まだ若いのか緑濃い直立した稲穂、実が育ちきらない稲穂、色ずきはじめた稲穂、コンバインに刈取られていく稲穂、品種なのか植えた時期なのか分からないが稲田ごとの姿がある。
そんな稲田が幾つも続くと、稲田ごとに異なる稲穂の姿は絨毯の柄に見える。それは山合に伸びる1本の道のうねりに沿って高くなったり低くなったりしながらその両側を飾っている。所々で畦に咲いたコスモスが見える。
車を止め稲穂に触ってみた。心なしか柔らかいが、頭を垂れているからまもなく刈取られるのだろうと思った。この夏は天候不順で日照不足・低温などで米の生育が心配されていたが、このところの好天で持ち直してきたという。
頭を垂れた稲穂に触れながら、昨夜から今朝にかけての感謝やお詫びの「お辞儀」を思い出した。赤絨毯へ戻る人と初めてそこを踏む人、そこが踏めなくなった人とお辞儀の中味はいろいろだった。
当人でなければ分からない心の内は読み取れないが、それぞれに来ることと去ることを脳裏に描きながらのお辞儀だったろう、そう思いながら稲穂から手を離した。1匹の赤とんぼがあわてて飛び立った。
(写真:色づいて収穫を促すお辞儀をしている稲)