海辺のリア(2017年 映画)

2020-05-20 00:00:27 | 映画・演劇・Video
仲代達矢主演のおそらく最後の映画になるだろうと思われた彼自身をリア王に重ね合わせた作品。実際には、その後にも時代劇で主役を張られている。2020年現在87歳。不死身である。

演じるのは、往年の名優で俳優養成所も持つ桑畑兆吉。老人の域に達し、ついにセリフを覚えることができず引退。認知症が進むと、遺産狙いの長女(演:原田美枝子)により老人施設に押し込まれるが、脱出に成功。近くの海岸を彷徨しているところを通りかかった孫のような(30歳前後)伸子(黒木華)に見つけられる。実は伸子は桑畑長吉の婚外子で、かつて長吉から家を追い出されたことがあった。


このあと、この海岸を中心に、長女の夫(阿部寛)と謎の運転手(小林薫)が登場するが、キャストはこの五人だけ。エコノミークラスだ。阿部寛は、いつになく大熱演するのだが脇役だ。小林薫は原田美枝子の愛人という設定だが、ほとんど劇を演じない。脚本通りだったら彼のせいではないが、撮影よりも深夜にさがしまわるレストランの方に気を取られているように見える。

実は、この映画、あまり評判が良くなかった。もっとも、老俳優の実生活と、シェークスピア劇のリア王のプロットと、さらに認知症の患者というテーマを組み合わせたのはどうだっただろうか。リア王が彷徨ったのは、荒野であり、認知症ではなかった。とにかく認知症というテーマは観客の側からすると重すぎるわけだ。映画はリアルな現実ではないが認知症は現実であり、もしかしたら自分の未来かもしれない。必死に認知症を演じれば演じるほど観客の気持ちが暗くなるところもある。もちろん、リア王はシェークスピアの代表的悲劇で、わたしも好きなのだが、もちろんリアルではない(近くの半島には同じような王様がいるが)。

そして、リア王にしろ、マクベスにしても、まったくの悲劇なのだが、最後にほんの一粒の砂のようなやすらぎをシェークスピアは我々に与える。例えば、主役は死ぬが名誉は回復されたとか・・。(ロメオとジュリエットには救いはない。本当の悲劇なのだが、四大悲劇からは、なぜかはずれている。)




ところが、この映画、安らぎが与えられることがないような雰囲気で流れていく。二人の主役(仲代と黒木)は救いようのない悲劇に向かって歩き出してしまう。

そして、映画のフィナーレに本映画の最大のシーンが待っていたわけだ。

個人的には、そのシーンを冒頭にみせてくれた方が、心安らかな気持ちでいられたのにと、意気地なく思ってしまう。


ところで、この映画、ほぼすべての屋外ロケが能登半島で行われている。

羽咋(はくい)という読みにくい市の海岸にはUFOが来るとも言われるし、老人ホームには元国民宿舎が使われている。3月の上旬に能登半島に行っていたのだが、この映画を観た後だったら、海岸に足を伸ばしたかもしれない。

が、記憶の深層に美しい海岸風景を残してしまうと、自分が認知症になったときに、無意識に金沢行きの新幹線に乗ってしまうかもしれないから、やはり行かなかっただろうと推測する。