日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

大晦

2007年12月31日 | 生活・ニュース


暦は残り今日だけ。何もかも今日を最後に締めくくるように纏めたり明日からへの準備をしたりとわが家でも何かと気ぜわしい。不思議な習慣だ。1枚繰ると全く違った世が来るのだ。なんとも不思議な習慣に思える。嫁と家内はおせち料理を相談しながら作った。

わが家は大きな波風もなく暮れを迎えられた。八百万の神々に感謝しなければならない。と言いながら孫との時間に深甚なことは出来ない。

スーパーの駐車場で目にした。小さな小鳥が考えごとをしているかのように下向きでぴょんぴょんと動いていた。ロダンの考える人ほどではないが考える小鳥に見えた。小さな小鳥も考えながら年の暮れを迎えている。万物の霊長といいながら「偽」で終わる日本、人間はもっともっと考えなければ、と小鳥を目で追った。

何かを予感させるのか越年寒波、子年は明るい陽射しの年を望みたい。

今年1年、ブログのご訪問ありがとうございました。
よいお年をお迎えください。

(写真:省みることを教えてくれた小鳥)
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孫帰る

2007年12月30日 | 生活・ニュース


いろいろあっって3日ぶりにパソコンを開いた。初めに遅れたお詫びを入れてメール処理をした。

いつも訪問するブログ、かなりの時間を掛けて訪問した。毎日訪問するときには気づかなかったことがある。3日分続けて読むと同じ方のブログ?と感じるところがあった。テーマが変わっているから当然と言えばそうだが、視点を変えて見つめ考えて書かれているのだとあらためて思った。稚拙でもいいから自分流に心掛けていこう。

風も強く雪が降ったり止んだりと予報どおりの天気だった。天気とは関係なく夕方孫が帰省した。夏休みのときとそれほど経っていないが成長したように見えるのは爺馬鹿か。

昨日はしたいことをメールしてきた。いつものことだが、メールが届くと帰って来るという実感がする。家に着くと早速準備の確認をしていた。
数日は孫との賑やかな日が過ぎるだろう。

(写真:夕方の新岩国駅)
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カンフル

2007年12月27日 | 生活・ニュース


風邪気味からようやく脱け出せそうだ。風邪気味、生姜湯を飲んで早めに寝る。汗をかいたら夜中に着替える。それからひと寝入り。朝には風邪は消滅している。という若いころもあったのだが、このころは少し持ちが良くなったような気がする。

各地で例年にない早さで発生しているインフルエンザ、この冬は大流行の兆があると報じられている。高熱への特効薬といわれたタミフルは10代の患者に対しては引き続き使用が中止されると決まった。次の対応薬があるのだろうか。恐ろしい肺炎にならないよう注意したい。

今、この街は米空母艦載機の移駐賛否で2分という肺炎に患っている。当市の米海兵隊基地は、米空母艦載機の移駐により極東で最大規模の軍事基地となることが政府間で決まっている。当市に相談もなく一方的に決められた機能強化に反対する現市長は賛成派の候補を大差で押さえ当選した。

移駐に賛成しない市には約束済みの交付金、それも1部交付済みであっても残りのそれを交付しないという国の一方的な約束反故が病原になっている。交付の対象は沖縄の基地負担軽減策を受け入れた協力に対し国が約束したことだった。

市長は民意の再確認ということで辞職、混乱する市政へのカンフル注射として市長選挙への道を選んだ。移駐容認の市議も望んでいたことでもあり選挙に大きな混乱はないだろう。

冬の晴れ間の青空。風は少し冷たいが大きな柿木は幾つかの実を残していた。見上げると細い小さな枝も青空へ伸びるように見える。末端まで届くよう目には見えないけれど幹はその務めを達していることが分かる。人に例えれば血の通った気配りに思えた。

国の都合、それも別の理由を一方的に作り約束反故という策をとり、60年余続いている地方の小さな基地の町を混乱に陥れた。青空に延びる小さな枝は寒風にさらされても幹からの暖かいエネルギーが注がれて幸せなんだと感じた。

(写真:細い枝も丈夫な幹に支えられ揺れている)
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見出し

2007年12月26日 | 生活・ニュース


わけあって年明けから1年間新聞購読が2紙となる。サービスだろう先日から新契約分が配達され始めた。TVのワイドショーでは朝刊各紙の内容を紹介している。取り上げ方は各局特色があるものの、TV局の取材力の弱さを感じている。

今朝届いた2紙のトップ見出し。語句に若干の違いはあるが良く似ている。
本文では「原則中止している措置」と同じだが見出しでは継続にかかる言葉が「禁止」と「中止」に分かれている。禁止は強い語調を感じるが、記事の流れからすると「中止」がいいのかな、と素人分析。

昨日の来年度政府予算案決定の見出し。1紙は社会保障費6,415億円増、赤字国債650億円減。もう1紙は格差是正に重点。はじめの見出しは「オォ、少しは負担減の予算かな」、一方は「問題ある予算かな」と思わせる。記事は新聞社の特徴が出されていた。

同じ事件や事故も捉え方理解の仕方によって伝え方や報道の仕方、内容の異なることは数多く経験している。また、判断するとき特定の先入観を持たされることも知っている。タミフルの報道には差を感じないが、政府予算案になると視点が違った記事になっている。

多数の新聞を購読すれば判断する材料は多い、が現実に複数購読は購読料もさることながら本当に読めるかが難題。画面と文字のメディアに翻弄されない方法は己がしっかりする、それ以外にないかも知れない。

(写真:今朝の1面トップの見出し比較)
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迎えかた

2007年12月25日 | 生活・ニュース


忘年会場へ着く。暖簾なりを開けて入る。
めんどくさそうに「どちらさん」、威勢よく「ヘィいらっしゃい」、義務的に「ご予約の方ですか」、頭を下げて「お待ちしておりました」迎え方はいろいろある。

庶民の集うところ、三つ指突いて玄関で挨拶など受けることはない。でも、場所はどこであれ客を迎えて初めに交わす挨拶、そのひと言は店の印象を左右するものだ。

サラリーマン時代、馴染みの客でも迎えたときの言葉が丁寧なお店は味がよかった。小さなことにも馴れ合いしない店主の気持ちが料理にも伝わっていた。従業員の躾もよく料理への問いにも答えていた。

社用族には良い愛想だがそうでなかったら半分の愛想しかしない、そんな評判のお店があった。そのお店を利用するときは社用での利用だったから後者の評は分からなかった。退職して機会があったので試してみた。先入観はあったかもしれないが、うわさは大きく違っていなかった。人の口に戸は建てられない。

迎えるときも送るときも、そうでないときも気持ちよい応対が出来るような丸い人間にならなければと思っているが、何せ親からもたったこの四角い顔はどうしても丸くならないので悩んでいる。

(写真:玄関で出迎えてくれたサンタクロース)


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ミニ門松

2007年12月24日 | 生活・ニュース


月並みだが今年もあと1週間。パソコンの会の今年最後の理事会が終り大きな行事は終了した。12月は数回の忘年会を含め何かと忙しかった。

各地でしめ飾りや門松など正月用品の手作りが多いようだ。パソコンの会でも世話と指導される方がおられ先日作製教室が開かれた。講座担当の日で教室に参加できなかったが、竹と梅と苔の材料をお持ちいただいた。

わが家にある門松にふさわしいそれらしい品を集め作製した。玄関に置いた。それらしい感じがし、迎春準備が終わったようにも見える。手作りの門松は2回目。前回は好評だったが今回の作品はどうなるか。

街なかの門松も多くさんお目見えした。緑濃い竹の色が活き活きとした気持ちを呼ぶ。スッパと割れる竹の性質のように、この1年の諸々を拭い去ってみたい。

竹で作った貯金筒、夏休みの工作として図柄を変えて何度か作った覚えがある。でもそれを使ったかどうか思い出せない。わが家の竹があったところは総合運動施設の基礎に隠れた。

(写真:完成したミニ門松)

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プレゼント

2007年12月23日 | 生活・ニュース


何年か前。「マンションには煙突がないのにどうしてサンタさんが来るの」と孫、「煙突の変わりにサンタさん用の入口がついている」と爺、「どこにあるの」「サンタさんだけが知っている」。今は何も聞かない。どんなに思っているのだろう。

息子が子どものころ、小売店の主人がサンタ姿でソリならぬバイクでケーキを配達し喜ばれていた。バイクサンタさんを見かけなくなって久しい。

もうすぐ孫の誕生日が来る。カタカナ文字のプレゼントを探すのに苦労していたが、今年はプレゼントして欲しい品とその注文先のアドレスがメールで届いた。そんなわけで今年は苦労なくプレゼントの品が入手できた。売れ筋の品で数軒お店を探したこともあった。

このところの新聞折込広告はクリスマスの文字が躍る。クリスマスは歳末景気を盛り上げる大切な役を担っている。これってクリスマス本来の姿なのですかね。それでも楽しそうな買物姿は見てるだけなら微笑ましい。今のようなクリスマスにプレゼントの姿はどこから来たのでしょう。

(写真:3日まえ製作中でした。もう完成したかな)
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冬至

2007年12月22日 | 生活・ニュース


この時期ひとつの風景にもなる「歳末助け合い」。皆様のお気持ちをお願いします、またお待ちしていますとも呼びかけられている。寒い中での呼びかけには思わず頭が下がる。額よりも気持ちと財布を開ける。

最近は大災害の後では義援金が呼びかけられる。多くはマスコミ主体で、指定の電話番号にかけると一定額の義援金が自動的に引き去れる方法もある。

義援は慈善・公益・災害救助などのために金品を寄付することを表す。善意の寄付で多くの人の活力が再生されきた。こうした仕組みがいつ生まれたか知らないが、福田総理のスローガン「共生」の考え方は古くからあった証明だろう。

寄付ではないが、昨夜から自然の恵み慈雨に見舞われている。ダム貯水量が30%台まで低下し上水の止水制限の地区もあった。ダム付近では夕方までに50㍉近くの降水量も観測された。少しはしのげることが可能だろう。

今日は冬至、1年で最も昼間の短い日。柚子風呂の楽しみが放映されている。この日に南瓜やアズキ粥を食べると中風よけになる聞かされてきた。南瓜は毎年食しているが、今では一品としての南瓜となっている。これらも自然の豊かな力をしめしているようだ。昨日道の駅で求めた柚子を湯船に浮かせた。

(写真:久々の雨に小さな灯篭もしっとり)
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32時間

2007年12月21日 | パソコン講座


4ヵ月隔週で合計32時間、ある婦人会の要請を受けパソコン講座を担当した。パソコン仲間のHさんと毎回往復80㌔の距離を通った。残暑厳しいころから暖房でフロントガラスの曇る季節代わりを楽しんだ。

この地区はIT基盤の遅れている地域だが、1年前のパソコン講座で皆さんの熱意は承知していた。梅雨の初めころ講座の要請を受けようやく完了した。

このたびは集中講義でなく、皆さんの知りたいことやってみたいこと困っていることなど、受講者個人のニーズに合わせた内容を個人指導方式で行った。

3回目辺りから質問や疑問が多くなった。回答したり復習したりと出された内容により一緒に考えたり意見交換などしながら講座を展開した。意欲の高まりは怖いものであるときは質問先行で講座内容をリードする場面もあった。

些細な1例。
表作成で必要事項の記入を終えた。「何にかおかしい、表が左に寄りすぎている、不細工だ」と中央揃え手順操作の前に疑問が出た。パソコン慣れしない人にとっては悩みであり、指導する側には理解を得る種になる。

こんな質問もあった。会の資料作成を試みているが、ここのところが出来ない、と具体的な質問があった。講座の内容が活用されている実感に思わず喜び、実践があって身に付くことをあらためて認識した。

自作の年賀状や地域行事のチラシ作成など形に残るものを仕上げて講座を終えた。講座を継続して欲しいとの要請を受けた。喜んでもらえたとのだと同僚と喜んだ。

帰り道はハンドルが軽かった。

(写真:なごやかなそうに見える講座の1コマ)
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どこへ

2007年12月20日 | 生活・ニュース


足あとに重なった足あと、踏み絞めた足あと、すらすように進んだ足あと、左右にふれた足あと、大股小股など人の通った道筋が面白い。履物の裏の形でいろんな人が残した足あと、どんな思索をしながらここを通ってどこへ往ったのだろう。

「才能の或る人間が生きるのはなんでもないことなんだ。宮本武蔵なんて、ちっとも偉くないよ、アイツは強かったんだから」は山口 瞳著者「江分利満氏の優雅な生活」の一節。続けて「本当にえらいのは、一生懸命生きてる奴だよ」と言わせている。

この一生懸命生きるためには努力が要る。その努力によって作られた経験や能力が発揮されたとき努力が報われたというのだろうか。その道のりは遠く険しいというのが社会一般の常識になっている。

困ったときに名言や格言などに学べという。それは、人生と社会の橋渡しとなる、心を動かされると識者はいう。本当に困ったときこれらに触れる余裕や時間があるだろうか。またそのことに気づくだろうか。むしろ平常のとき省みる糧として格言などは生きると考える。

平凡な市民が努力して残した足あと、その評価は家族や子どもたち、孫や後輩が喜び引き継ぎながら生かされていく。

ことわざに「行いの美しい者は姿も麗しい」とある。その道一筋に長年関わった人、人のために尽くした人は顔に形に人間的な良さが出るという表現に用いる。それは人として恥かしくない生き方をした証だ。

年金での生活。大きな希望は持たないが「前向きに生きる。そのために何かを続ける」ことをモットーに日々を送ろう。それがどこへたどり着くかは分からないが。

(写真:いくつもの途を感じさせた足あと)
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