日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

独り占め

2020年05月31日 | 生活・ニュース

 明日から一部の自治体を除いては新型コロナウイルス感染防止対策の自粛措置が緩和される。とはいえ、自粛が緩まったのを機に感染者が増加している報道を見れば気の休まる緩和とは思えない。都市部の人出増は経済活性化を図りたい国の思惑にかなった現象といえるが、くれぐれも気を抜かないで欲しい。

 新緑鮮やかな季節ですが、ここ2カ月ほど錦帯橋を渡ることなく、橋の向こうを撮りに行きたいが「不要不急」の外出と決めて出かけなかった。自粛も少し緩やかになったのを幸いに、散歩コースを久しぶり錦帯橋へ向かって出かけた。雨上がりで公園一帯は薄い靄がかかり、日本画のような味わいある深い風景だった。観光客の姿はなく久しぶり静寂な公園を歩いた。

 錦帯橋畔で開いている店はソフトクリーム屋さん3軒、どこの土産屋さんも「しばらくお休みします」という趣旨の張り紙が目に付く。コロナを避けるためでもありクラスターになったときを思えば仕方ない選択だろう。ちらほら出会った観光の人らはノーマスクが多い。ひょっとしたら広い自然空間の中で久しぶりの深呼吸かもしれない。

 横山側の第5橋を渡り始めた時にわたり終えた人とすれ違った。第4橋の上で向う側にも私の後方にも人は見えず、しばらく待つが渡る人なし、今は錦帯橋独り占めと決め、撮って記録とした。そういえば上流の錦城橋を渡るとき橋の上に人は見えなかった。こういうこともある。久しぶりの錦帯橋、雨に濡れた木の落ち着きある質感に錦帯橋の良さを久しぶり感じながら渡り終えた。
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届いてひと安心

2020年05月30日 | 生活・ニュース

 25日の総理記者会見で「特別定額給付金はすでに8割の自治体で支給が始まっている」趣旨の発言があった。その時、我が家には申請書が届いていなかった。申請書の発送は今月下旬からと広報であった。記者会見の翌日くらいから市内住人のSNSで、申請書届いたという発信が載り始とめ、早い人は申請書提出したというのもある。

 発信のSNSに「申請書の裏面のあることを知らずに提出」というのもある。注意しなければ、と思いながら申請書の配達を待っていた。知人が問い合わせたら、「30日の夕方までに届かなかったら連絡欲しい」という市の担当窓口の話を聞いていたので待っていたところ、昨日の夕方届いた。ブログで分かりにくい表現の指摘を読んでいたので、ブログの解決策を参考にしながら記入した。

 ポリスメールでは、この給付金を装った詐欺の手口が紹介され、申請書にも注意が載っている。最近は、休日の前日夕方に訪問しカードなどを持ち去るとポリス情報。官庁も金融機関も窓口は閉まっており事件の発覚が遅れるという。気をつけたい。

 住まいの市では「特別応援協力金」として一人2万円がプラス支給される。こちらのオンライン申請は対応不可。どちらも申請期間は6月3日から3カ月間、国の説明では支給までの具体的な日数は示されていない。補正予算確定の日に配布した自治体の全国ニュースは記憶にある。これを機にマイナンバーカードの活用がせかされるかもしれない。なお、アベノマスクはまだ届いていない、配布は今月中と政府は繰り返し答弁したが明日は日曜日で配達なし。両方とも楽しみに待とう。
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天まで伸びろ

2020年05月29日 | 地域

 昨日も雑草のことにふれたがその続き。川沿いの遊歩道を歩き始めて10数年になる。約1㌔ほどのそこは錦川、中州、歩道、歩車道分離の植え込み、車道と街なか以上に整っていた。数百㍍上流へ延伸し錦帯橋近くまで通じるという話を聞いていたが、そんな動きは止まっているようだ。

 以前は1年を通して、一人の年配男性が遊歩道や植え込みなどの草抜きや剪定をされ、整備され綺麗な1㌔だった。いつからだろう、その遊歩道も中州も背丈以上の雑木や雑草が茂り、清流も見えなくなった。中州は申し訳程度の雑草除去はあるが浚渫は長いことされておらず自然に戻っている。

 そんな荒れた中で元気に伸びているひとつに蔓草がある。蔓草はいろんなものに巻きついて伸びていく植物という。その説の通り茂った雑木や雑草に巻き付いたそれらの上に姿を現し、さらに伸びようと風に揺れている。うまく隣の蔓と絡みあえば一回り太く丈夫になりさらに伸びていこうとしている。

 そうした蔓草の青空を背景にした姿を眺める。それぞれが「我こそ自然の芸術家」と名乗って伸びている。中州が荒れているからこそ眺められる自然美術館と思えば、この荒れた風景もひと時は気にならない。しかし、ひとつ気になることがる。それは梅雨も近づいており、豪雨で中州の雑木などに上流からの流失物がかかり、天然ダムを作るかもしれない、過去の流失物が雑木の梢に残っているのを見ながら思う。
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歓迎の3蜜

2020年05月28日 | 生活・ニュース

 五月晴れの合間の適度な時雨に散歩道のほとりは日に日に様子が変わる。その冴えたるものは何といっても雑草たちだ.。上に横にと伸びまくり、三日見ぬ間の桜ならぬ雑草かなとなっている。雑草という草の名前はないと詳しい人からは教えられる。そうだろうが多数の草が押し合いへし合いしながら茂っている姿は強い生命力・生活力を感じさせる雑草が似合う。

 ブルーンブルーンという振動音が雑草の向こうから聞こえる。近づくと菜園を取り囲んだのり面の雑草が草刈り機で刈られている。刈るというより小さく寸断されて生き生きした雑草の姿はない。草刈り機が過ぎた跡は手を掛けなくてもいいように緑色の絨毯を敷いたように仕上がっている。刈った雑草を牛馬の餌にしたのは大昔、鎌を使うことはなくなった。

 そんな茂った雑草の中に立つ枇杷の木、冬の初めに花を咲かせていた白い花が黄色の実に変わった。実の形を倒卵形(とうらんけい)ということを知った。道ばたの木だからか、毎年、収穫された様子はないが、律儀に季節を教えてくれる。民家の庭だと袋掛けされていたが、その風景も少なくなった。

 なり具合をみると、今なら避けるべき「3蜜」に近い。青空に向い換気は十分で密閉ではないが密集と密着については満点がもらえる。袋掛けされていれば密閉になる。コロナウイルスの感染防止がなければこんなことは思いつかない。戯れとはいえ怒られそうだが、収穫するなら3蜜歓迎になる。外観はうまそうで大粒で食べ度がありそうだ。
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ブログ5000日目

2020年05月27日 | 生活・ニュース
 
 2006年9月にブログを開設して今日で5000日目という節目、いつの間にかこんなに経っていた。初日「これまで多くのブログを訪問しいつかは自分もと思っていた。岩国エッセイサロンに入会を機に開設」と書いている。今日まで記事は4895件、写真は5634枚アップしている。写真が多いが、載せたいと思いながら時期が過ぎたり文章が書けなかったりして載らなかったと思う。申し訳ない。

 あと114日で開設から14年目が終わる。毎年1年分を印刷、表紙に目次などを加え、世に1冊だけの手製本にしている。書いていることは日々の思いついた内容で格調高いと思うものはない。訪問するブログを拝読しながら「こんな人生訓や人の道、論文なども書けたらいいな」と時には思うが、しょせんは人まねになると思い「飾らない」ことをもっとうにしている。

 毎日こうして書いたことからから何が生まれているのだろう。載せた内容の視点を変えて書き直し新聞に投稿することがある。その投稿が載れば喜ぶ。ブログとは別に投稿して採用されると、それはブログに載せている。新聞投稿で今日まで238編掲載されたので記録として記しておきたい。これまでの1冊をたまに開くと、小さな自分史に感じる。

 ガンの手術後は毎日欠かさず書き続けて9年目、この秋で10年目に入る。体調に多少のことはあっても寝込むことなく生活が続けられたことで、ブログを休まずに済んだと諸々に感謝している。日にちをおいて読み直すと誤字脱字、言い間違いなどが見つかり苦笑したり反省もするが、楽しみながら完璧を狙っている書いている。
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オンライン授業

2020年05月26日 | 社会 政治

 コロナ禍の非常事態宣言が全面解除された。そんな報道の中で、ひと月半は遅くなったいくつかの小学校の入学式が報道された。子どもらの声の代わりに親の喜ぶ声が聞かれた。聞いていてよかったと思った。これまでの遅れをどう取り戻すのか、児童も先生も学校も、未知の中へ踏み込むことになる。

 自粛、巣ごもり生活が続く中で子供たちのためにと、各地のオンライン授業の報道に接した。在宅のまま、あたかも教室で授業を受けるかのような光景だった。このたには双方にそれを可能にする施設や設備が必要になるが、今後の授業形態が変わるかもしれない予感を抱きながら興味をもって見た。今の子らは、パソコンやスマホ、ゲームなどキータッチを小さい時から恐れることなくこなすから、高齢者が心配する必要はない。

 我らが市では小中の児童生徒全員にタブレット配備費用がすでに予算化されている。今後のオンライン教育への備えと、新型コロナウイルス感染第2波などに備え自宅学習の環境を整えるためという。それでも無線LAN環境のない家庭もあるそうだからその対策が必要になる。伝える側のスキルや教材作成の負担が起きるのではと心配する。  

 「学び」という大和言葉がある。学校の勉強にまつわる言葉だが、いきなり聞かされると寺小屋時代に戻ったような気もするが、いくつかの言葉は学びを教える。そらんじる、綴る、下読み、おさらいなどがあげられる。それぞれ、覚える、書く、読む、復習などの意味合いを持つ。タブレットを使っても寺小屋時代からの学びの基本は忘れないで欲しい。
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子どものコロナ対策

2020年05月25日 | 生活・ニュース

 いつまでも降ろされない鯉のぼり、カープの大フアンでプロ野球公式戦開始を願ってのことかなど勝手に思いながら見上げて通っていた。降りない、いや降ろさないその理由を知って驚いた。それは「なんともかわいい子供の願い、いや、子ども心の必死な願いのため」だと知った。

 その鯉のぼりを降ろされているところに通りかかった。聞くと「子どもが、鯉のぼりにコロナを追い払ってもらう、というので降ろさずにいました」と笑いながら母親が教えてくれた。そして、降ろすきっかけは幼稚園が再開され通園できるようになったからという。願いがかなった、鯉のぼりに願掛けした子ども、その子の顔は知らないが喜んでいるだろう。

 今日、第1波の波が収まりつつあるので非常事態宣言は解除されることになった。第2波、第3波に備えて気を抜いてはいけない、新しい生活様式を守れという注記がついている。解除とは特別の措置を取りやめ平常な状態に戻すことで、今回の措置は厳密な解除とは言いがたい。それでも街の賑わい復活へのスタートとなるだろうが、宣言は解除されたという錯覚を起こさせないだろうか。

 園児の心にも恐れを抱かせた新型コロナウイルス、これの治療薬やワクチンの完成は見通しが定かでなく、園児の心配を完全に拭うには時間が必要になっている。こうした子どもを守るためにひとりひとりが自覚と責任を持った行動が求められれる、降ろされた鯉のぼりを見ながら、改めて自分に言い聞かせた。
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皆で乗り切る

2020年05月24日 | 社会 政治

 アベノマスクに関してはなぜか閣内不一致。総理以外は様々な図柄で顔をすっぽり覆うマスクをつけ、記者会見や国会答弁でも不自由なさそうだが、総理のそれは気の毒に思えるが、推奨品ゆえ仕方ないのだろうか。国会の委員会が終了し席を立つと同時にマスクを外しポケットにしまわれた中継画が印象に残る。

 国が全所帯に2枚ずつ配布するマスクの配達が県内でも昨日から始まった。初日は県都山口市内の一部だけという。県内用に届いているのは3万所帯分、県全体では約70万所帯必要というから、大幅な不足で、山口市以外はいつから配布できるかわからないらしいが、国は5月中に配布という方針を変えていないから期待していよう。

 期待しなくても、今はマスクが店頭に並び数に制限なく箱入りで買え、買占めなどする姿は見ていない。多くの人が手作りで急場をしのいだ。購読紙でもマスクの作り方が実寸大の型紙と合わせ複数回掲載された。そんな手作りマスクをつけた投稿写真が見開きページで紹介された。載っている人は皆いい顔で写っている。コロナ禍関連の記事ではあるが何かほっとした。

 見えない感じない臭わない、そんな新型コロナウイルスから身を守るために大きな役割を担ったマスク。その不足を多くの人や団体や企業が今の難儀を乗り切ろうと助け合った。そんな報道を思い出しながら緊急事態宣言の緩和されたことで人出増の映像を見ながら第2波、第3波の激しからんことを願っている。
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コロナ禍での仕事

2020年05月23日 | 生活・ニュース

 「宅配便です」ということで玄関に出る。配達の人は腕を伸ばして荷物を差し出す。受け取ると、今度は手を伸ばして受領書を差し出しサインを求める。私も腕を伸ばして受け取り、サインをして腕を伸ばして返す。自然に密を避ける配達員の動作になっていた。配達の人はもちろんマスクを掛けていが、受け取りに出た私はノーマスクだった。

 コロナ禍で働いている人は多業種にわたりご苦労されている。報道では医療従事者の過酷な職場環境下での従事、急増した荷物の宅配員、感染の危険を伴うごみ収集者などの映像が多い。こうしたステイホームの現状を支えて働く人に、いわれのない中傷や忌避、妨害をする者がいるという。なんのためか理解できないし情けない。

 外出自粛を利用した家庭内整理で不用品などの持ち出しが多い,そんな報道を見た後での散歩。市のごみカレンダーでは「金属類・破砕ごみ」を出せる日になっており、家庭内整理と思える品々が所定の場所にずらりと並んでいる。ここはいつもよく整理されていて感心しているが、写真に撮り切れないほど多いのは初めて見た。最近は収集に時間を要するという従事者の話を思い出した。

 在職中は出社してパソコンを起動しないと仕事は出来なかった。コロナ禍ではテレワークや在宅勤務などが働き方改革として大きく登場した。こんご進展するのだろうが、これによる家庭内のいざこざが報道される。私には想像できないことだが、こうしたことを根本的に解決しないで改革を進めるなら本当の改革どころか効率は下がる。「急いては事を仕損じる」、一息ついて進めてほしい。
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麻雀に掬われる

2020年05月22日 | 社会 政治

 「ギャンブル」、これは賭け事、ばくちと載っているのは広辞苑。これらのことに頼ることやめられない状態をギャンブル依存症とある。、IR法でカジノの設置が許されることからカジノ法とも揶揄されたが、この時も依存症が問題になった。身近なところではアルコール依存症もある。

 日本の検察ナンバー2で、やがてトップになると噂された人が「賭けマージャン」でその職と地位を失った。仲間とされたマスコミ関係者はその職を今後も続けるのは難しいだろう。そうなるまでマージャンはやりがいのあることなのか。私はマージャンをやったことがない、だからその熱中するほどの面白さやその楽しさなど分からない。だから駆けてまでやる心情は理解できないが、賭けたことが法を犯す事は知っている。

 私のギャンブル。パチンコは時間待ちの間に何度かやった。途中までは儲かるかと思わせられたが結局は時間つぶしの遊びでしかなかった。競艇は近くにあり、1度教えられるままに買って儲かり帰りに豪華な食事ができた。そんな経験は何十年も昔のことになる。あるゴルフ大好きな人が話していたのは、例えチョコ1枚でも賭けるとやる気が出る。そんなものなのかと聞きっぱなしだった。

 万一の場合、職や地位を失うことを知らないことはない人、法を犯せば取り締まる人、ある種の権力を持った記者、どちらも社会を正すべき仕事に当たっている。何年も同じメンバーで賭けていたという記者の証言からすれば依存症であり確信犯にも思える。この事例では、仮に依存症であっても情状を汲む余地はない、と思う。
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