チェバの定理とは

2020-05-27 00:00:52 | 市民A
今、読んでいるのが永田和宏氏の『あなたと出会って、それから・・・・・・』の途中稿である。永田和宏氏は、歌人であり、また細胞生物学者でもある。また亡くなった歌人である河野裕子氏の夫でもある。連載の第五回目は、京都の嵯峨野高校から京都大学に合格した頃の話だ。大学の部活探しに苦労してアメフト、合気道、バスケと転々とし、たどり着いたのが「京大短歌会」。

ところが、当時は前衛短歌全盛時代で、塚本邦雄や寺山修司をもって神とされていた。万葉集の世界から這い出してきたような若者は、心を傷つけられていたそうだ。

もっとも塚本邦雄も寺山修司もずいぶん読んだことはあったが、この二人、あまり共通点はないように感じる。

少し話を戻すが、京都大学の受験は昭和41年(1966年)のこと。英数国の他、理科2科目、社会2科目の計7科目、3日間にわたる試験だったそうだ。

その数学の試験で出題された問題で、永田氏が手も足も出なかったのが『チェバの定理』だったそうだ。

実は、私も数学は得意分野だったのだが、高校の途中で熱意を失ってしまい、受験科目からもはずしてしまったのだが、実際には各種の幾何学の定理などは高校入学時にはほとんど知っていたのだが、この定理の名前は記憶にないわけだ。



ということで、ネットで調べると『7分でわかるチェバの定理』というようなのがYouTubeで見ることができる。1分見て思い出した。美しい定理のわけだ。比較的簡単に証明できる。三角形の面積計算を応用するはず。(すごろく一周で1と覚えるらしい)

ところでチェバ氏だが、本名はジョバンニ・チェバ。ミラノ生まれで、ピサ大学の教授として1678年に定理を公開したそうだ。実は、この約100年前にピサ大学の教授だったのが、ガリレオ・ガリレイ。地球が太陽の周りを回っていると主張し、酷い目にあった。美しい幾何学の定理を研究したのは、痛い目に合わないためだったのだろうか。



ついでに有名な三角形の公式が『ヘロンの公式』これは11分でわかるそうだが、『チェバの定理』より十倍くらい難しい。驚くべきは、このヘロン氏のいた時代だが、紀元前2世紀から紀元3世紀まで500年ほどの範囲のいつか、とされている。ギリシア人だがローマ時代なので地位は低くアレクサンドリアで技師として働いていた。こんな難解な公式を証明するとは、たいしたものだ。

ところで、前の方に戻って、数学に飽きてしまった話だが、高校の時に良い教師に恵まれなかったと他人のせいにしておく。かすかな記憶をたどると、数学オリンピックというのがあり、世界大会を行っていたのを知っていて調べたところ、日本は参加していなかったということがわかってがっかりしたように覚えている。今、調べてみたところ、1959年から毎年行われる国際大会に日本が参加したのは1990年からとのこと。60年の歴史の半分は参加していなかった。高校の数学教師は、噂では京都大学をレッド・パージで追われた人物と言われていたのだが、奇遇だが永田和宏氏は京都大学の教授だった。

調べ始めると、色々なことが見つかるもので、数学オリンピックの日本人メダリストたちのその後の進路だが、色々とおどろくようなことがある。人生いろいろ。数学よりも難しい。