将棋ペン倶楽部2020年春号、掲載内容厳秘につき

2020-05-16 00:00:51 | しょうぎ
将棋ペンクラブ会員なので、『将棋ペン倶楽部』誌が年二回と小冊子が二回送られてくる。『将棋ペン倶楽部』誌といっても、法律上の雑誌ではないようだが形態上は雑誌である。本ブログでも過去何回かは、読み応えのある記事について著者と題名を紹介したことがある。



少し前に送られてきた2020年春号だが、奥付のページに、「原稿・筆者名を勝手にネットに載せないでという投稿有り。ご了承ください。」との注意書きがある。「原稿・筆者名」とあるが、原稿というのは生原稿ではなく掲載記事という意味なのだろう。

記事そのものを転載したことはないので、他人のことだろうとは思うが、実際に良いと思う記事についてタイトルを記載した記憶はあるが、あまりよくないと思った記事のことを書いたことはないのだが、深く考えると、掲載されている原稿作成者(作者)の方から見ると、他の作者の記事をほめるということは、自分の記事をけなしていると、感じるのかもしれない。

ということで、本号もいくつかの記事があり、それぞれに作者がいるのだが、ここでは厳秘とするわけだが、将棋ペンクラブの公式ホームページに目次が大公開されているので、 https://shogipenclub.com/bulletin/536/ それで作者と記事のタイトルを見た上で、口外しないようにお願いしたい。

なお、将棋ペンクラブの定例の行事として、毎年4、5月に交流会という名の将棋大会兼懇親会が行われていて、本年度も発表されていたのだが。新型コロナウイルス蔓延により、中止になったようだ。かわりに、オンライン将棋大会やオンライン懇親会は行われないようだ。オンライン将棋大会だと、プロでもないのにAIを利用する人がいるのかもしれない

さて、5月2日出題作の解答。





スキマをつくることからはじめる。

動く将棋盤は、こちら(flash版)。

Gif版。


今週の出題。



二枚捨てる。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。


ゴルフ場のニューノーマル?

2020-05-15 00:00:48 | スポーツ
「パチンコ店いじめ」が騒動になっていた。いじめていいものか、いじめてはいけないものかがはっきりしないままに、休業になったと思ったら、すぐに再開になった。そもそも世界最大級のギャンブル場を見て見ぬふりしていたことからして無理がある。

次は、ゴルフ場いじめかな、と予想していた。例のお気軽芸能人が入院したことで、一気に3密疑惑が浮上した。そもそも、妻の方がずっと上手いのに、恥ずかしくてゴルフできないでしょう。

もっとも、天の声があったのか、結局は手を緩めることになったようだ。もちろん名門コースはクローズ中が多いのだが、中堅以下はゴルフ場自体が、それなりにニューノーマルに努めていたことも難を逃れた理由だ。

よくあるパターンは、
1. 18ホールスループレーでレストランも浴場もロッカールームも閉鎖。着替えてから来場して、終わったらクラブを車に積んで、急いで帰ってください。

2. ゴルフカートにクラブを積み込むのも、プレー中にクラブをバッグから抜くのも、キャディではなく自分の手で行うこと。

3. ピンフラッグには触らずに、OKボールを多用すること。

このあたりまでは、大部分が共通事項だが、ゴルフ場によって分かれる問題が、バンカーのこと。バンカーに入ってボールを打った後、砂が乱れたり足跡が残るのだが、普通は熊手のようにバンカーレーキで元通り砂を直すことになっているが、この手で握るという行為が感染リスクがあるという説がある。そのため、ゴルフ場によっては、バンカーレーキを撤廃し、

4. バンカー内の砂の修復は、ゴルフクラブと足で行ってください。

という場合がある。

そんな技術はないのだが、解説を読むと、昔はレーキがない時代があって、青木功氏は非常に得意だ、ということらしい。それが本当だとすると、少なくても戦前にはバンカーレーキは存在しなかったのだろうか、という疑問を持ったわけだ。

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ところが、半日ぐらい研究したのだが、「バンカーレーキの歴史」というのは、どこを探したらいいのか糸口すらみえない。そもそも、通販サイトでゴルフ用品を探しても、バンカーレーキを調べることは難しい。ゴルフクラブやウェアは、ほぼ無限大に販売されているのに、個人でバンカーレーキを買う人はいないのだろう。

そこで、観点を変えて、バンカーの歴史を調べると、15世紀か16世紀のゴルフでは、広い野原が使われていたので、わざわざ穴を掘ってまでバンカーを作ってはいなかったようだ。そのうち、人工的なハザードの一つとしてバンカーが生まれたのだが、最初の頃は、タコツボバンカーのようなもので、穴にボールが落ちたらゲームセットのような感覚だったので、そもそも中から打つことすらできなかったらしい。

推測なのだが、トーナメントのような試合形式が始まると、前の組の人が穴ぼこだらけにしたバンカーから打つのは競技として不平等というようなことになり、穴を開けた人(あるいはキャディ)が直すことになったのではないだろうか。

では、バンカーを直すのにレーキを使うのか足を使うのかという元の疑問なのだが、名門ゴルフクラブの戦前の白黒写真を見ても、バンカーショットのシーンはあるのだが、バンカーレーキを写真で見ることはないわけだ。やはり戦後のある時期に、海外の風習が日本に伝わったのだろうか。どうもこの問題は決定打を放つことは難しい。

そして、6月1日からは、「ニューノーマルは終わりにして、元の営業に戻します」というお触れが各会員の元に届き出しているようだ。


ところで、スループレーだが、ゴルフ場からすれば、ランチタイムのレストランでの収益が減少することになるのだが、一方、昼休みの時間など約1時間30分が短縮になるため、その分、多くの来場客を入れることができることになり、その方が収益力が上がることになる。

人件費を始めとする固定費は、ほぼ変わらないので、スループレーの方が儲かることもありそうなのだが、問題は全ゴルフ場がスループレーに変わっても、ゴルファーの数は変わらないということ。つまり部分的真実が全体的真実ではないということ。結果として部分的真実でもないということになる。

次世代の王者は

2020-05-14 00:00:51 | 市民A
最近まで、自然の中の散歩とか、ほとんどしなかったのだが、人間ドックが近づいていたので、目標歩数を決めて、その8割ぐらいを達成していた(普通は達成とは言わないが)。

ところが人間ドックも4、5月の全部の予約がキャンセルになった。組み直しになるのだが、もともと6月以降にも予約は入っていたのだから、いつになるのかはっきりしない。コロナの始まるだいぶ前から少し胸が痛かったのだが、またも検査が遅くなった。

それで、自宅の近くには一応、自然的な風景はたくさんある。丘、川、田畑、森林、竹林、池、各種小動物。といってもなんとなく人工的な感じが漂うところがある。菜の花畑があると思って、再度、普通のカメラを持って一週間後にいくと、地面が慣らされて、コインパーキングになっていたりする。港北ニュータウンという30年位経過した住宅地は計画的に開発されたのだが、その周辺は意味不明な乱雑な開発が着々と進行している。

季節はいつの間にか初夏になって、ちょっと里山を歩くと、色々な動物に出会うのだが、遠距離撮影をするには格安スマホのカメラでは難しく、動物と出会う時にはカメラを持っていないことが多い。というのも理由はあって、動物の本能というか、もうすぐ雨という時に動物たちはあわてて餌探しに行くのだが、そういう天候の時には散歩にもカメラを持って行かず、代わりに傘を持っていくことが多い。



先日は、洪水で有名な早淵川に鴨を見つけた。餌を探すのに夢中だ。離れたところにもう一羽いたのだが、関係性はよくわからない。



この川には巨大な鯉がウヨウヨしているのだが、とても鴨の嘴ではかなわない。小魚を食べているのだろうか。あるいは水草とか食べるのかな。

自宅でも、先日、アマガエルを見つけたし、先日はハツカネズミが臨家の方から走ってきた。

何か、人間の様子を伺っているような不気味な気配も感じている。

彼らの種の数千万年にわたる経験から、「もうすぐ、人間がウイルスで滅亡するらしい」と読み取っているのかもしれない。

人間が滅亡した後、どのような動物が地球上を支配するのだろうか。それを知るためには、一人だけ生き残らないといけないわけだ。

 候補1:ワニ・・・地球上で最強の動物。知能はイマイチか。
 候補2:コウモリ・・・体内に様々なウイルスを備蓄していて、都合よくばらまく。
 候補3:ネズミ・・・ウイルスに負けないほど繁殖力が強い。
 候補4:ゴキブリ・・・最強の生物かもしれないが、寒さに弱い。共食いする。

生き残っても、いいことないだろう。

タイム・トゥ・ラン(2015年 映画)

2020-05-13 00:00:45 | 映画・演劇・Video
A級とB級の中間位のカー・アクションがメインの映画。

舞台は米国南部のあるカジノ。ここのディーラーを長く務めた主人公は、給料が安い割に、裏の裏までマフィアの社長がやっている手口を知っていた。さらに内部の金銭管理とか、中国人がカジノとグルになってやっているマネーロンダリングことまで知っていた。

タイム・トゥ・ラン


毎週火曜日に大金を失う中国人がいて、翌日の水曜日に毎週大勝ちする中国人がいる。その金に目を付けた新人従業員が強盗の計画を作って、貧乏な主人公に持ち掛ける。貧乏ディーラーは、娘の難病の治療費、三十万ドルが必要だった。

ということで、新人従業員の練った計画で、総勢4人の犯行が実施されたのだが、慌てて逃げ出した気の弱い逃走役のせいで、残り3人は、三百万ドルを抱えたままバスジャックをするしかなく、パトカーが包囲したままバスはメキシコ国境に近いローカル空港に向かう。(いつも、悪役は中国とメキシコだ。犯行を実行しているのはアメリカ人なのだが。)

それで、窮地に追い込まれた主人公は、バスの中の調整役になり、警察とマフィアと気の短い犯行のボスや気の短い乗客たちの調整を行うのだが、担当の刑事は、実はマフィアの手先のわけだ。

ネタバレを書いてもしょうもないのだが、登場人物たちは、それぞれ数人ずつを殺してしまい、結果として、映画らしくうまく立ち回った主人公は必要な三十万ドルの10倍もの三百万ドルを得てしまう。もとはといえばマネロン用の滞留期間の1日を狙われたわけで、被害額を申告する者はいないわけだ。


さて、横浜や大阪には、カジノ計画が刻々と近づいているのだが、このようにカジノの社長(演:ロバート・デ・ニーロ)と市長と警察署長が懇意になったりするのだろうか。そもそもカジノには、元ボクサーとかレスラーとか必需セットなのだろうか。

夏の闇(開高健著)

2020-05-12 00:00:47 | 書評
開高健の「闇三部作」の2冊目が『夏の闇』。一作目の『輝ける闇』は従軍記者として南ベトナムで戦争に巻き込まれていく、なかばドキュメンタリー的な戦争小説で、どちらかというと、自分の内面ではなく戦時下の兵隊たちの心理や、戦場の非日常的であったり、日常的であったりする状況をリアルに書いている。



一転して、『夏の闇』は、ベトナムから脱出した「私」がドイツのボン(と思われる)で知人の日本女性(大学研究者)と愛欲生活を続けることになる。「私」はソファーを寝床にして、基本的に部屋からほとんど出ない隠匿を何か月も続ける。はやりの言葉で言うと「ステイホーム生活」だ。もちろん街にはウイルスはいないのに。

ところが、偶然にも、ベトナム戦争に新たな動きが起こりそうという情報を耳にすると、俄然元気になってしまう。同居女性は、この自分たちの幸せよりも、米国とベトナムという日本人には他人同士の戦争に巻き込まれることを期待する「私」に暴言を吐くわけだ。

『輝ける闇』が戦争小説というパブリックな形式だったのに対し、『夏の闇』はまったく正反対だ。内面小説。ストーリーがうま過ぎる展開になっているため、フィクションとして書かれたものと感じていたのだが、開高健の死後、研究者によって、ヒロインには実在の人物がいたことが明らかになる。つまり現代的に言うと、実録不倫小説でもあるわけだ。読者には関係ないのだが。

開高家の家庭内には結婚当初より不穏な空気が漂っていたが、本作の上梓以降決定的になったそうだが、読者にとっては何の関係もない話。むしろ、本作のモデルとなった愛人が、不慮の交通事故で亡くなってすぐ、本小説が書かれたということ。いわゆる彼女へのオマージュではなかったのだろうか。

朗報!37.5度撤廃(というか、国民の誤解だった?)

2020-05-11 00:00:10 | 市民A
PCR検査の最初の関門である「37.5度×4日」が撤回されるそうだ。正確に言うと、国民が誤解していた、ということだそうだ。国民というのは、誰のことなのだろう。

組織の問題としては、保健所職員と帰国者接触者相談センターの全員が誤解していたままだったことになるわけだろうか。そもそも、大臣の名前で出されただろうガイドラインが各職員にどのように伝わったのだろう。普通は誤解が生じそうな文書は、IT社会なのだから、そのまま加工されることなく全員にCC扱いで送られるはず。上意下達方式で、途中段階で捻じ曲げられたのだろうか。

個人的問題としては、低体温なのだ。だいたい、35.0から35.4度位。低いときには34.7位もある。小学生の頃からずっとだ。水銀温度計の場合は、目盛りが35.0から始まるので、測定の前に、徹底的に体温計を振り回して35.0より下に水銀柱を下げておかないといけない。

低体温は免疫力が低いと言われていて、体温が1度高くなると免疫力が5倍になるとか説があるが、いいかげんな話だと思っている。体温が低い方が、免疫力を発揮する段には体温上昇余地があるともいえるはずだ。

つまり、37.5度が4日も続いたら、もうダメージが大き過ぎる。事前の口頭申告では1度以上サバを読んでおいて、検査の時には「体温の上がる薬」を飲んでおかないといけないだろうが、体温を下げる薬はたくさん市販されているが、上げる方は漢方薬の一部ぐらいしかない。

さらに、主治医から要請があればPCR検査に持ち込めることになっているが、今まで幸いなことに、あまり内科医の方の手を煩わせるようなことにはなってなく、整形外科とか皮膚科、眼科といったところばかりだ。こういう事態に備えて、毎年のインフルエンザ予防接種はずっと近隣の内科医の懐を潤すように努力を続けていたのだが、確認のために医院の前を歩いたところ、「当院では新型コロナウイルス感染症に対する対応ができませんのでご理解ください」と貼り紙が掲示され、「帰国者接触者相談センター」とか厚生省とか県や市のコールセンターの電話番号が紹介されている。



つまり、門前払い。いままで積み重ねていたインフルエンザ予防接種は、無駄だったわけだ。

一応、10km範囲で、受け付けてくれるドクターとか他県ではあるが知人のドクターに頼るしかないかと、思案中。

怪しく輝く会津流紋焼の怪しき歴史

2020-05-10 00:00:00 | 美術館・博物館・工芸品
小振りな一輪挿しの裏側には『流紋』と刻印があるのだが、花瓶の下部の方の紋様は時価十億円といわれる曜変天目にも似ている。もちろんそんな代物ではないのだが、流紋とは釉をたっぷり塗って、焼くに任せてその釉が流れて世界に二つとない紋様をなす現象を利用している。

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この流紋焼きは大きく分類すると、『会津本郷焼』の中に、陶器と磁器があり、その磁器の中でも明治33年に、電柱に使われる碍子を焼いていた会社が製法を発見したとされている。

その最もはじめに遡ると、1593年。戦国武将である蒲生氏郷が91万石という大藩に藩主として会津に入城した。秀吉は伊達政宗に対抗すべく、政宗と年齢の近い氏郷を奥州の出入口に配置したといわれる。そのため、会津若松城を築くことになり、必要な瓦を地元で作ろうということで、窯を建てたと言われる。これが会津の陶器の起源といわれる。

実は、どこにも書かれていない話なのだが、氏郷は別の野望を持っていたのではないだろうか。彼は、茶の道にはまりこんでいた。千利休に師事していた。『利休様命』状態だった。(キリスト教にもはまりこんでいた。)自分で茶碗を焼きたかったのではないだろうか。瓦なんて焼いたって、おもしろくないはずだ。ところが、その後、秀吉の大暴走で朝鮮半島の戦争に出向くことになるのだが、癌によって体調悪化し、帰国後1595年、享年40歳で夭折してしまう。

ということで、しばらくは会津の焼物は瓦を中心としていたのだが、情勢が変わったのは会津藩主が保科正之だった時代だ。保科正之は二代将軍秀忠の子で、秀忠は正妻(お江)中心主義で他の女性には興味を示さなかったと言われるが、生涯で一回だけした浮気によって生まれた子が正之であり、これが大英才だった。

歴史小説家によれば、三代将軍の座をめぐっては、争いがあって、最後は家康が家光を指名したとも書かれているが、ともかく正之は江戸から会津へ押し出された。そして気を取り直して始めたのが産業振興。瓦ばかり作っていても儲からないということで、美濃国瀬戸より水野源左衛門を招聘して陶器作りを始めた。1645年のことだ。源左衛門は陶祖とよばれている。

そして磁祖が現れるのは150年下った1800年の年。佐藤伊兵衛という男だ。彼は、もともと僧侶であったのだが、藩が、藩内にある大久保陶石という原料が磁器(特に白磁)に最適ということから、白磁を作ろうというプロジェクトを興した。それを知った伊兵衛は、僧侶をやめて、陶工を極めたいと考え始めたのだ。

ところが、・・・。要するに素人の焼物教室のような結果が続くわけだ。陶器の歴史は会津にはあったが、磁器については教師がいない。オンライン授業以下のレベルだ。

伊兵衛は、試行錯誤して完成品を作るという正道を歩まないことにした。何しろ僧侶からの転職だ。時が許さずということ。旅に出た。

修業の旅と言いたいところだが、江戸時代は、職業は親から引き継いで子や孫に引き継ぐことになっていた。現在の国会議員みたいな方法だ。特許は家外不出が原則。埒が明かない。

尾張、美濃、京と焼物処を彷徨ったあと、ついに九州佐賀、有田焼の地に行く。そして禁断の手口を考え出した。鍋島藩の菩提寺である高伝寺に住み込みの奴僧として潜入した。会津に残る伝承では、1年ほどの潜入で有田焼の秘伝を吸収したとされる。要するに身分を偽ったわけだ。もしかしたら、鍋島藩に近い場所であることから有田焼の中でも存在すら秘密扱いだった鍋島焼の秘伝まで覚えた可能性もある。

そして、覚えたことを忘れないように、おそらく風のようにすっ飛んで会津に戻ったのだろう。それから2年のうちに磁器専用の窯が立ち、佐藤伊兵衛は磁祖と呼ばれるようになる。その200年ほど後に生まれたのが流紋焼である。

芸術は、なかなか合理的に進化しないところがいいというべきなのだろう。

元七冠、絶好調のなぜ

2020-05-09 00:00:28 | しょうぎ
竜王戦1組優勝賞金470万円をかけた一戦は、5月7日に行われ、羽生元七冠が佐藤(和)七冠を終盤の羽生マジック始動により倒した。負けた佐藤(和)七段の準優勝賞金は116万円ということで、ずいぶん差がある。もっとも決勝トーナメントは両者とも準決勝から出場できる。(また、当たるかもしれない)

ところで、羽生元七冠、99個目のタイトルを失ってから、しばらく好調とはいえなかったのだが、現在6連勝中、急に調子を上げたのはどういうことなのだろうか。

むしろ、どうして調子を落としていたのかの方が問題なのかもしれない。現在、社会を覆っているコロナ禍と関係があるのではないだろうか。

昨年夏、実は羽生元七冠の講演を聞いたことがある。證券会社主催の講演会だったのだが、その当時、あちこちに講演会や行事の行脚をしていたように思う。1日に二本とか。それでは将棋の研究ができないのではないかと心配していた。

確かに将棋棋士というのは個人営業の事業主なので、対局よりも時間当たり収益の高い講演の方が、効率的ビジネスではあるのだし、負け続けていながらバラエティで収益を得ていた巨漢棋士もいた。

ところが、昨今、講演会はどこにいったのだろう。

とうとう研究用の時間が回ってきたということなのではないだろうか。

いまさら強くなっても困ると思っている棋士たちも多いのではないだろうか。


さて、4月25日出題作の解答。

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銀が裏側で半回転する。手筋の連発物。いわゆる空中詰め。

動く将棋盤は、こちら。(flash版)

Gif版。
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今週の問題。

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詰手数は一桁。2枚の駒が減る。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。

モネ・ゲーム(2012年 映画)

2020-05-08 00:00:06 | 映画・演劇・Video
絵画を略奪する犯罪映画であるが、略奪に成功したものの銃撃戦で絵画に穴があいてしまったとか、人質が邪魔になって海に捨ててしまうとか、そういう荒っぽいことは起きない。せいぜい、ライオンと素手で戦う話ぐらいだ。喜劇だ。

基本的に、金持ちの英国人貴族が集めていたモネの『積み藁・夕暮れ』の姉妹作『積み藁・夜明け』を模造して高額で売ろうとする計画があった。この話の真実性を増すために利用したのが、第二次大戦中にナチスドイツが略奪した絵画の話。大戦の末期にドイツ軍から奪還した『夜明け』を当時の米兵が持ち去り、そのテキサスに住む孫娘(演:キャメロン・ディアス)が自宅の壁からはずして換金したがっているというストーリーが組み立てられる。



主犯はこの金持ちのお抱え絵画鑑定人(演:コリン・ファース)。貴族趣味の主人と気が合わず、一芝居打って大金をだまし取るつもりなのだが、計画は次々に予定外の方向に進む。計画の最終段階で、絵画を『本物!』と認定するはずだったのだが、その前にクビになる。

ところが、後任の鑑定人も金儲けのことしか頭になく、鑑定力はゼロだ。そして犯罪は見事に成功するはずだったのだが、二転三転のひねりが入る。

ところで、サイドインフォメーションだが、ナチスの「絵画狩り」で集められた美術品や絵画は60万点といわれ、10万点が今でも行方不明だ。時々現れる。略奪に関係した人物や、闇の画商が亡くなったりして、自宅から発見されたりする。

モネの積み藁だがシリーズになっていて、25~35作程度描かれたそうだ。『夕暮れ』はボストン美術館にあるが、『夜明け』は個人蔵になっている。映画の中では絵画の価格は8千万ドル(86億円)となっていて法外に高いなと思われるが、実際に昨年(2019年)6月に、シリーズの中では特に鮮やかな色彩の作品がオークションで122億円で個人が落札したそうだ。

神の子どもたちはみな踊る(村上春樹著)

2020-05-07 00:00:00 | 書評
1999年から2000年に書かれた六篇の短編をまとめた一冊である。六篇とも阪神淡路大震災の後、直接被害にあわなかった人たちの内面に発生した「廃墟」とか「再生」といった心模様をハルキ流の現実と非現実をおりまぜたスタイルで組み立てている。



実は6篇のうち、最初の三篇を読んだ頃は、六篇のすべてが有機的につながっていて読み終わる頃には、それぞれに含まれる小さな謎が解けているのだろうと感じたのだが、私の想像力不足からかもしれないが、有機的とか直接的とかいう感じでは繋がっていない。

とはいえ、「かえるくん」というのが、二篇に登場するとか、ある短編に登場する女性主人公にとって「地震で死んでいればいい」と憎まれる男性が、実は別の短編の中に登場している人物ではないか、とか感じないでもないが、証拠不足だ。

第一話の『UFOが釧路に降りる』では、主人公の男性の妻が大地震の状況をテレビで5日続けて見続けた後、山形県の実家に帰って、二度と会わないと言い出す。夫はどうしていいかわからず会社に行かなくなり、心配した同僚から、釧路にいる妹に渡す荷物(軽い箱)を預かる。そして、釧路空港にいくと、初対面同士で打ち合わせていた手順を間違えたのに、ことはスムーズに進み同僚の妹の知り合いの女性が現れて、そのままラブホテルに行ってしまうわけだ。そして、「まだはじまったばかりなのよ。」と宣告される。箱の中身も不明のままだ。ところが題名のUFOなのだが、主人公の男性の同僚の妹の知人が聞いた話が、その知人の妻がUFOに乗って行ってしまったということで、主人公との遠い関係性も不明なままになる。

『アイロンのある風景』は、逆に神戸から家族に告げずに逃げ出した芸術家の男が主人公。茨城の海岸で流木を集め、夜に一人で焚火をするのが趣味。冷蔵庫に閉じ込められて死ぬ夢をよく見るので、家に冷蔵庫をおいていないわけだ。

『神の子どもたちはみな踊る』は、新興宗教にはまった母親を扱いきれない息子が主人公。母親からは、自分の父親は、神様か耳の一部がちぎれた男かのどちらかと言われていたのだが、ついに千代田線の中で耳のちぎれた男を発見し、尾行を開始する。東京都のはずれの駅からタクシーに乗り、人気のない場所で路地に入って行く。村上春樹のお得意の舞台装置だ。そしてたどりついたのは野球場。主人公は、こどもの頃から野球は下手だし、ガールフレンドから「かえるくん」とあざ笑われていたことを思い出す。

『タイランド』。この六篇がなんらかの関係性を保つとするなら、この四篇目はターニングポイントになっている。大学病院の女性ドクターが主人公。バンコクでの学会に出席した後、タイ国で不思議なスピリチュアルな体験をする。

『かえるくん、東京を救う』。実は、この短編集を読んいる途中で、拙庭にアマガエルを見つけた。あまりにかわいいので写真を写したり追いかけたりしたのだが、後で写真を見ると、何かにおびえているような目をしていた。2~3センチぐらいなのだから人間の60分の1サイズ。人間がアマガエルの大きさだったら、相手は100メートル以上の生物になる計算だ。いやな夢をみそうだと思っていたのだが、本篇も最後は夢の中に向かっていく。

ある日、主人公が家に帰ると、2mもある「かえるくん」が待っていて、「もうすぐ新宿を震源地とする巨大地震があって多くの死者がでるので、一緒に地底のみみずくんと戦おう、と言われる。みみずくんと戦うのは主人公の会社のビルの地下ということで、主人公には、かえるくんが戦う気力を失わないように、声援を送るだけでいい、ということになる。

ところが、戦いの当日、戦場にむかう主人公は、いきなり狙撃されて病院に担ぎ込まれ、意識不明のまま長い夢を見続けることになる。その夢の中でかえるくんはギリギリの戦いでみみずくんを倒し、地震にはいたらなかった。病院に入院中の主人公の前にかえるくんは現れ、戦いの結果を報告し、そのままバラバラに解けていってしまう。

『蜂蜜パイ』。主人公は小説家。おおむね村上春樹氏自身を小説用に微修正したモデルである。大学の時に、いつも同級生である男性と女性と三人でつるんでいた。良くある話だが、気の弱い主人公は女性に専属交際を申し込まないうちに、相方が先に手を出してしまい、結局二人は結婚し、主人公は長く独身を続ける。ただ、友人という線で繋がっていて、二人間の娘には、小説家らしく即興で話を聞かせている。それで、よくある話だが、先に結婚した男女は離婚することになり、主人公がそのあとがまになるわけだ。

しかし、この奇妙な三角関係だが、驚異的なベストセラーとなった『ノルウェーの森』の構造と似ているわけだ。大きく異なるのは、三角関係のうち、友人のキズキも女性の直子も死んでしまい、主人公のワタナベだけが生き残る。本作は、ほぼ真逆構造で、友人は別の女性の元に走り、女性は強く生きることになる。ある意味、ノルウェーの森に決着をつけたのかもしれない。

ちょっと、あらすじを多く書きすぎたかもしれない。

アマガエルの出現

2020-05-06 00:00:02 | 市民A
実は、村上春樹の「神の子どもたちはみな踊る」という小説を読んでいる。本気で読めば2時間25分ほどで読み終わる分量なのだが、自宅謹慎中だというのに連続した時間がとりにくく、一見別々だが実は強く関連している6つの短編を一つずつ読んでいる(あまり時間をかけるとごちゃごちゃになる)。5つ目が「かえるくん、東京を救う」という題であることは確認している。(既に読んだ小説なのに一向に既読感がないのも変だが)



それで、庭の整備をやっていると、芝生の上に小さな緑のゴミのような固形物があった。芝の緑とは少し違って、濡れているように見え、目を近づけると信じられない生き物がいた。超ミニサイズのカエルだ。目が付いている。足がないと思ったら、この2~3センチの物体が7センチくらいの全長になって飛び跳ねた。一眼カメラを取りに戻る暇はなさそうなのでスマホで撮影。レンズが汚れていたのを抗菌ジェルで拭いたばかりだった。

さすがに、飛び跳ねる瞬間は写せない。人間だったら、ジャンプする前には「せ~の」と予備動作が必要だが、カエルはいきなり跳ぶ。十回くらいぴょんぴょんして臨家に行ってしまった。



あとで画像を調べると、どうも「アマガエル」のようだ。外来動物ではないのだが、池や水田や河川に住むとなっているのだが、近くに池も水田も河川もない。

こんな小さな体で、一体どこから来てどこへ行くのだろう。そういえば、近くに人は住んでいるのだが、庭仕事が大嫌いな人がいて庭が荒野化している宅があるのだが、庭に池でも自然生成されたのだろうか。鳥と蛇が天敵なのだが、鳥も蛇もいるわけだ。心配でならない。

そして、村上春樹の小説との関係も気がかりだ。東京をコロナ禍から救うために、やってきた使徒かも知れないのだが、ここは横浜だ。最初の1ページだけ見ると、「かえる君」の身長は2メートルだそうだ。現実と小説が合作された夢が楽しめそうだ。

ウイルスに弱い国の話や悪夢について

2020-05-05 00:00:07 | 市民A
少し前のナショナルジオグラフィックの記事に、コロナウイルスの話がいくつか書かれていた。

まず、アメリカの死者の数だが、過去の戦争と較べている。

まず、戦死者の人数だが、上位5戦争は
1位 南北戦争(1861-1865) 498,332人
2位 第二次世界大戦(1941-1945) 291,557人
3位 ベトナム戦争(1964-1975) 58,220人
4位 第一次世界大戦(1917-1918) 53,402人
5位 朝鮮戦争(1950-1953) 36,574人

一方、コロナの犠牲者だが、ナショジオ誌は少し前なので、現在(5月3日)でカウントすると66,274人。すでにベトナム戦争を超えている。

しかし、調べていると1918年のスペインかぜの流行時には、米国では675,000人が亡くなったそうだ。


そして、別の記事では、コロナウイルス・パンデミック・ドリームという現象を解説している。ようするに夢を見ることが多くなり、悪夢をみることも増えているという研究だそうだ。まず、欧米には「夢を研究する学者」がたくさんいるそうだ。(そういえば、フロイトやユンクもそうだ)

彼らの研究だと、夢をみる回数や悪夢を見る回数が15~35%増えているそうだ。原因は、ステイホームによって、日常の刺激が減ってきて、夢の中で過去の経験が呼び返されているということだそうだ。さらに、怖い現象がたくさん起きると悪夢をみることが増えるそうだ。(もっとも、研究しなくても、嫌なことがあると嫌な夢を見るというのは、誰でもそう思っているだろう)


実は、最近、悪夢をみた。

ゴルフの練習場に歩いて行こうとパターを一本持って歩いていると、街の中心の広場を通る時に警察官が近づいてきた。

「オイ、コラ!どこにいく。不急不要だろ!」

少し、やくざっぽい感じがしたので、
「ニセ警官だろ、手帳を見せろ」と反撃したところ、逆上され、ピストルが乱射され、あわてて近くの店に逃げ込むと、パチンコ屋だった。中で、経営者が演説していた。

「みなさん、もうパチンコ屋は降伏です。全員でこれから投降します。」ということで外には例の警官がいるわけで、一人で店内を逃げ回るわけだ。


ところで、夢にはおおむね3種類ある。
A:「楽しい夢」
B:「奇妙な夢」
C:「怖い夢(いわゆる悪夢)」

『夢のような(dreamy)』ということばは、「楽しい夢」を指すに違いないのだが、この3種の夢の比率はどうなのだろう。

実は、私の場合、A:B:Cは、0%:50%:50%なのだが、平均的なのだろうか?

コロナが変える日常

2020-05-04 00:00:55 | あじ
近くのケーキ店で買ったケーキだが、あまり見慣れないスタイルだ。柑橘類を切り分けてラズベリーをトッピングしてシロップをかけたように思える。なんらかの理由で作られた新製品。おそらく開店している時間を短縮して作れるケーキを考えたのだろう。



同様に蕎麦店でお昼にお弁当を売り出したり、もう大混乱だが、おそらく気概のある店主たちは、この休眠期間に、体ではなく頭を使って、新しい商品、新しいアイディア、新しいビジネスモデルを開発して実験しているのだろう。社会回復後は突然変異みたいなことが起きるのだろう。

ところで、コロナ問題だが、預言者のような疫学専門家がテレビで活躍し、ことごとく予言のようなことが起こるわけだ。もっとも、特に難しい話ではなく、平均的な知能の人間なら次に起こることなど、予想はたやすいだろう。それなのに、対策がなぜか後追いになるし、「マスクとPCR検査」については、最初から今までずっと同じことが言われ続けている。そして10万円のこと。

順にいうと、当初はクラスター対策でなんとかしのいで、軽症陽性者も入院していて、病院が一杯になりそうなので、PCR検査を抑えていた(プランA)。この段階で問題がある。病院が一杯になるから検査をしないというのは、まさに部分的解決法であって、本来は病床確保という方向に行かないといけない。具体的には軽症者はホテル使用というプランBである。感染を防ぐというのは戦争で言えば防御だが、治療というのは攻撃にあたる。プランAの時にプランBを計画しなければいけない。現在、プランBの段階で、次に考えておくべきプランCは、コロナ専用病院とホテルで足りなくなった場合の臨時隔離所の確保だろう。埼玉県はプランBが間に合わなかった。

次に、マスク問題だが、入手は難しく、一時はドラッグストアに開店2時間前に並ぶと週一回ぐらい手に入ることがあったのだが、列が密ということで、店側が朝には店頭に出さない方針に変わったため、逆に時間に余裕のある高齢者が、ドラッグストアやスーパーを歩き回ってさがしているそうで、これがスーパーの密の一因になっている。そもそもアベノマスクの代金なんかをケチる人はいないのだから、恩賜のマスクみたいな配り方をしないで、マスク購入券を配れば済んだ話だ。その券があれば優先的に不織布マスク50枚セットを千円で購入できるということにし、引き渡し店名を決めておけばよかった。

PCR検査遅れも罪は重い。どうも各医師会は、簡易検査所を設置したがっていて、県や保健所が自分の傘下でやりたいというミニ対立構造があるらしい。結果、各地で次々に検査所ができるだろうが、政府発表の記録には反映されないことになりそうだ。

高校や大学の頃からの知人や、20代の頃に知り合った中で国家公務員がかなりいるのだが、年を重ねてから会って話をすると、「あんなに優秀な人が、どうして・・」ということが少なくない。あまり頭脳を限界まで使ったことがないのかな、というのが私なりの推測なのだが、基本的に前例主義から離れた考え方をする人間を忌み嫌っている結果、大脳の使い方に自らリミットをつけてきた結果なのだろう。40歳定年位にして入れ替えていかないと駄目な感じがある。

そして10万円だが、あまり賛成できない。それなら困った人だけに30万円というのも賛成できない。経済再生のための起爆剤というアイディアにも賛成できない。そもそも収束したら、旅行ブームになるに決まっている。

考えてみれば、いわゆる不況と異なって、様々な要因が積み上がって起こるわけではない。原因は一種類のウイルス。これがなくなれば、元に戻るわけだ。問題は、その間のつなぎ資金だ。おそらく、国で持つには無理そうな金額なのだろう。結果としては国債を発行して日銀が購入して、その分、札束を刷るということになる。不健全だが、本当は国債の価値を上げるという方法がある。そもそも国債の価格の裏打ちは、一つには日本国の成長率とそれによる利回りである。さらに担保するのは日本国の価値。価値の一種は利回りであるが、国の所有する国有地の価値はおそらく低単価になっているのだが、国有地の価値を高めるような仕掛けをつくればいい。

もう一つ、国債ではなく、直接日本国が資金に穴があく個人や会社に金を貸すという方法がある。そして、長く貸したままにすればいい。返却は十数年後から所得に合わせた金額を天引きすればいい。もし、低所得になって払えなければ、亡くなった時に遺産から集めればいいし、それでも足りなければ焦げ付きということにすればいい。大部分は返済できるはずだ。

杉沢の沢スギ(平地に残る最後の伏条更新)

2020-05-03 00:00:33 | たび
黒部川扇状地の末端部、海岸ともいえる地域にスギを優占種とした植物群落があった。そこは「杉沢」と呼ばれ、そこに生育しているスギのことを「沢スギ」と呼んでいた。

ところが、昭和29年頃には130haもあった杉沢は、水田整備事業により、次々に無慈悲に伐採され、現在、最後に残された面積は2.67haにまで減少してしまった。残存率は2%。

現在は、日本国の天然記念物に指定されている。また全国名水百選にも選ばれているが、「時すでに遅き」の感がある。戦後日本の政治を象徴している。ダメになってから考える。今もそうだ。政治家が悪いのではなく、国民が悪いのだ。民主主義を知らないわけだ。

さて、ここに来るまでは、杉の木はまっすぐ空に向かって伸びていくものと思っていた。小学校の校庭には、よく一本杉が植えられ、小学校の卒業式では校長が「卒業してからも、この杉のように真っすぐ信念をもって生きてください」と児童に嘘くさく呼びかけ、児童の方も十年後に台風で杉の木が根元から折れたりすると、「心も折れるようです」と普段は思いもしない感想を発信したりする。



ところが、ここ杉沢の沢スギは、そういう困難な状況になってからが本領を発揮するわけだ。

その前に豪雪地帯の海岸になぜ杉林をはじめとして多様な植物群生が生成されたのか。

一つは、黒部川の扇状地ということで、上流の山地から山地性の植物の種が流れてきたことと、湧き水が豊富である一方、土地が小石ということで栄養が乏しく、ぐんぐんと成長はしないということ。そのため、根が地面を固定する力が弱く、風や大雪の時に木が倒れたり、折れたり、曲がったりするそうだ。



そして折れた(あるいは伐採した)樹木の切り株から発芽して、横に伸びた枝が接地した後、そこに根を張ったりして、結果として幹が合体したり組み合わせになったり、見たこともないような光景が見られるわけだ。これが伏条更新と呼ばれる現象だそうだ。



奇抜な樹木の檻の中にいると、豊富に湧き出す水から発生するマイナスイオンに包まれ、ここもパワースポットであることを感じる。ステイ・ホームの時代にパワーが溢れても困るのだが。


さて、日本海側の海岸も、すでにかなり歩いていて、残るは、青森あたり、京都から兵庫あたり、石見銀山のあたりと、それなりに楽しみが残っていそうなところまで絞られてきた。もちろん、今は困難を極める時期なので、家の手入れとかするしかないのだが、ホームセンターにも人が溢れている。

将棋教室休止により、HP用の問題作成

2020-05-02 00:00:22 | しょうぎ
コロナによる各種自粛の影響もあり、二ヶ所で請け負っていた将棋教室が休止。夜露をすすっているのだが、うち一か所からは、再開までの期間、自宅でできる将棋の勉強としてHPに問題を掲載してほしいということで、三クラス分(あゆみコース、かがやきコース、竜王コース)の次の一手と詰将棋の問題と解答の作成を依頼され、ソフトを各種使って画像データとして提供。一応、試作品の段階まで進んだ。

先方のHP作成者から、「詰将棋のgif画像をWordPressで貼り付けると動かなくなってしまう」という相談を受け、時間をとってしまう。電話で、使ったことのないソフトの質問に答えるという特技で対応。検索で「WordPress gif」と打ち込むと、その問題が図解されたページを発見。どうも多くの人が直面する問題の様だ。前から知っていたような言い方で説明する。HP作成者の方も週一回だけ出勤ということで、惜しくも完成に間に合わなかった。

オンライン講義も考えたが、具体的イメージが沸かなかった。大盤の横に立って駒を動かしながら、もっともらしい話をすればいいのかな。コロナ解説者みたいになる。まあ、コロナとの戦いも、将棋と似ているところもあって、感染を抑えるというのが守備で、治療とかワクチンを作るというのが攻撃ということで、守るべき時に攻めたりすると大敗北になる。


さて、4月18日出題作の解答。





意外に難しかったのかもしれない。初手の香打(不正解)で詰まないように逃げるのが難しい。効きのないところに打つ捨駒風の銀が後半で復活する。中合いの飛車はよくある手だが色々と読まないといけないので面倒臭い。作って速攻で出題したのだが、もう少し手を加えてみようかなとか思ってみる。

動く将棋盤は、こちら。(flash版)

gif版。



今週の問題。



密集、密着、密閉の三密問題。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ、正誤判定します。

当初の図には変同がありましたので、玉方に1一歩を追加しました。