日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

朝顔の延命

2020年09月30日 | 生活・ニュース

 新聞切り抜きを整理していて「ニュース5・7・5」という小中の児童・生徒の川柳(今月上旬の掲載)を残していた。面白いので暑い間に使わせてもらうつもりだったが、すっかり秋らしくなり時期遅れになったが紹介したい。「もう終わり 今年は短い 夏休み(中2)」「二学期は 休校なしで 過ごしたい(小1)」「来年は 海や花火も 出来るかな(小4)」「とう下校 マスク外して 日がささす(小3)」。

 残暑厳しい中、「短い夏休み」が「終わり」「二学期」が始まりました。熱中症とコロナの両方に注意しながらの学校生活は大変です。そして一学期のようなコロナ「休校」はもうごめんです。「来年」までに収束しますように。「とう下校」は「マスク外して日がさ」、とてもいい対応です。これは作品への評、創れたらいいなあと思いながら楽しんでいる。

 掲載のなかに小学1年生の「あさがおの たねががとれたよ 220こ」とい一句が載っている。我が家の朝顔、昨年の種を撒き芽が出たところで移植した。6月の終わりに一番咲で白が咲いた。盛りには毎日、百数十個咲いたが猛暑のさなかは中休みになった。そのうち早く咲いた花は種を作り始めた。花の終わった弦を切り取ると元気になる、という教えを試した。

 教わった該当する弦を何本か除くと花数が増え始めた。そうして9月の終わる今日も咲いているが、その数は十数個で花の大きさも少し小さめになった。もうすぐ終わりになりそうだ。何十年も朝顔に楽しませてもらったが、延命の術のあることを知った今年の朝顔はいい出会いになった。先の児童らならどんな一句にするだろうと思いながら「朝顔の 息吹戻りて 秋までも」。  
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モズが鳴くと

2020年09月29日 | 自然 季節

 台風13号(クジラ)は日本東方の遠く離れた太平洋を進む、そんな予報に日本に影響がなくて安堵、そう思いながらいつもの様にSNSを訪問していた。ある方のそれに「母曰く『昨日、百舌鳥が鳴いたから、台風はもう来んよ』」と載っている。これは言い伝えなのか、諺なのか分からないが、とにかく初めて知った。そういえば、もしかしたら10月は台風来ないかもという予報士がいたことを思い出し、何か符合する内容だと感じた。

 探してみると、「百舌鳥の鳴き声と台風来ない」の関連を示すものが実に多くある。身近な言い方では「裏の山で百舌鳥が鳴くと台風は来ない」これなどは古老から代々言い伝えられた経験則なのだろう、それだけに真実味が増す。なぜ、そう言われるのかという解説に「百舌鳥が鳴くのは9月中旬から10月下旬まで、この頃には台風も落ち着くからという。

 山のすぐそばで子どものころを過ごしていたので、百舌鳥を見たり鳴き声を聞いたりしているかもしれないが、その姿や声を思い出せない。ただ、百舌鳥は捕らえた獲物をその場で食べないで、木の小枝などに刺しておくという習性くらいは知っている。百の舌を持つ鳥、化物のようだが、いろんな鳥の物まね上手なところから百舌と名付けられたという。

 百舌鳥の解説には、とかげ、バッタ、蛙、小鳥などの小動物を食べる猛禽類扱いとある。写真で見る容姿からは獰猛には思えないが、捕獲する餌の種類から思えば攻撃性の強い鳥なのだろう。折角捕らえて小枝に刺した「はやにえ(速贄)」をほかの鳥に盗まれるという、ちょっと間の抜けたところもあるらしいく、可愛いところもあるようだ。最近の気象は異常が当たり前、台風は来るのか来ないのか、どっちだろう。
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無人は不気味

2020年09月28日 | 生活・ニュース

 近くにある図書館へは1週間か10日置きには足を運んでいる。本の借りのほかにもう一つ目的がある。それは閲覧室で購読以外の新聞や雑誌などを読む、いや見る程度かもしれないがとにかく利用、といっても長くて30分ほどだが静かに文字を追う。散策の中休みとして立ち寄る知人、いつも顔を見る常連さんもいる。コロナ禍で制限があり、椅子の半分ほどに✕がついているが利用者は多い。

 ある週末の日、アルコール消毒をして入室したら閲覧室に誰もいない。いつもの様に新聞のエッセイを選んで読むなどして30分余り居て帰ろうと腰を上げて気づいたが部屋には私一人だった。誰もいない静まり返った閲覧室、真っ昼間で年齢に不足のない身でありながら、その静寂さ、音・人の気配のないにことを不気味に感じた。

 「無人」は人がいないこと、人が住んでいないことなどの意味がある。無人駅、無人島、無人探索気などが例示される。TVのローカル旅ではこの無人駅がよく紹介される。SNSで全国に知られた駅員不在の駅は無人駅として紹介されるが、来訪者の多さに無人返上ではと冗談に思うことがあるが、状況にもよるが本当に無人状態は不気味である。

 無人駅がその走りかもしれないが、働き方改革がさらに進めば多くの職場が無人となるのではと思っている。コロナ禍で都会の賃貸オフイスの解約が増えリモートワークに変わっている。都会のネオンが何年か先ではまばらになる、現実になるかもしれない。急速な人口減少の日本、無人が当たり前になる、想像だけでも不気味だ。
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馬の背を分ける

2020年09月27日 | 自然 季節

 
 昨日の14時を回ったとき、突然ガレージの屋根をバタバタと打つ、とてつもない雨音に驚いた。見ると我が家から右半分、北側は真っ青な空、南側の雲からはとてつもない大粒の雨がたたくように屋根を打っている。この降り方が続けば大変変だ、と思いながらも上空の二分された空の様子が気になり、急いでスマホで撮った。

 雨は2度ほど同じような激しい雨音をたてて降ったが、時間はどちらも30秒そこら、梅雨以降、各地の豪雨で恐怖を感じた声とともに、強い雨の状況が映像で繰り返し流されおり、とっさにその状況が頭をよぎり心配したが、心配で済んだ。

 古い話だが、出張で大分の宿で部屋に入ったととたん夕立に。窓を開けると開けた窓の外は大粒の雨、隣の窓側は降っていない。これが聞いたことのある「夕立は馬の背を分ける」という現象かと思った。 後で馬の背の片側だけを濡らすのは誇張が過ぎるとして、「山の尾根」を「馬の背」といったことから転じたとという説明に、そうだろうと思ったが私が見たのは馬の背でもおかしくなかった。

 ここまで書いて数年前、中学校の理科の先生だったように思うが、広島県の北部で撮られた1枚の写真が記憶にあることを思い出した。遠方の黒い塊の雲の下だけがジョロで水を撒いているような写真だった。分析の結果、黒い雲の下は集中豪雨に見舞われていたという。今年も似たような局地的な豪雨をもたらす雲の映像を数多く見た。局地的豪雨の観測が自然災害への対応と人命を守ることになり、被害減少に役立つ。しっかり予算を充てて欲しい。
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秋模様いろいろ

2020年09月26日 | 自然 季節

 都会で仕事を仕事をしたことはあるか、と問われれば「ある」だが、「いつ、どのくらい」と問われると「出張したとき」、それから先には続かない。ということで、都会の人の通勤映像を見て感心することがある。気候というか季節というか、いやいやその日の天気でも同じだが、服装がスッと変わっている。先日の少し冷えこんだ朝、がらりと変わる通勤着に改めてそのすごさを感じた。

 桜の葉も紅葉が始まり、中には半分あまり落葉している木もあり季節が進んでいることを目でも感じさせてくれる。4連休のことだった。公園堀端の大きなつつじの根元でヒガンバナが、「咲き遅れて申し訳ありません」というように咲いたばかりの小振りな花が揺れていた。こんな自然もあるんだ、誰も気づく人はいなが、これも自然と撮っておいた。

 秋らしくなった、涼しくなった、こんな挨拶が交さるとあれほど暑かった夏はどうしただろうかと、振り返ってみたくなるが叶わぬことで、来る冬に思いを巡らす方がいいかと思う。涼しくなったといえばいつも渡る横断陸橋の手摺の陰、猛暑に照らされてとげとげしかった黒い影が、さわやかな薄化粧ほどに和らぎ、ここにも季節の移り変わりを教わる。

 登校する児童の服装も変わった。上着は白の半そでが奨励服に変わった。男児は半ズボン、女児のスカート姿は変わらない。帽子は男女とも野球帽着用しての登校が多いのだが、気のせいかもしれないが今期はカープ色の帽子が少ない。戦績からきているのかもしれないが、スカッとした秋晴れの試合で憂さを飛ばしてくれ。
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用途の転換

2020年09月25日 | 陶芸

 帰宅したら玄関の花が変わっている。よく見ると花器は私が陶芸教室で創作したものに似ている。確かめると、渦巻型蚊取線香を使うときに線香を置く台にと作った物。今年も活躍した蚊取線香の使用が終わって持ち帰った作品なので出番はなくなっていた。目的外の使用ではあるが、花入れとして玄関に置かれて喜んでいるだろう。

 思う通りの形に粘土が収まらないと己の不器用さを原因にする。ある時は粘土が硬いからだ柔らかいからだと愚痴をこぼしながらも真剣に格闘する。そんな時はそばから「それなあに」と聞かれる。その時の逃げ口上は「仕上げを御覧じ」と面白くないが決まっている。こうして仕上げた物はどのくらいあるだろう。バザーで1個50円か100円で買ってもらえたものもある。

 蚊取り線香台が花入れになったように転換となった物はいくつもある。食器の皿と思ったのに、皿は皿でも植木鉢の受け皿に納まる。肉厚に仕上げた焼酎のお湯割り用湯呑、釉薬も少々凝ったつもりだったが、安定していると言うことでホークやスプーン入れで居場所を確保する。湯呑や皿ばかり作っても高齢の夫婦二人、それほど食卓に出ることはない。

 玄関の花入れになった蚊取線香の台はいい転換をした。ひいき目ながら何となくそれらしく見えるから不思議だ。月2回、昼食弁当を持参しての陶芸教室は高齢者ばかり。お互い作品を褒めあいながら相手のいいところを自作に取り入れる。こうして10年以上、創作中はみんな夢中になっている。陶芸に凝る、とはこの姿だろう。
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自然の先ぶれ

2020年09月24日 | 自然 季節

 秋の気配を感じ始めたばかりで紅葉には少し間がある、そう思いながら公園を散策。この辺りは毎朝落ち葉がきれいに掃かれ取り除かれている。道に散った紅葉も絵になるなるのだがと思いながら、紅葉した梢を撮っている。今朝も掃除中の人らと「お早うございます」と言葉を交わしながら通り過ぎる。
 
 ふと見ると、紅葉に向かっての色変わりはしていない紅葉通りで1本の変わり紅葉が目に付いた。それほど樹高の高くないその木の一枝だけが紅葉としている。先ぶれ、先走りしの任を担っているのかもしれないがちょっと早すぎる、このまま本番まで紅葉を持続できるだろうか。前ぶれも楽ではないだろう、見る者は私だけ、しかり役目を果たしているのを見届けたと撮っておいた。

 これは自然界の先ぶれで何の駆け引きなどは存在しない。先ぶれというか前ぶれというか、このところの気象予報の精度や確度が高くなったと感じる。観測機器の進化やAIの活用がそうさせているのだろう。民間気象会社では集中豪雨のポイント予測も出来るというから、災害抑制の前情報として有料らしいが活用にされるといい。

 先の台風10号の笑い話。「大型で非常に強い勢力で接近」という先ぶれに、経験を生かして対策に奔走した。その一つに養生テープでガラス戸や窓の補強があった。申し分ない養生をしたもののやってこなかったので、テープ外しに苦労したという話を2件伺った。10号が接近しなかったのは自然の気まま、まだまだAIは自然には及ばないようだ。 
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散らし

2020年09月23日 | 生活・ニュース

 毎日届く新聞に折り込まれる広告、これを何も気にもせず「ちらし」と呼んでいた。ほかのことで辞書を開いていたら「散らし」という見出し語が目に入った。見ると、いくつかある解釈の中の2番目に「広告のために配る刷物」とあり、「大売出しの散らし」という例文が添えてある。

 コロナ禍で自粛を要請されるころは折り込まれる枚数が極端にというか激減していた。最近、経済を回すという方針で復調気味ではあるが新聞紙大の広告はまだもとに戻っていないようだ。完全回復かなと思うのは遊技場関係で、相変わらず新台入れ替えなどの知らせが鮮やかな刷りで目を引く。コロナ発症のころ感染源として厳しく指摘されたが予測は大きく外れ遊技場は大迷惑を被った。

 この遊技場の大方の散らしは裏面が白紙で届く。これをメモ用紙にと利用する人もある。私は裏の白さを活かして小さな箱を作っていた。一番の用途は、同好会の月例会で会員持参のお土産や珍しい菓子、時には手作りの饅頭などのおやつを入れる各人のお盆代わりにしてもらっていた。口にするものを入れるので清潔感を保つため内側は白にこだわっていた。

 作り方は強度を出すため両面刷りの散らしと重ね合わせ11回折り曲げ、広げれば完成する。同好会の解散からまもなく10カ月、散らし箱を作ることもなく資源回収に出していた。ふと、物忘れの進行で折り方を忘れていないかと先日のこと試してみた。惑うことなく完成しほっとした。ほっとするほどのことではないと笑われそうだが、歳をとると幼子に返るというからその過程としておこう。今年も今日を含めて100日となった。
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秋らしく

2020年09月22日 | 自然 季節

 和訳すると「暑さ寒さもいつまでも空にあるわけではない」ということわざが英語圏にあるそうだ。日本流に言い換えれば「暑い寒いも彼岸切り」とか「暑さ寒さも彼岸まで」というとこだろう。秋の彼岸の頃になると残暑も衰え、春の彼岸になれば寒さも薄らぐ、ともにその後はしばらくしのぎやすい気候になる。

 暑さが峠を越えたころある気象予報士が「彼岸になれば秋の気配を感じ、しのぎやすくなるでしょう」とずいぶん前に説いていた。残暑に耐えながら「それ本当かい」と問いかえしながら期待していた。当たった、彼岸の入りのころから気温も湿度も平年並みに下がり、予報通りになった。このしのぎやすい日和も、風よりも雨が心配という台風12号(ドルフィン)が接近中で早くも対策を呼びかけている。所によっては4連休の切り上げ帰宅が必要かも。

 その4連休も終わる。行楽日和に恵まれ各地の行楽地の人出は賑わい、映像に商店主らの笑顔が映る。一方で欧州のコロナ感染拡大が大きく報じられる。2週間先、わが国もそうならないことを願いながら賑わいの映像を見る。連休中、錦帯橋下川原の駐車場は連日満車、しばらくぶりに見る光景だった。TVは北海道旭岳の紅葉を紹介している。長い日本列島の秋を感じる。

 夏は南から冬は北から風が吹くことは常識だが、秋はどちらから風が吹くのか繰ってみる。答えは気象学的に定まった風位はないという。今ころのさわやかな風、晩秋の寂しさを感じる風、四季のある日本ならではの自然が恵む風位だろうか。このところの異常気象が将来、秋風の風位を狂わさないかと気になる。 
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雲一つなく

2020年09月21日 | 生活・ニュース

 朝5時半、日の出まであと20分余りだが東の空は薄い紅色に染まっているが全天雲一つない超快晴、久しぶりの晴は「敬老の日」を祝っているようでふさわしい日よりだ。5年前の国勢調査を基に、その後の出生・死亡者数などを反映させた65歳以上の男性は1573万人、女性は2044万人で3617万人、前年比30万人の増加という。高齢化社会に拍車がかかる。

 第2次ベビーブーム(1971~74)生まれが65歳以上となる2040年には高齢者の割合が35.3%まで上昇するという。少子化傾向は続くだろうから働き手はますます減少する。その年までもし生きていれば私は100歳に達する計算になる。働き手減少は経済にどう影響し、年金にはどんな跳ね返りが起きるのだろう。

 双子姉妹、きんさん、ぎんさんがアイドルのころ(1992年)の100歳以上は四千人ほどでそのその存在が珍しかった。それから四半世紀、今はその20倍ほどで八万人を超え驚くことはなくなった。多くの人が百歳まで生きれることが不思議でなくなってきた。ちなみに県内の100歳以上は1365人で、人口10万人当たりの値は全国の5位という高齢県になっている。

 これからの人生、雲一つない生涯は思いつかない。作家の五木寛之は「人生を登山に例えるなら、下山して初めて登山が完結したことになる。のぼりの厳しい道を振り返り、一歩一歩安全に歩を進め下って行こう」こんなことを語っている。社会に出たころ定年50歳、今は65歳以上で働く人が500万人、どこで登山は完結するのだろう。敬老の日の催しは見送られた。
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