居酒屋兆治(リアル居酒屋編)の「ごっこ汁」

2014-03-17 00:00:45 | あじ
函館の居酒屋を舞台とした映画『居酒屋兆治』は1983年に高倉健、故大原麗子出演により公開。そして同年、同じ函館に誕生した『居酒屋兆治』に今回、出演。いや、出演じゃなく入店。東京と倉敷の間で東奔西走していたのに、さらに北飛が加わる。「あとは、南落ですね、」と少し前にコメントをいただいた方がいたが、私の代わりに一機が行方不明に・・・

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で、雪の降った後の3月の函館は、結構、路面がぬかるむ。つるつる滑りながら、居酒屋にたどり着き、カウンターで予算を気にせずに飲んだり食ったりして、最後の締めに選んだのは、

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「ごっこ汁」。

「ごっこじる?」えっ?・・何度も聞き直してしまう。「じる」というのは「汁」のことだろうから「ごっこ」を汁にして食べることなのだろうが、「ごっこ」ってなんだろうか。「鬼ごっこ」とか「お医者さんごっこ」とか、そういう何かの真似(あるいはニセモノ)をする行為をさす言葉のような気がする。鮭とかカニとかだろうか。

よくわからないので「ごっこ汁」登場前に、兆治役を演じる店長に聞いてしまう。

ごっこ、とは魚の種類だそうだ。フグやアンコウのようにぬめぬめとした軟体系で吸盤が付いていて、冬の道南の特産で、汁にするのが一般的だそうだ。

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そして素朴な一品が登場。まったくの珍味で旨い。白身はふわふわである。柔らかいアンコウの食感。ゼラチン質。なにしろ、メニューにのっていないメニューである。締めに食べるのではなく、飲み食いの中盤戦で食したかった。なんとなく再訪の予感を感じてしまう。(他人事みたいな書き方になってしまう)

店名も、『居酒屋兆治ごっこ』にした方がいいのではないかと、一瞬思った。

メイド・イン・ジャパン南部鉄器

2014-03-16 00:00:42 | 美術館・博物館・工芸品
汐留にあるパナソニック汐留ミュージアムで開催中の「メイド・イン・ジャパン南部鉄器」展(~3月23日)へ。

南部鉄というのは岩手県の名産の鉄器である。もっとも南部藩は岩手だけではなく青森県の東側も領有していたのだが、何しろ寒い所で農地は凍えていて、収穫不安定のため藩の安定的財政基盤が弱かった。(もっとも江戸屋敷はいいところにあるのだが、将軍の覚えのいい藩だったようだ)

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そこで、考え出したのが地元で大量に採取できる砂鉄をつかった製鉄業とその加工品。しかし、時代はすでに江戸時代なので、鉄砲や大砲を作り始めるわけにはいかない。すぐにお庭番や奥州検分にいった松尾芭蕉のようなスパイに察知され、切腹&お取りつぶしになる。

そして、考え出したのが鉄器である。まあ、西日本では陶器の時代になり、ドル箱輸出品になっていたのだが、しかたがない。やかんや鉄瓶、鍋などを作り始めた。そして藩が力を入れるだけ、高級品を作り始めたわけだ。それらの製品は、鉄なのに目立った錆びもなく現代に残っている(手入れは行われているとは思うが)。

そして、明治以降に残っていた多くの作品は、太平洋戦争の時に、金属供出ということになり、戦艦大和の原料になっていったわけだ。

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そして、現代によみがえった南部鉄器は、その色や形状で、あらたなアート性の入ったモダン食器の一員に加わったようだ。おそらく、成型がしやすいのだろうと推測。

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昨年には、東北復興事業に携わった綾瀬はるかさんも、一丁仕上げたようで、控えめにその作品を展示している(オークションはないから。念のため。)。

そういえば、遠い記憶に、おおた家には南部鉄の赤茶けたすき焼きなべと灰皿があったように思うのだが、どこかに行ってしまったようだ。戦艦の原料になったのだろうか。

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かわりに、私の愛用の文鎮が、たぶん南部物だと思う。アート性は低いだろうか。

勉強嫌いの読み解く順位戦降格者

2014-03-15 00:00:36 | しょうぎ
将棋順位戦は、今週で全対局が終了し、上のクラスへ卒業と、下のクラスへの卒業とが決まったのだが、むしろ下のクラスへ卒業する棋士の方が考えさせられるようだ。まず加藤一二三九段。C1からC2へ。元名人がそこまで指すかとも思うが、カソリックだからだろうか。ローマ法王も引退する時代だが。C2卒業をもって強制引退となるのだろうが、上がるときは1年でも終わるときには5年位かかるのだろうか。昨年C2入りした内藤九段と椅子を争うような展開は見たくないような気がする。

で、注目は念願のA級に分かれを告げることになった屋敷九段とA級に戻るべきところ、逆行することとなった鈴木大介八段。どちらも細かな現代定跡なんか関係ないような力将棋で、今の地位を築いていたのに、最近は定跡研究に励んでいた結果、不調にあえぐことになった。

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たまたま、将棋世界3月号に鈴木大介八段がギタリストの鈴木大介氏と対談しているページがあった。(つまらない企画のような気もする。)その中で、将棋の勉強について妙なことをしゃべっている。「いまは、20代の頃の倍は勉強している」「プロならみんな思うことですが、いちばん怖いのは(研究に)疲れて将棋に興味を失うことです」。

さらに、「練習でいい手を探しすぎて、本番でも力んでつまずくパターンもあります」「ついつい本番でも51対49くらいの優位を自分の力では勝ちにいけないのに勝ちに行って失敗する」「練習の時のクセで、うまくいっても1ミリくらいのわずかな得を追及して、結果失敗して致命傷を負うこともありました」。

なんとなく、研究をやめる口実を並べているように感じないでもない。

でギタリストの鈴木氏に意見を求めると「ギターの場合、お客さんは攻めてこないので、あるのは自滅だけです」とのこと。やはりかみ合わない話のわけだ。


さて、3月1日出題作の解答。

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まず、あらかじめ打歩詰にならないように拠点をつくるわけだ。そして、下から上に角で追いつめてゆく。で端までいってから引き返す。途中で長距離砲で撃たれることになる。構造が単純なのに手数が長すぎるのがちょっとネック。

動く将棋盤は、こちら


今週の問題。

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九段目の「と金」は何だというと、金が5枚あればいいのに一枚足りないので、代役。どこかの将棋雑誌に、金5枚の図を投稿してみようかと思わないでもないが、永久追放されそうなのでやめておく。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と手数と酷評を記していただければ、正誤判断。

大原美術館で留守番中は

2014-03-14 00:00:19 | 美術館・博物館・工芸品
倉敷の大原美術館は大富豪大原孫三郎が世界の名画を集めたところから始まったのだが、世界の超名画の数々を保有している。オークションで買うのは美術館の代理人なので実際に大原美術館に展示しているのに所在不明とされている名画もあるそうだ。

そして、美術館の入口から入った1階の最初の部屋が、その世界の名画の部屋になる。ルノアールやモネ、ピカソ・・

そして、最近は右側の一番奥に配置されているのが、ゴーギャンの『かぐわしき大地』。かなり有名な絵画である。

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だが、有名すぎる絵画の運命であるのだが、世界中から「ちょっと貸してくれないか」ということになる。ゴーギャン展の目玉になるからだ。そして、あれこれと交渉が行われて、たぶん複雑な貸し借り勘定やおカネの計算とか行われた結果、「ちょっとでかけてくるから」ということになる。

その結果、今、ニューヨークの近代美術館に出張中になっているそうだ。

で、そうなると、壁に穴があく。(穴があくというのは比喩的な意味で、実際に壁の穴を絵画で塞いでいるわけではないのだが、なぜか私の仕事場だと、本当に壁の穴をカレンダーでごまかしている。)

そのゴーギャンの代役をつとめているのが、熊谷守一の『陽の死んだ日』という、かなり雰囲気の違う絵画である。世界の名画の部屋にはちょっと違和感があるのだが、迫力は負けない。

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異能の画家である熊谷が貧困に沈んでいた47歳の時の作である。画家が絵を描かなくなれば貧しくなるに決まっているが、どうしても描けなくなり、貧しくなり、風邪を引いたこどもを医者に連れていくこともかなわなく、次男の陽が3歳にもなれずに亡くなった昭和3年2月28日。亡くなったこどもをモデルに鬼のようになって描いた作品といわれる。陽に何一つ与えられずに亡くしてしまい、我を失っていたということだそうだ。

その後も、轢死者を題材とした絵画について題材不適として展覧会から排除されるようになり、さらに長男も21歳にして失い、その後熊谷は抽象画へ進み、97歳までの超長命を果たす。

『陽の死んだ日』は、個人が所有するような絵画ではないと、ある時から大原美術館が所有しているそうだ。思えば、そう見られるわけではない有名な絵画であるのだが、一人の画家の苦悩と悲嘆、運命というような空気が澱んでいる場所であると感じるわけだ。

ガリバーのアウトレット店舗って

2014-03-13 00:00:26 | 市民A
倉敷の幹線通り添いに、しばらく工事していた店舗がある。コンビニの出店かと思っていたら、ついに正体がわかった。中古車のガリバーのアウトレット店のようだ。

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そこで、いくつか疑問を持ったのだが、

1.ガリバーは中古車買取業者じゃないのだろうか。売る方もやっているのか?

2.仮に売る方をやっていても、アウトレットとはどういうこと?中古車じゃないの。

で、色々調べると、ガリバーは高価買取という名前のもとに中古車を集めて、あまり手を入れずに、現状のまま売ることが多いそうだ。

そして、アウトレットというのは、売れ残りを捌くことらしい。

資料によれば、普通の中古車販売店が約420店、アウトレットが21店。5%がアウトレットということになる。

当面、売る気も買う気もないので、単に店舗鑑賞だけだ。

3年経って

2014-03-12 00:00:15 | 市民A
大震災から3年経つ。今、仕事上で西日本と東日本を行ったり来たりしているのだが、西日本の人は、地震や津波に対する警戒心が薄い。やはり強度の揺れを体験していないからなのだろう。瀬戸内には津波がこないと盲信している人も少なくないが、そんなことはないのだ。

東側は淡路島が天然の防波堤だが、それでも明石海峡や鳴門海峡から流れ込むだろうし、西側からは普通に津波が流れ込むだろう。岡山県あたりは両サイドからの津波の合流地になるだろうし、さらに海底が浅いので、危険だ。さらに多くは江戸時代からの埋立地。

kutsuまあ、他人の事はいいのだが、3年前、東京から横浜まで夜間40キロを歩いた時の靴だが、その年、台風の時に再び20キロほど歩いた時にもたまたま履いていた。さして高価でもなく、いつも履いている靴でもないのだが、それでも月に何回か履いているうちに、かなり消耗してきたのだが、もう少しとっておくことにしている。

何か、その靴を捨てると、自分の中で大震災が風化するような気がしているからだ。

MH370 最後の1分に何が

2014-03-11 00:00:35 | 市民A
マレーシア時間3月8日午前01時16分以降の飛行が確認されないMH370便(乗客・乗員239人)B777型機について。

最初にこの報を聞いた時の違和感だが、B777は、世界最高水準の安全レベルにあると言われていて墜落事故はサンフランシスコで機長の操縦ミス(というか新米機長のマニュアル着陸訓練中)で大破しただけといってもいい。だから、簡単には墜落しないはずだ。もちろん機長がわざと機体を裏返したりしなければの話だが。

しかも、まだ海上にははっきりとした機体の一部が見つけられてはいないし、一方、他人名義のパスポートで搭乗した犯罪組織員らしい2名の存在が浮かんでいるが、だからといって墜落とどういう関係があるかは想像しにくい。過去に主翼の先1メートル程度を破損した事故があるが、修復が完全だったかどうかだが、決め手にはなっていない。レーダー情報だと、消息不明になる直前にUターンを試みた可能性があるという情報もある。

あれこれと情報をさがしているうちに、飛行機の位置情報を自動的に表示するアプリ「Flightrader24」というのがあることを知ったのだが、それによると、現地時間の01時21分に北北東に向かっていたものが15度東に方向が変わり、その1分後に消えているというそうだ。さらにこの1分間に高度が10500mから0mになっている。ただ、このアプリは機体側のGPS情報を数十秒から1分くらいの間隔で収集して表示しているもので、レーダーで追跡した情報ではない。だから、15度東に向かった後、さらに180度までターンしたのかどうかは不明だそうだ。しかし1分以内に10500m落下したというなら、最高速度(マッハ0.8強)に近い速度で落下したと考えられる。

撃墜されたというと、こういう状態になるのだろうが、一部、北京への自爆攻撃を察したC国が・・・という説もあるが、攻撃するには根拠が乏し過ぎるし、手段が見当たらない。軍事衛星からのレーザー攻撃なのだろうか。しかし、機長からの緊急連絡もないので、ハイジャックとも考えにくい。

Uターンしたのか、落下中にたとえば翼の破損とかで向きが変わったのかもしれない。

何らかの爆発物によるテロなのかもしれない。C国に恨みを持っている人は多数いる。さらに、他人名義のパスポートの二人の口封じのためなのかもしれない。

機体の所在もはっきりしないため、ブラックボックスが回収できるかすら今のところ、よくわからない。

世界中の主力機であるため、固唾を飲んで事態の推移を見ている人は多い。

NISA枠まとめて埋める

2014-03-10 00:00:25 | 市民A
あわてて買い込むこともないのだが、NISA枠(100万)について一気に埋めてしまった。

本当は、年間を通して少しずつ埋めていけばいいのだが、年末にはそういう人が大勢買い始めると、高値買になってしまうような気がするし、消費税導入後に一旦相場が下がるという可能性もあるが、そうではないかもしれない。

しかし、5年間の間に、最初に買った銘柄を売ると二度と穴埋めできないという硬直的ルールであるから、あまり上下動する株は向かない。そもそも5年後の株価が今より高いと思われる株を探すのも簡単じゃない。優秀なワンマン社長がいて世界一を狙うような会社は5年後に社長がいないと話にならないが、他人の寿命は想像しがたい。

配当の非課税を狙うならリート専門でいけばいいが、リートは値上がり値下がりの幅が大きいという問題がある。

さらに、リスク防止のために銘柄分散したいが、最低金額(株数)が高い会社もある。最低金額が100万円以上の会社は論外だが、常識的にいえば、20~30万円を最低単位にしなければNISA に参戦しないという意思なのだろう。

ということで、約20万円程度に5分割して、業界トップをはずし、航空会社、自動車製造、ジャーナリズム、スポーツ用品、商業施設リートを選択。あと3万円のスキマが残るだけになる。

黄ニラ醤油

2014-03-09 00:00:57 | あじ
醤油といえばキッコーマンというのが東日本の常識で、千葉県の野田を拠点に広く世界に販路を拡大した巨大食品会社である。千葉県では、野田と銚子が二大生産地で、銚子には、ヤマサとヒゲタがあるのだが、ヒゲタはキッコーマンの子会社になってしまっているのだが、あまり知っている人は少ない。

ところが、西日本ではあちこちに醤油醸造所があって、どの醤油が口に合うとか合わないとか、結構話が盛り上がる。倉敷にも醤油工場がある。

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虎のマークだ。別に阪神タイガースとは関係ない感じだ。虎のマークのいわれは不明だが、この醤油会社の創業は、万延元年である。そう井伊直弼が桜田門外の変で暗殺された年である。暗殺については諸説あるのだが、おもしろい説としては、野田の醤油醸造業に対して井伊が介入して、水戸藩から供給していた大豆を井伊藩からに捻じ曲げた恨みというものがある。

kinira話をとら醤油に戻すと、この会社が製造しているスペシャリティ商品の一つに『黄ニラ醤油』というのがある。実は東日本でも大人気で、岡山に仮寓がある関係で、時々頼まれる。

その用途は、「卵かけごはん」用なのである。

黄ニラのエキスと鰹他の天然成分を混ぜたものらしい。

それなら自分で味見をすればいいのだが、基本、卵かけごはんは食べないわけだ。理由は、口の周りがベタベタするからでそれ以上ではない。

tamagoということで、ついに、その時が来る。

実際は、だいたい想像の範囲内の味である。餃子ライスみたいなものかな。いや、全然違うな。まあ、興味がある方は関東でも売っているので、はようたべなあおえまあ。

今のところ420円。もうすぐ432円になるのだろうか。

探し物に王手を二回だが

2014-03-08 00:00:50 | しょうぎ
一ヶ月ほど前に。神田神保町の古本街にある「アカシヤ書店」に行く。囲碁将棋関係を得意とする専門古書店で、将棋ペンクラブの幹事でもあるようだ。突然足を運んだのには理由がある。

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実は、かなりの詰将棋本を持っているのだが、その中で昭和50年頃に金園社という出版社から発行された有名棋士の詰将棋シリーズがある。全12冊。

その中で11冊を持っているのだが、1冊足りない。

このシリーズは、カバーが二種類あって、たとえば「大山康晴 詰将棋200題」という表紙と「大山 詰将棋200題」というのがある。

私が持っているのは、順不同に、
高柳、原田、松田、五十嵐、木村、塚田、加藤博二、二上達也、内藤国雄、有吉道夫、大山康晴の11冊。

不足しているのは、「加藤一二三」氏のものである。

この一冊については相当長い期間、気がかりになっていて時々ネット上で捜索していたのだが、どうもアカシヤ書店にありそうな感じだったわけだ。もちろん、ネット上で注文してもいいのだが、今一歩確信できないこともあり、行ってみると、

「加藤 詰将棋200題」であったが、故加藤博二氏のものだった。

その後、実はamazonに出店している古書店に、まぎれもなく加藤一二三氏のものがあり、迷わず発注。これにて、長い捜索もようやく終了と思ったのだが、1日もしないうちに、amazonから「出店者の事情で発送できなくなった」旨のメールが届く。さらに支払った現金は、現金ではなくamazonポイントで返金ということになるそうだ。ビットコインで返金ではないから、まあいいか。


2月22日出題作の解答。

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▲5一角 △5二玉 ▲6二金 △4一玉 ▲4二角成 △同玉 ▲3三馬 △3一玉 ▲2三桂 △2一玉 ▲1一馬 △3二玉 ▲3三歩成 △4一玉 ▲3一桂成 △同玉 ▲2二馬 △4一玉 ▲3二とまで19手詰


5五金は不要駒風だが、王の逃げ方によっては強力な質駒になる。

動く将棋盤は、こちら


今週の問題。

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詰将棋パラダイス12月号のヤングコーナーに登場した作。3月号で解説されていて、編集部からは酷評されていたが、その月のヤングコーナーの最高評価を受ける。皮肉なものだ。

最近、「someone …」というFCブログで、詰パラ、将棋世界、各種ブログなどで、類似作や重複投稿をビシビシと指摘している方が登場したようだ。「詰将棋捜査一課」というか「詰将棋ポリス」というか「詰ポリ」というか。「詰パラからの転載アウト!」と言われるような気もするが。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と手数を記していただければ、正誤判断。

ネオ・ダダ 新作展 2013‐2014

2014-03-07 00:00:55 | 美術館・博物館・工芸品
ダダイズムは20世紀初頭の美術(絵画・彫刻・写真等)界に湧きあがった革新運動で、既成権威の破壊と新分野の確立のためには多大な功績を果たした。が、もともと全体を統一する理論や囲い込む柵もないため、発展的に自然消滅していったと考えるべきだろう。

そして日本でもダダイズムは「芸術の中の前衛性」として何度か湧きあがり、その度にアートの世界に新展開を促してきた。ネオ・ダダというのは1960年に結成されたグループであり、1年足らずの間に消えていったのだが。その時の中心の人たちが、何十年かに一回、同窓会的に集合して、結構盛り上がり、場合によっては大顰蹙(だいひんしゅく)に至ることがあるそうだ。

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どうも、過去にそういうことがあったらしく、今回の新作展(~3月8日)の会場は、ギャラリー58という場所は銀座四丁目四番地だが、ビルの四階である。前衛のノリで、そのまま路上パフォーマンスに出かけるには向いていない。さらにエレベーターは、ない。

アーティストは、赤瀬川原平氏、篠原有司男氏、田中信太郎氏、吉野辰海氏。作品を観ていて、「確かにネオ・ダダは現代アートに引き継がれている」と確信できるが、むしろ「ネオ・ダダは現代アートそのものではないか」ということではないだろうか。

となれば、ネオ・ダダを破壊して、さらに違う地平線に向かって出発すべき運動だってあるのではないか、とも思うわけだ。

愛の生活(金井美恵子著)

2014-03-06 00:00:12 | 書評
現在67歳となる金井美恵子氏の19歳の時のデヴュー作である『愛の生活』。短編集に含まれる三作の初出は、

愛の生活:1967年8月 展望
エオンタ:1968年7月 展望
自然の子供:1968年8月 新潮(「海の果実」改題)

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いずれも、若き作家(だった)金井美恵子氏がキラキラと輝きながら日本文学界に登場するにふさわしい、新感覚の小説だ。しかも実験的で、しかも挑戦的である。

書き出しも、
愛の生活;一日のはじまりがはじまる。昨日がどこで終わったのか、わたしにははっきりとした記憶がすでにない。

エオンタ;もの凄い暑さが夜まで続いて、ベッドのマットレスの奥まで、汗がしみ込んでいそうなくらい、寝苦しい八月の夜の十二時すぎ、Aは眠れずに、体をじっとさせたままベッドに横たわっていた。

自然のこども;海岸に溺死体があるわ、海の色に染められて水を吸い込んでふくれあがった水色の死体が、たくさん、たくさん・・・・・・。少女はでたらめな節をつけて歌いながらホテルの前庭のコンクリートの白い道をスキップする。

Wikipediaによれば、現在51歳の作家、小川洋子氏は18歳の時に、『愛の生活』を読み、こういう小説が書きたいと思って小説家の道を選んだそうだ。作風はかなり異なっていると思う。

この『愛の生活』だが第三回太宰治賞の候補作(第二位)だった。応募したのは、金井氏が信奉していた石川淳氏が選考委員だったからだそうだ。その時の受賞作は一色次郎氏の『青幻記』。当時51歳。妻子を捨てた男が故郷である小島に戻り、行方不明だった母親の遺骨にめぐりあうような筋だそうだ。まったく異なる二作から選ぶという次第だったようだ。

太宰治賞は第一回は該当者なし。第二回は吉村昭氏『星への旅』という大作が受賞している。金井氏はその後、徐々に文章の難解性を求めてゆき、追随する読者を振り切ろうとしているのではないかと思いたくもなる。

そして、現在の太宰賞の選考委員だが、驚くことに小川洋子氏が務めているわけだ。何の因果だろうか。偶然か、必然か。

ところで、小川洋子氏が18歳で『愛の生活』に出会ったように私も同じぐらいの年齢で、この小説に行きあたっていた。しかも石川淳氏の作品も全集で読んでいる。


そして、今、これを書いているわけだ。

筆跡でわかる出世運??

2014-03-05 00:00:17 | 歴史
プレジデント誌3月3日号に、「筆跡でわかる『出世する男の法則』」という特集ページがある。歴史上の有名人物の特徴的な筆跡をパターン化して10タイプに分類している。詳しく書くと著作権の問題になるので荒っぽく書くので。きちんと知りたい方は書店に行って購買のこと。

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1.刃物運型(行動の切れ味がいいが、細かい違いにうるさい)
  他の線を切るように交差線が見える。 沖田総司、宮本武蔵

2.大弧型(大物型。天下を取る相)
  なめらかに大きな円弧を描く。豊臣秀吉、松下幸之助

3.頭部長突出型(リーダーシップがあるが、上と衝突する)
  上部への突き上げ部分が長い。中曽根康弘、田中角栄

4.横線左方長突出型(才子才女型。頭の回転が速い)
  左へ長く付きだした横線がある。真田幸村、坂本竜馬

5.縦線下部長突出型(平凡では満足しない。何をするにも結果を求める)
  縦の線が異常に長い。徳川家康、小野道風

6.起筆ひねり型(我が強い。自分なりの意見を持つ)
  起筆の打ち込みが強くひねりもある。光明皇后

7.細連綿型(神経がデリケート。優美な志向)
  細くデリケートな連綿線が多い。黒田官兵衛

8.強連綿型(自信家。集中力に優れる)
  連綿線が実線と同じ太さで書かれる。織田信長、大石内蔵助

9.変形字型(芸術や特殊な異能を持つ)
  通常の書き方ではないがバランスはとれる。黒田官兵衛

10.弘法型(安定・繁栄志向)
  門構えなど下部に末広がり。空海、頼朝、北条早雲

私の場合、ほとんど二つのパターンだ。6割ぐらいが5番の縦線下部長突出型。家康風だ。残る4割が2番の大弧型。秀吉だ。

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秀吉の筆跡が紹介されているが、自分の字の書き方と似ている。大きな円弧は「太閤型」とも言われるそうで、模して書くと、気も明るくなるとなっているが、いつもそんな字を書いている。

これからは、部下からは「サル」と呼ばせよう。

地図から消えていた島の「ウサギ」

2014-03-04 00:00:32 | 市民A
「閉鎖都市」という言葉がある。軍事上の都合で地図に書かれない都市のことであり、その多くは核兵器開発に関係がある。多くは旧ソ連関係であるが、アメリカにもあった。そして日本にも地図に書かれていない島があった・・

所用で、日比谷から銀座方面に向かって歩くことがあり、都心を東西に貫く晴海通りの下にある長いトンネルを歩く。このトンネルのことを知っている人は少ないだろうが、日比谷公園から東銀座までつながっている。知る人ぞ知る。まさに地図になかった島への入口のような場所だ。村上春樹氏に見つけられると大変だ(知っているだろうが)。


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そのトンネルには商店はない。ただのトンネルなのだが、トンネルの長い壁面を利用したギャラリーがある。ウサギの写真が続いていた。どうもウサギの島の写真らしい。ただ、説明を流し読むと、「ウサギの繁殖」系の記載の他に、「地図から消された」とか「毒ガス」といった不気味な文字列を読むことができる。忘れない様に画像キャッチをして、帰宅後調べると大変な話だった。

毒ガス工場の島。実際の島名は大久野島。

場所は広島県の中央付近。呉と三原の間にある忠海(ただのうみ)という駅の近くから船に乗る。沖合にある周囲4キロの小島だが、れっきとして住民はいる。日露戦争の時に日本が攻撃された時のため瀬戸内海にも要塞をつくっていたのだが、そういう島だった(海軍基地呉よりも東側なのだから、ここに要塞作っても仕方ないような気がするが)。その後、毒ガス工場となり、生産したガスは主に中国大陸に運んで行ったようだ。その後は知らない。

そして、戦後。ヒ素だらけのこの島に住みついたのは、なんとウサギ。このウサギがどこから来たのかはいまだに謎だそうだ。戦争中に実験用に連れてこられた生き残りなのか、戦後、外から連れてきたものか。いずれにしても体にやさしくない島でそうたくさん草が生えているわけでもないのにウサギだらけになった。

そして、今、観光化が始まるということらしい。毒ガスの博物館もあるそうだ。ウサギの写真はいくらでも撮影できるのだろうか。

そして、よく考えると仮寓を構えている倉敷市からは2時間半ほどで島に渡れることに気付く。瀬戸内海なので、そう寒いこともないだろう。

しかし、一つ問題があるわけだ。自分の話だが、生後1歳ごろの話だが、ウサギに指をかまれて指先が落ちかけたことがあるそうだ。今でも大きな傷があり、年に何回か鋭い痛みに襲われることがある。要するにウサギが怖いわけだ。

怖いものが二つ。ウサギの前歯と毒ガスの亡霊。トンネルから出発して地図になかった島に行こうとする自分が怖い。

壬申の内乱(北山茂夫著)

2014-03-03 00:00:53 | 書評
本書の上梓は1978年である。日本が高度成長から安定成長乗りかえた時期である。新左翼運動が壊滅し、今思えば不思議だが成長を続けている時代には盛んだった左翼運動があっという間に破綻していく。ソ連や中共のご威光が暴発していたからというのもあるだろうし、生活が安定すると思想のことなど考えなくなるのかもしれない。

そして、その頃の日本における歴史観というのは二つの流れ(というかグループというか)があったようだ。一つは、唯物史観。いわゆるマルクス主義的。もう一つは皇国史観。極左的か極右的か。

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どうしてこうなるかというと、そういう学者が多かったこと(特に国立大学)と、もともと歴史というのは、歴史的事実を解明する学問なのだけど、古い話になると確定的な証拠が少なく、どうしても日本書紀や古事記に頼ることになるのだが、それらの本はすべて真実とは感じられない部分があるため、「推定」するということが生じてしまうわけだ。そういったあいまいさから、「歴史とは歴史観を戦わせること」ということになってしまった。

本書では、北山氏は、右でも左でもない歴史を書こうとしているのだが、実際のところ極右と極左の間のどのあたりが真実なのかわからないわけで、その範囲を超えて極めて○ということだってありうる。

まず書名には、通常使われる「壬申の乱」ではなく「壬申の内乱」となっているが、単に「乱」というと、反乱軍を意味するように感じるわけで、負けた方が正統政権だった、とようにも感じてしまうからなのだろう。

さらに、本書では大海人皇子の戦略を戦国時代のように描いていて、戦局が不利になったり有利になっていく展開を従軍記者のように追っていく。さらに、戦後の敗者の処遇などの描き方は、関ヶ原の戦いような書き方になっている。

実際には、この後の歴史と言うのは比較的解明されているのだが、これより前の歴史と言うのは、かなり靄の中にある。

実は、「タイムマシンがあったらどの時代に行きたいか」という設問を歴史学者にアンケート調査をすると、古代日本を選ぶ人も多いのではないだろうか。ただし、行くだけで帰れない片道切符です、となると気が変わる人が多いかもしれない。

わたしなら「きのう」というような気がする。もちろん株の売買を繰り返して資産を十倍くらいにするつもりだし、きのうの世界から帰ってこられなくてもたいしたことはないだろう。インサイダー取引で逮捕されるかもしれないが。