日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

声はすれども

2015年07月31日 | 自然 季節


 約束の時間より早く駐車場に到着したおかげで木陰のスペースに止められた。窓を開けると涼しい風が流れ込む。両サイドの窓を開けて風を通す。吹き抜ける風はエアコンの冷気とは異なりなめらかな心地よさを感じる。風と一緒に流れ込んでくるのはセミの鳴き声。セミの寿命は1週間、いたわってやろうと子どものころの知識は今も変わっていない。とばかり思っていたら子供向けのラジオ番組で新しいことを学んだ。

 最近の研究ではひと月位生きている事例もあるとか。セミは樹液を吸って生きている。家で飼育する場合も樹液を与えるために生きている木に止まらせることが必要、だからセミの飼育は難しいと知った。地中から地上へ出るまでをセミの一生と思えば、昆虫としては長寿という。地中での期間は小型なセミだと3年くらい、大型になると6~7年くらい、栄養価の低い道管液を吸って生きている。

 駐車場周囲に植栽された木々からはセミ時雨、セミが多く鳴きたてるさまの例え通り頭上から降り注ぐ。短い生き時を守るため入り組んだ枝葉に姿を隠しているのか容易に見つけられない。時折、すぐ近くから飛び立ち驚かされる。虫捕り網を持って駆け回るころには見逃すことは無かったが、そう思いながらメガネを掛け直す。

 セカンドバックから手のひらサイズのデジカメを取り出し、今夏、初めてのセミ撮り。セミは見えても葉陰で距離がありすぎてどうにもならない。何とかならないか思案しているとき手が届きそうな位置に撮ってとやってきた。慌てて構え直して数回シャッターを押す。それを見計らったかのように飛び去った。そのセミ心に感謝。

 
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暑いけれど

2015年07月30日 | 地域


 梅雨明けは昨日、すっかり真夏の日和に変わった。今日の最高気温予測は36度、結果は34度。錦川で近くの保育園児らが園の職員や母親らと一緒に水浴びをしている。そのはしゃぐ声に気持ち良さと楽しさが伝わる。

 午後の仕事が始まるころ所用で近所まで暑さは承知で歩いて出かける。アスファルトからの照り返しもあり、出かけて2分もしないうちに汗をぬぐう。とぎれとぎれの日陰が道の左右に続く。直射よりはいいと日陰の下を歩く。

 そんな暑さの中「こんにちわ」と大きな声で挨拶をもらい思わず背筋を伸ばす。声は近くの中学校の生徒、いずれも午前中の部活を終えての帰りらしい男女10数人とバラバラにすれ違ったが全員が挨拶をくれた。暑さの中での部活、さぞ疲れているだろうがその感じは少しも抱かせない姿に爽やかさを感じる。もしかして2020年の星かもしれない。

 暑さを避けてなのか人影が見えないし小学校の運動場に子どもの姿が無い。一見のどかに見えるが日中で最も暑い時間帯を避けるのは常識だろう。熱中症予防や対策が繰り返し報道され皆が学習している様子だ。遠くに聞こえる救急車のサイレン、すぐに熱中症かと疑うのは思い過ごしだろうか。
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ほっとするHP

2015年07月29日 | 生活・ニュース
 
 毎日、ホームページにブログ、フェイスブックを訪問し「うん、そうか」「なるほど、なるほど」「そんなことがあるの」「ええ恰好して」「勉強になる」「今日は儲けた気分になった」など、人様の文章を読んだり掲載の写真を見て楽しんでいる。その一方で、このブログがいかがなものかは見当もつかない。時々、感想がメールで届いたりコメントが書き込まれるくらいで騒ぐほどのことは起きない。

 訪問する一つに市内在住の女流陶芸家のHPがある。トップページは何点かの作品が掲載されている。作品はすべて器、それぞれは特別な形状でなく身の回りで見かける姿をしている。作品は褐色系、黒味を帯びた茶色で、写真の背景も同系統で統一されている。新作の写真やその配置が変わると趣も変わる。趣は変わるが全体のトーンは崩れず、ほっとする落ち着いた感じは続いている。

 この陶芸家は別の窯でもマドンナとして登場する。そこでは薪作り薪運び、作品の窯積みが終わると窯焚きが始まる。焚くのも何段階かのスッテプを踏んで本焚き、数日間は窯から離れられない。窯に薪を投げ入れる動画もアップされているが、根気と体力が備わり、気力が充実していることが伝わる。「いい仕事しています」の声の裏にはこんな苦労のあることを知る。

 制作の場所は瀬戸内海を見おろす山の中腹、数年前、少々難儀な道を先達に連れられ訊ねたことがある。その時は、先達諸氏の会話を耳にしながら、会話に加われる余地もなく、ろくろ作りという、同じ形の何十個と並んでいる器を只々感心して眺めて山を下りたことを思い出す。
 
 山口県にも梅雨明け宣言、ますます暑くなるがじめじめ感は薄れる。今夜は親しい仲間とBP、楽しもう。  
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こぬか踊の本番近し

2015年07月28日 | 地域


 岩国城下町の盆踊りに路地で踊る「こぬか踊」がある。400年続く民俗芸能も、昭和30年代の高度成長期のころから下火となり、保存会の皆さんが守り今に伝えられている。これを町興しのの一つとして復活させようと昨秋応援隊が結成された。その活動が軌道に乗り始め、毎週土曜日の午前中に練習会が開かれている。

 その中間発表会とも思える踊が見られた。長く続く地域の納涼大会の会場で老若男女100名近い踊り子の円陣が、太鼓と三味線、こぬか独特の音頭に合わせ、情緒ある踊りが見る人を引き付けた。見物席で踊る人も多い。小学生連れのお母さんの姿が多く応援隊の先々に明るさを感じた。

 こぬか踊は「初代藩主吉川広家公の藩政の初めころより城下の町屋、農家の子女の間で親しまれ盛んに躍られてきたようです。往時から町内の路地に太鼓を置いて、その周りを数人が歌詞を甚句調に太鼓を叩きながら掛け合い、それを踊り手が囲んで相づちを打ちながら踊った。踊りの特長は、『差し手、引く手、出る足、引く足』といった非常にゆったりとした優雅さにある(岩国民俗芸能記念誌より抜粋)」。甚句調とは「かけて割りきる そろばん橋で なぜに想いが 割れきれぬ」のように「七・七・七・五」で歌われる。

 ちょっと真似してみたい気がして手足を動かすが、音感皆無で老体硬化近しの身ではゆったり優雅など粒ほどもなく、数世代前のロボットのようで円陣には入れない。観衆として盛り上げていこう。こぬか踊の本番は「吉川六万石 こぬかの盆」として8月15日、錦帯橋近くの城下町で17時から。
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地球の「いとこ」発見

2015年07月27日 | 自然 季節


 テレビの真っ暗な画面の中央に映り始めた小さな一点のオレンジ色の輝きは次第にその域が広がり、日本時間7月23日午前6時2分ロシア宇宙船ソユーズは、中央アジアのカザフスタンにあるバイコヌール宇宙基地から打ち上げられた。予定通りの飛行で昼前に宇宙ステーションにドッキングした。発射失敗などで2カ月遅れの打ち上げであったが、日本人宇宙飛行士・油井亀美也(ゆい きみや)さんの笑顔にほっとした。暗黒物質の解明に努めるというミッションに楽しみが膨らむ。

 このところ宇宙が賑やか。ソユーズ打ち上げ前にはアメリカ航空宇宙局 (NASA)が2006年に打ち上げた、人類初の冥王星を含む太陽系外縁天体の探査を行う無人探査機であるニュー・ホライズンズ が冥王星に接近、鮮明な写真を撮り地球に送信してきた。写真の解明が進んでいるが、富士山級の氷の山脈が続いているとか。観測の全データー送信には8カ月を要する、宇宙の無限さを知らしめる。

 さらに驚いたのは「地球の1.6倍『いとこ』発見?」という新聞の見出し。地球から1400光年先のはくちょう座の方向ある太陽に似た恒星の周囲を、直径が地球の1.6倍の惑星が回っているのを、ケプラー宇宙望遠鏡の観測で見つけたとNASAが発表した。地球に似て水や大気を持つ可能性があるらしい。地球より大きく年上のいとこのような星で、生命を育む可能性があるという。しかし、ひかりの速さで飛行しても1400年かかる。今、届いている光は聖徳太子の時代のもの。宇宙は広く大きい。

 地球上で月へ月へと覇権を競い合った時代もあったが今は静か、終焉したかのように思えるが秘かな策は途絶えていないとか。一方で月より火星という声もある。そんな地上の思惑に月は無関心で地球を周回している。届かない見えない宇宙彼方の話に老眼を輝かせる老人を見つめながら。 


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梅雨明けはまだ

2015年07月26日 | 自然 季節


 昨日、真青な空の下で聞いた会話。

 「梅雨はいつ明けるのか」「気象庁も悩んどる」、「それはどうして」「中国地方で山口県だけ明けていないから」、「山口県は中国地方だろうが」「山口県は気象予報では北九州地区の範疇らしい」、「それはどうして」「そりゃあ知らん」、「こんなき青い空が広がっとるににのう」「台風12号が通過したら梅雨明けらしいというとった」。

 確かに、12号台風通過を待って梅雨明け宣言になる、ローカル放送の気象予報士は首をかしげながら伝えていた。12号は進路を当初の予測よりやや東寄りに変えているようで、山口県も明日の朝までは油断はできない。備えは来たらやる、年を重ねるごとにそれでは間に合わなくなる。転ばぬ先の杖、前もって準備や用心をしておく。

 一昨年の県北部、昨年の広島市内での大きな水害の教訓から生まれた避難訓練が報道されている。災害の直後は、人々の心構えもしっかりしているが、時が経つにつれ人びとが災害があったことを忘れたころ、災害は再び見舞うものである。災害に対しては、普段から十分な心構えをしておくことが大事という戒めが「災害は忘れたころにやって来る」という寺田寅彦の言葉。

 梅雨末期の大雨は怖いといわれるが、幸いなことにこの地区では発生しなかった。梅雨前線は北上しておりこれに寄る大雨は無いだろが、台風は別もの。バケツをひっくり返したような雨が毎日のように各地で発生、道路は冠水し家は浸水という被害が起きている。ことに出合ったら慌てず落ち着いて、頭上の2羽のツバメがそんなことを話している。

 
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妻を癒やすアサガオ

2015年07月25日 | エッセイサロン
今朝の一輪


2015年07月25日 中国新聞「広場」掲載
 
 数年前の夏、体調を崩した妻が毎朝、楽しみにしたのはアサガオだった。カーテンを開け、しばらく眺めることが日課になった。花と妻が会話しているように見えた。朝顔の花が終わる頃、体調は回復した。

  「来年も咲かせたい」と妻は採種を促した。癒やしてくれた花への感謝の思いだろうと思い、よく膨らんだ種を残した。次の夏もよく咲いた。それからは毎年、採種し、翌年に種をまき、苗を育ててプランターへ移植して咲かせている。

 今年も梅雨入りの頃から咲き始めた。妻は、あの夏と同じように、カーテンを開けるのを毎朝の楽しみにしている。

 晴れた日の朝夕、水やりをするくらいで、特別な手入れなどはしていない。それでも、細いつるのどこに力があるのか、その伸び方に感心する。

 伸びれば花の数も増えてくる。そんな自然の力に癒やしの力があるのだろう。来年は花数を増やす工夫をしよう。妻の背中越しにアサガオを眺めながら思う。
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丑の日のウナギ

2015年07月24日 | 生活・ニュース


 今年1回目の土用の丑の日。「朝の4時いや4時半から焼いています」といううなぎ屋の店主、そんな店には求める人が長蛇の列。レポーターが50メートルの列と驚かせる。それも炎天下でジット順番を待つというのは苦難でしょう、と声を掛けたい。こうしなければ美味いものは食べられないことを改めて知る。 

 稚魚が今年にかけて比較的、豊魚だったこともあり十分供給量があり、昨年と比べて価格はほぼ横ばい、サイズが少し大きくなっている。具体的には100グラム当たり60円から100円ほど安いという。お盆くらいまではこの価格が続くという。食品の小売価格上昇のおり嬉しいことではあるが、元々が高いので割安感が薄い。

 ウナギに変わってサンマの蒲焼きは昔から代用品とし食卓にのったこともある。今年はナマズが初登場したとか。養殖ナマズの餌の工夫で「ウナギ風味のナマズ」が誕生したとか。絶滅が危惧されるウナギに取って変わることができるか注目される。子どものころ遊び場の小川でナマズは網に掛かっていた。ぬるぬるした感触はウナギに似ている。来年の丑の日が楽しみ。

 我が家の丑の日、最近は息子家族から送ってくれるウナギをいただく。今年も事前に届いており夕食にのった。夫婦二人には十分過ぎる位の大きさで満足した。老舗の和食料理店は店頭で実演販売、そこらじゅうに香ばしい匂いが漂う。匂いをかげば食べたくなるのが人情というもの、老舗の商売上手だろうか。今年2回目の丑の日は8月5日です。
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東芝を憂う

2015年07月23日 | しっちょる岩国
 
 日本のエジソンと呼ばれる「藤岡市助のものがたり in 岩国」展が開かれた。展示はパネル形式で、生誕から逝去までの功績がまとめら、その生涯を知る上で参考になる。市助は岩国市の出身、生家は現在の岩国小学校のすぐ近くで、岩国城下屋敷割図には父・藤岡喜介の名前が読み取れる。人物像について改めて「いわくに通になろう」よりの転載で紹介する。

 1857(安政4)年錦見に岩国藩士藤岡喜介と妻ウメの長男として生まれた。日本の工学者、実業家。日本に電気、電球灯の普及させたところに功績が大きく、「日本のエジソン」、「電力の父」と評される。1865(慶応元)年、藩校の養老館に入る。1875年 旧藩主吉川経健から奨学金を得て工部寮電信科入学。1881年 工部大学校(東京帝国大学工学部の前身)を首席で卒業。銀座木挽町での日本初のアーク灯点灯実験に参加している。この日は電気記念日となっている。同校教授を経て、1890年、同郷の三吉正一と電球製造の白熱舎(後に東京電気から東芝へと発展)創設。電車を発表、浅草凌雲閣にエレベーターを作る。 日本電気協会会長、東京電気社長、岩国電気軌道社長などを歴任。27歳の時に10歳年上のエジソンをその研究室に訪ねている。

 市助は1912(明治45)年2月27日出勤しようとして昏倒、脳溢血と診断され、その後6年間の長い闘病生活を送る。1918(大正7)年3月5日、風邪により肺炎を併発し重篤となり、帰らぬ人となった。享年62歳といことを展示から知った。

 市助は生涯の信条として「至善」を貫き通し「人の役に立つこと、国のために身を捧げること」を実行した。10歳の時に書した「至善」は吉香公園にある「藤岡市助のことば」の碑にも記され、その横に「僕は人に役立つことをしたい」ともある。「至善」は「この上もない善」で「最高善」に同じとある。今の東芝の現状を市助翁は嘆かれているだろうと思う。
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肺炎球菌ワクチン

2015年07月22日 | 生活・ニュース


 「肺炎はガン、心臓疾患に続いて日本の死亡原因の第3位、軽く考えないで65歳からの肺炎予防」、こんなCMが流れている。対策のために市の広報でも対象年齢の人へ成人用肺炎球菌ワクチンの接種を呼びかけている。接種代金は自治体からの補助があり2800円、肺炎死亡者の95%は65歳以上という恐ろしい数値、5年間有効を考えれば負担は感じない。

 主治医から「肺炎球菌ワクチンを接種していたので助かった」と言われた人の話を聞いていて、対象年齢に達したら接種すると決めていた。問診票記入と医師の診察が必要だが、これはインフルエンザ予防接種と同じ。その液量はほんのわずか、高価なワクチンだと見ているうちに接種終わり。接種後の留意点を記入したカードが手交された。

 これまで肺炎と診断されたことはないので、その症状は経験していないが「発熱、咳や痰、息苦しさや胸の痛みなど」と聞いている。どれも風邪の症状に似ているようだが、肺炎球菌感染症は肺炎球菌に感染して起きる肺の炎症をいう。元気に暮らしていても抵抗力が弱まった時や体調不良の時に感染するという。肺炎の原因菌は肺炎球菌が最も多く、インフルエンザ菌の1.5倍というから怖い。

 恐れているだけではどうにもならない。ワクチン接種で守りの一つは固めた。感染しないためには「規則正しく節制した生活を守りなさいと」いう注意書きがある。これは古くからいわれる万病に効く対策、近代医学もこれを超える物はないようだ。医者にも坊主にもとられない生活をしていこう。
 
  
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