日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

御目出糖

2013年05月13日 | 自費出版
           

 新年や祝事、慶事で口にしたり書いたりした「おめでとう」や「おめでとうございます」はどのくらいの数だろう。新年の挨拶を含めると二千や三千どころではないと思う。それは明るく大きな声で遠慮することなく贈れる言葉の一つだ。また、これは受ける側も嬉しいのひと言につきる。

 今年初めに新聞投稿の掲載数が100編になった。それを記念して掲載された作品を「小さな自分史」として自費出版した。幸いなことに多くの方に目を通していただけた。その上、たくさんの方から、「おめでとう」の言葉の後に感想や励ましをもらった。「おめでとう」の言葉を今回はなぜか気恥ずかしく感じた。

 そんなひとつに在京の知人から届いたのは「御目出糖」という和菓子。初めて目にするその銘に「おめでとう」の捩りかと思ったが、添え書きを読むと「銘菓 御目出糖」とあり、元禄より家伝の仕様書により作られた菓子、その意匠により御進物に喜ばれているなどとあり、長い歴史に驚く。単なる言葉遊びで無いことを知る。

 「御目出糖」は広辞苑で「菓子の名。蒸したもち米を乾かして炒ったものに糖液と赤い食用色素を加え、小豆の納豆を混ぜて赤飯に擬し、出産・結婚・祝儀に配る」と載っている。別の説明では、「菓子の一。蒸した米を干して煎り、食紅で着色した砂糖蜜をかけてかきまぜ、甘納豆をまぜたもの。赤飯の代用として、出産・結婚などの祝儀に配る」ともある。

 頂ものは先ず仏前に供えるのが我が家の仕来たり。それを終えて包みを開く。和菓子とはいえ「糖」の付くお品、ある程度の甘さを思いながら口にした。思いを大きく外れそれは「淡白な程よい甘味」が口中に広がる。また蒸菓子らしいやさしい舌触りは伝統の仕様から生まれたのかと感じる。気恥ずさを忘れ初めての銘菓を味わう。
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取材記事 2

2013年04月21日 | 自費出版
             
 自費出版について毎日新聞社の取材を受けていました。先日、同紙のローカル面に載りました。長文ですが記念として載せておきます。

   こつこつと投稿結実  新聞掲載100編記念に「随筆集」

 岩国市錦見の片山清勝さん( 72)が随筆集「日々のことを徒然に」を自費出版した。新聞などに採用された投稿が1 00編に達したのを記念し、1冊にまとめたという。第1作は20 06年9月の毎日新聞「はがき随筆」への初投稿だった。以来6年半の作品を掲載順に編集した。「小さな自分史」にとどまらず、郷土の歴史や世相の移り変わりを映している。

 片山さんは同市出身。岩国工高卒業後、石油化学大手の地元工場に就職。会社員時代の前半は工場の現場で働き、後半は人事担当を務めた。2000年の定年退職後は、地域の人々にパソコンを教えるNPO団体などで活動している。 

 投稿のきっかけは、パソコンを使った検索だった。エッセー同好会の新発足を知り入会。初めて作品を仕上げた。随筆集の巻頭を飾るのは、「新間」デビュー作の「彼岸花のころ」。真っ赤な花の咲く季節、就職試験の不採用の結果を告げに、受験生の高校を訪ねる際の重い気持ちを252文字で表現した。文章にして発表することで「心の中のわだかまりが解け、胸のつかえが軽くなったような気がした」。

 以来、月2、3本ほどを毎日新聞「はがき随筆」「男の気持ち」や、中国新聞「広場」、朝日新聞「声」などへ寄せている。11年6月「はがき随筆」に掲載された「ひと葉の旅」は年間の毎日賞に輝いた。

 「もう一つの戦争体験」では、広島での被爆を嘆くことなく50代で死亡した父の思い出をつづった。大腸がんの手術で入院中に迎えた70歳の誕生日には、戦後間もなく、家族の誕生日をかまぼこを添えて祝ってくれた母をしのぶ「誕生日」を書いた。「味の色」は、妻が結婚から40年以上、手元に置いてきたレシピ帳の色変わりに家族の歴史を重ねている。

 家族への思いとともに、郷土の歴史や変わる世相を伝えている。「台風一過の通学」は、錦帯橋が流失した翌年、下流の橋も流されて小舟で集団登校した小学校の思い出を回想。「節分のまじない」は、節分の夜に年の数の豆を包んだ紙を四辻に置いて願掛けした風習を追憶している。

 「日々の暮らしを飾らず、易しい言葉で書き続けました」と片山さん。
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100の意味

2013年04月11日 | 自費出版
                     

私の自費出版した「日々のことを徒然に」の読後感を、現役の中学校の女性教師から自筆の書面で頂いた。それに同封されていた1枚の印刷物。それは5年ほど前に配布された学級通信100号。生徒に「100の法則」を伝えたくて書いた、と添えられている。出版の内容が「新聞掲載100編」なので100号という数字合わせからだろう。いや、さらに頑張れという後押しだろうか。以下に引用します。 

 努力しても、努力しても、成長しない時期。「こんなに頑張つたのに、ちつとも伸びていない」。勉強にせよ、スポーツにせよ、習い事にせよ、結果が出ない(ついてこない)ことがよくあります。

 「努力の量に比例して結果が出る」「10努力したら10成長する」という理想的な考え方は、現実にはあり得ません。「頑張つたらその分すぐに結果が出る」ことはないのです。

 自転車に乗れた日のことを思い出してください。練習を1回するごとに5cm進めるようになりましたか? 練習しても練習しても、こけてしまう日々が続きます。しかし、ある日突然、完璧に乗れるようになります。乗れなかつたことがウソのように、スイスイと乗れるようになったでしょう。
 
 毎日ちょっとずつ上手になれば、やる気も出ます。

 でも、実際は、練習を積み重ねても積み重ねてもなかなか結果が出ません。「もう、やめちゃおうかな」ここが成長するかしないかの分かれ目です。

 そこでもう一踏ん張りして、練習を積み重ねたとき、上達は、ある日突然やつてくるのです。

 では、具体的にどのくらい努力を重ねればいいのでしょうか。何事も100回やればうまくなる。
 100回、続ける。 100日、続ける。 100枚、続ける……。
 これは「100の法則」(千葉大学講師 向山洋一氏)と言われています。人間は、努力を重ねていれば、あるとき突然成長を始めます。その成長をし始めるときの数字の目安が「100」なのです。

 落語家の修業に「小咄100回」というのがあります。和裁の修行にも「まず100回縫え」という教えがあります。将棋を覚えるのにも「まず100回指してみろ」と言われます。

 100ほどの努力の積み重ねがあると、そこには質的な変化がみられるようになるのです。

 努力を積み重ねても、なかなか思うようにいかないと困つている人。努力は絶対に裏切らない。今積み重ねている努力が100に達すれば、必ずあなたに変化が起こります。

 本物は続く。続ければ本物になる。

 学級通信、 100号になりました。くじけそうになったら、私も達成した100の法則」を思い出してくださいね。
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カエルの子は

2013年04月07日 | 自費出版
                      

 自己満足の自費出版をした。内容は新聞投稿の掲載数が100編になたことを自分流に編集し1冊の本にした。そのため、新しく書いたり書き改めたものではない。1度は多くの方に目にしていただいたもので、二番煎じで新味のない内容と思われても仕方ない。それでも、この1冊は小さな自分史と思え出版した。これが自己満足への言い開き。

 読んでもらえた方々からいろいろな感想を頂いている。掲載された文章についてはもとより、製本の装丁全般、紙質、文字、挿入の写真など幅広い内容に渡っており驚いている。編集で気を使ったり工夫した個所などを「よかった」という感想には一人悦に入っている。

 文章の背景を問うものもあった。そこが伝わらないということは書き足りないというか、力不足だということを教えら、次の投稿への参考にしようと書きとめる。読まれた感想を絵手紙にした1枚がある。「つくしのぼうやがのぞいたよ はるだはるだとうたってる」の文字の間につくしが数本描かれている。もっと成長しなさい、そんな励ましをくれる「つくし」の姿に見える。

 春だ春だと万物が動き出す。枯葉の中から小さな青がえる「ひょこっと」出てきて2、3度跳ねた。そこで周囲の様子を伺うのか何かを観察しているのか、じっとしている。その姿はカエルの子はカエル、凡人の子は凡人、教わることはあっても人の真似をしない文章を書けと教えてくれている。
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新聞取材 1

2013年04月04日 | 自費出版
 自費出版について地元紙・中国新聞社の取材を受けていました。今日、同紙のローカル面に載りました。記念にアップします。

   

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週末が見ごろ

2013年03月28日 | 自費出版
           

 どうしてこれほどの差が生じるのか理解出来ないが、利用する側にはありがたい競争といえる。

 具体的にはこうだ。投稿が掲載されるとブログへのコメント以外にメールやはがき、電話で感想を寄せてくれる知人がある。出会ったとき話してくれる人もある。そうした人の何人かへ自費出版本を送った。

 教えられていた通り宅配メール便を利用する。宛先と差出はパソコンで準備、シール印刷すれば私の悪筆をさらすことはなく、短時間で済む。また、取扱者も読みづらいと悩むこともなくお互いが幸せというもの。

 宅配業者の伝票を1枚記入すれば35冊まで送れることになっていた。これは以前より大きく改善され利用する者にはありがたい。そのうえ送料が〒の3分の1で全国どこへでも届く。届いたという電話やメールを受けたから間違いない。この差はどこから来るのだろう。民営化された〒、まだまだ改善・工夫が求められそうだ。

 この春、錦帯橋の桜は遠くから眺めるていた。今日、用事のついで、といっては桜に悪いが錦帯橋畔の桜トンネルを車で通り抜けた、花は6分から8分咲き、お天気にもよるだろうが週末は満開の下での宴になろう。気象予報士は土曜日なら青空の下で楽しめるとか。残念だが土曜日は仲間と遠出、錦帯橋の桜はまたの日に。 
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手ずから

2013年03月27日 | 自費出版
           

 観光地では「その土地ならではの物」が喜ばれ人気の高い土産品になる。初めて訪ねる街だと、さて何が有名かと下調べして出かける。最近はネットを利用すればそれなりの知ったふりをして訪ねることができる。売る側にすれば、知ったかぶりの知識に合わせて応対するのが大変です、という話しを読んだことがある。

 ひと品でもお買い上げいただくからには、どんなお客様へも愛想よく応対されるそうだ。このことは「おれの知識はたいしたものだ」などと思わないことの戒めにも感じた。

 20年以上前に北海道旅行をした。そのとき、民芸品ですという店員の説明に、その価値もよくわからぬまま一刀彫の熊を買った。気にいったので求めたわけだが、届いた品を開梱したときに観光客用の工芸品とわかった。知ったかぶりも恥をかくが、逆に知らないこともこれまた恥をかく。

 民芸品といえば、その地域の生活から生まれた、その地域ならではの独特の手工芸、だから機械に頼らずおもに手先によって作られる品と思い込んでいる。こんな注釈を入れた民芸品の説明がある。「民芸品の意味を離れ、観光地で売られている大量生産のお土産品が、民芸品と呼ばれていることがある」と。知ったかぶりに合わせる店員さんには愛嬌を感じるが、観光客に偽りを売るのはご法度だ。

 自己満足の自費出版、編集までは「手ずから」の作業、印刷・製本など最終段階は機械と職人の手にゆだねた。そんな中ですべて手ずから作ったのは挟み込んだ栞。本を手に取ってもらえたことへのお礼、有難うございました。 
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編集あれこれ

2013年03月26日 | 自費出版
           

 小さな自分史「日々のことを徒然に」、サブタイトル「新聞掲載100編記念」が発行できた。正直、自己満足の評は甘んじて受けなければならない。そんな気持ちではあるが、岩国エッセイサロン代表Oさんからいただいた「発刊に寄せて」のなかで、「新聞に投稿し、エッセイとしてあるレベル以上であることを認められて掲載された」という部分に救われた気持ちでいる。

 発刊を決めてから印刷所へ持ち込むまでの2カ月あまり、出版界で言われる編集や校正の真似ごとに自由時間の大方を費やした。パソコン画面で変換ミスや行ずれ、挿入写真やカットの位置や大きさなどを修正し「これで良し」、と試し刷りする。思いとは違い繰り返すこと数度、なんとか形になった。

 投稿先の字数制限は250字から600字と幅広い。これを掲載順に編集するとエッセイの最後の1行が次ページに、タイトルだけがページの最終行になるなどの見苦しさの解消策にも苦労した。また、自分で書いた文章なので誤っているのに思い込みでそれを見落としている部分も多い。苦笑しながら修正、できた、として紹介された印刷所へ持ち込む。

 初対面ながら多少因果ある社長、「年度末で繁忙、若干の時間を」ということを了解。表紙にちょっとこだわっことで印刷代は定型より若干増も予算内で契約。その日、自己満足出版ではあるが、「やった」という気持ちを缶ビールが助長してくれた。
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小さな自分史

2013年03月25日 | 自費出版
                      

 随筆って、そもそも何ぞや? そう思ってインターネットで捜してみると、小学5年生の新学習指導要綱に定義を書いてある。「身近に起こったこと、見たことや聞いたこと、経験したことなどを他の人に分かるように表したうえで、感想や感動、自分にとっての意味などをまとめたもの」。さらに別の資料から「最終的には『文は人なり』といわれるように、作者からにじみ出る人柄や心構えが文章の質を決めるのだと考えています。あまりテクニックに走らずに、ありのままの自分で気楽に文章を書いていきましょう」

 この引用は2009年12月、当時のはがき随筆選者の一人であり毎日新聞社山口支局長であった勝野昭龍氏が、はがき随筆月評欄に記された一部です。「随筆とは」が平易な文章で書かれており内容はよくわかる。分かればそれが適うかといえばそうではない。入力しては何度も何度も打ち直し、投稿すれば没の繰り返し。皆そうだと慰めては貰える。

 60代も半ばを過ぎてから始めた投稿、「継続は力なり」という諺を信じ、没の連続でも投稿を続けてきた。そうしているうち掲載数が100編に届いた。読み返してみると掲載された内容が小さな自分史のように思えた。自己満足と思われるかもしれないが、一つの区切りとして自費出版という形で1冊にまとめた。

 いまさら書き直しは出来ないが、編集を含めあそこはここは、と思いつくが、それはそれで一つの歩みと思い留めることにする。岩国エッセイサロンに入会して6年半、O代表をはじめ会員の愛情ある評がこうして形になたっと感謝しています。また、メールやブログへのコメント、電話での感想などからも力をいただきました。

 発行にあたりO代表には多大な助言を頂き有難うございました。
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