杉沢の沢スギ(平地に残る最後の伏条更新)

2020-05-03 00:00:33 | たび
黒部川扇状地の末端部、海岸ともいえる地域にスギを優占種とした植物群落があった。そこは「杉沢」と呼ばれ、そこに生育しているスギのことを「沢スギ」と呼んでいた。

ところが、昭和29年頃には130haもあった杉沢は、水田整備事業により、次々に無慈悲に伐採され、現在、最後に残された面積は2.67haにまで減少してしまった。残存率は2%。

現在は、日本国の天然記念物に指定されている。また全国名水百選にも選ばれているが、「時すでに遅き」の感がある。戦後日本の政治を象徴している。ダメになってから考える。今もそうだ。政治家が悪いのではなく、国民が悪いのだ。民主主義を知らないわけだ。

さて、ここに来るまでは、杉の木はまっすぐ空に向かって伸びていくものと思っていた。小学校の校庭には、よく一本杉が植えられ、小学校の卒業式では校長が「卒業してからも、この杉のように真っすぐ信念をもって生きてください」と児童に嘘くさく呼びかけ、児童の方も十年後に台風で杉の木が根元から折れたりすると、「心も折れるようです」と普段は思いもしない感想を発信したりする。



ところが、ここ杉沢の沢スギは、そういう困難な状況になってからが本領を発揮するわけだ。

その前に豪雪地帯の海岸になぜ杉林をはじめとして多様な植物群生が生成されたのか。

一つは、黒部川の扇状地ということで、上流の山地から山地性の植物の種が流れてきたことと、湧き水が豊富である一方、土地が小石ということで栄養が乏しく、ぐんぐんと成長はしないということ。そのため、根が地面を固定する力が弱く、風や大雪の時に木が倒れたり、折れたり、曲がったりするそうだ。



そして折れた(あるいは伐採した)樹木の切り株から発芽して、横に伸びた枝が接地した後、そこに根を張ったりして、結果として幹が合体したり組み合わせになったり、見たこともないような光景が見られるわけだ。これが伏条更新と呼ばれる現象だそうだ。



奇抜な樹木の檻の中にいると、豊富に湧き出す水から発生するマイナスイオンに包まれ、ここもパワースポットであることを感じる。ステイ・ホームの時代にパワーが溢れても困るのだが。


さて、日本海側の海岸も、すでにかなり歩いていて、残るは、青森あたり、京都から兵庫あたり、石見銀山のあたりと、それなりに楽しみが残っていそうなところまで絞られてきた。もちろん、今は困難を極める時期なので、家の手入れとかするしかないのだが、ホームセンターにも人が溢れている。