日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

年越し

2011年12月31日 | 生活・ニュース
           

思い返してみれば自然災害の大きな脅威にさらされた1年だった。九州新燃岳の噴火、東日本大震災と繰り返す規模の大きい余震、紀伊半島を襲った台風と豪雨などが記憶に残る。人知を超えた原発事故は今だ解決策のないまま最長40年を必要とするとの途が示されている。そうして、政治も経済も明るい兆しのないまま年を越す。

暗いことばかりではなかった。困難な活動の中から絆というはかり知れない力に勇気づけれた人も多かった。そこには日本の心を感じた。なでしこジャパンを初めいくつかのスポーツが世界を制し困難な世情に光を与えてくれた。

これまで、口では健康のありがたさを普通に話していたが、その実感は病んでみて知ることができた。その幸せも知った。3度の食事を普通に食べれることの大切さを改めて感じた。病には縁遠い自分と思っていたが、早期処置への対処はしておくべきだ、そんなことを思う年の瀬になった。

そんな中で孫娘が希望の中学校へ入学出来たことは離れて住んでいるだけに喜びだった。受験準備の厳しさを口にすることなく頑張ったという。その努力はこれからの学校生活で役立つだろう、そっと見守っていたい。

明治神宮の臨時の賽銭箱は400畳という。ここらでは大邸宅ほどの広さはさすが東京だ。来る年への願い料、今年の無事へのお礼、投げ入れる賽銭への思いは様々だろう。神にはそれを成してもらえると信じ柏手を打ち手を合わせる。どんな除夜の鐘になるのだろうか。

(写真:初詣客を迎える前の神社は静か)
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どこからおいでやしたか

2011年12月30日 | 地域
           

少しの風もなく川面が鏡のように穏やかな日だった。ふと見上げたら錦帯橋の上空をパラグライダーが、ゆらゆらゆらゆら弧を描きながら降下している。急いでポケットから小型のカメラを取り出す。小形ゆえそれだけの機能しか備わっていないカメラ、高い位置での様子は撮れない。錦帯橋目線まで降下してくるまで待った。

錦帯橋下の川原へ降りたが、着地点は遠くて見えなかった。それにしてもどこからやって来たのだろう。滑空を始めるには助走するいくらかの斜面が必要という浅い知識くらいは持っている。しかし、市内に1ヵ所高照寺山(645m)に設備のありことは知っているが、そこから錦帯橋まで直線で約10キロ、そんなに飛行できるのだろうか。

五木寛之の「下山の思想 (幻冬舎新書)」が読まれているという。山に上りつめ頂上にたどり着くと次は下ることになる。その時は気を抜きやすくなるので十分に気をつけることが必要。いま日本はその下りに入っている、そんな内容らしいがまだ手にしていない。777円と求めやすい。

あのパラグライダーもゆっくりゆらゆらではあったが、川原にはみやげ物店や観光で見えた人の車があちこちに駐車している。それらを避けて怪我なく着地するには、それなりの気を使われたのだろう。日本は上りつめた後の下り坂をどう乗り越えるか難儀している。しかし難詰ばかりが報道に載る。年の瀬もせまり、来る年への期待を膨らませたいが、その施策はまだ見えない。

(写真:錦帯橋と着地前のパラグライダー)

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まあるい

2011年12月29日 | 生活・ニュース
           

薄い冬日のさす縁台に猫が1匹。目を閉じてまあるくふくらんで気持ちよさそうにしている。
なんという種類の猫だろうか。

 「名前は」とを聞いたら「通称公園のシロ」と答えた。
 「何をしているの」と聞いたら「どんなに見える」と問い返された。
 「何か考えているように見える」と答えたら「分かる」と返してきた。
 「何を考えていたの」と聞くと「年末だもの、いろいろと」と、また返された。

それに促がされ思い返してみる。東日本を襲った大地震と黒く山のような大津波、それに破壊され流されていく街、多くの人の尊い命を奪った。いまだに不明の人が数千人近い。津波に続いて起きた日本で初めての原発事故。それらの収まりへの小さな小さな歩みがようやく始まった。

初めて経験した入院生活。痛みとともに知った絆、人の優しさや親切、健康でいられることの喜び、3度の食事が食べれる楽しさなど、それほど意識しないで生活してきた事のひとつひとつに大きな意味を感じた。何でもない、あたりまえのことのありがたさを思い知った。気づきが遅すぎるかもしれないが、健康だった証として許してもらおう。

昨年の暮れにパソコンでお地蔵様を描い時、「まあるい心で生きたい」と書いたことを思いだした。小さな何事にも感謝する気持ちを持てば、私の四角い顔がまあるく見えるようになるかもしれない。シロの顔を見ながらそう感じた。

(写真:擬人化させてもらったまあるい猫)


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ご用納め

2011年12月28日 | 生活・ニュース
           

「御用」という言葉、使い方や場所によって良くも悪くも使い分けれる。御用学者・御用記者や御用新聞・御用組合・御用済みなどはどちらかと言えば良くない分類。商売繁盛にいそしむ御用聞きなどは庶民的。いろいろ繰ってみると幕府や政府にまつわることで御用のつく言葉が多い。

今日は「御用納め」。官公庁の休日に関する法律で12月29日から1月3日まで休日と定められていることから「その年の執務を終わりにする」ことをさすそうだ。大勢の幹部を集めて年末の訓示する官庁の映像が流れる。そんな無駄はしないという自治体も増えたという。区切りは大切だが、単なるセレモニーなら無い方がいい。

御用納めになると年末の忙しさも本格的になる。新聞の折り込みチラシはどの業種も色鮮やかで大判になる。目の保養だけでなくそこから財布の紐を緩めさせるかことが出来るのか、作成者は気をもむことだろう。勝負はあと3日、こちらに御用納めはない。

そんな歳末が近くなり例年のように、名勝・錦帯橋は岩国側の渡り口に門松が対で立てられた。周辺の商いの店先にも門松がそろった。長年見てきたこの風景にに変わると年の瀬をいよいよ実感する。初日の出を占う気象予報も熱を帯びてきた。

(写真:今年も立ちました錦帯橋を背景にした門松)
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続けるぞ

2011年12月27日 | エッセイサロン
2011年12月27日 毎日新聞「はがき随筆」掲載  

 京都に住む孫へ手作り新聞を送り始めて10年になる。きっかけは平仮名を読み始めたという嫁のメールで、孫とコミニュケーションを図ろうとパソコンで作り始めた。日々のたわいないことをデジカメ写真と一緒に載せる。やり始めたら面白くて、今では月刊になった。ファイルをめくると、成長の跡が残り、その折々のことを思い出す。

 大きな患いもなく、今日まで育ったことが何よりの喜びだ。孫は中学1年生。素直で優しい今のまま成長してほしい。「このまま作り続けて」。10年に際して孫からのメール。うれしい一言。目が潤む。


             

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生活のリズム

2011年12月26日 | 生活・ニュース
           

          いろいろあって手抜きになっていた家の周り

          そろそろ年越しの何かをしなければと思いはする
          思った頃から寒波の勢いがふくらみ始めた
          無理をするなという家内
          それにいつまでも甘えてばかりはおれない 
          
          秋口から空き地になっていた小さな花畑
          いつものように花の苗を植える
          気持ちのせいか少し華やぐ庭
          気分を良くしてもうひと働き

          新年まで1週間を切った
          来る年は生まれ干支で年男
          いい越年で迎えたい
                              
                    
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親切な気持ち

2011年12月25日 | 社会 政治
           

先日、ある方のブログの一節。「家を出て直ぐ、病院の前を通り過ぎる時、ラジオを取り出して選局しようとした。手袋をしていては操作が難しい。右手の手袋をはずしてポケットに入れ、歩きながら選局を済ませた。さて、手袋をしようとしてポケットに手を入れたが、手袋が入っていない」。

2時間後、思い当たる付近を探したが見当たらず、「あれでもと思い、病院へ入り受付で尋ねてみると、あったあった」、続けてその後の喜びが綴ってあった。手袋と言っても軍手、それも片方を届けてくれた人の親切、歳末近くの明るい話題として気持ちよくさせてもらった。

思いきり剪定された道そばの木に紺と白の縞模様の手袋が掛けてある。こちらは両手がそろっている。それは腕全部を覆うくらい長い。誰かの落としものだろう。この寒さの時期、これほどの物を落として気がつかぬとはどういうことだろう。ここを通る人なら持ち帰るだろう。が、二日たっても木の上で待たされている。

拾ってそれを目につくところへ置いた人はどなたか知らないが、困っているだろう人のことを思ったことは間違いない。小さなものでも失せものが見つかった時の喜びは経験がある。寒さに耐えて2回目の夜を迎える手袋は、早く主の現れることを願っているに違いない。明日朝の最低気温はマイナス1度の予報。

(写真:木の上で主を待っている手袋、風邪引くな)
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松飾り

2011年12月24日 | 町かど
           

クリスマスイヴ。日本ではイベントとしてとらえられいるようで、ここが商機と楽しいプランが編み出されている。そして「イヴ、イヴ」と祭りのように楽しませる。子どもの夢をかなえるサンタクロースがやってくるから早く寝ようなんて時代は昔話になったようだ。

最近は「家族の団欒をはかる日」としてイヴが定着しつつあるという。そういえば店頭に並ぶ料理は家族パーティー用の綺麗な盛り付けがされている。ツリーなどの部屋飾りの種類も済々で、核家族化の影響もあるように思う。今年は震災の影響だろうか、個人住宅のイルミネーションを見かけない。

そんな中で歴史を感じる木の門につけられたひと枝の松を見つけた。それは小さな熨斗飾りがつけられ、対に飾られている。そこは吉川英治が「宮本武蔵」の著作のため留まったといわれる割烹「深川」。剪定された庭木は板塀越しに見えるが、今は商いをされていない。門松のように目を見張る豪華さや派手さは感じないが、落ち着いた雰囲気に旅行者も写真に収めていた。

松は常緑樹として冬の寒さの中でも緑の葉を保っている。庭師の方から「松は若さと不老長寿の両方を表す木だ。特別の思いを持って剪定する」と聞かされたことを思いだす。木の門と松のひと枝の組み合わせ、宮本武蔵の強さの秘密を知ったような気分になった。

(写真:ひと枝の松が飾られている深川の門)
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笑う門松

2011年12月23日 | 町かど
           

昨日は冬至。これは昼夜の長短を基準にした季節区分のひとつでその季節の中間点を表す。ほかの同じ季節区分では春分・夏至・秋分がこれにあたる。季節区分で各季節の始期を示すのは 立春・立夏・立秋・立冬になる。

また気温に付いては小暑・大暑・処暑・小寒・大寒、気象については雨水・白露・寒露・霜降・小雪・大雪、物候では 啓蟄・清明・小満、農事については 穀雨・芒種とある。これらを合わせて24節気、と言い表すそうだ。

目に見えないこうした季節感を表す語を折々に使いながら、身の周りの四季を感じたり愛でたりしている。そこには伝来の言い伝えも残されていて、昨日はかぼちゃを食べて金運を祈り、柚子湯に入って無病息災を祈るという。年の瀬らしさがにじみ出る。いつまでもこんな日本であってと願う。

この季節、節季語に促され現れる一つに門松がある。迎春準備のはじまった錦帯橋界隈の割烹や旅館、食事処などには立派なそれが立ち始めた。そぎの中ほどに節をあしらう門松が多い。そうした門松は、門松が口を開いて笑っているようで、見ていると気持ちが和む。そして、きっといい年がやってくると思わせる。そうなって欲しい。

(写真:割烹 半月庵の門松)
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新年への思い、粘土に練り込み

2011年12月22日 | エッセイサロン
2011年12月22日 毎日新聞「みんなの広場」掲載
 
 友人に誘われて陶芸教室へ通い始めて4年になる。毎年、最後の作品は翌年のえとの置物を作ってきた。丑、寅、卯の3体がそれぞれ玄関で守り神として我が家を見守ってくれた。

 来年のえとは辰。私はその辰年生まれで年男である。12年前は定年間際で、仕事で失敗しないよう気を引き締めたことを思い出す。
 
 今年は東日本大震災をはじめとする自然災害や、東京電力福島第1原発事故に見舞われた。個人的には秋にがんの切除手術を受け、生まれて初めて入院した。そんなこともあり、来る年の安泰を願って今年最後の作品も辰に決めた。

 辰は難しい。どう立体的に仕上げたらよいか知恵を絞る。ふと、年賀状の準備で下書きを済ませていたタツノオトシゴをモチーフにした壁掛けを思いついた。新しい年への思いを粘土に練り込んだつもりだ。完成までには素焼き、色付けと続く。えとの焼き物作りは、十二支がそろうまで頑張って続けたい。
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