日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

催事と車

2011年04月30日 | 地域


何もかも自粛ムーが漂ったあの震災から50日。出かけることで日本に元気を、それが東北の元気付けになる、とGW前のキャンペーンが功を奏したようだ。高速道は30キロを超える渋滞が各所で発生、映像で見るSAの混雑は明るい雰囲気が満ちていた。

出かけるとなると便利な車になる。初めての地へ出かける時は止めるところはあるか、目的地の近くに駐車場はあるか、安全運転とは別の心配をすることが多い。随分前になるがフジの花を見に出かけた時、誘導されるままに入った臨時の駐車場、そこは畑で難儀したことがある。

ここ名勝・錦帯橋は駐車場に恵まれている。下流の河原は天然の常時駐車場。上流の河川敷グランドは催事の時はこれが臨時駐車場になる。それでも出入りの渋滞は相当なものだ。若干の整理費はいるようだが安心して停めれる。もし駐車場がなかったらどうなるだろう。

九州新幹線、東日本大地震の影響で式典すら見送られた。大地震により不通区間のあった東北新幹線は昨日全通した。青森から鹿児島まで新幹線が走り始めた。全線復旧した新幹線に手を振る年配女性の笑顔、復旧への足がかりになってと願っているように思えた。旅が復興への一助になる。

(写真:奥は河川敷グランドの臨時駐車場、手前は大賑わいの掘り出し市)
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錦帯橋まつりに思う

2011年04月29日 | 地域


錦帯橋、昨秋の岩国検定では絶対に出題されるテーマということは分かっているが、さて、その内容となるとその予想は10人10色。何が出題されても不思議ではない。そんな錦帯橋の問題は3問でした。
 
・錦帯橋は、明(みん)の渡来僧・独立(どくりゅう)が持つ「西湖遊覧志(せいこゆらんし)」に載っている島づたいに石橋が架かる絵図をヒントにしたほか、甲斐(かい 山梨県大月市)の桂川(かつらかわ)に架かっている橋も参考にしたといわれている。現在も存在する甲斐の橋はなんというなまえでしょうか。

・錦川の洪水のたびに家臣たちの交通を断たれ、藩の政治に支障をきたして困った藩主は、延宝(えんぽう)元年(1673年)に錦帯橋を創建した。架橋を命じた藩主は誰でしょうか。

・錦帯橋は創建の翌年、洪水により一部が流失した。その翌年のうちに敷石を強化し再建された。その後276年間不落を誇った錦帯橋も昭和25年(1950年)、台風による錦川の大増水により流失した。その台風は何という台風だったでしょう。
(正解は上から、猿橋、吉川広嘉、キジア)

毎年、4月29日は錦帯橋祭りで今年は第34回という。県指定無形民俗文化財指定の南条踊りを先頭に奴道中、大名行列などが旧城下町を練り歩く姿は時代絵巻として市民にはお馴染み、訪れた人はカメラを向ける。

次の岩国検定では錦帯橋にまつわる問題はどんな設問だろう、そんな思いで錦帯橋を渡る大名行列を眺めると、行列の供の一人のような錯覚を起こした。

(写真:奴道中のひとこま、横山側で)
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自生の椿

2011年04月28日 | しっちょる岩国


「二井寺山極楽寺由来」、古びた掲示板が登り口でお参りする人を待っている。「この二井寺山極楽寺は聖武天皇の勅願寺として天平16年(744年)に当時の玖珂郡区を支配していた玖珂郡大嶺秦皆足朝臣(はたみなたりあそん)によって創建された」とある。さらに、1200有余年の歴史を秘めた薬師堂は県下屈指の建造物で県文化財の指定を受けている、と記してある。

山頂までの登山道はかなり険しいが登り終えた時の達成感はそれをなした人でないと分からないという。椿が出迎えてくれる。倒れた行人を葬った塚や鎌倉時代の作と銘記された鐘楼など、歴史を感じるものも多くある。

庭園を管理され人だろうか、気さくに寺の紹介や案内をされる。これを見てください、可愛い子を紹介するように差されたのは手水に浮かんでいる一輪。小さな「ハスの花がどうしてここに」と思った。

花は椿。この二井寺山で自然交配により誕生したという。それを咲かせた幼そうな原木は急な斜面に1本立っていた。境内にある紅白2本の椿がその親木とか。自然交配、理科で習ったことはあるが、その実物を見たのは初めてだ。

岩国検定実行委員会の課外学習会。史跡や戦跡巡り、これからも続く。

(写真:二井寺山で生まれた椿)
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タケノコも餌に

2011年04月27日 | 生活・ニュース


今年は竹の子の収穫量が少ない、という。市内で有数の産地でも例年の1割くらいらしい。猛暑だった昨夏の影響という人、いあや猛烈な獣害だという人もある。獣害の獣はイノシシ。藪周りに設けた柵を超えて侵入しているらしい。山に餌がないのだろう。

竹の子というと思い出すことがある。小1だった息子が「お父さん盗られてる」と大声で叫んだ。畑の道沿いに置いていた掘りたての竹の子数本がそっくりない。またやられたか。この次からは置き場所を変えよう、といつものようにあっさりと諦める。これまでにも大根や白菜やじゃがいもなど1食分くらい盗られた回数は数えきれなかった。誰かが助かるなら、と寛容の精神で見過ごしていた。

竹の子盗りは今も多いと聞く。早朝4時ころから車を乗り付けて盗るそうだ。それらしい車をみたことがある。子ども対象のタケノコ堀の行事で現地に着いたら全部盗られていた、行事の世話される人から聞いた。1本や2本ならまだしも行事用のそれを盗むなんて人ではない。タケノコのDNAで捜査は出来ないのだろうか。

そんな重宝な旬のタケノコ、大きなそれが玄関へ置かれていた。茹でる時使う米ぬかが添えてある。これで届けてくれた人が分かる。記念写真のあと妻の手に渡した。さて、どう変わるのだろうか。

(写真:米ぬかと一緒に届けられた竹の子)
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初夏への競い

2011年04月26日 | 自然 季節


春から初夏への移り変わり、野山や公園の木立も清々しく鮮やかな新緑がその光景を作りだしている。その下の樹木もたくましく育っていることをうかがわせる。

公園のあちこちに咲く花水木や八重桜が新緑に負けずと競っている。新緑とのコラボがいい。見ていて絵になる。静かな公園で、音のしない競いで美しさを醸し出し人の目を楽しませている。

花水木は、1915(大正4)年に、東京市長の尾崎行雄氏がアメリカのワシントン市へ 桜を寄贈した返礼として、アメリカから贈られ、その後、全国へ広がったという。花も楽しいが鮮やかな赤い実と紅葉も目を奪う。

八重桜は桜が散ったと気落としそうな頃に咲いて楽しませてくれる。花の形が似ていることから牡丹ザクラと呼ばれるとある。大阪造幣局の通り抜けは映像でも恒例になっている。踊りに使うボンボンに似た形からか、散っていく花びらが舞っているように見えるのは錯覚だろうか。

(写真:初夏を競い合う公園の木々)
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正一位と稲荷様

2011年04月25日 | 生活・ニュース


風に吹かれた赤い幟がバタバタという大きな音をたてている。最近新しく整えられたばかりで今日の強風を気持ちよさそうに受け流している。この赤い幟、町を歩くとあちこちで見かける。前に住んでいた所では、若手ということで世話役の末端に座ったことがある。

その頃か何も考えず、例祭の段取りを習った。普通はお稲荷様、と親しく呼び、子どもの頃でも社の周りではそそうの無いようにふるまっていた。そんな稲荷様の不思議なこと、ひと口に稲荷様といっても、その構えの大小の差は大きい。

しかし、幟には何れも呼び名の冠に「正一位」とついている。そして名称があり稲荷大明神と続く。正一位は「 諸王および諸臣に与えられる最高位の位階。 明治以前、神社に与えられた最高位の神位。また、特に稲荷神社のこと」と辞書に載っている。

ここまで書いて、稲荷様と正位をネットで探した。いろいろな記述がある。どれが正解なのか非才の身を嘆く。正位は同一等級を二つに分けたうちの上位のものとある。といううことは、稲荷様の上はいないということになる。正に対して従何位という。

稲荷様は鳥居ほか全てに朱が使われている。朱は水銀で魔よけであり防腐の役目も担うという。津和野の稲荷様の長い鳥居のトンネルを何度かくぐった。この次は正一位への敬いを持ってくぐりぬけてみよう。最近いわれるご利益は「商売繁昌・産業興隆・家内安全・交通安全・芸能上達の守護神として信仰を集め、今日もなおこれらの信仰は続いている」ということを信じて。

(写真:錦帯橋下流の近乃森稲荷で)
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その屋敷は誰に

2011年04月24日 | 生活・ニュース
           

新聞の折り込み広告は経済動向の晴雨計になるという。リーマンショックといわれた世界不況のころに比べると数倍の紙数が届くようになった。そんな折の大震災、積極的な購買力がその復興を支えるひとつの力になるという。無駄なそれは出来ないが必要なものの先送りはやめておこうか。

広告に載る売り物で金額の張るものは住宅関係。多色で見栄え良く刷られてはいるが、若い現役ならいざ知らず、年金生活者には桁が多すぎる。真剣に見て検討し、よく考えて実行したころを思い出す。

そんな広告に見る物件は何れも生活の快適さ便利さがうたわれ、整地区画された写真や絵図が購買意欲をかきたてる。よく歩く道沿いでそんな先入観を打ち破る売り地を見つけた。

時代劇に登場しそうな土壁、その奥に繁り荒れにまかせた森のようになった立ち木の屋敷。裏は原生林のような山。近くに新しく建てられた住宅があり、その大きな違いを見比べながら通っていた。

この売り地の広告は目にしていないが、どんなコピーが使われるのだろう。コピーが生きた暁にどんな和風の建物が建つのだろう。風致地区なので超モダンな洋風は思いつかない。藩政時代から続いたであろうその屋敷の行く末はいかに。

(写真:時代を偲ばせる売り地の外観と立看)
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つくろい

2011年04月23日 | 生活・ニュース
                      

「あ~あ降りだした。明日は孫と出かける予定じゃったのに」と話しながら集会所へ入ってきのはいつも粋な服装姿で孫の話をする年金生活の仲間。「また行けるいね」と無責任に慰める。

「あー、じうじう」とひと足遅く嬉しそうに入って来たのは、退職後に農業の面白さに取りつかれた仲間。じう、が慈雨と気づくまでに一呼吸あった。

直前に同じ雨について恨んだ人を慰めたばかり。このところの乾燥続きにいらいらしていた農業好きには恵みの雨。

「畑に雨は欠かせない」「ええ雨でえかったね」「あしたは休みじゃけえ遊びに行く人は困ってじゃろう」「そりゃあ雨を喜ぶ人も恨む人もあるいね」「…」「…」。慌ててつくろいのひと言を繰り出す仲間。みんな前期高齢者の年を過ぎた者ばかり。上手くその場をつくろったつもり。

農業好きは、ちょっと違和感を感じた様子。「あっ、雨音が強くなった」の一声、それが違和感を流した。つくろった仲間はほっとした。

(写真:雨と手入れのよさで葉の色艶は抜群、開花が楽しみなバラ)
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昼どき

2011年04月22日 | 生活・ニュース
           

運転して走った記憶があるようなないような山里の道、そんなことを思いながら前を行く同僚の車に追従していた。通り慣れた国道が見え始めた。そこへ合流するすぐ手前を左へ曲がった。あわてて続く。そこは未舗装の駐車場だった。

カントリーという言葉が似合いそうな木造の建物がある。未舗装の広場には馬ならぬ車が数台、暖かい日を受けながら停まっていた。そろそろ昼食、運転しながら考えていたことが通じたのかのようだ、建物を見てそう思った。

ドアのそばに無造作に積まれた薪が郷愁をさそう。店内は木材たっぷりの誂え、木の床がいい。木のせいか少しひんやりする。気持ちいい。客席は数席。私らで満席になった。オーダーはひと足先に入った同僚が注文済み。出された水がめっぽういい味がした。

ドライカレーと生野菜の2品。運転3時間の空腹はじっくり味わう余裕を奪った。美味かったのだが、後から思えば初めての店なのにおしいことをした、と思ったが後のまつり。

この店の裏側の国道は良く通る。が、素敵な店のあることは知らなかった。同僚の話によると人気のお店という。食べ終えて席空きを待つ人と交替。並んで待って昼食、このお店にはいいところがあるのだろう。今度ゆっくり来てみよう。

(写真:もう一度来たいと思わせた店の外観)
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びわの子

2011年04月21日 | 生活・ニュース
           

昨年、紅葉がすっかり終わった初冬、こんなメモを残していた。

すっかり枯れ落ちた紅葉の木の間をきょろきょろしながら歩いていた。濃い緑の葉陰に白い花を見つけた。それはびわの花、夏のころに橙色に熟した実を恵んでくれる。紅葉ばかりに目やレンズが向いている間にもほかの自然は休むことなくその営みを続けている。改めて感心する。

先日もきょろきょろしていたら、びわの木になっている小さな実を見つけた。白い花はいつの間にか実に変わっている。姿は橙色の熟した実に同じだが、緑色のその子の大きさは数分の一ほど。やわらかい日に照らされている姿はどこか初々しく、澄んだ空に良く似合う。

知らぬ間に自然は自然の営みのままに過ぎている。未曾有という自然の力と制御しきれない原子という力、それに見舞われた日本、人は自然や未知の分野を制御できない、小さな実を眺めながら思う。

「先日らい出会った春の花々がいつまでも咲きほこれるような自然を子孫へつたえて、人は行き過ぎた自然改造をしないで、過ぎた科学の砦に安閑としないなで」と、風に揺れ、擦れあうびわの葉音がそう聞こえた。

(写真:自然のままに生まれたびわの子)
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