドアを開けると空と風を観測する。今朝はいい朝だ、何かいいことがあるかも。

家から10分余りの錦帯橋のそばを通る。早朝でも車で訪れる観光客の方は結構おられる。たまにはトイレの場所を聞かれる。照明の消えた真っ暗な錦帯橋だが下を流れる清流の水音が出迎える。「せっかく来られたのに」と気の毒におもうが、早朝来訪者へ心配りするものはない。

錦帯橋を渡るには入場料がいる。その発売所が閉まると設置の箱へ料金を投入するように書いてある。早朝に訪れた人でそれを投入する姿をまだ見たことはない。というより掲示など見もしないで渡り始める人が多い。暗い中で「しょうがないか」と眺める。

今朝は若いペアルックの人が掲示板を見ている。「お金が要るんだ」といい、男性がポケットから財布を出した。そのところまで見て通り過ぎた。家を出る時の「いいことがある」という予感が当たった。

いつも、竹林と桜の並木に挟まれた広い通りでは歩を進めながら腹式呼吸をする。今朝のひんやりした空気はいつものそれより五臓六腑の奥深くまで染みとおる。深呼吸のあと、当り前のことをした見せてくれた2人へ「ありがとう」とつぶやいた。

(写真:さわやかな2人を見ていた錦帯橋畔の灯り)
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男の気持ち

2009年08月23日 | エッセイサロン
               

恐れを知らずにエッセイサロンへ入会申し込みをしてまもなく3年が過ぎる。ですます調・である調、過去と今の使い分けなどを皮切りに、書いた文章を作品へ仕上げる方法を教わってきた。

作品発表の場として「新聞への投稿」を教えられた。新聞を隅々まで読むのなら自信はあるが、そこを投稿の場にするとは思っていなかった。その目で新聞に目を通すと意見に提案、日々の生活の中で体験した喜怒哀楽、文化欄には詩歌など参考になる作品がたくさんにある。

確率は低いが投稿が採用されるようになった。するとブログやメール、手紙などで読んでもらった感想が届く。この年になっても嬉しいもので、また書いてみようと目を光らす。

投稿要領には「投稿は趣旨を変えない範囲で直します」という断わりがしてある。私の場合、文字や修飾語の使い方を直されることが多い。次のステップにつながればと投稿文と掲載文を対比しどこがどう直されたか赤字に変えてで確認している。

毎日新聞に「女の気持ち・男の気持ち」と600字ほどの投稿コーナーがある。男は週1回ほどの掲載と聞いているが、この1年、男の気持ち欄に掲載されることを目標にしてきた。

幸運なことに初投稿で採用された。初めてだから掲載という陰口も聞こえそうだが、これからの励みにはなる。ひとつスッテプアップできたと自己満足していてはいけない、リーダーの声が聞こえそうだ。

(写真:狙っていた「男の気持ち」の文字)
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トウモロコシ

2009年08月22日 | エッセイサロン
               

2009年8月22日 毎日新聞「男の気持ち」掲載

 「もぎ取りイベントの帰りです」と収穫したばかりのスイートコーンを頂いた。買ってまでは□にしない農産物で今年は初物。柔らかな緑の皮がみずみずしい。 子供のころ、祖父母が畑の隅でおやつ用に育てていた。終戦後の物のない時代、1本を数センチに切って弟妹たちと食べた。いいおやつだった。

 雄花は茎の先端にススキ状に、雌花は茎の中ほどにたくさんつく。花粉は風媒され受粉すると可食部が大きくなっていく。あの白ひげの数だけ黄金色の実がついていると受け売りの知識を思い出した。初物だからと写真に撮ったら、最近始めた絵手紙にもしたくなった。 

 トウモロコシは黄金色の粒が行儀良く幾筋か整列している。そう思っていたが、それは間違いと気づいた。よく見るとひと粒ひと粒は形も大きさも異なり、個性ならぬ粒性がある。それがうねりながらすき間なく絶妙に並び、列を作っている。人の□に入ればひとたまりもなくかみ砕かれてしまうそれぞれの粒が協働してあの甘いおいしさを醸し出しているのだろう。  

 数㌢のそれをおやつにしたころの畑を思い出しながらひと粒ごと丁寧に描いた。この年になっても少し見方を変えると不思議な発見や出合いのあることに改めて気づく。 

 「まあおいしそう」と出来上がった絵を見た妻。初物をもらった人に送ろうと、気持ちよく落款を押した。
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