先日、大倉山にある師岡貝塚について、30メートル以上高さに突き出した丘の上に貝塚があるので、大変不思議ということを書いたのだが、都筑区の都筑中央公園の中にも縄文前期の貝塚があるということで、行ってみるとこちらも丘の上に貝塚跡があった。境田貝塚だ。地面は埋め戻しになっていて、60センチ以上掘ることも禁止だそうだ。地表を色々とさがしたが、貝殻の1枚も見つからないし、石器とかトナカイのツノも見られない。
そしてこの貝塚も高いところにあり、やはり30メートル位の高さを感じる。これについては違和感があるのだが、解説ボードを読むと、5000~6000年前の時代には縄文海進という現象があって、今より気候が温かく南極の氷が海に溶けていて海面が高くなり横浜もかなり奥までが海であった、ということだそうだ。(となると先日の師岡貝塚は、やはり島のようになっていたのかな)
考古学のおさらいなのだが、古い方から時代を並べると、石器時代→縄文時代→弥生時代→古墳時代となる。このうち弥生時代以降は住民は家に住んでいて、その痕跡は見られるのだが、縄文時代人は、どこに住んでいたのかは謎のままだ。
海外での研究では最初の石器時代人は動物の皮でできたテントに住んでいたとされるのだが、縄文時代人の住居は、まったくわかっていない。
そしてこの貝塚も高いところにあり、やはり30メートル位の高さを感じる。これについては違和感があるのだが、解説ボードを読むと、5000~6000年前の時代には縄文海進という現象があって、今より気候が温かく南極の氷が海に溶けていて海面が高くなり横浜もかなり奥までが海であった、ということだそうだ。(となると先日の師岡貝塚は、やはり島のようになっていたのかな)
考古学のおさらいなのだが、古い方から時代を並べると、石器時代→縄文時代→弥生時代→古墳時代となる。このうち弥生時代以降は住民は家に住んでいて、その痕跡は見られるのだが、縄文時代人は、どこに住んでいたのかは謎のままだ。
海外での研究では最初の石器時代人は動物の皮でできたテントに住んでいたとされるのだが、縄文時代人の住居は、まったくわかっていない。